2020年版 ルノルマン・カードに導かれし物語たちよ!

なずみ智子

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Episode8 閲覧注意! Gにまつわるオムニバス”女子”ホラー3品

Episode8-B 超可愛い俺の嫁 ※後味注意!

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 連日の酷暑。
 今は、家でも会社でもエアコンなしでは到底乗り切れないほどの夏真っただ中だ。

 桃恵(ももえ)は、斜め向かいのデスクに座る十歳年下の従弟・大貴(だいき)へとチラリと目をやった。
 エアコンがしっかり効いた従業員五名のこの事業所。
 現在、他の三名は外出中であるため、桃恵と大貴の二人だけとなっている。

 大貴はかれこれ二十分以上、背中を丸めたまま、眼前のパソコンではなく、私物のスマホをいじっていた。それも口元をだらしなく緩ませながら。

 昼休憩はとうに終わり、今はれっきとした業務時間内である。
 他の従業員がいたなら、大貴だってこれほど堂々とサボってはいないと思うが、今は血縁関係にある桃恵だけであるためか、完全に舐めくさっている。

「……いい加減に仕事したら? まさかスマホゲームでもしているワケ?」

 ついに見かねて注意した桃恵に、大貴は肩をすくめた。

「ごめん、桃ちゃん。嫁と……”ことり”とLI〇Eしてるだけ」

「……今は私たちしかいないとはいえ、会社で桃ちゃんって呼ぶのはやめて。それに、ことりさんとのLI〇Eだって、今しなければならないほど、緊急性のあること?」

「いや、そうじゃないけど……ただ、あいつ、息子のスモックを通販で買おうとしているんだけど、魚柄と鳥柄のどっちにしようか、ここ数日ずっと悩んでいるみたいで……」

 そんなの、どっちでも好きな方を買ったらええがな。
 呆れしか含まれていない溜息が、桃恵の口から吐き出される。
 そもそも生後四か月の子供の世話をしている母親って、四六時中スマホにかじりついていられるほどの時間的余裕があるものなのか?

 桃恵は三十五才の今も独身でこれからも先も独身であろうが、泣き虫で甘ったれだった大貴が二十五才の今はすでに既婚者であり、子供までいるとは時の流れというのは、本当に早いものだ。
 
 しかし、緊急性皆無の要件で仕事中だと分かっている夫に連絡してくる妻を一切咎めることもせず、緩み切った顔で相手をしてやっている大貴はいかがなものか。
 所帯を持ち、人の親にもなったのだから、もう少ししっかりして欲しいと思わずにはいられない。
 
 けれども、桃恵自身も大貴をついつい甘やかしてしまっているのは自覚していた。
 そもそも大貴にこの職場を提供したのも、他ならぬ桃恵だ。

 大学卒業後、なかなか就職が決まらなかった大貴。
 桃恵は、自身の就職活動も苦戦――学歴と筆記試験ではじかれたというよりも、自分の場合はおそらくこの容姿が原因で苦戦――していたことを思い出し、可愛い従弟には社会から拒絶されるつらさをこれ以上、味わわせたくなかった。
 そんな時、ちょうど職場に欠員が出た。
 桃恵が十年近くコツコツと信頼と実績を積み重ねてきた甲斐があってか、大貴の就職活動はあっさりと終了の運びとなった。
 「本当にありがとう、桃ちゃん」と大貴本人のみならず叔父と叔母にも、当時は大感謝されたものであった。




 桃恵は、今も昔も大貴個人ならび叔父夫婦とは、親類として上手く付き合っていけていると思う。
 だが、彼の妻である”ことり”は、どうも苦手というか極力関わり合いになりたくないタイプであった。

 彼女は、大貴が「超可愛い俺の嫁」としきりに自慢しているだけあって、確かに可愛いお嫁さんではある。そう、顔だけは。

 桃恵が彼女と初めて顔を合わせたのは、結婚式の日だ。
 砂糖菓子のようなウェディングドレスに身を包んだ彼女は、桃恵の顔を見るなり、桃恵への挨拶もそこそこに傍らの大貴にこう言った。

「大ちゃんが、本当のお姉さんみたいに慕っているって言ってた人? 桃恵さんっていう名前も可愛いし、どんなに美人で素敵な人なんだろうって思ってたけど、顔を見て安心しちゃった」

 ”顔を見て安心”。
 それはどういう意味なのか?
 悪意か? 牽制か? それとも単なる天然なのか?

