シェラドゥルーガは、生きている

ヨシキヤスヒサ

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1.シェラドゥルーガは、生きている

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 四人目が、あがった。

「滅多刺し、か」
 帰りの馬車の中で、ダンクルベールは呟いた。正面に座るペルグランは、面白いぐらいに真っ青な顔をしている。
「あれほどのものは、俺も久しぶりに見るぐらいだ。こういう時は、忘れなさい。忘れ方を覚えなさい。ゴフのやつなら、女遊びにでも誘ってくれるだろう」
「女の顔も、見たくないです」
「なら、酒かな。奢ってやるが、まあ今日は、これから司法解剖だ。もう少し我慢してくれよ、ペルグラン」
 現場でも、何度も吐いていた。今もこうやって涙目で震えているが、それでも成長の兆しを見せてきた。
 次に死体があがったら、側で仕事を見せてもらえないか。散々、悪しざまに言っていたデッサンに対し、自分から申し出たそうだ。
 後になって、デッサンの方が気味が悪くなったのだろう、ダンクルベールのところに大慌てで相談しにきた。
 笑って、付き合ってやってくれとだけ、言っておいた。
 今からちゃんと検死となるが、ひどい殺し方だった。
 前の三件同様、通りに投げ棄てられていた。違ったのは、身も清めず、服もあらためず、殺しっぱなしだったことだ。棄てておいて、申し訳程度に麻布を掛けていた。
「棄て方が違った。具合が悪いところすまんが、お前はどう思う?」
 返答はなかった。それも、しばらく。
「ペルグラン?」
「自分のやったことに、動揺したんだよ」

 女の声だった。

 ペルグランの顔を覗き込む。さっきまでの青く震えた顔ではない、太々ふてぶてしい、泰然とした表情。平然と背もたれに背中を預け、堂々とした態度だった。
 そしてその目は、栗色ではなく、あかだった。

 シェラドゥルーガ。

「ちょっとペルグラン君をお借りするよ、我が愛しき人」
「勝手にしろ」
 面倒になって、吐けるだけのため息を吐いた。
 ウトマンの時にも散々やられた手口だ。あの牢獄に閉じ込めているが、流石は人でなし。そんなもの、なんの意味もないようである。
「それで、お前の見解は?」
「自分の責務に無我夢中だった。もしかしたら、直前に不都合があったのかもしれない。時間がない。早く、早くしなければ。知ることもできずに死んでしまう」
「欲望ではなく、責務か。知的好奇心ですらないとは」
 ダンクルベールは紙巻を取り出し、咥えた。肺に煙を入れていく。昇った血が、全身に行き渡っていく。
 見えなくなっていたものが、見えてきた。
「こなさなければならない仕事を、無理を押して頑張った。見返して、自分のやったことが恐ろしくなった。だから後始末が疎かになった」
「繁忙期ってのはそんなもんさ。後ろが突っかえてるとなれば、なおさらだ。思い出すなあ。私も新聞連載なんぞをやっていたときは、随分せっつかれたものだよ」
「それでも雨の日を選んで棄てるのだけは忘れていない。現場にはほとんど証拠がないが、ほんとうの現場は、まだ片付けが終わっていないはずだ」
 手がかりさえあれば、すぐにでも押しかけたい。その手がかりを今、探ってもらっている。
 ビゴーとガブリエリの、ふたりである。
 叩き上げのベテランと、超がつくほどの名家のお坊ちゃんである。身分と役職、そして経歴がちぐはぐな組み合わせだが、すでに噛み合いはじめている。お互いの長所を尊重し、短所を補える。釣り合いが取れた名コンビになるだろう。
「死体を棄てるのも見えてきたな。見せびらかすためではなく、見つけてほしい。別に山の中に放っても構わないのに、人前に晒すのは、罪の意識があるからだ。見つけて、止めてほしい。咎めて、裁いてもらいたい」
「ならば、自首しないのは?」
「信心深いのだろう。あるいは、傲慢なところがある。自分を裁くべきは、人じゃない。神であるべきだ」
 ダンクルベールのその言葉に、ペルグランの顔をした何かが、歯を見せて笑った。
「素晴らしい。それがほんとうなら、相当に屈折した人間だ。罰してほしいという善性と、我が儘の為に人を害する悪性が均衡している。葛藤の中に長く生きた人間だ。是非、味わってみたいものだな。長く、ゆっくりとね」
「残念だが、お前にはやれんよ。四人も殺したとなると、人前で首を括る必要がある」
「意地悪だなあ。じゃあ処刑人ぐらいやらせてくれたまえよ。つまみ食いぐらいなら構わんだろう?」
 シェラドゥルーガは、からからと笑いながら、物騒なことを言っている。冗談ではない。こんな畜生を、二度と衆目に晒すわけにはいかない。もう片足を投げ出してでも止めてやる。

