シェラドゥルーガは、生きている

ヨシキヤスヒサ

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2.協奏曲、あるいは狂騒曲

2−6

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 泣き虫ヴィルピン、本領発揮。

 ものすごい勢いだった。二日もしないうちに、ひとつの手口について逮捕令状ができあがった。ばんばん、手口ごとの容疑者が出てきて、絞り込んで、令状発行。そして逮捕。その間も、何回も転んで、泣いて、立ち上がっての繰り返し。

 二週間もしないうちに、後はふたりというところまで片付いていた。

「“くっつきむし”を、どうするかだよな」
 昼時。一旦、休憩というかたちで、とりあえずで見つけたビストロのテラス席。六人ぐらい座れる大きな卓だが、ダンクルベールとスーリと、ペルグランの三人だけ。ちょうど空いてたのが、その卓だけだった。
「遠方での根回しは、やはり時間がかかりますね」
「セルヴァンからも返答があったが、あいつの実家や、国家憲兵隊とは縁が薄い家だそうだ。ガブリエリやムッシュにもあたったが駄目そうだ。頼みのジスカールもどうもならんとのこと。ヴァーヌ聖教会や、悪党とも繋がりがない。となればヴィルピンも駄目。どうしたものだかなあ」
 ダンクルベールが難しい顔をした。

 この国の犯罪捜査で、一番難しい部分である。政治がいちいち絡むのだ。下手に触れば面倒なことになる。
 ここ一帯でも名のある土地持ち。かなりの名声、支持基盤がある。あるいは現行犯逮捕したとしても、裁判でひっくり返される可能性がある。
 ペルグランの実家とも縁はなかった。やるとすれば内務省か、あるいは宮廷か。
 何かしらのご印籠ひとつ。それがあればが着く。それがない。
 三人、頭を抱えていたところだった。

「おお、ダンクルベールの黒犬め。ここであったが百年目。元気がなさそうで何よりだ」

 どこかしらから快活な声で、随分な嫌味が飛んできた。
 思わず見やる。老夫婦。ダンクルベールから、おお、という声が上がった。

 恰幅のいい、というより多分に肥えた大翁。大きな顔の中心部にすべてが集まったような人相。何より目つきの悪さが、どことなく嫌味というか、ちょっと距離を置きたい印象を与える。反して装束は豪奢というよりかは洒脱であり、上品ではあるが押し付けがましい感じはない。そのあたりで外見上の釣り合いは取れていた。
 お隣の小柄で可憐な老婦人は、きっとご内儀さまだろう。難しい見た目の男とは正反対に、どこまでも優しい、気品のあるお婆さまだった。

「これはこれは、ご無沙汰しております。ブロスキ男爵閣下」
 ダンクルベールが立ち上がりながら放った言葉に、思わずぎょっとした。慌てて姿勢を正し、起立する。
「ちょっと足を伸ばそうと思ってだな。ここのめしが美味いと聞いたのだよ。席が空いているが、相席してもよろしいかね?警察隊本部長官殿」
「勿論ですとも。こんなところでお会いできるとは、奇遇も奇遇。ああ。奥さまも、お元気そうで何よりでございます」
「お久しぶりですわ、ダンクルベールさま。いつも主人がご迷惑ばかり」
「ああ、愛しいお前。ここは、どっちもどっちだ。俺もこいつも、互いに迷惑を押し付け合って飽き飽きしているんだ。そしてこれもどっちもどっちで、双方、大人なところを見せているだけなんだよ。そうだよなあ、ダンクルベール」
「いやはや。男爵閣下の懐の深さには、毎度、敬服させていただいております。ささ、どうぞお掛けなさって」
 あのダンクルベールが、妙ににこにこしながら、席を用意した。その巨体が腰を掛ける。どかん、と鳴るかと思えば、そうでもなし。静かにすっと収まった。

 爵位は男爵と、決して高くはないが、ブロスキ男爵という肩書に強い意味がある。ここの国ではなく、もと宗主国たるヴァルハリアの爵位。それも、もと王家であるガブリエリの親戚ときたもんだ。そんじょそこらの名門貴族が何を言おうが、この肩書だけで殴り飛ばせるぐらいの、権威の暴力がある。

 誰が言ったか、天下御免のブロスキ男爵。貴族院議員、マレンツィオ大閣下だいかっか。その人である。

 市井にも理解が強く、というより俗っぽく、目の前にいらっしゃる男爵夫人さまと一緒に、方々にデートと称して足を運び、そこらのカフェやビストロで庶民に混ざってめしを食い、あるいは絡んできた民衆と論議を交わし、機嫌がよければその場の会計を全部預かってしまうなど、妙な気前のよさから、議員としての素質や能力は別として、民衆からの人気は高かった。

