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シーズン1
第五話
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「狼狽えてるけど、心当たりがあるの?」
凡子は、顔を強く左右に振った。
「だよね。泉堂さんと、接点ないもんね」
次は、強く頷いた。
瑠璃はなぜ、泉堂が凡子に手を振ったと感じたのだろう。
「泉堂さんが手を振るのを見て、蓮水さんが浅香さんのことを凝視した気がしたのよね」
凡子は、泉堂が手を振ってきたのに驚いて、蓮水監査部長の方は確認していなかった。
ゲートを通り過ぎた後で、蓮水監査部長と目が合った気がしたので、あながち、瑠璃の気のせいではないかもしれない。
しかし、三人で並んで立っているのだ。凡子を見ていたと断定できるものだろうか。
「私たちは間隔をあけて立ってるでしょ。泉堂さんの目線はふらふらしていて誰を見ているのかわからなかったけど、蓮水監査部長は、真っ直ぐに、浅香さんに向かっていたの」
二人は受付から一番遠いゲートを通った。理由を訊くと、瑠璃の思い込みのように感じてきた。
「あれは、嫉妬している目だった」
凡子は、誰が誰に嫉妬していたのか、わからず、「どういうこと?」と、首を傾げた。
「愛する泉堂さんが浅香さんに愛想を振りまくのを見て、蓮水さんが敵対心を燃やしたって感じの目つきだった」
「私に? ないない」
「いやいや、浅香さんにさえ、嫉妬してしまうほどの愛なのよ」
凡子は、瑠璃が何を言いたいのかわかった気がした。
「『道端の花にも、お前の視線を奪われたくない』ってことね!!」
「『俺だけを見ろ』とかね」
瑠璃の妄想の中では、蓮水監査部長は独占欲が強い設定らしい。蓮水監査部長が凡子を見ていたというのも、都合良く解釈しただけのようだ。凡子はホッとした。
手を振られただけで、嫉妬の対象にされていると妄想するのだ。偶然、相席することになっただけだが、泉堂と一緒に昼食をとったことは知られたくなかった。
凡子は手を振られたのが自分でないことを印象づけたくて「冗談はさておき、私より、松本さんに手を振った可能性の方が高くない?」と、切り出した。
瑠璃は顔を左右に動かしたあとに「浅香さん、知らないんだ」と言った。
「松本さん、泉堂さんに結構本気でアピールしていたけど、相手にされなかったのよ」
凡子は全く気づかなかった。いつも、蓮水監査部長ばかり気にしていたせいかもしれない。
「松本さんほどの美人にもなびかない泉堂さんが、浅香さんに愛想を振りまいたのはなぜかなって、気にはなるよね」
「わたしじゃなくて、吉永さんだと思う」
「さすがに、自分に視線が向けられてないことくらいはわかるのよ」
瑠璃は思い込みが強く、なかなか手強い。
「それを言うなら、わたしも目なんて合ってない」
凡子は精一杯、否定した。
瑠璃が上目遣いで、見つめてきた。女から見ても、ドキリとしてしまうほど可愛い。
「謎はすぐ解けてしまうと面白くないもんね」
瑠璃が意味ありげに笑った。可愛いだけでなく、小悪魔的な危うさも感じさせる。
泉堂とは、フレンチレストランで偶然出くわしただけで、大した謎ではない。だからといって、知られるわけにはいかないのだ。
凡子は落ち着かず水を飲もうとしたが、セルフサービスなのでドリンクバーまで、水を取りに行かなければならない。
凡子は、雰囲気を変えたくもあって、席を立つことにした。
「水を汲んでくるね」
「おしぼりも取ってきて」