 ふと、何かが頭の中に転がった。ぽん、と虚空から転がり出て、それは思考の中に、ちょこんと座り込んだ。
 広がる星空と、地べたに座ってそれを眺める若い娘の姿。それはここ数年で、何度か見た光景だった。
 ひょっとして、これかもしれない。

「なあ、シェラドゥルーガ」
「なんだい?」
 ダンクルベールは、紫煙を吐いてから尋ねた。

「人が死ぬたび、星の数は増えると思うか?」

 言って、しばらくの沈黙があった。相手は呆けたような顔をしている。
 爆音。破裂するような、笑い声。それはげらげらと、腹を抱えて笑っていた。人のそれではない。けもののそれですらも。ひどく下劣で、醜悪だった。

 だがつまりは、を引いたということだ。

「そろそろ庁舎に着く。ペルグランに返してやってくれ」
「おいおい、勝ち逃げなんて許さないぞ。感想戦ぐらいやろう?なあ、我が愛しき人。どこから思いついた?」
「また後で寄る。その時に」
ぁだ」
 満面の笑み、聞くに絶えないほど、甘ったるい声だった。
 思い切り、頬を張った。
 目の光が変わった。混乱している。目の端に、涙が滲んでいた。
「長官。私は、何を。いえ、何が」
 声が戻っていた。
 叩かれる直前、引き下がったのであろう。ペルグランはペルグランのままをもらったわけになる。
 気の毒だが、仕方のないことだった。
「気にするな」
 ため息ひとつ、紙巻を携帯灰皿に押し付けた。
「ただの、パワーハラスメントだ」
 無茶苦茶な言い訳をしている自覚はあった。事実だから仕方ない。騒がれたら面倒だが、そこはペルグランを信用することにしよう。

 庁舎に到着次第、遺体を司法解剖室に運ぶ。
 別棟にあつらえた、最新の設備である。入退室の際は、石鹸を用いた手洗いを必須としている。持ち込むものも必要最低限で、油合羽あぶらがっぱなども、必ず脱いで入室することと定めていた。
 三人。準備万端という様子で待っていた。いずれも簡素な医務服を纏っている。
「すまんが、今回のは刺激が強いぞ」
 三人の顔を見渡し、ダンクルベールは伝えた。
 運び込まれた遺体を見たときの反応は、三者三様だった。口元を覆い、嗚咽を堪えるもの。ただじっと目を離さずにいるもの。瞼を閉じ、ヴァーヌ聖教式の礼拝を捧げるもの。
 しばらくして、三人が目を合わせ、頷いた。

