春を売るなら、俺だけに

みやした鈴

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【第七話】

最低な先約

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 折角友人たちと楽しく呑んでいたのに、その酔いは一気に醒めてしまった。
 それも咲の事を傷付けたあの女のせいで。

 以前だってイツメンらとこの街で酒を飲むことはしょっちゅうあった。
 けれど今、咲と離れ離れになってしまっているという事実が寂しくて仕方がない。

 こうなって、初めて知った。
 もう俺の人生に咲がいないことなんて考えられないということを。

 そういえばホテルから近い路面店で、一緒に酒を飲んだことがあったな。
 気が付けば俺は吸い寄せられるようにホテル街に向かっていた。

 けれどそんな時、最悪なものを見かけてしまうのだ。

「咲ッ!?」

 見間違える事は無い。俺の最愛の人の姿を。
 けれど隣にいるのは、俺が初めて咲を夜の街で見かけた時の男だ。
 咲が嬉しそうに腕を絡めていた、高身長のサラリーマン。

 今は距離を保っているものの、向かう先はラブホ街だ。

 目の前が、真っ暗になる。
 けれど、そんな事言ってられない。俺は自分でも信じられないスピードで駆け出していた。

「すいません、その予定、キャンセルで」

 すぐに俺はその二人組に追いつき、咲の腕を強引に掴んだ。
 抱き寄せるようにして彼を囲えば、咲は今起きてる事に理解が追い付いていないようだった。
 戸惑いと、ほんの少しだけ安堵が浮かんでいたようにも思えたのは、俺の勘違いでなければ良い。

「ッ、なに、剛ッ……!?」

 咲は俺から距離を取ろうとするけれど、俺は絶対に咲の事を離したくなかった。
 ぎゅっと強く彼を抱きしめれば、その身体は微かに震えていた。
 目の前のリーマンは俺を頭のてっぺんから足のつま先までじっくり眺めた後、極めて不愉快そうな声を上げる。

「悪いけど、一体君は?」
「こいつの同級生です。ほら、行くぞ」

 意思を確認することなく、俺はその男から咲を引き剥がすようにその場を去る。
 男は何も言わない。ただ咲だけがこの状況についていけてないようだった。

「ちょっと、待ってっ……。ごめんなさい! 後で必ず連絡します!」

 咲は男に向かって頭を下げた後、俺に引っ張られるがまま歩みを進めていく。
 どこに向かうかなんて決めていなかった。けれど、今は二人きりで話す時間が必要だ。
 きっと今の俺は冷静ではない。それなら下手に飲食店で話を進めるよりは、ホテルの方が都合が良いように思えた。
 幸いここはホテル街。普段なら選ばないような、常に空室の薄汚いボロホテルにチェックインをして、部屋に咲を押し込む。

 いつもは清潔で手入れの行き届いている所によく行くから、こんな臭くて用意されているコップが垢まみれな室内は初めてだ。

 会計も自動精算機では無く、予めフロントで済ませるタイプだったから、入室時の自動音声に遮られることは無い。
 他の部屋の声から喘ぎ声が漏れ聞こえるが、そんなことどうでも良かった。どうせ俺たちも同じ行為をするのだから。

 扉に鍵を掛けて、ショートブーツを脱ぎ捨ててクイーンサイズのベッドだけが配置された狭い部屋に上がる。けれど咲はまだ玄関で立ち止まっているようだった。

 だから俺は咲の足元にしゃがみ込んで、靴を脱がせる。
 幸いなすがままにさせてくれたから、それを終えると俺は立ち上がって、咲の事をベッドへと導く。
 きっと優しくは押し倒してやれなかったと思う。力加減には気を付けていたつもりだけど、咲は軽く呻き声を上げた。

 俺は余裕無く、噛みつくように彼にキスをする。
 歯がガチリと当たったのは、きっと咲の拒絶のせいもあったんだろう。
 けれど俺は止めることが出来なかった。口内を割り開かせようと歯列を舌でなぞっても、咲はびくりともしない。
 断固として、俺に踏み込ませないようだった。
 そこで俺はようやく言葉らしい言葉を咲に吐き出した。

「なぁ、さっきの男、前にホテル入ってった奴だろ」

 そこで咲はあからさまに俺から視線を逸らした。
 その肯定の仕方が憎らしくて、顎を掴んで咲を無理やり俺の方へと向かせる。
 瞳には先ほどまでの安堵は無く、むしろ恐怖が浮かんでいるくらいだ。
 自分では止められないこの暴力性に嫌気がさす。けれど、怒りを止めることは出来なかった。