いつのまにか客が増えている。昼に入ったフレンチレストランとは違い、笑い声が聞こえてくる。ファミレスの気楽さにも、また別の心地よさがある。ドリンクバーにも数人がいて、コップやカップを手に機械の前でドリンクを選んでいる。凡子はふせて重ねられたグラスから二つとって、給水器の前に立つ。隣にいる女性が、グラスに氷をいれるのを見て、氷を入れた方が良かったかもしれないと思った。ただ、長居する気はないので、足さなかった。
凡子がテーブルに戻ると、料理が並んでいた。
「ごめん、パスタがのびないように、先に食べてる」
凡子は「食べる前に手を拭きたかったわけじゃないのね」と思いながら、瑠璃の前に水とおしぼりを置いた。
ミートソースの香りが美味しそうだ。瑠璃は器用に、フォークにスパゲッティを巻き取る。凡子の頼んだ、カレーの香りもしている。食欲をそそられ、向かい側の自分の席についた。
ファミレスでカレーを食べるのは初めてだったが、期待以上に美味しかった。先に食べ終わった瑠璃が一口食べたいと言いだした。凡子が「どうぞ」と言うと、瑠璃はテーブル備え付けのカトラリーケースからスプーンを取り出した。
一口食べて「甘みが強いのに、ちゃんと辛い。かなりイケる」と、褒めた。
瑠璃は、今日、凡子に確認しておきたいことはもうないのか、あっさりと、解散にしてくれた。
瑠璃と会うまでは、今日の写真を整理するのを楽しみにしていた。
凡子は家に向かいながら、できるだけ早い段階で、泉堂に口止めをしておかなければと思った。まさか、受付で手を振られるなど、考えもしなかった。そのうち、話しかけてくるかもしれない。そうなると、誤魔化しようがなくなる。泉堂は軽い気持ちで親しげにしてくるのだろうが、優香に知られてしまうと職場の人間関係に支障をきたしかねない。
問題は、泉堂と二人きりになる機会など今まで一度もなかったことだ。どうにか方法を考えなくてはならない。
どちらにせよ、泉堂が本社へ出社するのは一週間後だ。それまでに考えれば良い。
家に着いて、まず入浴を済ませた。
気分も落ち着いたところで、『五十嵐室長はテクニシャン』の最新話を再読する。
五十嵐室長の良いところはやはり、完璧なようで、本人にとっては深刻な悩みを抱えていることだ。克服するための努力を惜しまないことでさらに魅力が増している。
「克服するまで、誰かを愛するわけにはいかない」と、ワンナイトラブを繰り返し、毎回相手を満足させて、自分は「また、だめだった」と落ち込むのだ。
自分は反応しなくても、相手を指だけで満足させるテクニックとサービス精神を持ち合わせている。
凡子が『五十嵐室長はテクニシャン』に出会ったのは、大学四年の頃だ。すでに就職も決まっていて、後は無事卒業をすればいい状態だった。
学生時代最後の自由を満喫しようと、小説投稿サイトに登録して、一日中、たくさんの小説を読んだ。そして、五十嵐室長に出会ったのだ。
その頃は、現在とは別のサイトで、不定期更新だった。
『五十嵐室長はテクニシャン』の魅力は、身近にエリートが存在している凡子が、不自然に感じないくらいリアリティがあるところだ。ネット上に投稿されている素人の小説を片っ端から読んでいくと、『弁護士』『医者』『パイロット』などの肩書きをもつ登場人物が、自堕落的な高校生並の思考回路で行動することがよくあった。
『五十嵐室長はテクニシャン』は、一話につきワンエピソードではない。その時々によって、数話の場合も、十話を超える場合もある。内容は、大人なシーンばかりではなく、五十嵐室長が出張先で出会ったご当地の珍しい物などもさりげなく紹介され、読み応えがある。
凡子が今の会社に入社し、三ヶ月ほど経った頃、『五十嵐室長はテクニシャン』が公開されていたサイトがサイバー攻撃を受け、会員の登録メールアドレスなどが流出した。その後の運営の対応が不誠実だったせいで、多くの人気作家が別サイトに移った。
