ユメ/うつつ

hana4

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6【:sink】

6-4

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 堪え切れずに走り出して、辿り着いた先に自分でも笑えてくる。

「ホント、発想が乏しいな……」
 
 それでもこの場所は特別らしい。
 見上げたビルは、あの日、俺を蔑むように見下した空き家のように、暗く大きく俺を見下ろしてくるはずだった。

 それなのに、そこはまるで俺が来ることを知っていたかのように待ち構えていた。
 直ぐ側のビルには温かなオレンジ色の明かりが灯り、後ろを振り返って眼を凝らせば、慌ただしい喧騒がまだ行きかっている。

 冷え切っている外階段を上がると、いつもよりも心許無い音が情けなく響いていた。

 煩い街並みからその場所を守るような扉を押し開く。手の届きそうな所まで迫ってきている分厚い雲からは、払い落されたような雪が舞っていた。


「シン?」

 乾いて尖った風を浴びながら、聞きなれた名前が呼ばれた気がする。


 寒さに負けて入った眉間の力を抜くと、途端に視界は濃くなり、その輪郭をハッキリと浮き立たせてくれた。

 いつもの場所には、いつもの姿が既に立っている。

 あの時のまま、季節の方を置き去りにして来たようなソラは、相変わらず首からカメラをさげていた。あんなにも会いたかったはずなのに、かけるべき言葉が見つからない。
 それが自分のプライドを守る為なのか、溢れ出しそうな想いが上手く纏められないだけなのかわからない。瞬きを忘れた両目が冷えて痛かった。

「シンも、写真……撮りに来たの?」
「……おう」
「そっか……今日は寒いね」

 察したようなソラがぎこちなく笑う。直ぐに逸らされてしまった視線は胸元のカメラを見つめなおし、いつか俺らが二人で見つめていた方へと向き直っていた。


 気味の悪い緊張感を悟られない様にソラの隣に並ぶ。二人の間にできた距離が、この数ヵ月間を凝縮しているみたいだった。
 沈黙はただ流れるだけで、ソラの息遣いさえ聞こえないこの場所では、再びカメラを構える事を戸惑う。震えそうになる手元に気が付いて欲しかった。


 見上げればすぐ側まで迫る雲と、埃みたいに白く舞い落ちる雪しか見えない。もう一度ファインダーを覗き込んでしまえば、今までの思い出も、ソラと過ごした時間も、みんな消えてしまう様な不安と予感がする。躊躇とは、自分を守るためにあったのだ。それに気が付いたとしても、このままソラに笑いかけられる程の勇気を俺は持っていなかった。

「哀れだな……」

 その時、聞き覚えのあるようなその声に、馬鹿にされたような気がした。

 気が付けば、良く冷えたカメラを頬に当てていた。

 一思いに、片目は閉じたまま、その小さな穴を覗き込まなければいけない。

 大丈夫。ただ灰色の雲が見えるだけ──それだけだ。



 ファインダー越しに、見覚えのある景色と、全く見た事も無い風景が重なっていた。

 上手く息が出来なくて、虹雲の群れを目に焼き付けていた時を思い出す。合うはずの無い世界は一度捉えてしまうともう揺らぐことはなく、二つの世界をしっかりと重ねたままでピントを合わせている。
 冬の空気に満たされていたはずなのに、水槽の中に放り込まれたような感覚に陥る。肺呼吸の仕方を忘れ、エラ呼吸の仕方が思い出せない。自分の吐き出している空気は泡の様に湧き出して、小さな粒を連ねながら上へと昇ってゆく。舞い落ちて来ていたはずの雪は、スノードームの中で揺れる偽物の雪みたいに浮かんでいた。
 ただの乱層雲は、雲ではなくなり、質量を増して浮かんでいる灰色の壁のようだった。そして、遥か先にはあのギョロギョロとした目玉が見える。足元は屋上の縁を踏みつけたままなのに、浮き上がってゆく気配もなく、その場所で溺れてしまいそうだった。

「……っく」

 息を呑んだだけで沈んでゆくような感覚になる。もうここから逃げてしまいたくて、カメラにくっついたままの視線を開放する。それでも呼吸は楽にならない。口を開いたまま、思わず縋るようにソラを見た。


 俺のその様子に気付いたソラと目が合う。良かった、ソラにはきっと、この光景が見えていない。遠のいてゆく意識の中で、ソラが駆け寄って来るのがわかった。その口元が「どうして」と動いたように見える。ああ、そうだ。どうして……

 こんなに大事なことを忘れたままでいられたのだろう?
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