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第一章

第十一話:慟哭 ~英雄の定義。少女の涙。その手に勝利を~

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 「いやふざけんなよお前! 有栖野さんを殴ってあれだけ大層なことほざいておいて、自分じゃなくて芳麻ほうまに決闘させるってどういうことだ!」

 「そうよ! 女の子守って戦うかと思ったら、自分は逃げて女の子を矢面に立たせるとかサイテーじゃない! ちょっとかっこいいと思ってしまったあたしのトキメキ返しなさいよ!」

 一部妙な声も混じっているが、取り巻きたちはここぞとばかりに捲し立て、遠巻きに見守る生徒からも動揺の声があがる。

 だがそんな周囲を気にするでもなく、

 「何を言っている? 俺も戦うに決まってるだろうが」

 「「「はぁあ!?」」」

 油を注ぐがごとく、喧噪をさらに混沌に叩き込む言葉をしれっと添える。

 「二対一じゃねえか! お前決闘の意味分かってんのか!? 正々堂々って言葉を知らないのかこの野郎!」

 非難轟々の最中、イセルはようやく、周囲の言わんとしていることを理解した。

 そして盛大に、わざとらしさすら覚えるほどの溜息を吐く。

 「無能だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで頭の中が残念だとは思わなかった。

 何度も言わせるな無能共。俺はレイナの使い魔だ。であれば俺はレイナの剣であり、レイナの力の一部だ。

 この学校の決闘では、使い魔と契約した生徒はそれを付き従えることが許されているのだろう? レイナが俺を連れて有栖野と戦うことのどこに問題がある」

 図書室で得られた知識をしゃあしゃあと宣うイセルに、取り巻きたちを中心に生徒が口を閉ざす。だが釈然としないのか、その表情を複雑に、そして悔しそうに歪めている。

 そんな彼らに興味を失ったか、イセルは呆気にとられたように目を丸くさせる鏡花に向く。

 「というわけだ、キョウカ殿。場所の手配を頼む。時間は早い方がいい。明日だ」

 「……甘えていいって、確かに言ったわよ? でもだからって急すぎるでしょ。私にだって色々都合が――」

 「すまないとは思う。だがキョウカ殿ならこの程度、迷惑のうちにも入らないほど容易いだろう?

 それにこの程度で音を上げるようでは、この先俺を利用するなど夢のまた夢。振り回されるのがオチだと思うが?」

 嘆息気味の鏡花に、強気に口角を吊り上げて言うイセル。その言葉に触発されて、僅かではあるが鏡花の笑みに力強さが戻った。

 「言ってくれるわね、この王子様は。あなたが王になったら、国民や臣下は散々使い潰されそうね。
いいでしょう。ちょうど明日は土曜日。正午に合わせて場を整えましょう」

 「ありがとう。この礼もまたいずれ」

 「利子つけて返しなさいよ?

 それから、これも返します」

 そう言って鏡花は両手を掲げ、青白い光で編まれた魔法陣を作る。

 現れたのは真紅の鞘に包まれた宝剣と、それを携えるためのベルト。

 「物質瞬間移動魔法アーツ・テレポーテーション!? 詠唱なしで……!?」

 教師である水崎が驚愕に満ちた声をあげ、生徒は声を失う。

 周囲に目をくれず、魔法陣から取り出されたそれらを、鏡花はイセルに渡す。

 「うっわ、意外と重いのね……。はいこれ。王子様が素手で決闘なんて見栄えが悪いでしょ。だからこれも特別に返還します。ほんとに感謝しなさいよ?」

 悪戯っぽく微笑む鏡花に、イセルは目を輝かせる。

 「ありがとう、キョウカ殿!」

 年齢相応の少年らしい弾んだ声で、まずベルトを受け取り、慣れた手つきで腰に回す。
 そうして剣を持ち、重さを感じさせない軽やかな扱いで左腰に差す。

 「感謝の極み。重ね重ねすまないが、この恩義には必ず報いる。何度も同じ言葉で芸がないとは思うが、返礼はいずれ」

 丁重な姿勢で頭を下げるイセルを、鏡花は微笑ましげに、優しい笑みで見届けていた。

 「ヒヨリ!」

 頭を上げて礼を解くや否や、イセルは張りのある声を飛ばす。

 「は、はい!?」

 慌てた声音で返る答え。イセルに声をかけられたことで、ひよりの小柄な体に幾つもの視線が突き刺さる。
 居心地悪そうに身を竦ませるひよりに、イセルは凛とした態度を崩すことなく告げる。

 「この学校の『敏腕』記者であるヒヨリに、王太子たる俺が命を下す!

