シェラドゥルーガは、生きている

ヨシキヤスヒサ

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1.シェラドゥルーガは、生きている

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 我らが生ける大地となり、永久とこしえに伏せし我らが父よ。天より授けられし炎により、夜闇を照らす御使みつかいたるミュザよ。迷えるものたちの、その旅路を指し示し、照らし続けたまえ。されば迷えるもの、いと高きの山を登り、そして天への道へと至れり。ものども、その御前にまみえたならば、夜に輝く星の座のひとつとして迎え入れたまえ。さすれば我ら、夜の帷が降りるたび、貴方がたと共に天を仰ぎ、未だのものの生命いのちが続きしことを、懐かしみ、慈しむだろう。

 儀式は、しめやかに進んだ。
 国家憲兵隊から届けられたコレットの遺骸は、丁寧に清められ、死化粧を施されていた。そのまま火葬から埋葬までできる状態だった。
 あれの夫を含め、いくらかの縁者のみで葬った。
 首を絞められ、道の脇に打ち捨てられていたという。聞いて、思わず涙をこぼした。こわかっただろうに、つらかっただろうに。

 そうして、ひと通り片付いたあたりで、誰かが訪いを入れてきた。
 ふたり。国家憲兵隊の警察官だった。

「バラチエ司祭さま。この度もご面倒を見てくださって、ありがとうございます。あのお嬢さんも、これで浮かばれるでしょう」

 ビゴーと名乗った老人は、穏やかに謝意を示した。色褪せた油合羽あぶらがっぱと同じように草臥くたびれた顔をした、初老の軍警である。
 何度か顔を合わせたことがあったが、偏屈で頑固そうな外見とは裏腹に、極めて柔和な人となりだった。町外れの隠者のような自分にさえも、親切に応対してくれた。
 若い頃からずっと聞き込み捜査だけをしている変わり者だった。それでいて、この人のよさなのだから、民衆はこぞって協力する。
 ある意味、警察隊の顔とも言っていい人物だった。
「私にできることをしたまでです。旅立つものに旅立ちの場を設けるのも、司祭としての責務です」
「人の貴賎を問わず、いや、貧しいものに対してこそ、それができる御仁など、数えるほどもおりますまい、バラチエ司祭さま。特に貴方のような、名声のあるお方がお声をあげていただけるとは、あたしどもも感謝に耐えません」
 冠婚葬祭とは、もとより金のかかるものである。あの夫婦は貧しかった。だからこそ、手を差し伸べたかった。

 宗教家としては、大成した。

 かつてはヴァーヌ聖教南部教団の司教として、数々の神学校で教鞭をり、多くの宗教家を排出した。
 老境を迎えたとき、ふと信仰の根本に立ち返りたくなった。地位と役職を棄て、町外れの廃院を建て直し、ひとりの司祭として市井に信仰を広めんと、街に出ては説法を説き、催事をり行い、こうやって旅立つものを見送ってきた。
 それでも、信仰を人々の心の芯に据えることは、難しくなってきた。

 はじまりは、些細なことだった。
 随分昔に、南東の国、エルトゥールルの硝子ガラス職人が、遠眼鏡というものを作り出した。遠くのものがよく見えるという、玩具の類だ。それの馬鹿でかいものを拵えた数寄者がいて、それを使って、夜の星々を観察しはじめた。何人かが面白がり、それに続いた。
 そして、皆が気付きはじめた。ヴァーヌの教えと、今、自分たちが見ているものに、明らかながあることに。
 そこからは早かった。御使みつかいたるミュザの掲げる灯火は、恒星と名付けられた、自ら光と熱を放つ巨大な星だった。永久とこしえに横たわる神たる父は星々のひとつに過ぎず、天に昇った人々の魂として信じられていた他の星々と同様に、恒星の周囲を楕円状に周回する、球状の土塊のひとつでしかなかった。夜と昼、つまり我々の日々というものは、神たる父そのものが回転することによって、恒星から発せられる光を浴びる箇所が変遷していく現象でしかなくなった。
 そしてその観測的事実は、なぜ、そういうことがおこるのか、という疑問に繋がり、それも多くの天才、秀才によって生み出された、膨大な量の数式と法則によって立証されはじめ、遂には自然科学という、実験事実を正確に示す学問の成立にまで至った。