『五十嵐室長はテクニシャン』の作者、『水樹 恋』は、なんと、作品をすべて削除し退会しただけで、別サイトへも移さなかった。
一時期、『五十嵐室長はテクニシャン』は、ネット上から、消えてしまっていた。
凡子は、顔を強く左右に振った。
「だよね。泉堂さんと、接点ないもんね」
次は、強く頷いた。
瑠璃はなぜ、泉堂が凡子に手を振ったと感じたのだろう。
「泉堂さんが手を振るのを見て、蓮水さんが浅香さんのことを凝視した気がしたのよね」
凡子は、泉堂が手を振ってきたのに驚いて、蓮水監査部長の方は確認していなかった。
ゲートを通り過ぎた後で、蓮水監査部長と目が合った気がしたので、あながち、瑠璃の気のせいではないかもしれない。
しかし、三人で並んで立っているのだ。凡子を見ていたと断定できるものだろうか。
「私たちは間隔をあけて立ってるでしょ。泉堂さんの目線はふらふらしていて誰を見ているのかわからなかったけど、蓮水監査部長は、真っ直ぐに、浅香さんに向かっていたの」
二人は受付から一番遠いゲートを通った。理由を訊くと、瑠璃の思い込みのように感じてきた。
「あれは、嫉妬している目だった」
凡子は、誰が誰に嫉妬していたのか、わからず、「どういうこと?」と、首を傾げた。
「愛する泉堂さんが浅香さんに愛想を振りまくのを見て、蓮水さんが敵対心を燃やしたって感じの目つきだった」
「私に? ないない」
「いやいや、浅香さんにさえ、嫉妬してしまうほどの愛なのよ」
凡子は、瑠璃が何を言いたいのかわかった気がした。
「『道端の花にも、お前の視線を奪われたくない』ってことね!!」
「『俺だけを見ろ』とかね」
瑠璃の妄想の中では、蓮水監査部長は独占欲が強い設定らしい。蓮水監査部長が凡子を見ていたというのも、都合良く解釈しただけのようだ。凡子はホッとした。
手を振られただけで、嫉妬の対象にされていると妄想するのだ。偶然、相席することになっただけだが、泉堂と一緒に昼食をとったことは知られたくなかった。
凡子は手を振られたのが自分でないことを印象づけたくて「冗談はさておき、私より、松本さんに手を振った可能性の方が高くない?」と、切り出した。
瑠璃は顔を左右に動かしたあとに「浅香さん、知らないんだ」と言った。
「松本さん、泉堂さんに結構本気でアピールしていたけど、相手にされなかったのよ」
凡子は全く気づかなかった。いつも、蓮水監査部長ばかり気にしていたせいかもしれない。
「松本さんほどの美人にもなびかない泉堂さんが、浅香さんに愛想を振りまいたのはなぜかなって、気にはなるよね」
「わたしじゃなくて、吉永さんだと思う」
「さすがに、自分に視線が向けられてないことくらいはわかるのよ」
瑠璃は思い込みが強く、なかなか手強い。
「それを言うなら、わたしも目なんて合ってない」
凡子は精一杯、否定した。
瑠璃が上目遣いで、見つめてきた。女から見ても、ドキリとしてしまうほど可愛い。
「謎はすぐ解けてしまうと面白くないもんね」
瑠璃が意味ありげに笑った。可愛いだけでなく、小悪魔的な危うさも感じさせる。
泉堂とは、フレンチレストランで偶然出くわしただけで、大した謎ではない。だからといって、知られるわけにはいかないのだ。
凡子は落ち着かず水を飲もうとしたが、セルフサービスなのでドリンクバーまで、水を取りに行かなければならない。
凡子は、雰囲気を変えたくもあって、席を立つことにした。
「水を汲んでくるね」
「おしぼりも取ってきて」
いつのまにか客が増えている。昼に入ったフレンチレストランとは違い、笑い声が聞こえてくる。ファミレスの気楽さにも、また別の心地よさがある。ドリンクバーにも数人がいて、コップやカップを手に機械の前でドリンクを選んでいる。凡子はふせて重ねられたグラスから二つとって、給水器の前に立つ。隣にいる女性が、グラスに氷をいれるのを見て、氷を入れた方が良かったかもしれないと思った。ただ、長居する気はないので、足さなかった。