 司法解剖は、チオリエ特任とくにん伍長による、ヴァーヌ聖教の聖句から始まる。
「出血多量ですな。長く、苦しんだのでしょう」
 ダンクルベールと同じく白秋はくしゅうの手前ぐらいながら、肌艶がよく、恰幅もある偉丈夫が口火を切った。ラポワント特任とくにん大尉。ムッシュの名の方が通った、腕利きの医者である。
「凶器は牛刀?いや、奥さま包丁かな。厄介ですな」
「刃物は持ち主の地位を表す。無我夢中の殺しでも、そこはちゃんと気をつけているようだな」
 淡白な口調。この中では唯一の正規軍人のアルシェ大尉。寝ぼけ眼で、仏頂面の付き合い下手だが、恬淡としていて、いやなところがない男だった。
「馬乗りで、逆手でざくざくとやってる。しかし、ほとんど急所を外しているな。これじゃあ、はらわたがはみ出ても死ねないぞ。よほどの悪趣味か、もしくは勉強不足だな」
「両の手首と足首、そして口には、拘束の跡があります。その時まで、長く囚われていた。衣服に失禁の跡も残っています」
 声を震わせながら、チオリエ特任とくにん伍長は、それでも手を動かし続けている。金髪碧眼の可憐なお嬢さんだが、その額には、物々しい向こう傷が走っていた。

 震えた手で、その頬に触れる。涙が溢れてしまった。
「ごめんなさい。貴女を助けてあげられなかった」

 アンリエット・チオリエ。またの名を、サントアンリ。

 豪族同士の領土紛争が絶えない地域で産まれた、修道女である。物心ついたときから、戦場を見てきた。血と、肉と、人の死を見てきた。吹っ飛んだ片腕を探して彷徨さまようものを。恋人の名を呟きながら、動くのをやめていくものを。
 戦場における彼女の武器は、包帯と軟膏だった。
 敵も味方もない。ひたすら生命いのちを救うためだけに奔走した。その為ならば、軍人どもにすら食ってかかったのだろう。可憐な顔に走る刀傷は、その時のものだそうだ。
 いつしか人々は、その娘をサントアンリと呼ぶようになった。向こう傷の聖女。最前線の守護天使と。
 故郷の情勢が安定したところで、警察隊本部に招聘した。救命医療の専門家が欲しかったところだった。
「アンリ。死した彼女を救うのが、我々の仕事だ」
 血に濡れた手で涙を拭おうとするアンリに対し、ムッシュが、優しくも厳しい口調で諌めた。

 このあたりで、デッサン、ゴフも入室してきた。二名とも犠牲者に黙祷を捧げたのち、ダンクルベールと同じように遠巻きに陣取った。
 ペルグランがそそくさと、デッサンの横についた。小声で、また見させてください、と頼み込んでいる。
「デッサン。引き続き見せてやってくれ」
「構いませんが、ためになるかどうかは」
「それは捉える側の話だ。気にせずやりなさい」
 幾らかの狼狽を見せた後、デッサンは自分の仕事道具を用意しはじめた。
「気をつけろよ、鞄持ち。こいつは長官より難儀だぜ?」
 面白いものでも見たように、ゴフが揶揄からかうような声を上げた。黒い肌。屈強な体躯そのままの、粗野な男である。
「なんたって死体画家だ。仕事を馬鹿にされようが、どこ吹く風だが、邪魔するやつには容赦がねえ。せいぜい胸ぐら掴まれないよう、慎重にやるこったな」
「おい、変な印象を植え付けないでくれよ。ゴフ」
「ほんとうのことだろう。お前、俺の顔、何回ぶん殴ったか、覚えてるか?おかげで俺は、人を馬鹿にしてはいけないっていうことを教わったもんだよ」
「やめてくれよ。昔の話だ」
 このふたりは仲がよかった。士官学校時代の同期でもある。

「衣服に藁。長官の見立て通りであれば、四人目になりますかな。しかしまあ、また手口を変えてきたとは」
「それにしたって下手な殺しだ。こないだの首絞めもそうだが、もそっと何とかならなかったのかね」
「アルシェ。君も拷問官だからわかると思ったのだがな。絞殺というのは、なかなかに難しい方法なのだよ」
「ああ、まあ。殺すまではやったことがなくってな」
 アルシェが口元だけで苦笑いした。

