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【R15】Episode9 凄まじい女たちのオムニバスホラー3品
Episode9-B その鎌にかけて
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「だから、俺の話を聞けって!」
「嫌よ、嫌よ、もう嫌よォォ!! あんたって、ほんっとサイテー!!!」
今、俺の目の前で、涙と鼻水とでグチョグチョになった汚ねえ顔で泣き叫んでいるのは、”俺の彼女の1人”のミサコだ。
俺は今、ミサコと隣のX県までドライブに来ていた。
ちょっとした長距離ドライブデート。
楽しい楽しいデートのはずだったのに、なぜ、俺たちが車から下りて山道で喧嘩しているのかというと……さらに言うなら、俺がミサコにジリジリとガードレールに向かって追い詰められているのかというと、スマホに保存していた他の彼女とのハメ撮り写真を見られてしまったからだ。
つうか、お前、人のスマホを勝手に覗くなよ。
「だって、仕方ないじゃん。俺がこんなイケメンに生まれたのは、俺のせいじゃないわけだし」
いつものミサコなら、俺がこうやってにっこりと笑うと、納得がいかない顔しつつも、俺に心底惚れているため何も言えなくなってしまっていた。
けれども、今日は違った。
「いっつも、いっつも、そうやってごまかして! もう我慢の限界よ! あんたなんて、大嫌いよ! あんたのそのご自慢の顔だって、ズタズタになっちゃえばいいのよ!!」
と、がなり立てたミサコは、俺に飛び掛かってきた。
俺の顔をズタズタにしようとしたわけではなく、俺に体当たりを食らわせるために。
ほどよい細身体形の俺は背後のガードレールに思いっきり激突した。
痛ってーな、デブ。ミサコ、お前は自分のこと、”愛され系ぽっちゃり”とか自称してる言ってるけど、単なる小太りなんだよ。
俺が小太り女に体当たりを食らわされただけならまだ良かったんだが、俺のスマホ、財布、家の鍵がガードレールを飛び越えていってしまった。
ガードレールを飛び越えた先は、そう、崖だ。
だが、それほど険しい傾斜の崖というわけでもなく、俺のスマホ、財布、家の鍵は途中の枯草や木の根などに引っかかっていた。
「てめっ! 馬鹿!」
俺はミサコを怒鳴ったも、ミサコは「自業自得でしょ」と平然としていた。
俺はミサコをガードレールにぶつけて、その肉をすりおろしてやりたかった。それよりも俺のスマホ、財布、家の鍵をこの手に取り戻すことの方が先だ。
ガードレールを長い足でヒョイと乗り越えた俺は、その支柱を掴み、木の根っこに引っかかっていたスマホに手を伸ばした。
!!!!!
が、お約束とばかりに俺は足を踏み外し、滑り落ちてしまった。
ズザザザザザッと、崖下まで!
「い、い、い、痛ってえええ!!!」
顔に傷がついていないか確認するよりも先に、俺の右足に激痛が走った。
ぜ、ぜ、絶対に骨折れてるよ、これ。
「おーい!! ミサコ!! 助けてくれ!!」
しかし、ミサコが乗った車が走り去る無情な音が頭上から聞こえてきた。ミサコの奴、俺を置き去りにしやがった!
「きゅ、救急車……」
だが、俺のスマホは木の根っこに引っかかったままであった。
まずい。まずい。まずい。
この崖自体の傾斜がきつくなかったのは幸いだ。それに、ここから山道に上がるまで、ざっと見積もって4~5メートルだろう。傾斜も距離も、絶望レベルというわけではない。でも、肝心の俺の足の骨が折れていては絶望的だ。
それに今はまだ明るいも、日は必ず暮れる。
このまま夜になったらどうする?
まだ秋のはじめとはいえ、夜は冷え込むだろう。何より腹も減る。喉も乾く。
横に3メートルほどのところに、細い川が流れている。
生水を飲むのは相当に躊躇するが、這ってあの川べりまで行き、腹を下して垂れ流しになること覚悟で喉を潤すしかないのか?
もし、雨が降り出したら、どうする? 今は細いあの川から水が溢れ、氾濫してしまったら?
そもそも、飢えた野犬や冬眠前の蛇がやってきたら?
「誰か、助けてくれぇ!! 誰かあぁ!!!」
俺が幾度もあげた救出要請は、色を変えゆく秋の空へと虚しく吸い込まれていった。
ミサコが車をUターンさせ、ここに戻ってくる気配など微塵もない。あれだけ、俺に惚れていたくせに、女心と秋の空は本当に移ろいやすいものだ。
俺は着ていたジャケットのポケットを探った。
ポケットの中にあったのは数百円の小銭と、(前に仕事でこのジャケットを着用していたことがあり、そのままポケットに入れていた)手のひらサイズのメモ帳と黒のボールペンだった。
よし! これだけあれば、この窮地を抜け出せる……なワケがない。
この状況で小銭なんて何の役にも立たないし、メモだって同様だ。仮に「ヘルプ」と書いてちぎって上へと投げても山道まで届きやしない。
ゆっくりゆっくりと、ここで孤独に死にゆく思いをこのメモ帳に綴れということか?
それは神様への嘆願書なのか?
それとも死神との文通となるのか?