 それは、真実と事実とは同義ではないことを、つまり、宗教から、天文学を含む、ありとあらゆる学問が切り離されることを意味していた。

 今日、惑星の動きを予測することに、神通力じんつうりきは必要ない。天文学の教科書と算盤そろばんと、いくらかの時間があれば、奉公あがりの若者にでも可能なことであった。
 市井や各地の学校では、日々、自由で活発な議論が繰り広げられている。宗教的価値観から解き放たれた、自由な発想、思想、視座が、人々の想像力を掻き立てている。新しいものが、新しい考えから、無数に発生していた。

 ただ我々、宗教家だけが、ぽつねんと取り残されていた。

「バラチエ司祭さま。大変失礼ではございますが、このたび、少々ご確認をさせていただきたいことがございまして」
 ビゴーの隣にいる、背の高い若者が割って入ってきた。こちらの油合羽あぶらがっぱは、まだ黒いと思えるほどに色濃い。金髪碧眼の、何もかもが整った美男子だった。
「ああ、こいつはその。ええと、あたしの副官と申しますか。役職でいえば、あたしが部下なのですが」
「失礼いたしました。私、ビゴー准尉殿と共に、本件の捜査を担当させていただいております、ガブリエリ少尉です」
 美男子は、秀麗な動作で敬礼した。その名を聞いて、心当たりがあった。というよりは、ぎょっとした。
「ガブリエリ、といえば、あのガブリエリ家のご子息さま」
「ああ、まあ、そんなところです。今はもう、勘当されたようなもんですから。お気になさらず」
 ガブリエリと名乗った青年は、いくらかが悪そうに笑った。その所作ですらになっている。
 三つほど前の王朝の、つまり、王の血族である。男子が生まれなかったため、他家に玉座を明け渡したが、家自体は細々どころか、むしろこうやって燦然と輝くまでに続いている。
 風の噂で、今世の嫡男が変わった子で困っている、ということは聞いていたが、まさか警察隊の、しかもこんな端役はしたやくというべき聞き込み調査をやるような役職になっていたとは、まったく想像していなかった。
 昔から、衛兵とか、軍警に憧れていたんです。家柄にふさわしくないと何度もたしなめられましたが、どうにも諦められませんでして。それに、六つぐらいの頃に、おやじさん、ああいえ、ビゴー准尉殿にお会いして、決意が固まりました。毎日毎日、歩いてばかり。ほんとうに、楽しい仕事です。
 聞けば聞くほど、確かに変わった子だった。本来であれば口を聞くのも憚られる、天上の人である。ただ話してみると、口調も物腰も柔らかく、気さくで、まるで迎え入れられているような包容力がある。天性の人たらしだ。

 話し込んでいるうち、ビゴーが気まずそうに、そして呆れたように、頭を掻きはじめた。
「まあ、本筋に戻りましょう。まず結論からですが、あたしどもは、司祭さまを疑っているわけではありません。ただし、ここ最近の、いくつかの事件において、司祭さまの名が上がることが多くなってまいりまして」
 咳払いひとつ、ビゴーが話を続けた。
 心当たりはあった。コレット、エミリエンヌ、そしてジャスミーヌ。最近、三人とも殺された。
「寄付の件、ですな」
「まさしく」
「おっしゃる通りです。最近殺された三人を含め、何人かには、蓄えから心付けを渡しております。食べるものや着るものに困らないように。そういうところから、奉公先や嫁ぎ先の世話などもしております」
 奥の方から、紙を束ねたものをいくつか取り出して、持ってきた。
「ここ何年かの帳簿です。どうぞ、ご査収ください」
「これはこれは、よろしいのですか?」
「不調法な言い方にはなりますが、やましいことは何ひとつありませんので」
 それであれば、という風に、ガブリエリの方が丁寧な仕草でそれを受け取った。
 蓄えのあるものの義務として、やっていたことだった。
 ここには畑もあれば、井戸もある。バラチエひとりが食っていくのは難しくない。文筆の覚えもあるので、証文の写しだとか、手紙の代筆だとかを、二束三文で請け負うこともある。布教の中で慕ってくれる民衆も増えてきており、気のいい連中が食い物や酒を持ってきてくれることもある。
 老後のためにと溜め込んだ蓄えは、実際のところ、ほとんど死蔵となっていた。
 ここに説法を聞きにきたり、懺悔をしにくるものの中には、金に困っているものも多い。そういうものに、いくらか包んで渡していた。返すか返さないかは、気にしていない。それが、その人の役に立てば、それでよかった。中には、同額、あるいはそれ以上の額で返しにくるものもいるので、二回か三回断ってから、それでも、というのであれば、受け取るようにしていた。
 宗教家は非課税である。幸いなことに清貧に育ったため、金に執着はなかった。人のために使って喜んでくれるのならば、何よりだった。
「おお、あの大聖堂の修繕費までお出しされているとは」
 ちらちらと帳簿を眺めていたガブリエリが、尊敬の眼差しでこちらを見てきた。