 桃恵は、容姿を直接的に貶められることも、間接的に貶められることも、昔から慣れてはいた。だからと言って、全く傷つかないというわけではない。

 従弟のおめでたい晴れの日に、暗い顔はできないと桃恵は彼女の言葉を聞き流すことにした。
 四六時中、顔を合わせることになるわけでもないだろうし、従弟の奥さんとして冠婚葬祭時などに当たり障りのない付き合いをしていけばいい、と。

 しかし、顔は相当に可愛いも内面はかなり残念なことが初対面でも明らかに感じ取れる彼女に、”今もなお”メロメロとなったまま一向に目を覚ましそうにない大貴。
 彼は学生時代に彼女もいたみたいだし、女と付き合うのは全くの初めてというわけではないはずなのに。


「”ことり”って名前も可愛いし。名は体を表すっていうか、本当に儚げな小鳥みたいで守ってやりたくなるんだ」

 あんたの可愛い”小鳥”は、初対面の私の心をその嘴でえぐってきたんですけど。

「魚は目が怖いから食べられないってさ。それに、大きな口開けて食べるの恥ずかしいからって、唐揚げとかは俺がいつも細かくほぐしてやってるし」

 自分が食べる物ぐらい自分でほぐせよ。
 それに唐揚げについては、そのままカリッと齧る方が絶対にジュージーで美味しいはずだ。

「あいつ、本当に女に嫌われやすいタイプで。最初は仲良くしてくれていても、気が付くと皆、離れてしまっているって……やっぱり、あれだけ可愛いと妬まれるんだろうな」

 いや、違うと思う。
 可愛いがゆえに妬まれたことも多少あったとしても、彼女の場合、同性に嫌われる根本的な原因が、外見にあるとは思えない。

「人見知りで仲良くない人と話すのが怖いって。だから、検診の時とかもお義母さん(ことりの実母)が、俺の代わりに毎回付いて行ってくれてたんだ。本当に一人じゃ何もできなくってさ、あいつ」

 子供を持つ母親の人間関係の範囲と複雑さは、子供を持たない女の”それ”とは段違いだろう。
 近所付き合い、ママ友に始まり、子供が大きくなっていくにつれて学校の先生や習い事の先生なども加わる。
 いくら自分と合わない、もしくは苦手な人でも、子供のために我慢して付き合っていかなければならないことも、そしては相手にはっきりと自分の意見を伝えなければならない局面だって多々迎えるだろうに。
  
 母親になった女が”一人じゃ何もできない”というのは、微笑ましいことなのか?
 一人じゃ何もできないのは、まだ赤ちゃんである子供の方だろう。
 夫や親の庇護のもと、ぬくぬくと日向ぼっこしているような人生が、これからも永久に続くと考えているのだろうか?


 大貴の口から語られるエピソードだけを聞いたなら、彼が身も心も幼いうえに、少し頭の足りない未成年の少女をたぶらかして妻にしたように思える。
 しかし、大貴の妻・ことりは、大貴と同じ二十五才のうえに、一般的には高偏差値の部類に入る高校ならびに大学を卒業していた。
 机に向かってのお勉強は、並以上にこなせるという摩訶不思議さ。
 そのうえ金銭的にも相当に恵まれて育ってもおり、彼女の両親は結婚祝いにと新築のマンションを娘夫婦にポンとプレゼントまでしていた。
「日当たり抜群で防音もバッチリ。少し通気性が悪いのが難点だけど、俺たちのお城は、ほぼパーフェクトだよ」と大貴も話していた。




 相変わらずの酷暑が続いていたある日のこと。

 朝から、大貴の様子がどうもおかしいことに桃恵は気付いていた。
 やたら、そわそわとし、いつも以上に落ち着きと集中力を欠いている。チラチラと壁にかかった時計の時刻を四六時中、気にしてもいた。
 定時を心待ちにしているのは明らかだ。

 あまりにも目に余るため、桃恵は彼に理由を聞いた。
 すると、「これ見てよ……」と情けなく眉毛を下げた彼は、通勤鞄の中より、ベキベキ状態のスマホを取り出した。
 画面は魚の鱗みたいなひび割れに覆われ、本体は見事にひしゃげている。
 完全にお陀仏状態のスマホ。蘇生の見込みはもはや皆無だ。

 聞けば、通勤途中に歩きスマホをしていたら、うっかり躓いて転んでしまった。その転んだ拍子に右手からスマホが飛んでいき、さらに飛んでいった先を運悪く車が通過していったと。

 自業自得という言葉以外、思い浮かばない。
 呆れしか含まれていない溜息は、今日も桃恵の口から洩れることとなった。

 それに大貴が参っているのは、スマホがクラッシュしてしまったことではなく、超可愛い俺の嫁からのメッセージが、あるいは着信が、今この時にもどれほど溜まっていっているのかを想像してであるだろう。


「今日は金曜日で明日は休みなんだから、早くても明日の朝にはショップに新しいスマホを買いに行けるでしょ。そもそもね……仕事中の相手に、ガンガン連絡をよこしてくること自体、普通はあり得ないことだって分かっている?」

 いくら言っても無駄かと思いつつ、言わずにいられない桃恵。

「とにかく今は仕事に集中して。ことりさんには、会社の電話番号だって伝えているんでしょ? 緊急の要件が発生したなら、会社にかけてくるわよ」

 さすがに、あの”ことり”も、仕事中の夫に送ったLI〇Eメッセージがすぐ既読にならないからといって、会社にまで連絡してくるほどの非常識さは持ち合わせていないようであった。というよりも、単に彼女の場合は知らない人と話すのが怖いだけかもしれないが。