「紹介いたします。俺の新しい副官です」
 促され、起立のまま、深呼吸をひとつ。
「ジャン=ジャック・ニコラ・ドゥ・ペルグラン少尉。お初にお目にかかり、光栄であります。ブロスキ男爵閣下」
 敬礼。正直におっかない。だが、正面に座した老夫婦は、おお、というふうに顔を綻ばせた。
「若くして才気煥発、それでいて伸びしろ十分という面立ちだな。それにしても、かのニコラ・ペルグランのお血筋にあらせられるアズナヴール伯さまの、しかもご嫡男さまを、そこらの案山子風情が鞄持ちにしてやがるだなんて、お前、どんだけ罰当たりなんだかなあ」
「いやあ、ほんとうに。畏れ多い限りです」
 好印象のようだ。それにしても、随分とダンクルベールの腰が低い。
「でもよかったじゃないか。飲兵衛のんべの殿さまも俺もいなくなり、頼れるのはセルヴァン閣下ぐらいになっていたところを、あの名族ペルグラン家のご嫡男が来てくださったんだ。早いところ叩いて伸ばして、お前の席を譲ってやれ。お前は現場がお似合いだから、一課課長の方が気が楽だろうて」
「いやまさしく、渡りに船とはこの事です」
 あの威風堂々としたダンクルベールが、へらへらとしながら、ぺこぺこと頭を下げている。
「そうだ。ちょうどもう一隻、船が来てくださったんだ。少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「おう?どうせ自慢の当てずっぽうが当たったはいいが、相手が厄介な連中で、二進にっち三進さっちもいかなくなっているんだろう。よもやこの俺に、一筆くれとか言う気じゃあないよなあ?」
 悪そうな顔が、にやりと、悪そうに笑った。
 つまりは、ちょうどいいところにちょうどいいひとが来た。それで、ご機嫌取りをしているのだ。
 前評判では、嫌味で偏屈な癇癪持ちと聞いている。なかなかの難物のはずだ。
「読まれてしまいましたか。いやあこれは、参りましたなあ」
 からからと笑いながら席の後ろに立ち、ダンクルベールが酌をしている。そうして少し、顔を近づけた。
しかれども、天下御免のブロスキ男爵のご印籠。ガンズビュールの大英雄ことマレンツィオ閣下、未だ健在なりと。不肖、このオーブリー・ダンクルベールが、閣下の名代みょうだいとして、見事、天下てんがに示してご覧にいれましょうぞ」
 ガンズビュール。はっとした。このひと、ダンクルベールのもと上司だ。士官学校の、ガンズビュール事件の資料に、名前が乗っていたのを思い出した。
 嫌味そうな顔が、それで、更に歪んだ。

「よっしゃ。ただ、高いぞ。出せるかな?」
 それに対し、一層、作った声で。
「奥さまに、ご一献を」

 閣下、手を叩いての呵々大笑。男爵夫人さまも、まあ、というふうに頬を抑えている。
 ご機嫌取り、大成功のようだ。

「ああ、我が愛しいお前。このダンクルベールめに酌をしてもらうなんぞ滅多にないことなんだから。勿体ぶって楽しんでおくれよ。さあさあ、ペルグラン殿も、そこな君も、遠慮なく召し上がりなさい。お前たちの面倒も、この場の会計も、このマレンツィオめが預かり申した」
 豪放磊落という言葉がぴったりの体の動きと大声で、マレンツィオが大笑いを上げた。とびっきりに上機嫌である。

 前評判以前に、生粋の南東ヴァーヌの血、いわゆる本場の伊達男エスト・ヴァーナである。見栄っ張りで、情熱的で、感情豊か。女を見ればすぐ口説きにかかるけれど、ひとりを愛すると決めたら一途も一途。たまに心が浮ついたりもするが、女を口説く時は、必ず愛する人を隣に置くのもお作法のひとつ。貴女はとても素晴らしい女性だけど、もう私にはこのひとがいるから、ごめんね。というやつである。
 おそらくもくそもなく、長い付き合いである。そこを、うまくくすぐったのだ。おだてて、登らせるべき木に登らせている。
 あえてご内儀さまではなく、奥さまを使うのも妙手だ。そこをマレンツィオ閣下が怒るのを、男爵夫人さまになだめさせて、ああごめんよ、と惚気のろけさせてやるつもりなのだろう。もしくは庶民派な閣下のことだから、奥さまのほうがお気に召しているのかもしれない。