突如、川べりから近づいてきた足音にビクリとした。
その足音の主を見た俺は、ビックウウッ! と驚愕と恐怖で飛び上がらんばかりだった。
そいつは、手にギラリと光る鎌を持っていた。
だが、そいつが死神ではなく、また違った人ならざる者であるのは、明らかだった。
センター分けのストレートロングヘア、まるで血のように真っ赤なコート、そして、口元を覆い隠す真っ白なマスクの女。
子供向けの都市伝説の登場人物だけど、幾度も映画にもなっているから俺もこの特徴を持つ女が誰かを知っている。
く、く、く、口裂け女だ!!!
口裂け女は実在したのだ!!!
もう駄目だ! 殺される!
なんで、こんなところに?
子供たちの通学路がこいつの生息地じゃなかったのか?
俺の心臓はギュッと縮まり、ちびりそうになった。
だが、口裂け女はその手の鎌を振り上げて俺の顔をズタズタにしてくるわけでもなく、それどころか「私、綺麗?」とお決まりの質問を俺にしてくるわけでもなかった。
ただ、意外に形が良く引き締まった美脚で仁王立ちをしたまま、俺の顔をジイイッと見つめていた。
俺はダメもとで、メモ帳に殴り書きをしたメッセージを口裂け女に見せた。
『足が折れて動けないんだ。助けを呼んでくれ』と。
人を助ける者とは対極にいる存在に助けを求めるなんて笑えるが、この事態では仕方ない。
口裂け女の姿が、シュッと消えた。
いや、消えたんじゃない。
次の瞬間、口裂け女は俺の眼前にいた。こいつが、100メートルを6秒で走るという噂は、ガセじゃなかったということだ。
口裂け女は、鳥肌立っている俺の手にあるメッセージをジッと見つめる。
こいつ……確か、元は人間だったんだよな? ってことは、日本語も分かるだろうし、少しは人の心も残っているだろう。死にそうな男を見殺しにしたりはできないだろう。
口裂け女は俺のメモ帳をひったくった。
俺はそのまま、口裂け女がマスクを外し、自分の裂けた口の中に放り込んでムシャムシャと咀嚼するのかと思ったが、違った。
俺の足元に転がっているボールペンをガッと取った口裂け女は……
『あなたを助けてあげる』
と、書いたメモ帳を俺に見せた。
口裂け女は、楷書体のサンプルのような超美文字まで書けるのか。
『ありがとう。助けを呼んでくれ』
と俺もメモ帳に書いて、口裂け女に見せた。
折れている俺の右足の痛みは、尋常じゃなくなっているも、俺のスマイルはまだどうにか健在だ。
命綱である口裂け女にニコッとほほ笑みかけることも、俺は忘れなかった。
俺のスマイルを見た口裂け女の目の下にポッと赤みがさした。
そして――
『助けを呼ぶんじゃなくて、私がその足を治してあげる』
口裂け女は、続けてメモ帳にボールペンを滑らせて、次なるメッセージを俺に見せた。
『だから、私の恋人になって。私、あなたのことを一目で好きになっちゃったみたい』
え?
……っておい!
血も涙もないはずの口裂け女すら、一発で虜にしてしまうなんて、俺は自分で思っていた以上のイケメンだったってことか!
容姿以外にこれといって取り柄がないと言われている俺だけど、この容姿だけは歴史に名を刻み込めるレベルなのかもしれない。
でも、今、俺の眼前にいるのは、普通の人間の女じゃなくて、口裂け女だ。
俺は苦痛の脂汗を額に滲ませながら、再びボールペンを手に取る。
『もしかして、君はこのあたりに住んでるの? 日本各地を移動し続けているものだと思っていた』
俺の質問を見た口裂け女は、首を振った。そして、回答を俺に見せた。
『私はこのX県の口裂け女。だから、私はこのX県から出ることができないわ』
この土地に縛られているらしい都市伝説の妖怪。
それとも、口裂け女たちにも担当地域みたいな決まりがあるのか?
だが、この口裂け女がX県から出ることができないのは、俺にとって好都合だ。
『俺も”X県に住んでいるんだ”。だから、君の恋人になったら、毎日、君と会うことができるよ』
『本当に、本当に、私の恋人になってくれるの?』
『当たり前だ。俺は君みたいな女の子に出会ったのは初めてだから、今、とっても新鮮な気持ちになっている。これは運命なのかもしれないな』
折れた右足から生じている痛みを堪えながら、俺は笑顔を保ち、女心をくすぐる言葉をメモ帳に書き付けた。
残り少なくなっていくメモ帳。そして、限界へと近づきつつある俺の体と”恐怖バロメーター”。
しかし、この口裂け女の気が変わらないうちに何とかしないと。
『私、うれしい。本当にうれしいわ』
『俺も君みたいに素敵な彼女ができてうれしいよ。でも、今の俺は立ち上がれないんだ。君を抱きしめることができない。君をこの腕に抱きたいのに……』
女なんて、俺が抱いてしまえばこっちのもんだ。
その女がたとえ、口裂け女であっても。
大きなマスクで覆われた顔の額まで真っ赤にした口裂け女。
彼女は震える手で――おそらくうれしさで震えている手でボールペンを握る。
『私だって、あなたに抱かれたい。でもね、私、口元がコンプレックスだから、あなたとキスはできないわ』
『俺は君の嫌がることは絶対にしない。そして、君を裏切らない。それは誓うよ』
『本当? 本当ね? なら、私のすべてをあなたにあげるわ』
そう書いた口裂け女は、メモを傍らに置き、赤いコートやらその下の白いブラウスやらをするりと脱ぎ始めた。
いちゃいちゃデートとか、その他もろもろをすっ飛ばして、いきなり男と女の最終段階へと突入か?