「俺が締め付けるのは、心だけだよ」

 曰く付きの男だった。

 正規軍人ながら、かつて旧王家の秘密警察とかいう組織で、政争に明け暮れた男である。その中でも最も恐れられた拷問官だった。あいつに拷問される前に舌を噛み切れ、とまで言われるほどの手腕である。
 政変の折、その組織も標的となったが、司法警察局局長の縁者にゆかりがあったらしく、その伝手でこちらに流れてきた。
 拷問には、豪華絢爛と言っていいほど数多くの道具が用いられる。だがアルシェはそれを一切用いない。棒切れ一本あればいい、という。
 一度立ち会ったことがあるが、なるほど、これは死んだ方がましだ、というやり方だった。
 とにかく、心を攻めるのだ。
 適当に殴ったり蹴ったりしながら、淡々とした口調で蔑んだり、脅したりする。それを、例えば二時間とか三時間を目処にして、定期的に行う。
 そして相手が暴力と暴言に慣れてきたあたりで、その周期をずらしたり、止めたりする。そうすると、来るはずのものが来なくなって、最初こそ安堵の表情を浮かべるが、そのうちに、それが恐怖に変容する。
 来るべきはずのものが来ない。逆の言い方をすると、いつ来るかわからない。
 そのうちに、今までに刻み付けられた体と心の痛みに、苛まれはじめるのだろう、二日もすれば錯乱状態に陥ってしまう。そうなってから顔を見せると、相手は嬉々として秘密を明かすのだ。心の痛みから、解放されるために。
 心を弄び、その痛みに依存させる。趣味の悪いやり方だが、こういうことができる人間がひとりは欲しかった。いわゆる汚れ役である。搦め手や悪巧みをする際の、いい参謀役だ。拷問に長けているだけあって、人体構造や外科医学にも明るい。こうやって司法解剖にも携わることもできる。
 あるいは将来、心を苛むことの逆、心を癒やすことを学ばせれば、活躍の場は増えるだろう。

「首を絞めれば人は死ぬ。呼吸困難か、頸動脈圧迫により脳に血がいかなくなるためだ。それはわかっているが、どうやって確実に死に至らしめるかが課題になってくる。例えば、手や腕で首を絞め続けることの難しさは、喧嘩が得意なゴフ中尉なら、いやほどご存じのはずだね」
「そりゃあもう。やられた側は、大暴れですわ」
 ゴフがおどけたように、ペルグランの首に腕を回す。ぎょっとしたように、ペルグランが体を大きく使って抵抗した。すぐに解放される。つまりはこういうことだ、という表情で、ゴフが笑った。
「そう。それを何とかするために、首吊り、いわゆる絞首刑が発案された。ただこれも、単純に縄で括り上げるだけではやはり暴れる。縄が解けたり、苦しむ中で糞尿を撒き散らしたりする。そこで、物が落ちる速度を利用して、頚椎を破壊することで、ほぼ即死させる方法が編み出された。しかし、しかしだ。縄の長短、強度、結び方、処刑台の高さと、やはり考えるべきことは山ほどある」
 まるで何かの授業のように、ムッシュがつらつらと言葉を並べていく。その表現の豊かさに比べ、声の抑揚は恐ろしいほどに平坦だった。

「つまり、ひとごろしにおいて真っ先に求められるのは物理学の知識だ。それだけあれば、殺せるのだから」
 締めくくりの一言は、どこか寂しげだった。これこそが、この男が今もムッシュと呼ばれ続けている所以ゆえんである。