「時にダンクルベール。ヴィジューションに仕事というならば、よもや部下の不手際か?」
「ご賢察にございます。あのヴィルピンめが、少し」
 その一言で、今までの機嫌のよさが嘘のように、むっとした顔になった。
「お前なあ。ヴィルピンは、ちゃんと都度都度、面倒を見なきゃあ駄目だろうが。どうせあの泣き虫め。余所からどうこう言われて、こわくなっちまったんだろう?尻を蹴飛ばして、怒鳴り散らかして、そうやって泣かせないと、あれは前にも進めまい。里子に出すなら、同期のウトマンがいい線だが、あれも生まれが邪魔をしやがったもんなあ」
 あのダンクルベールのお殿さまに向かって、がつんと言ってのけた。何より、ヴィルピンという名前だけで、そこまでわかってしまうのがびっくりした。
「すごいですね、ブロスキ男爵閣下。何も言っていないのに、そこまで」
 思わず、口に出てしまっていた。ダンクルベールの険しい視線と、マレンツィオの会心の笑みが突き刺さった。
「いいかい?ペルグラン殿。これはね、俺の唯一の取り柄なのだよ。捜査官としてはこの黒犬めが何歩も上だ。だが、こいつの恩人たるコンスタン長官をして、俺は、人の上に立つことしか能がないやつと評された男なのだ」
 そこまで言って、また大笑いした。そうして、ペルグランのグラスに酌までしてくれた。機嫌が直ったご様子だ。
「つまりは軽い神輿みこしさ。神輿みこしは担ぎ手のことをちゃんと考えなくては、振り落とされちまうからな。ダンクルベールめはどうしても出たがりだから、そのあたりが気が回らん」
 巨体が軽い神輿みこしとは随分だが、確かに含蓄がんちくのある発言である。きっと現役時代は、真ん中にどっかりと腰を据えて、あれやこれやと気を回して、部下を走らせたのだろう。責任は俺が持つ、という類の大親分だ。
 対してダンクルベールは現場主義だから、確かに何かと取りこぼすものは少なくなかった。
「へへ。男爵さまは、面白いお方だにゃあ」
「おお、そこな面白そうな君よ。面白くあらねば、面白くは生きられまい?見てみろ、このダンクルベールとかいうやつを。つまらない顔ばっかりしているから、つまらないことばっかりに巻き込まれるんだよ」
「あなた、あまりいじめては、よくないですわよ」
「おお。愛するお前、そうだな。お前の言うとおりだ。少しはダンクルベールも褒めてやらねば、やる気も出まいて。ほんとうに、お前は気の利くひとだよ。なあ、ダンクルベール」
「ほんとうに奥さまには、いつもご慈愛を賜りまして」
「いいのですよ。この人はこのとおり、難しい人だから。後でちゃあんと叱っておきますからね」
 男爵夫人さまの、朗らかな言葉。その肩に手を回して、やっぱり上機嫌に大笑い。見ていて飽きないというか、賑やかな人である。

 さてと、といった風に、ダンクルベールが、事案調査書と、鞄から出した便箋ひとつ、差し出した。それをさっと見るぐらいにして、さらさらと一筆、頂戴した。
 これにて、天下御免のご印籠、獲得である。

 ペルグランとスーリも、男爵夫人さまにお酌をして、ご機嫌伺い。男爵夫人さま、ほんとうに心穏やかで気配り上手な、素敵なお方である。
 そうして結局、会計まで持ってもらって、一件落着と相成った。

「都合のいい時に、都合のいい人というものは、いるもんだな。あの人が生粋の本場の伊達男エスト・ヴァーナでほんとうに助かった」
 馬車の中、気疲れした様子で、ダンクルベールが紙巻を咥えた。さっきまでのへらへらした様子とは一転して、いつもの険しい老警の顔である。
「なんだよ」
 ペルグランの顔に書いてあったのだろう。ダンクルベールは訝しげに、そう言ってきた。
「なんだかちょっと、幻滅しちゃいました」
 思ったことは、思ったままに。
 それで、ダンクルベールも、気を持ち直したようだった。穏やかに笑って、たしなめるような格好を見せてきた。
「気持ちはわかる。だが、世間を渡るには処世術は必要だ。名門出身のお前であれ、いずれ必要になるやもしれんから、それだけは覚えておきなさい」
「はい。でも同時に、ブロスキ男爵閣下は、頼れる人だとも思いました」
「それはほんとうにそうだ。あの人ほど頼れる人はいない」
 何かを思い出したように、ひとつ、笑った。そうしてぼんやりと外を眺めながら、紫煙をくゆらせた。

「出会いに恵まれた。たった、それだけだな」
 ダンクルベールの顔は、ちょっとだけ、寂しそうだった。

(つづく)
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