 せっかくの決闘に、物見の客が少なくては張り合いがないからな! この場に居ない者共も明日の決闘を観戦するように、今日中にこの場で起きたことを派手に触れ回れ! これまで放火魔などと蔑まれてきた落第魔導士が、有栖野信弥の横面を張り倒して宣戦布告したとな!」

 「な! ちょ、ちょっと……!?」

 イセルの後ろで麗菜が抗議の声をあげかけたが、イセルは余裕ある笑みを絶やさずにひよりに告げる。

 イセルの言葉に呆けた表情を浮かべていたひよりは、やがて歓喜に打ち震えるように、爽快な笑みを浮かべたあと。
 
 ピョコッと音が立つようなコミカルな動作で、額に手を当て敬礼する。

 「了解したッス! 不肖、安藤ひより! 未熟者ではありますが日本魔導学校新聞部部員として、拝命承ったッス!」

 元気よく返された答えに、満足そうにイセルは頷く。そうして後ろを向き、事態についていけずに混乱の窮地にある麗菜へ飾らない笑みを浮かべて。

 「ほら、行くぞレイナ!」

 「え? いやあの、行くってどこへ……!?」

 麗菜の右手をとり、歩き始める。多少抵抗しているようだが、麗菜は振り払えないままに困惑の声をあげる。

 「決まっているだろう! 特訓だ! 俺が直々に君を鍛え直して、明日の決闘までに少しはまともに戦えるようにしてやる!」

 「でも午後の授業が……!?」

 「気にするなそんなもの! ヒヨリから聞く限り、十分に真面目な学生生活を送っていたのだろう! ならば半日怠けたところで誰も咎めないさ!」

 完全に振り回された様子で、麗菜はイセルに手を引かれて学食をあとにした。

 「はいはい、これから三限目が終わって沢山の生徒が来るんだから用の無い生徒は席を空けなさい! ボサっとせずにキビキビ動く! 

 安藤さんも特別に午後は休みにしてあげる! センセーショナルな学校新聞の号外を作成すること!

 ああ、そこのキミたちは有栖野くんを医務室まで運びなさい! 意識を取り戻したのなら模擬戦のことを教えてあげるように! 

 水崎先生はあとで学校長室まで。私の教育方針は赴任時にお伝えしたはずなのに、十分ご理解されていないようなので、徹底的に話し合いましょうか」

 その後学食は、混乱に陥る前に鏡花が収拾をつけたそうな。







 「ちょっと、あの……イ、イセルさん……?」

 後ろから遠慮がちな声が届けられるが、イセルは反応を示すことなく、麗菜の手を引いて歩いていく。力強く掴まれた手は解ける様子もなく、しかしながら強引さやそれに伴う不快さも一切、麗菜に伝わることがない力加減だ。

 校内を抜け、屋外をある程度歩いたところで。

 「お、いい所だな。こんな場所あるのか。ここでいいか」

 そう言ってようやく手を放したイセル。気付けばそこは構内にある広場で、昼休み時には学食ほどではないにしろ、ある程度学生が陣取って昼食を楽しむ場所だ。

 だが今日に限り、広場にはイセルと麗菜以外に人は居なかった。

 「あー、スッキリした! 朝会ったときから不愉快だったんだよな、あの態度! あいつのツラに一発見舞わせることができて、満足だ!」

 グッと体を伸ばしながら、口調も声もかなり砕けた調子でイセルが吐き出す。朝に分かれたときからのあまりの変わりように、麗菜は目を丸くしてイセルの後ろ姿に視線をやり続ける。

 麗菜に表情を見せず、イセルは晴天を見上げながら告げる。

 「俺はさ、レイナ」

 「え? あ、はい……」

 イセルの一人称や呼び方の変化に今頃気付いたのだろうか、麗菜の声は戸惑いに満ちており。
 そんな声音をおかしく思いながら、イセルは思いの丈を綴っていく。

 「世界を救った――なんて言ったけど、あくまでそれは結果論にすぎないんだ」

 「結果論……?」

 訝しげに繰り返される声を聞いて、イセルは「ああ」と短く肯定を示す。

 「両親を、国を、臣下や国民を。そして妹を殺したのが、たまたま魔王軍であっただけ。もし俺の大切な人たちを殺したのが人間だったのなら、俺はあの世界で、魔王なんか気にせずに怒りの赴くまま、憎しみのままに人間を殺し続けて、枯れることのない血の河をこの手で作ったと思う」