恋愛下手なのか、それとも経験豊富なのか、よく分からない口裂け女だ。
しかも、意外にいい体していやがる。
よく走って体を動かすらしいから、ミサコみたいにだぶついた肉は一切なくて引き締まっている。
単に細いだけじゃなくて、出るとこはしっかり出て、体のラインは極上のグラビアアイドル級だ。
さらに美点を探すなら、髪の毛だって艶のあるストレートロングなワケだし、顔立ちだってくっきりとした二重瞼とスッと通った鼻筋を見るにかなり整っている方だろう。
まあ、白いマスクで隠れていない部分からは耳まで裂けた口がのぞいているし、目つきは完全にイっちゃってるけど。
こうして、俺は口裂け女を抱いた。
彼女とセックスした。
動けない俺に口裂け女が跨がってという騎乗位でのセックスだった。
彼女の肌はやはりひんやりとしていたも、なかなかに具合は良く、俺は彼女の中で思いっきり放出してしまった。
コンドームの手持ちがないというのもあったが、人間と都市伝説の妖怪との間に子供が出来たりはしないだろう。なんつうか、ある意味、異種姦に該当するセックスだろうから。
俺と男と女の関係になったばかりの口裂け女は、うっすらピンクに染まっている白い肌に赤いコートをふわりと羽織った。
傍らに置いたままの鎌にスッと手を伸ばしたかと思うと、それを俺に向かってザシュッと振り上げた。
「うああっ……!!!」
俺はまだ生きていた。殺されてはいなかった。
ただ、俺の足が――折れている方の右足が完全に分断されてしまっている!!!
吐き気を催すほどグロテスクな切断面。
ま、ま、まさか俺はこのまま、残る3本の手足も切断され、都市伝説の「ダルマ女」ならぬ「ダルマ男」となって、口裂け女に飼われることになるんじゃ……!!!
しかし、違った。
切断したばかりの俺の右足を持った口裂け女は、そのまま切断面と切断面をグチッとくっつけた。
途端に、足の痛みも脂汗も嘘のように引いていく。
立ち上がることができる。
どういう仕組みかは分からないが、俺の右足は完全に元通りになった。
それだけじゃない。
口裂け女は、蜘蛛のようにシャカシャカと崖を這い上っていったかと思うと、途中に引っかかっていた俺のスマホ、財布、家の鍵を全て持ってきてくれた。
「あ、ありがとう! 本当にありがとう!」
俺は口裂け女の手をギュッと握った。
冷たい手だったが、その柔らかさとすべらかさは人間の女となんら変わらなかった。
彼女の顔は再びポッと赤く染まった。
そして――
「……私、綺麗? 綺麗だった?」
口裂け女は、初めて喋った。
その声はハスキーで、どこかセクシーさを感じさせる声だった。
もしかして、彼女が口にできる言葉は「私、綺麗?」という言葉だけなのか? だから、今まで筆談でしか会話できなかったのか?
それに、この場合の「……私、綺麗? 綺麗だった?」とは、単に彼女の顔そのものについてではなく、先ほどのセックス中のことを指していることが分からない俺ではない。
「綺麗だったよ」
そう言って俺は口裂け女を抱きしめた。
こんな時は、言葉だけじゃなくて、行動でも女心をくすぐるに限る。
予測通り、俺の腕の中でくにゃりとなった口裂け女。
だが、俺は言った。
「けれども、ごめん。今日のところは、家族も心配しているだろうから、家に帰らなきゃ。明日の同じぐらいの時間に、君に会いにここに戻ってくるよ」
口裂け女は悲しそうに、眉を歪ませる。
「そんな顔をしないでくれ。俺は”君を裏切らない”。それだけは誓うよ。君が持っている”その鎌にかけて”」
※※※
こういった経緯で、俺は口裂け女に助けられた。
けれども、俺は、口裂け女と交わした誓いを――口裂け女が持っていた”その鎌にかけて”の誓いを守る気など微塵もなかった。
俺はその日のうちにX県を脱出した。
速攻で口裂け女を裏切った。
あとは俺が二度と、あの口裂け女の生活範囲であるX県に足を踏み入れなければ、絶対にややこしいことにはならないはずだ。
※※※
俺が口裂け女とセックスした日より、約10年の月日が経過した。
若さは減っていったも、ますます渋さを増していった俺は、10年という月日の間もずっと独身を貫いていた。大地に根を下ろす樹木ではなく、自由な風のごとき人生を送り続けていた。
そんな俺の幾人もの元・彼女たちも、それぞれ別の男と結婚したり、母親になったりという具合だ。
つい先日、街中でバッタリと再会してしまったミサコの奴はさらに横へとふくよかになっており、まるまるとした子供を3人も連れて歩いていた。目が合うと思いっきり睨みつけてきたうえ、フンと顔を背けられた。
俺の方があいつを睨みつけて顔を背けたかった。文句の一つでも言ってやりたかった。「お前のせいで、俺は口裂け女とセックスするはめになったんだぞ」ってよ。
