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第5章 ~ペイン海賊団編~

―9― 曇りなき空を進みゆく船の中で(1)~彼らもまた、マリア王女について回想せざるを得ない~

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 穢れの一つもなく極限まで澄み切ったような青い空。
 その青い空のなか――命の恵みのごとくこの地に振りつける太陽の眩しい光に照らされ、その雲一つない青い海原を進みゆく一隻の”船”があった。

 神人の船。
 風を斬る音とともに、無惨に殺された”神人たちの”断末魔の叫びや無念の呻き声が聞こえてくる呪われし船。

 その呪われし船の一室にて――59年前に神人たちを無惨に殺した加害者の1人である魔導士サミュエル・メイナード・ヘルキャットは、今もなお、しつこい熱にうなされていた。
 ”死した”神人の肉を食し、不老・空中浮遊といった神人の特性を手に入れた彼。自分たちがいる世界とは、また異なる異世界の住人である神人たちの人生においての苦悩は、生老病死のうちの生と死しかない。神人たちは老いることも、病気になって苦しむこともない。
 だが、やはり、サミュエルは生粋の神人というわけではないため、普通の人間と同じく、こうして熱という苦痛に浮かされている。
 しかも、自分が昔馴染である魔導士アダム・ポール・タウンゼントを手に入れるために、ブレンドした特製の魔法薬によって……


――くそっ……アダムのヤロー……!
 彼のやわらかなアッシュベージュの前髪が、汗ばんだ額にはりつく。
 その不快さに、熱くほてる体で寝返りをうとうとしたサミュエルの脳裏に、あの夜のことが蘇ってきた。
 すっかり老けて純然たるジジイになったアダムとの再会、そして……
 あの天使の姿に悪魔の魂を持ち合わせたマリア王女を、自分の命を捧げんばかりに愛している忠犬オーガストと、自分の命を引き換えにしても殺したいと望んでいた小汚いワイズの小競り合い。まあ、あいつらのことは別にどうでもいいとして……
――そうだ。俺がせっかく、アダム以外の奴らを蒸し焼きにしようとしてたのに、”あいつ”……フランシスが俺の炎を消しやがった。それから……

 サミュエルの記憶。
――俺が目を覚ました時、俺はすでにこの神人の船にいた。おそらくフランシスのヤローが俺を港町から引き上げてきたんだろう。

 天井を見上げるサミュエルの紫色の瞳に映る視界……熱によって二重、三重にも歪んで見えるその視界には、あの夜の記憶を映し出している幾つものカードが風に遊ばれ、表を見せたり裏を見せたりして、踊っているような幻覚まで見え始めてきた。
――自分の魔法薬が効かなかった2人の”希望の光を運ぶ者たち”。鳥の巣頭の魔導士に一瞬にしろ、この肉体を切り裂かれた。その後、お呼びでない奴らがああもうるさいので、アダムを神人の船に直接連れてこようと……だが、あいつは、俺の術を妨害しやがった。そのうえ、あいつは若い頃に十八番だった魂分離の術を”まだ”使うことができた。背中も丸くなった、”牙も抜かれたような”老いぼれのヤローが……

 その瞳を”うすく”閉じたサミュエルの”視界”に、アダムの孫娘(なんて名前だったか?)が泣きながら必死で自分に立ち向かってくる姿も映し出された。それと、同時にアダムをこの拳で殴り、この膝で蹴った痛みまでも蘇り……

 その時、サミュエルは気づいた。
 ピチャという水音。
 そして、自分のうすく閉じられた視界――サミュエルの記憶が映し出したものではなく、”真実の”視界に、小さくて細い影がよぎり――

「きゃっ!」
 その小さくて細い影より発された可憐な声。
 反射的にサミュエルはその影――魔導士ヘレン・ベアトリス・ダーリングの細い手首をガッと掴んでいたのだ。
 サミュエルの掌には、ヘレンの柔らかな”少女”の肌の感触が伝わり、ヘレンの手首にはサミュエルの肌が発する熱が伝わった。

 サミュエルは、このまま掴んでいると折れそうなほど、細いヘレンの手首をそっと離した。
「……ヘレンか。いつからそこにいたんだ?」
「少し前からよ……随分と苦しそうだったから……」

 しつこい熱と、悔しさしか湧き上がってこない記憶にうなされていたサミュエルは、ヘレンが言う”少し前から”はいつからかは曖昧であった。
 だが、ヘレンは自分を看病するために、この部屋の中にいたらしかった。

 ヘレンは黙ってサミュエルの熱で汗ばんだ前髪をそっとかきあげ、彼の額に冷たい水に浸した布をふわりと優しく乗せた。
 心地よさが伝わってくる。そしてあろうことがこの神人の船に乗る者たちの間にあってはならない”優しさ”なんてものまで……

「調子狂うわね。私も、あなたも……」
 ヘレンがサミュエルを覗き込み、囁くように呟いた。

 サミュエルは、まだ歪む視界に映る、心配そうに自分を見つめるヘレンの顔をどうにかとらえることができた。

 59年前、初めて会った時から何ら変わらぬ自分たち。決して老いることのない自分たち。

 自然に内巻きとなっている、華奢な肩を少し過ぎたぐらいの濃いめのダークブロンドの髪をしているヘレン。彼女の顔立ちは小作りな感じではあるが、まずまず整っている。
 かつては、あまり褒められたものではない”職業”についていた(というか無理矢理つかされていた)が、それゆえの品の無さや卑しさを彼女からは全く感じることはない。抜きん出た美貌の少女とはいえないが、このまま顔の美点を生かしたまま”成長したとすれば”、「美人」と形容してもお世辞ではない女となっていただろう。

 だが、本来の肉体の流れに沿って生きていれば、とうに60を超えているはずの”この女”は、忌まわしい少女の肉体という牢獄につながれたままであるのだ。
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