凡子がテーブルに戻ると、料理が並んでいた。
「ごめん、パスタがのびないように、先に食べてる」
凡子は「食べる前に手を拭きたかったわけじゃないのね」と思いながら、瑠璃の前に水とおしぼりを置いた。
ミートソースの香りが美味しそうだ。瑠璃は器用に、フォークにスパゲッティを巻き取る。凡子の頼んだ、カレーの香りもしている。食欲をそそられ、向かい側の自分の席についた。
ファミレスでカレーを食べるのは初めてだったが、期待以上に美味しかった。先に食べ終わった瑠璃が一口食べたいと言いだした。凡子が「どうぞ」と言うと、瑠璃はテーブル備え付けのカトラリーケースからスプーンを取り出した。
一口食べて「甘みが強いのに、ちゃんと辛い。かなりイケる」と、褒めた。
瑠璃は、今日、凡子に確認しておきたいことはもうないのか、あっさりと、解散にしてくれた。
瑠璃と会うまでは、今日の写真を整理するのを楽しみにしていた。
凡子は家に向かいながら、できるだけ早い段階で、泉堂に口止めをしておかなければと思った。まさか、受付で手を振られるなど、考えもしなかった。そのうち、話しかけてくるかもしれない。そうなると、誤魔化しようがなくなる。泉堂は軽い気持ちで親しげにしてくるのだろうが、優香に知られてしまうと職場の人間関係に支障をきたしかねない。
問題は、泉堂と二人きりになる機会など今まで一度もなかったことだ。どうにか方法を考えなくてはならない。
どちらにせよ、泉堂が本社へ出社するのは一週間後だ。それまでに考えれば良い。
家に着いて、まず入浴を済ませた。
気分も落ち着いたところで、『五十嵐室長はテクニシャン』の最新話を再読する。
五十嵐室長の良いところはやはり、完璧なようで、本人にとっては深刻な悩みを抱えていることだ。克服するための努力を惜しまないことでさらに魅力が増している。
「克服するまで、誰かを愛するわけにはいかない」と、ワンナイトラブを繰り返し、毎回相手を満足させて、自分は「また、だめだった」と落ち込むのだ。
自分は反応しなくても、相手を指だけで満足させるテクニックとサービス精神を持ち合わせている。
凡子が『五十嵐室長はテクニシャン』に出会ったのは、大学四年の頃だ。すでに就職も決まっていて、後は無事卒業をすればいい状態だった。
学生時代最後の自由を満喫しようと、小説投稿サイトに登録して、一日中、たくさんの小説を読んだ。そして、五十嵐室長に出会ったのだ。
その頃は、現在とは別のサイトで、不定期更新だった。
『五十嵐室長はテクニシャン』の魅力は、身近にエリートが存在している凡子が、不自然に感じないくらいリアリティがあるところだ。ネット上に投稿されている素人の小説を片っ端から読んでいくと、『弁護士』『医者』『パイロット』などの肩書きをもつ登場人物が、自堕落的な高校生並の思考回路で行動することがよくあった。
『五十嵐室長はテクニシャン』は、一話につきワンエピソードではない。その時々によって、数話の場合も、十話を超える場合もある。内容は、大人なシーンばかりではなく、五十嵐室長が出張先で出会ったご当地の珍しい物などもさりげなく紹介され、読み応えがある。
凡子が今の会社に入社し、三ヶ月ほど経った頃、『五十嵐室長はテクニシャン』が公開されていたサイトがサイバー攻撃を受け、会員の登録メールアドレスなどが流出した。その後の運営の対応が不誠実だったせいで、多くの人気作家が別サイトに移った。
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