俺が口裂け女をヤリ捨てし、裏切ったのは事実だが、あの時は自分の命には代えられない選択しただけことだ。
しかし、いかにこの世界は狭いようで広いと言えども、口裂け女とセックスした男なんて俺ぐらいのもんだろう。
そんなある日、俺は同僚にX県への小旅行に誘われた。
俺と同い年のその同僚――坂田もまた俺と同じく独身であり、俺ほどではないがなかなかのいい男だ。他の同僚たちの誰よりも気が合った俺たちは、きっとよく似た生き方をしてきた者同士なのだろう。
坂田との小旅行は最初はなかなか気が進まなかった。
だが、よくよく考えてみれば、あれから10年だ。
社会もそれなりに変化していったし、そもそも口裂け女が――都市伝説の妖怪がまだこの世に存在し続けているとは限らない。
ネットで検索してみても、目撃情報もさっぱり確認できなかったし、移り変わる時代という渦の中に、都市伝説の妖怪たちが飲み込まれ消滅していった可能性の方が極めて高いだろう。
「お前さあ、この旅行、最初は乗り気じゃなかったよな。もしかして、ひどい捨てた女でもX県にいるわけ?」
運転席でハンドルを握る坂田が俺に聞く。
「まあ、いろいろとな」
「終わった女のことをあれこれ思い出してたって、人生、前に進めねえぞ。スパッと切っていかなきゃよぉ」
「……ほんとだよな」
俺は坂田に乾いた笑いを返した。
と、お約束と言わんばかりに、”長いトンネルを抜けた車”は既視感のある山道へと差し掛かった。
10年前の山道へと。
「ん? なんだあれ?」
車の進行方向に目をこらした坂田が怪訝な声を出した。
はい、やっぱり、お約束。
しかし、そのお約束の展開には、俺が想像だにしていなかった”おまけ”がついていた。
風になびくストレートロングヘア、遠目からでも目立つ真っ赤なコート、真っ白なマスクで口元を覆い隠した口裂け女。
10年もの間、”その鎌にかけて”の誓いを破り、裏切った俺をずっと待ち続けていたのは、明らかな口裂け女。
あいつは利き手である右手ではなく、左手に鎌を持っていた。それもそのはず、あいつの右手は傍らにいる”子供の手を引いていた”のだから。
子供は、おそらく小学校中学年ほどと推測される女子だった。
肩までのストレートのセミロング、子供用サイズの真っ赤なコートを着用し、口元には大きなマスク。
その真っ白なマスクの下は、言うまでもなく……
いや、ンなことよりあの女子は、まさか俺と口裂け女の……
”鎌を利き手へと持ち変えた口裂け女”は、傍らの”娘”に合図したかと思うと、ダッと走り出した。
俺たちの車に向かって!
いや、俺へと向かって!
お、お、お、怒ってる!!!
やっぱり、尋常じゃないほどに怒っている!!
「坂田!! 引き返せ!!」
俺の怒声に、坂田が慌てて車をギュギュギュとUターンさせた。
「お前、何そんなに焦ってんだよ?! 今のは明らかにヤバい奴らだけど、単にキ〇ガイ母娘が、こんな山道で口裂け女のコスプレしていただけじゃねえのか? 俺たちは車なんだし、そんなにビビらなくても大丈夫だろ」
坂田、お前は知らないだろ。
あいつが……”あいつら”が、100メートルを何秒で走るかを!
車は再び、先ほど抜けたばかりの長いトンネルの中へと入った。
一刻も早く、このX県から脱出しなければ!!
「坂田! もっと飛ばせないのか?!」
「これが限界だ! っていうか、あいつら何なんだよ! お前、もしかして、あいつらに何かしたのか?!」
”巻き込んでしまうことになった坂田”に、俺は何も答えることができなかった。
10年前にヤリ捨てした口裂け女と、その口裂け女が産んだ俺自身の娘に追いかけられているということも。
今更「ごめん、こんなに遅くなって。君のことはずっと忘れたことなんてなかったよ」や「お父さんだよ。これからはずっと一緒に暮らそう」なんて、あいつらの機嫌を取るための言葉を口にしても、もう完全に手遅れだということも。
トンネルの中、車のバックランプに照らし出されるあいつらの姿はみるみるうちに大きくなっていく。
10年もの間、蓄積されていたに違いないあいつらの凄まじい怒りは、この車までをも2本の鎌でズタズタに引き裂かんばかりだ。
まだ子供ながらに大人である母とほぼ変わらぬ速さで、鎌を振りかざし追い上げてくる超俊足の口裂け娘。あの娘が、陸上競技でも極めれば、絶対に全国大会無双だろう。それどころか、オリンピックだって狙える。歴史に名を刻み込めるレベルだ。口が耳まで裂けていても、俺の娘は素晴らしい取り柄を持っているじゃねえか。
それに、確か”トンネルの中で”口裂け女に追いかけられて窓を叩かれるって都市伝説もあったよな? いや、『節子、それ「口裂け女」やない、「ターボばあちゃん」や』というセルフ突っ込みまでもが、あいつらから逃られるはずもないのに逃れんとあがき続ける俺の脳内で、ぐちゃぐちゃに入り乱れていた……