「順に、ジャスミーヌさん、エミリエンヌさん、コレットさん。このお三方に最近、お変わりはございませんでしたでしょうか?」
 ビゴーの問いに、そう言えば、と答えたぐらいだった。

 不意に、視界がぐらついた。体のところどころが重い。意識が、持っていかれるほど、えぐられるような。
 体が浮く。何かが、脈打っている。

「司祭さま、大丈夫ですか」

 気が付いた。倒れていたらしい。大汗をかいていた。

「おお。ビゴー准尉さま、ガブリエリ少尉さま」
「びっくりしましたよ。胸を抑えて倒れられました。うわ言のように、薬、とだけ繰り返しておりましたので、私室にお邪魔させていただきました。勝手をお許しください」
「なんの。いや、お二方とも、我が生命いのちの恩人です。ほんとうに、ありがとうございます。そして、お見苦しいものを」
「ああいえ、お気になさらず」
 ひとつふたつ、深呼吸をする。痛みはあるが、抑え込める程度だった。意識もはっきりしている。
「ご病気ですか」
「ええ」
 汗を拭いながら、答えた。
「できものが、あるのです。からだの中の、あちこちに」
「それは、大事になさらないと」
「いいえ。もう長くない。医者からすでに宣告されております。ですから、成り行きに任せることにしました」
「それは、相当なお覚悟ですな」
「いいえ、臆病者ですよ。死が、怖くてたまらない。ですから、忘れたいのです。忙しくして、死ぬであろうことを忘れてしまいながら、死んでしまいたい。今の今更、病室のとこに縛り付けられて、来るべきものに怯えながらなど、まっぴらごめんです」
「はは。仕事中毒ですか。あたしも似たようなものですが、信念も度が過ぎれば、周りは大変でしょう」
「ほんとうに、人に迷惑をかけてばかりで生きてきた」
「まずは、お体に気をつけて。このあたりで失礼します」
「ありがとうございます、我が恩人。いつでも、いらっしゃってください」
「どうも、ご丁寧に。それでは」
 そう言って、ふたりは帰って行った。

 ひと呼吸をおいて、私室に向かった。
 少し散らかってはいるが、ひっくり返した、までは行かない。卓上の日誌は開かれた形跡はないし、書棚にも触れられた形跡はない。あるいは窓際に置いてある、天体観測用の望遠鏡にも。
 深呼吸した。
 よかった。ただ、急がなければならない。ことを進めなければ、たどり着かれるかも知れない。

 ひとまず、汚れてもいいような格好に着替えた。そしてそのまま、台所に向かう。
 包丁。いわゆる、万能包丁とか奥さま包丁とかいう、ひととおり使えるようなもの。金物屋なら、どこにでも売っているものだ。
 そして礼拝堂の隅にある、地下の物置に続く階段を降りる。
 鍵はかかっていた。
 扉を開ける。暗い。備え付けのオイルランプに火を灯した。ぱっと、明るくなる。土間、土壁の、簡素な空間。
 ここも、踏み入られた様子はなかった。

 よかった。それでは、はじめるとしよう。

 ひとり、寝そべっていた。両手、両足を縛られ、猿轡をかけられた女。バラチエの姿をみとめて、身をよじり、涙を浮かべながら、怯えた目で呻いている。

 よく我慢してくれたね、シュゼット。さあ、旅立ちの時間だ。私の信仰に応えてくれたまえ。

 永久とこしえに伏せし我らが父よ。夜闇を照らす御使みつかいたるミュザよ。迷えるものたちの、その旅路を指し示し、照らし続けたまえ。されば迷えるもの、天への道へと至れり。ものども、その御前にまみえたならば、夜に輝く星の座のひとつとして迎え入れたまえ。さすれば我ら、夜の帷が降りるたび、未だのものの生命いのちが続きしことを、懐かしみ、慈しむだろう。

(つづく)
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