 解剖にも明るいほど優秀な医者でもあるが、なにより代々続いた死刑執行人だった。人を殺すことだけを仕事にしてきた男だ。
 今でこそ、酒と歌を愛する気持ちのいいおやじだが、つい何年か前までは、生涯最後の立会人、旅立ちを見送る人として、誰彼からも畏れ敬われたほど、高潔で厳粛な人物だった。特に貴族たちにとっては、彼に処刑されることは一種の名誉と言われるほどだった。
 十年ほど前になる。数多くの罪を犯した極悪人。ひどく醜い顔の男。死を前に、毅然とした態度だった。
 断頭台がその首を落とした後、集まった群衆の方々から野次が飛んだ。

 途端、この死刑執行人は、憤怒に染まった表情と、その朗々とした美声で、彼らを一喝したのだった。

 この首だけのものを見たまえ。神たる父と御使みつかいたるミュザ、そして我が名のもとに生涯をまっとうした、このものを見たまえ。諸君らはこのもののようになれるか。おのれの過去を精算するために、この断頭台に首を委ねる覚悟が、諸君らにあるのか。その覚悟なく、このものの死と生涯をわらうならば、今すぐここを立ち去るがいい。

 この名演説以来、処刑場を見世物小屋と同じように捉えるものはいなくなった。誰しもが喪服や礼服を羽織ってくるようになった。誰も一言も発せず、ただ、人が死を迎える瞬間にまみえ、それをいたみ、弔うようになった。
 その様子は、まるで戴冠式のように厳かだった。
 今まで娯楽でしかなかった公開処刑を、人が最期を迎える場として啓蒙し続けた異端児だった。人の死を嘲笑することを、決してよしとしなかった。

 ムッシュ・ラポワント、あるいはムッシュ・ド・ネション。死を司り、生涯を尊ぶ、代々の死刑執行人。

 それほどの傑物であっても、先の政変で崩れた。

 知己ちきを含む、多くの人を殺めた。それで疲れ果ててしまったのだろう。事態が収束次第、隠居を申し出たそうだ。
 町外れの小さな医務院で、細々と医者をしているところを、司法警察局局長とふたり、何度も通って口説き落とした。
 死の専門家、その第一人者として、協力してほしいと。

 司法解剖室と、この三人。肝入りの施策だった。導入から間もないが、確実に検挙率は上がってきている。今まではその都度、軍医や町医者に声をかけて頼んでいたが、誰も彼もが法医学やら解剖やらに詳しいわけではない。父祖伝来の技術を持つムッシュを長として、救護兵のアンリ、拷問役のアルシェを組み合わせてみた。年も立場も、アンリに至っては性別すら違う三人だが、今まで衝突はない。もっと場数を踏ませて、馴染ませる。そしていずれは、人数を増やしていきたい。

「だとしても、今回の犠牲者も苦しませています。四人目ともなれば、手口を変えたとしても、幾らかは要領がよくなるのではないでしょうか?」
 ゴフにしてやられた襟元を正しながら、ペルグランが声を上げた。だいぶ落ち着いたのか、惨たらしい光景を前にしても声は震えていない。
 それについては、思いついていることがあった。
「試行錯誤そのものに意味がある。死に方の最適解を見つけ出そうとしている。どんな死が、最も尊いのかを」
「死に、優劣をつけられる立場の人間なのですか?」
 アンリの問いに、ダンクルベールは首肯した。
 目の色が、変わった。その手も、戦慄わなないている。
「今、私は怒ります。怒りに身を委ねます。いつか、その人をゆるすために」
「それでいい。その怒りをうまく使いなさい。きっとお前はそうやって、今まで多くの人を救ってきた」
「はい。そして」
 また、アンリの目から涙が零れた。
「多くの人を、救えなかった」
 それを見て、アルシェがはじめて瞼を閉じた。
「アンリ、二度も言わせるな。今は、悔いるな。お前が助けてきた人や、そうでなかった人を失望させることになる」
「そうだよ、アンリ。君は、生命いのちを救うために行動することができる。それはほんとうに素晴らしいことだ」
 デッサンが口を挟みつつ、そこまで言って、唇を噛んだ。