――fin――
「嫌よ、嫌よ、もう嫌よォォ!! あんたって、ほんっとサイテー!!!」
今、俺の目の前で、涙と鼻水とでグチョグチョになった汚ねえ顔で泣き叫んでいるのは、”俺の彼女の1人”のミサコだ。
俺は今、ミサコと隣のX県までドライブに来ていた。
ちょっとした長距離ドライブデート。
楽しい楽しいデートのはずだったのに、なぜ、俺たちが車から下りて山道で喧嘩しているのかというと……さらに言うなら、俺がミサコにジリジリとガードレールに向かって追い詰められているのかというと、スマホに保存していた他の彼女とのハメ撮り写真を見られてしまったからだ。
つうか、お前、人のスマホを勝手に覗くなよ。
「だって、仕方ないじゃん。俺がこんなイケメンに生まれたのは、俺のせいじゃないわけだし」
いつものミサコなら、俺がこうやってにっこりと笑うと、納得がいかない顔しつつも、俺に心底惚れているため何も言えなくなってしまっていた。
けれども、今日は違った。
「いっつも、いっつも、そうやってごまかして! もう我慢の限界よ! あんたなんて、大嫌いよ! あんたのそのご自慢の顔だって、ズタズタになっちゃえばいいのよ!!」
と、がなり立てたミサコは、俺に飛び掛かってきた。
俺の顔をズタズタにしようとしたわけではなく、俺に体当たりを食らわせるために。
ほどよい細身体形の俺は背後のガードレールに思いっきり激突した。
痛ってーな、デブ。ミサコ、お前は自分のこと、”愛され系ぽっちゃり”とか自称してる言ってるけど、単なる小太りなんだよ。
俺が小太り女に体当たりを食らわされただけならまだ良かったんだが、俺のスマホ、財布、家の鍵がガードレールを飛び越えていってしまった。
ガードレールを飛び越えた先は、そう、崖だ。
だが、それほど険しい傾斜の崖というわけでもなく、俺のスマホ、財布、家の鍵は途中の枯草や木の根などに引っかかっていた。
「てめっ! 馬鹿!」
俺はミサコを怒鳴ったも、ミサコは「自業自得でしょ」と平然としていた。
俺はミサコをガードレールにぶつけて、その肉をすりおろしてやりたかった。それよりも俺のスマホ、財布、家の鍵をこの手に取り戻すことの方が先だ。
ガードレールを長い足でヒョイと乗り越えた俺は、その支柱を掴み、木の根っこに引っかかっていたスマホに手を伸ばした。
!!!!!
が、お約束とばかりに俺は足を踏み外し、滑り落ちてしまった。
ズザザザザザッと、崖下まで!
「い、い、い、痛ってえええ!!!」
顔に傷がついていないか確認するよりも先に、俺の右足に激痛が走った。
ぜ、ぜ、絶対に骨折れてるよ、これ。
「おーい!! ミサコ!! 助けてくれ!!」
しかし、ミサコが乗った車が走り去る無情な音が頭上から聞こえてきた。ミサコの奴、俺を置き去りにしやがった!
「きゅ、救急車……」
だが、俺のスマホは木の根っこに引っかかったままであった。
まずい。まずい。まずい。
この崖自体の傾斜がきつくなかったのは幸いだ。それに、ここから山道に上がるまで、ざっと見積もって4~5メートルだろう。傾斜も距離も、絶望レベルというわけではない。でも、肝心の俺の足の骨が折れていては絶望的だ。
それに今はまだ明るいも、日は必ず暮れる。
このまま夜になったらどうする?
まだ秋のはじめとはいえ、夜は冷え込むだろう。何より腹も減る。喉も乾く。
横に3メートルほどのところに、細い川が流れている。
生水を飲むのは相当に躊躇するが、這ってあの川べりまで行き、腹を下して垂れ流しになること覚悟で喉を潤すしかないのか?
もし、雨が降り出したら、どうする? 今は細いあの川から水が溢れ、氾濫してしまったら?
そもそも、飢えた野犬や冬眠前の蛇がやってきたら?
「誰か、助けてくれぇ!! 誰かあぁ!!!」
俺が幾度もあげた救出要請は、色を変えゆく秋の空へと虚しく吸い込まれていった。
ミサコが車をUターンさせ、ここに戻ってくる気配など微塵もない。あれだけ、俺に惚れていたくせに、女心と秋の空は本当に移ろいやすいものだ。
俺は着ていたジャケットのポケットを探った。
ポケットの中にあったのは数百円の小銭と、(前に仕事でこのジャケットを着用していたことがあり、そのままポケットに入れていた)手のひらサイズのメモ帳と黒のボールペンだった。
よし! これだけあれば、この窮地を抜け出せる……なワケがない。
この状況で小銭なんて何の役にも立たないし、メモだって同様だ。仮に「ヘルプ」と書いてちぎって上へと投げても山道まで届きやしない。
ゆっくりゆっくりと、ここで孤独に死にゆく思いをこのメモ帳に綴れということか?
それは神様への嘆願書なのか?
それとも死神との文通となるのか?