「待って、ねえっ、ストップ! 剛」

 咲は必死に俺の胸を叩く。逃げようと身体をベッドの縁にずらしている事に気が付けば、俺は太ももで咲の身体を挟み込み、ベッドへと押し付けた。
 両手首も、左手で彼の頭上に固定させる。
 どうしても、咲の事を逃がしたくは無かった。今ここで彼を放してしまえば、もう二度と元には戻れないような気がしたからだ。

 空いた右手で、咲のコートのボタンを一つ一つ外していく。
 ちぎらないようにとは思うけれど、どうにも手に力が入ってしまって仕方がない。
 ようやくすべてのボタンを外し終えたら、中には赤のタートルネックとウール製のブラックの二ボタンジャケットを着こんでいた。
 ジャケットの前をはだけさせ、タートルネックを胸の上まで捲し上げる。

 するとそこには、あばらが浮き出そうなほどにやせ細った彼の身体があった。
 どう考えても、不摂生な生活をしているに違いない。
 前は食事だって「君と一緒だからすごく楽しめている」なんて言ってくれたくせに。
 目の前にあるのは、どう考えても栄養が足りていないそれだ。
 これも、俺と離れ離れになったから?
 見ていられない程痛ましいのに、少しだけの優越感もある。そんな自分が嫌で仕方ない。

 俺は、こんなに最低な人間だったのか? 
 自分でも信じられない行動や思考。それなのに止めることは出来ない。
 恋は盲目なんてそんな言葉嘘だ。自分自身を醜く暴くだけだ。

「っ、剛! 服、脱がさなッ……!」

 咲は必死に抵抗しようとする。けれど俺はそれを許さない。
 心を縛り付けておけないなら、せめて身体だけでも。そんな愚かな気持ちが働いてしまった。

「どうせあいつとヤる予定だったんだろ? 相手が変わっただけだ。何動揺してんだよ」

 こんな言葉、投げかけるつもりじゃない。
 それなのに言動は暴力を伴って、咲を傷付ける。

 彼の腹部をまさぐり、ベルトを外そうとしたその時。
 パンッ、と短い破裂音が、ホテルの部屋に響いた。

「話を、聞けッ!」

 そう、俺の手から逃れた咲に、思いっきりビンタをされたのだ。

「っ!」

 そこでスッと体温が下がっていくのが分かった。

 ――俺、今、何をしようとした?

 呆気に取られている俺の下から抜け出し、咲はベッドから降りようとする。
 俺は彼が帰ってしまうのではないかと思い、引き留めようと手を伸ばす。けれど咲はベッドの縁に腰を掛けて、服を整えつつも俺の手を軽く払った。

 俺は向かい合う様にベッドの上で正座をする。すると咲の顔には確かな怒りが浮かんでいる。
 それが怖くて顔を逸らすけど、今度は俺が咲に顎を掴まれて、視線を合わせられる番だ。

「ねぇ。剛。何を焦ってるのか知らないけど。さすがに無理やり人との予定をキャンセルさせるって言うのは無いんじゃない? それに、剛だってこんな時間にこんなところにいてさ。どうせ誰かと一緒にいた後なんでしょ。僕、しばらく距離を置こうって言ったよね」

 静かな、けれど確かに苛立ちを滲ませた声で、咲は俺を窘める。

「一か月も待ったんだ。十分距離は置いただろ」

 けれど俺はまだ謝る事も出来ずに、そう反発してしまう。
 ああ、駄目だこんな言葉。これ以上咲を刺激してどうする。

「一か月しか、だよ。それにあの時の女性。あの子、剛のことが好きみたいだよ。僕なんかとこんな関係続けてるより、その人と未来ある関係を築いた方がよっぽど有益なんじゃない?」

 やっぱり、そうだ。
 あの女が咲に与えた傷は、かなり深いものだって俺もわかっていたはずなのに。
 実際に突き付けられると、どうしても胸がズキリと疼く。

「あいつには無理って言った。俺が好きなのは咲だけだって」
「だからそういうのが重いって……!」
「重くてもいい。それだけ俺が本気だってことだから。だから、お願い。咲。俺に、振り向いて……」
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