「僕は、絵を描くことしかできないんだ」
 筆が、止まった。

 小さく、畜生、と繰り返し呟いていた。隣にいたペルグランがどうしていいかわからずに、おろおろとしている。
 可哀想なやつだった。ほんとうは、自分自身が犯人を捕まえたいのだろう。ただそれに見合う才覚がない。あるのは、絵を描く才能。たったそれだけだった。それは我々にとって十分以上に役立つものだが、本人としては、まだ納得できていないのかもしれない。

「ぼやくなって。いつも言ってるだろ、役割分担だって」
 うつむくデッサンに、ゴフが笑いながら肩を叩いた。
「よく聞け。死にそうなやつには俺たちのアンリで、これから死ぬやつはムッシュのおっさん。死なない程度にしなきゃならないならアルシェ大尉。そして死んでいいやつは勿論、この俺の役割だ」
 その言葉に、思わず苦笑してしまった。同じ年寄りのムッシュなどは、声を上げて笑っている。
「そいつを絵に起こすのが、お前の役割だぜ?それをもとに捜査するのがウトマン課長だったり、我らが本部長官さまだ。いいね、わかりやすくって。それでいいじゃねえか」
「そうだ、そうだったね。ありがとう」
 重くなった空気が、一気に和やかになった。
 乱暴だが、陰湿ではない。気持ちのいい男だった。こういうやつがひとりいると、組織というのは案外、うまく回る。
「しかしまあ、鞄持ちの言う通り、要領が悪い。馬乗りで逆手でしょ?アルシェ大尉」
「ああ。その見立てだ」
「となると、兵隊じゃねえな」

 ゴフの言葉で、全員の手が止まった。

「ほら、兵役奉公でも士官学校でも、刃は寝せて突け、って叩き込まれるだろ?立てて突けば、肋骨で止められる。ここ。実際、心臓を狙ってるのが何発か。全部、立ててる。これじゃあ通んねえよ」
 その言葉に対し、反応はさまざまだった。アンリやペルグランは、目を輝かせている。ムッシュとデッサンは、これぞ、という、満足げな表情だ。アルシェだけは、迷惑そうなものを見るように眉間を押さえている。
 この男には、こういうところもある。直感が鋭い。あるいは、ひらめきが走る。腕力ばかりが悪目立ちするが、その実、この直感をもって、膠着した状況を何度も打開してきた、優秀な捜査官なのだ。
 ただし、の悪いことに、本人にはその自覚がない。
 何度か矯正したり、自覚させようとしたが、うまくいかなかった。下手に論理立てるより、自由な発想を尊重した方がいい結果につながる。ダンクルベールのやり方の後継者になりうるかと期待したのだが、それは叶いそうになかった。

「準男爵以上の爵位持ちであれば徴兵義務は免除されますが、剣術指南役を雇うなり、あるいは親が担うなりして、同じことを学ぶはずです。つまり犯人は、人を殺すための刃物の使い方を、知らない」
 ペルグランが、早口でまくし立てる。そのあたりで、ゴフもようやく、自分が突破口を切り開いたことを自覚したようで、照れ臭そうな顔をしはじめた。それをたしなめるように、デッサンが肘を飛ばしていた。
 平民の男たちには、兵役奉公だとか徴兵義務だとかいうのが、義務として課されている。ただし、国や領主が養える期間や資金は限られてくるわけで、銃の扱い方、刃物の使い方、指揮系統の大切さ、それぐらいを叩き込む程度である。期間としてはだいたい二ヶ月程度。しかも、ある程度の地位であれば、それをする必要もない。
「ただ、長官の見立てでは、女ではない。男で、懲役が免除されて、剣術を学んだことがない立場。つまり」
「ああ」
 興奮するペルグランの言葉に合わせ、ダンクルベールは、杖を何度か鳴らした。

「宗教家だ」

 大病に苦しむ司祭がいる。ビゴーからは、そんな話を聞いていた。

(つづく)
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