突如、川べりから近づいてきた足音にビクリとした。
その足音の主を見た俺は、ビックウウッ! と驚愕と恐怖で飛び上がらんばかりだった。
そいつは、手にギラリと光る鎌を持っていた。
だが、そいつが死神ではなく、また違った人ならざる者であるのは、明らかだった。
センター分けのストレートロングヘア、まるで血のように真っ赤なコート、そして、口元を覆い隠す真っ白なマスクの女。
子供向けの都市伝説の登場人物だけど、幾度も映画にもなっているから俺もこの特徴を持つ女が誰かを知っている。
く、く、く、口裂け女だ!!!
口裂け女は実在したのだ!!!
もう駄目だ! 殺される!
なんで、こんなところに?
子供たちの通学路がこいつの生息地じゃなかったのか?
俺の心臓はギュッと縮まり、ちびりそうになった。
だが、口裂け女はその手の鎌を振り上げて俺の顔をズタズタにしてくるわけでもなく、それどころか「私、綺麗?」とお決まりの質問を俺にしてくるわけでもなかった。
ただ、意外に形が良く引き締まった美脚で仁王立ちをしたまま、俺の顔をジイイッと見つめていた。
俺はダメもとで、メモ帳に殴り書きをしたメッセージを口裂け女に見せた。
『足が折れて動けないんだ。助けを呼んでくれ』と。
人を助ける者とは対極にいる存在に助けを求めるなんて笑えるが、この事態では仕方ない。
口裂け女の姿が、シュッと消えた。
いや、消えたんじゃない。
次の瞬間、口裂け女は俺の眼前にいた。こいつが、100メートルを6秒で走るという噂は、ガセじゃなかったということだ。
口裂け女は、鳥肌立っている俺の手にあるメッセージをジッと見つめる。
こいつ……確か、元は人間だったんだよな? ってことは、日本語も分かるだろうし、少しは人の心も残っているだろう。死にそうな男を見殺しにしたりはできないだろう。
口裂け女は俺のメモ帳をひったくった。
俺はそのまま、口裂け女がマスクを外し、自分の裂けた口の中に放り込んでムシャムシャと咀嚼するのかと思ったが、違った。
俺の足元に転がっているボールペンをガッと取った口裂け女は……
『あなたを助けてあげる』
と、書いたメモ帳を俺に見せた。
口裂け女は、楷書体のサンプルのような超美文字まで書けるのか。
『ありがとう。助けを呼んでくれ』
と俺もメモ帳に書いて、口裂け女に見せた。
折れている俺の右足の痛みは、尋常じゃなくなっているも、俺のスマイルはまだどうにか健在だ。
命綱である口裂け女にニコッとほほ笑みかけることも、俺は忘れなかった。
俺のスマイルを見た口裂け女の目の下にポッと赤みがさした。
そして――
『助けを呼ぶんじゃなくて、私がその足を治してあげる』
口裂け女は、続けてメモ帳にボールペンを滑らせて、次なるメッセージを俺に見せた。
『だから、私の恋人になって。私、あなたのことを一目で好きになっちゃったみたい』
え?
……っておい!
血も涙もないはずの口裂け女すら、一発で虜にしてしまうなんて、俺は自分で思っていた以上のイケメンだったってことか!
容姿以外にこれといって取り柄がないと言われている俺だけど、この容姿だけは歴史に名を刻み込めるレベルなのかもしれない。
でも、今、俺の眼前にいるのは、普通の人間の女じゃなくて、口裂け女だ。
俺は苦痛の脂汗を額に滲ませながら、再びボールペンを手に取る。
『もしかして、君はこのあたりに住んでるの? 日本各地を移動し続けているものだと思っていた』
俺の質問を見た口裂け女は、首を振った。そして、回答を俺に見せた。
『私はこのX県の口裂け女。だから、私はこのX県から出ることができないわ』
この土地に縛られているらしい都市伝説の妖怪。
それとも、口裂け女たちにも担当地域みたいな決まりがあるのか?
だが、この口裂け女がX県から出ることができないのは、俺にとって好都合だ。
『俺も”X県に住んでいるんだ”。だから、君の恋人になったら、毎日、君と会うことができるよ』
『本当に、本当に、私の恋人になってくれるの?』
『当たり前だ。俺は君みたいな女の子に出会ったのは初めてだから、今、とっても新鮮な気持ちになっている。これは運命なのかもしれないな』
折れた右足から生じている痛みを堪えながら、俺は笑顔を保ち、女心をくすぐる言葉をメモ帳に書き付けた。
残り少なくなっていくメモ帳。そして、限界へと近づきつつある俺の体と”恐怖バロメーター”。
しかし、この口裂け女の気が変わらないうちに何とかしないと。
『私、うれしい。本当にうれしいわ』
『俺も君みたいに素敵な彼女ができてうれしいよ。でも、今の俺は立ち上がれないんだ。君を抱きしめることができない。君をこの腕に抱きたいのに……』
女なんて、俺が抱いてしまえばこっちのもんだ。
その女がたとえ、口裂け女であっても。
大きなマスクで覆われた顔の額まで真っ赤にした口裂け女。
彼女は震える手で――おそらくうれしさで震えている手でボールペンを握る。
『私だって、あなたに抱かれたい。でもね、私、口元がコンプレックスだから、あなたとキスはできないわ』
『俺は君の嫌がることは絶対にしない。そして、君を裏切らない。それは誓うよ』
『本当? 本当ね? なら、私のすべてをあなたにあげるわ』
そう書いた口裂け女は、メモを傍らに置き、赤いコートやらその下の白いブラウスやらをするりと脱ぎ始めた。
いちゃいちゃデートとか、その他もろもろをすっ飛ばして、いきなり男と女の最終段階へと突入か?
