本日の業務は終了いたしました【なずみのホラー便 第147弾】

なずみ智子

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本日の業務は終了いたしました

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 高校三年生の火縄律子(ひなわりつこ)はシングルマザーの母親と二人、一軒家で暮らしていた。
 父親は律子が物心つく前に家を出ていったとのことで、顔すら知らないし、養育費などの援助も一切ないとのことだ。
 よって、母親は一馬力で会社員の仕事をしながら律子を育ててくれ、律子もそのことに関しては高校生ながらに感謝せずにはいられなかった。

 けれども、律子と母親の相性は良いとは言えなかった。
 いや、彼女たちの場合は相性がどうのこうのといった以前の話かもしれない。
 ぶつかりあうこともなければ、はたまた絡み合いすぎることもない。
 それはひとえに、律子の母親が極めて事務的……ビジネスライクにも程がある人だったからだ。

 会社員は勤務時間が定められている。
 律子の母親の場合は、”母親としての勤務時間”までをもきっちりと定めていた。
 平日の起床から出勤までの朝6時半から7時半の1時間、そして帰宅後の夕方6時から夜の9時まで。
 なお、会社の繁忙期の関係で残業となった場合は、帰宅後の”母親としての勤務時間”は後にずらされることなく、そのまま夜9時までとも定められていた。

 たとえ、夜の9時を1分でも過ぎてしまえば、律子が「あのね、お母さん。今日、学校でね……」と話しかけても、「本日の業務は終了いたしました」と言われ、受付窓口をピシャリと閉められてしまう。
 しかし、翌朝の6時半以降、朝食の席で話しかけたなら、きちんと話を聞いてくれる。
 なお、平日の授業参観や三者面談には来てくれたが、土日に開催された運動会には一度だって来てくれたことはなかった。

 寂しさのなかで育つしかなかった律子は、自分の母親がちょっと変わった人であるとは理解していた。
 普通の母親、普通の家庭というものを(だが「普通とはいったい何を基準にしての”普通”なのか?」と問われればうまく答えられそうにないが)求める気持ちが皆無というわけでもないが、高校生にもなった今は半ば諦めに近い思いを律子は母親に抱いていた。
 でも……と律子は考える。
 この世の中には、自分の想像を遥かに超えるほどに荒んだ家庭環境に置かれている人だっているはずだ。
 自分は母親に理不尽な暴力を振るわれたこともなければ、食事を与えられなかったことだって一度たりとしてない。
 部活動や友だち付き合いに必要なお金だって、母親の勤務時間内にきちんと話をすれば用意して渡してくれた。
 さらには、大学に進学したいというならしてもいいとまで言ってくれた。
 うちの母親はあんな人だけど、私はまだ恵まれている方なのかもしれない……と。

 
 ある日の夜8時半。
 今日の母親は、会社の繁忙期の都合で9時近くの帰宅になる見込みとのことであったため、律子は家に一人きりだ。
 夕食を終えた律子は、2階の自室でタバコを吸っていた。
 いつから時折、こっそりタバコを吸うようになったのか、律子自身も覚えていない。
 ただ、タバコを吸っていると、律子の心から”やるせない何か”がスウッと消えていくような気がせずにはいられなかった。
 しかし、その”やるせない何か”とやらは、すぐにまた律子の心に煙のごとく、くすぶってくるためイタチごっこでしかなかったのだが。

 律子の未成年喫煙は断じて褒められたことではない。
 火の付いたタバコを持った彼女がベッドの上でウトウトしてしまったことは、それに輪をかけて褒められたことではない。
 さらには、ベッドの下に敷かれたカーペットに、ポトリとタバコが落ちたことに気づかなかったことも。
 
 煙に咳き込んだ律子が目を覚ました時、部屋の中はすでに炎に包まれていた。
 驚愕と絶望に慄いた律子の目に映った掛け時計は、9時1分を示していた。
 
 部屋のドアは炎によって塞がれてしまっている。
 もう窓しか、逃げ道はない。
 律子がなんとか窓を開けた瞬間、背後の炎と煙は突然にその勢いを増し、律子の背中へと襲いかかってきた。

 バックドラフト現象だ。
 いや、そんなことは今はどうでもいい。

 近所の人たちも火事に気づいたのか、律子の家の前に集まってきていた。
 助けを求め、泣き叫ぶ律子は、その近所の人たちの中に、残業を終えて帰宅してきたらしい母親の姿があることに気づいた。

 母親なら子どものために、無条件で命を投げ出して当然とまでは思わない。
 それにこの火事は自分が引き起こしたものであり、自業自得だ。
 でも……!

「――お母さん! 助けて! お母さん!! お母さん!!!」

 命を振り絞るかのように律子は叫び続けた。
 下にいる母親に向かって焼けただれた両腕を伸ばし、助けを求め続けた。
 しかし、母親はその場から動くことはなかった。
 近所に住む男性の「おい! あんたの娘だろ! 何そんなに平然としてんだ?!」という怒声にも、母親は微動だにしなかった。

 母親は律子に向かって、口を動かした。
 その声こそ聞こえなかったが、律子には母親が何と言っているのか分かった。

「本日の業務は終了いたしました」


(完)
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