 
 掛け時計の針は、大貴が待ちに待っていた時刻を示した。
 帰り支度を素早く終えた大貴は、まだパソコンに向かっている桃恵をすがるような目で見た。

「桃ちゃん……俺と一緒に家まで帰ってくれないか? ことり、俺と連絡が取れなかったこと、すごく心配していると思う……というか、あいつ、絶対に泣いてるはずだ。桃ちゃんの方からも、俺があいつと物理的に連絡が取れなかった状況を説明してほしいんだ」

「……は? ベキベキになっているスマホを見せたら、ことりさんだって納得するでしょ。スマホそのものが論より証拠よ。それに何度も言うけど、会社で桃ちゃんって呼ぶのはいい加減にやめて」

 桃恵は、大貴をねめつけた。
 結局のところ、大貴も大貴なのだ。
 なんで二十五才にもなった大の男が、精神的に幼いうえ、夫に依存しまくっている嫁をなだめるのに、親類とは言えども他人の手を借りなければならない?

「私は夫婦のことに立ち入る気はないわ。自分で何とかしなさい」

「頼むよ……」

「もう”お父さん”になってるのに、そんなことでどうするの?……………………分かったわよ。今回だけよ」

 ことりもことり、大貴も大貴、そして桃恵も桃恵なのかもしれない。
 幼い頃から「桃ちゃん、桃ちゃん」と、自分を慕ってくれた可愛い従弟を見捨てることができないのだから。




 桃恵が大貴とともに彼のマンションに着いた時には、すでに六時半を過ぎていた。
 しかし、真夏の六時半といえばまだまだ明るい。
 きつい西日がマンション全体を照らしていた。
 大貴が言っていた通り、確かに日当たりは相当良さそうなマンションだ。

 オートロックを解除した大貴の後ろについて、桃恵はエレベーターに乗り込んだ。
 桃恵は知らなかったのだが、このマンションはワンフロア一世帯であることも大貴から聞かされた。
 上下の住人はいても、隣人はいないということか?
 人見知りであるらしい彼の妻にとって、ますます都合の良い住居環境だ。

 そして、大貴が言っていた通り、ことりは泣いていた。というか、自身のスマホ握りしめたまま、”玄関の扉の前で”顔を真っ赤にし泣きじゃくっていた。
 いくら隣人と顔を合わせることはないとはいえ、成人済みのうえ経産婦でもある彼女の異常な幼さを目の当たりにした桃恵の背筋は少し冷たくなった。
 薄気味悪い。大貴はともかく、この人とはこれ以上、関わり合いになりたくない、やっぱり一緒に来るんじゃなかった、と後悔せずにはいられない。

「酷いよ! 大ちゃん!」

 ことりは桃恵の姿など全く目に入っていないのか、夫の従姉に挨拶すらすることもなく、ガバッと大貴の胸へと飛び込んだ。

「ごめん、スマホが駄目になったんだ。それよりも、子供はどうしたんだ?」

「……リビングのベビーベッドにいるよ」

 子供は今、ベビーベッドの中ですやすやと熟睡中なのか。
 しかし、片時も目を離せない月齢の子供の側についていることよりも、自分の寂しさを優先させ、夫の帰りを待ちきれずに玄関先にまで出てきているのはいかがなものか。
 ヒックヒックと泣きじゃくりながら、ことりは続ける。

「大ちゃんがLI〇Eも見てくれないし、電話にだって出てくれないから、ママとパパに連絡しようとしたの。でもママたちは今、海外旅行中で……だから、大ちゃんだけが頼りだったのに! 助けに来てくれないなんて、酷いよ!」

「ちょ、ちょっと待て、”助け”ってどういうことだ? 何があったんだ?」

「……朝、リビングの窓を閉めようとしたらね、ベランダからゴキブリが入ってきたんだもの。すっごく大きくて、まるまる太っているのが。とても怖くて、気持ち悪くて……それで、家の中に”ずっと”戻れなかったの」


 !!!!! 
 う、う、嘘!?!?
 
 桃恵だけでなく、”超可愛い俺の嫁”とメロメロ状態であったはずの大貴ですら、一瞬で真っ青になった。

 朝とは何時ごろのことなのか? 八時、九時、それとも十時なのか?
 どのみち、今はもう午後六時半だ!

 こいつはこの酷暑の中、いったい何時間、子供を一人で放置したんだ!?
 一人では何もできない、助けを求めて泣き叫ぶことしかできない赤ちゃんを!!
 仮にリビングのエアコンが付いたままであったとしても、確実に脱水症状を起こし……
 
 鳥が締め上げられたがごとき悲鳴を喉から迸しらせた桃恵は、玄関のドアノブへと手を伸ばす。その桃恵の手に、ことりを突き飛ばすように引き剥がした大貴の手が重なる。

 蒸し風呂のごとき熱気に満ちた家の中は、静まり返っていた。


――fin――
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