恋愛下手なのか、それとも経験豊富なのか、よく分からない口裂け女だ。
しかも、意外にいい体していやがる。
よく走って体を動かすらしいから、ミサコみたいにだぶついた肉は一切なくて引き締まっている。
単に細いだけじゃなくて、出るとこはしっかり出て、体のラインは極上のグラビアアイドル級だ。
さらに美点を探すなら、髪の毛だって艶のあるストレートロングなワケだし、顔立ちだってくっきりとした二重瞼とスッと通った鼻筋を見るにかなり整っている方だろう。
まあ、白いマスクで隠れていない部分からは耳まで裂けた口がのぞいているし、目つきは完全にイっちゃってるけど。
こうして、俺は口裂け女を抱いた。
彼女とセックスした。
動けない俺に口裂け女が跨がってという騎乗位でのセックスだった。
彼女の肌はやはりひんやりとしていたも、なかなかに具合は良く、俺は彼女の中で思いっきり放出してしまった。
コンドームの手持ちがないというのもあったが、人間と都市伝説の妖怪との間に子供が出来たりはしないだろう。なんつうか、ある意味、異種姦に該当するセックスだろうから。
俺と男と女の関係になったばかりの口裂け女は、うっすらピンクに染まっている白い肌に赤いコートをふわりと羽織った。
傍らに置いたままの鎌にスッと手を伸ばしたかと思うと、それを俺に向かってザシュッと振り上げた。
「うああっ……!!!」
俺はまだ生きていた。殺されてはいなかった。
ただ、俺の足が――折れている方の右足が完全に分断されてしまっている!!!
吐き気を催すほどグロテスクな切断面。
ま、ま、まさか俺はこのまま、残る3本の手足も切断され、都市伝説の「ダルマ女」ならぬ「ダルマ男」となって、口裂け女に飼われることになるんじゃ……!!!
しかし、違った。
切断したばかりの俺の右足を持った口裂け女は、そのまま切断面と切断面をグチッとくっつけた。
途端に、足の痛みも脂汗も嘘のように引いていく。
立ち上がることができる。
どういう仕組みかは分からないが、俺の右足は完全に元通りになった。
それだけじゃない。
口裂け女は、蜘蛛のようにシャカシャカと崖を這い上っていったかと思うと、途中に引っかかっていた俺のスマホ、財布、家の鍵を全て持ってきてくれた。
「あ、ありがとう! 本当にありがとう!」
俺は口裂け女の手をギュッと握った。
冷たい手だったが、その柔らかさとすべらかさは人間の女となんら変わらなかった。
彼女の顔は再びポッと赤く染まった。
そして――
「……私、綺麗? 綺麗だった?」
口裂け女は、初めて喋った。
その声はハスキーで、どこかセクシーさを感じさせる声だった。
もしかして、彼女が口にできる言葉は「私、綺麗?」という言葉だけなのか? だから、今まで筆談でしか会話できなかったのか?
それに、この場合の「……私、綺麗? 綺麗だった?」とは、単に彼女の顔そのものについてではなく、先ほどのセックス中のことを指していることが分からない俺ではない。
「綺麗だったよ」
そう言って俺は口裂け女を抱きしめた。
こんな時は、言葉だけじゃなくて、行動でも女心をくすぐるに限る。
予測通り、俺の腕の中でくにゃりとなった口裂け女。
だが、俺は言った。
「けれども、ごめん。今日のところは、家族も心配しているだろうから、家に帰らなきゃ。明日の同じぐらいの時間に、君に会いにここに戻ってくるよ」
口裂け女は悲しそうに、眉を歪ませる。
「そんな顔をしないでくれ。俺は”君を裏切らない”。それだけは誓うよ。君が持っている”その鎌にかけて”」
※※※
こういった経緯で、俺は口裂け女に助けられた。
けれども、俺は、口裂け女と交わした誓いを――口裂け女が持っていた”その鎌にかけて”の誓いを守る気など微塵もなかった。
俺はその日のうちにX県を脱出した。
速攻で口裂け女を裏切った。
あとは俺が二度と、あの口裂け女の生活範囲であるX県に足を踏み入れなければ、絶対にややこしいことにはならないはずだ。
※※※
俺が口裂け女とセックスした日より、約10年の月日が経過した。
若さは減っていったも、ますます渋さを増していった俺は、10年という月日の間もずっと独身を貫いていた。大地に根を下ろす樹木ではなく、自由な風のごとき人生を送り続けていた。
そんな俺の幾人もの元・彼女たちも、それぞれ別の男と結婚したり、母親になったりという具合だ。
つい先日、街中でバッタリと再会してしまったミサコの奴はさらに横へとふくよかになっており、まるまるとした子供を3人も連れて歩いていた。目が合うと思いっきり睨みつけてきたうえ、フンと顔を背けられた。
俺の方があいつを睨みつけて顔を背けたかった。文句の一つでも言ってやりたかった。「お前のせいで、俺は口裂け女とセックスするはめになったんだぞ」ってよ。
俺が口裂け女をヤリ捨てし、裏切ったのは事実だが、あの時は自分の命には代えられない選択しただけことだ。
