喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫

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シーズン1

第三十三話

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 ラムチョップをトレーに並べ、塩こしょうとハーブで下味をつけた。常温になるまでしばらく置く。その間に、野菜スープや付け合わせを作る。ついでに、自分の分のおかずも作っていく。一部の野菜は、蓮水の家に持って行けるが、卵は使い切りたかった。
 蓮水には、ラムチョップの香草焼きと、ほうれん草のクリームチーズあえ、新タマネギとトマトのマリネなど用意し、自分には、なすとベーコンを炒めたものとプレーンオムレツを作った。他にも作り置きしておいた、ひじきの煮物もある。
 せっかくなので、温かいうちに食べて欲しいが、執筆がのっているのなら邪魔はしたくない。凡子はいったん、蓮水の様子を見にいくことにした。
 リビングを覗くと、蓮水はPCを脇に置いて、じっと座っていた。
――一話分、書き上がったのかしら?
 凡子は「樹さん」と声をかけてみた。
 蓮水がリビングの入り口の方へ顔を向けた。
「夕食が、できたのか?」
「用意できました。お口にあうかはわかりませんが……」
 凡子は自らが発した言葉で、緊張した。
――しまった。毎日妄想の中で五十嵐室長に食べていただいていたから平気だと思ったけど、現実に、樹さんが食べるとなると……。
 いつも通りに作れていれば、好みには合わなかったとしても、食べられないレベルではないはずだと、自分に言い聞かせる。
「ダイニングにお越しください」と、言い残して、凡子はキッチンに戻った。
 ダイニングテーブルに、蓮水の分の料理を先に並べ終わったところで、ちょうど、蓮水が入ってきた。
「えっ? ここまで本格的な料理が出てくるとは、思っていなかった」
 凡子は「たまたまです。今日は、恋様とお会いするから夜は一人でお祝いをしようと思っていましたので」と、言った。
「もしかして、一人分しかないのか?」
「別メニューですがありますよ」
 凡子は蓮水に料理の前に座るよう促した。
「ちょっと、リビングに行ってくる」
 蓮水はそう言ってダイニングを出て行き、すぐ戻ってきた。手にスマホを持っている。蓮水くらいの立場になると、休日でも大事な連絡が入るのかもしれないと凡子は思った。
 蓮水は席に着くと、料理に向けてスマホをかざし、写真を撮り始めた。
「そんな、私の料理なんて、撮らないでください」
 凡子は慌てた。
「いや、よく考えたら、人生で初めて『妻』に作ってもらった料理だからな。記念に」
  蓮水から『妻』と呼ばれると、凡子は緊張しすぎて倒れてしまいそうだ。
「私のことは『家政婦』と認識して頂ければ結構です。ですので、初めて家政婦に……あっ、樹さんの育ったお宅には、家政婦さんいらしたんですかね? それなら、どのようにするのが正しいか教えていただけると助かります」
 蓮水は「それはダメだな」と顔を横に振った。
「叔父達に『妻』として紹介するのに、今の感じだと怪しまれるからわざわざ甘い雰囲気を作ろうとしているんだ」
「なるほど!」と、凡子は深く頷いた。
「もう、練習は始まっていたんですね! 失礼しました」
「しかし、なみこの年代でも割烹着を着るんだな」
「あー、これはコスプレのようなもので……」
 蓮水が「最近は、割烹着姿のヒロインが出てくるアニメが流行ってるのか?」と訊いてきた。
 蓮水に嘘の流行を教えるわけにはいかない。
「五十嵐室長の、家政婦のコスプレです……」
『五十嵐室長はテクニシャン』には、家政婦が登場したことが無いのに、「そうなんだ」と、受け流された。
「それより、さっきから食欲をそそられる匂いがしていて、これ以上は我慢がつらいんだが」
「どうぞ、お召し上がりください」
 蓮水から「なみこの分は?」と、訊かれた。家政婦設定だから別の場所で食べる気でいたが、夫婦の練習となればそうはいかない。急いで自分の分も食卓に運んだ。
「そっちも美味そうだな」
 蓮水の提案で、半分ずつ食べることになった。
 
 自分の料理が蓮水に好評だったので、凡子は安心した。これからは毎日食べてもらうのだから、好みに合ったほうがいい。
 蓮水からは後片付けを手伝うと言われたが、断った。小説を一文字でも書いてもらえたほうが、凡子は嬉しいからだ。蓮水にはリビングに移ってもらい、食後のコーヒーを出した。
 食洗機に軽く汚れをおとした食器をならべ、スイッチを押してからキッチンを離れた。
 蓮水は、またタブレットPCを出して、なにやら入力していた。凡子は「よし、よし」と思いながらそっと蓮水の横を通り抜けた。自分の部屋で蓮水の家に泊まるための準備の続きをする。
「とりあえずは、修学旅行程度の準備で良いよね?」
 通勤服と道着も持って行った方が良いだろうか。
 凡子は、蓮水を送り出してから、自分の家に寄ることは可能かを考えた。まず、蓮水が何時に出勤するかと、蓮水の家からの通勤時間も調べなければならない。本人に訊く方が早いが、執筆の邪魔はしたくない。瑠璃が蓮水と泉堂を待ち伏せした日は、かなり早く出勤していた。蓮水と一緒に家を出れば、自宅に寄れそうな気がした。
 どうするかは蓮水に確認してから決めようと、一応は通勤用の服と道着をクローゼットから出した。
 必要な物が準備できたときに、部屋がノックされた。
 凡子は「はい」と言ってドアに駆け寄り、開けた。
「手伝えることはないか?」
「だいたい終わりました。でも、ちょうど良かったです。樹さんに確認したいことがあったので」
 凡子はリビングで話すつもりでいたのに、蓮水が部屋に入ってきた。 
「何を確認したいんだ?」
 凡子は、出勤時間などを訊ねた。
「タクシーで行くから、かかる時間はその日によるが、家を出るのはだいたい七時過ぎかな」
 凡子はまさか、タクシーで通勤しているとは思っていなかった。
「なみこの始業時間を考えると、一緒に出るのは早すぎるよな?」
「そうですね……あっ、一緒に出ないと鍵がかけられ……」
「それは合鍵を渡すから問題ない」
 よく考えると鍵を預からないと留守の間に家事ができない。
 蓮水の出勤時間に出れば、家に寄ってからでも間に合いそうだ。
「毎朝、樹さんと同じ時間に出るようにします。その方が家に寄れるので」
 凡子は「これで、家に道着を置いておけます!」と、喜んだ。
「道着?」
「はい、会社帰りに合気道の稽古に通う日があるんです」
 蓮水が、「そうか、それでか……」と、深く頷いている。
「やけに姿勢が良いなあと思っていたんだよな」
「はい、やはり正しい姿勢が基本ですので」
 凡子は、蓮水から姿勢を褒められ、誇らしくなった。
「試合はないのか? 戦う姿を見てみたいんだが」
「私は大会には出ないので……」
「稽古の見学は?」
 蓮水に来られたら、集中できなくなる。
「そ、それはちょっと……」
「部外者は入れてもらえないか。武道のシーンを書いてみたかったんだが諦めるしかないな」
ーーなぬ! ひょっとして、アクションシーンが読める?
 凡子は「いえいえ、うちの道場は、いつでも見学歓迎です!」と、直ちに訂正した。
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