しかし、いかにこの世界は狭いようで広いと言えども、口裂け女とセックスした男なんて俺ぐらいのもんだろう。
そんなある日、俺は同僚にX県への小旅行に誘われた。
俺と同い年のその同僚――坂田もまた俺と同じく独身であり、俺ほどではないがなかなかのいい男だ。他の同僚たちの誰よりも気が合った俺たちは、きっとよく似た生き方をしてきた者同士なのだろう。
坂田との小旅行は最初はなかなか気が進まなかった。
だが、よくよく考えてみれば、あれから10年だ。
社会もそれなりに変化していったし、そもそも口裂け女が――都市伝説の妖怪がまだこの世に存在し続けているとは限らない。
ネットで検索してみても、目撃情報もさっぱり確認できなかったし、移り変わる時代という渦の中に、都市伝説の妖怪たちが飲み込まれ消滅していった可能性の方が極めて高いだろう。
「お前さあ、この旅行、最初は乗り気じゃなかったよな。もしかして、ひどい捨てた女でもX県にいるわけ?」
運転席でハンドルを握る坂田が俺に聞く。
「まあ、いろいろとな」
「終わった女のことをあれこれ思い出してたって、人生、前に進めねえぞ。スパッと切っていかなきゃよぉ」
「……ほんとだよな」
俺は坂田に乾いた笑いを返した。
と、お約束と言わんばかりに、”長いトンネルを抜けた車”は既視感のある山道へと差し掛かった。
10年前の山道へと。
「ん? なんだあれ?」
車の進行方向に目をこらした坂田が怪訝な声を出した。
はい、やっぱり、お約束。
しかし、そのお約束の展開には、俺が想像だにしていなかった”おまけ”がついていた。
風になびくストレートロングヘア、遠目からでも目立つ真っ赤なコート、真っ白なマスクで口元を覆い隠した口裂け女。
10年もの間、”その鎌にかけて”の誓いを破り、裏切った俺をずっと待ち続けていたのは、明らかな口裂け女。
あいつは利き手である右手ではなく、左手に鎌を持っていた。それもそのはず、あいつの右手は傍らにいる”子供の手を引いていた”のだから。
子供は、おそらく小学校中学年ほどと推測される女子だった。
肩までのストレートのセミロング、子供用サイズの真っ赤なコートを着用し、口元には大きなマスク。
その真っ白なマスクの下は、言うまでもなく……
いや、ンなことよりあの女子は、まさか俺と口裂け女の……
”鎌を利き手へと持ち変えた口裂け女”は、傍らの”娘”に合図したかと思うと、ダッと走り出した。
俺たちの車に向かって!
いや、俺へと向かって!
お、お、お、怒ってる!!!
やっぱり、尋常じゃないほどに怒っている!!
「坂田!! 引き返せ!!」
俺の怒声に、坂田が慌てて車をギュギュギュとUターンさせた。
「お前、何そんなに焦ってんだよ?! 今のは明らかにヤバい奴らだけど、単にキ〇ガイ母娘が、こんな山道で口裂け女のコスプレしていただけじゃねえのか? 俺たちは車なんだし、そんなにビビらなくても大丈夫だろ」
坂田、お前は知らないだろ。
あいつが……”あいつら”が、100メートルを何秒で走るかを!
車は再び、先ほど抜けたばかりの長いトンネルの中へと入った。
一刻も早く、このX県から脱出しなければ!!
「坂田! もっと飛ばせないのか?!」
「これが限界だ! っていうか、あいつら何なんだよ! お前、もしかして、あいつらに何かしたのか?!」
”巻き込んでしまうことになった坂田”に、俺は何も答えることができなかった。
10年前にヤリ捨てした口裂け女と、その口裂け女が産んだ俺自身の娘に追いかけられているということも。
今更「ごめん、こんなに遅くなって。君のことはずっと忘れたことなんてなかったよ」や「お父さんだよ。これからはずっと一緒に暮らそう」なんて、あいつらの機嫌を取るための言葉を口にしても、もう完全に手遅れだということも。
トンネルの中、車のバックランプに照らし出されるあいつらの姿はみるみるうちに大きくなっていく。
10年もの間、蓄積されていたに違いないあいつらの凄まじい怒りは、この車までをも2本の鎌でズタズタに引き裂かんばかりだ。
まだ子供ながらに大人である母とほぼ変わらぬ速さで、鎌を振りかざし追い上げてくる超俊足の口裂け娘。あの娘が、陸上競技でも極めれば、絶対に全国大会無双だろう。それどころか、オリンピックだって狙える。歴史に名を刻み込めるレベルだ。口が耳まで裂けていても、俺の娘は素晴らしい取り柄を持っているじゃねえか。
それに、確か”トンネルの中で”口裂け女に追いかけられて窓を叩かれるって都市伝説もあったよな? いや、『節子、それ「口裂け女」やない、「ターボばあちゃん」や』というセルフ突っ込みまでもが、あいつらから逃られるはずもないのに逃れんとあがき続ける俺の脳内で、ぐちゃぐちゃに入り乱れていた……
――fin――
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