 背後で麗菜が息を呑むのを感じながら、イセルは視線を両手に落とす。

 「俺は最後まで、憎しみでしか剣を振ることが出来なかった。誰かを救いたいっていう思いよりも、自分の怨みを優先させて、それを発散させるように魔獣を狩り続けてきた。

 レーナの――妹のように、心の底から誰かのために戦うなんてことは、妹のため以外では有り得なかったように思う。妹と一緒に救世の大英雄だなんて呼ばれたりもしたけど、そんなの俺には相応しくない。その称号は、本気で世界を――名も知らない誰かを救いたいと願い続けた妹だけのものなんだ。

 そして愚かな英雄もどきは、命に代えてでも守ると決めた家族すら守れず、失って」

 そう言って身を翻し、麗菜に向けるのは。

 酷く寂しい、疲れ切ったような笑みで。

 「自分の守りたいと思った存在を、最後まで、命を賭してでも守り抜く。それが真の英雄だって俺は思ってる。

 だから俺たち兄妹を、命をかけて守って逃がしてくれた両親は英雄だし、他者を庇おうとして命を落とした妹も英雄だ。俺だけは守りたいと思った存在を守れずに、憎しみのまま剣をとり続けて魔王と相討ち。

 世界は救ったのかもしれないけど、それは俺にとってなんの価値もない。

 俺はただの復讐者。心から守りたいと思った、たった一人の家族すら守れずに、ただ憎しみのままに魔獣や魔王、ときには人の皮を被った外道を殺し続けた暴力装置だ。

 こんな俺の言葉に、価値なんてないのかもしれないけど――」

 「そんなこと言わないでください!」

 自嘲するように連ねていくイセルに、麗菜の悲鳴じみた否定が叩きつけられる。

 驚いたように目を丸くするイセルに、対峙する麗菜は瞳を潤ませている。

 「イセルさんを召喚したとき――それから今朝も。私は少しだけ、あの世界にいたイセルさんを見ました。妹さんが――レーナさんが命を落とす瞬間も。

 私はイセルさんの苦しみや悲しみを、本当の意味では分かってあげられないのかもしれない。

 でもこれだけは言わせてください。

 あの世界で虐げられているだけだった人々は、あなたたちのお蔭で希望を取り戻すことができたんです。魔王を倒したことで、あの世界の人々は救われたんです。

 結果論だって言うイセルさんにとって、それは価値のないことなのかもしれない。

 でも、意味はあったんです! 

 イセルさんたちがもたらした、あの世界に生きる人々の喜びも! 平和も! あなたたち兄妹を悼む気持ちや感謝も! 全部、全部どこまでも本物だった! 魔王を倒したことで、あれだけ多くの人を救ったのは事実なんです! 命をかけてレーナさんを守ろうとしたイセルさんの日々があったからこそ、救われた命も確かにあったんです!  

 だから! 

 だから、自分のことをそんな風に言わないでください! 昨日今日会ったばかりの私が何を言うんだって思うかもしれないけど、でも! あなたがその手で成したことはきっと尊いことだから! だから……!」

 そうして麗菜は視線を伏せて、スカートの裾をキュッと掴む。

 「そんな悲しい表情かおで、そんな悲しいこと……言わないでください……!」

 必死の思いを込めて、たどたどしくも懸命に思いを伝えんとするその姿に。

 ――ああ、このは。今回だけじゃない、これまでずっとあんな目に遭って、血の滲む思いをしてきたはずのに。

 ーーそれでも自分以外の誰かのために、こんな俺にすら真剣に向き合って、心を痛めてくれるのか……。

 文字通り住む世界が違った二人。日が浅いどころか、まだ出会って一日も過ごしていない少女であるにも関わらず。

 イセルの胸に、麗菜の声は輝くほどに響いていた。

 「――ありがとう」

 噛みしめるようにそっと言ったあと、イセルは静かな笑みを湛えて瞑目する。

 そして麗菜と真剣に向き合うべく、彼女に伝えなければならない思いを口にしようと目を開く。

 「ヒヨリやキョウカ殿から、君のお父さんの話を聞いた」

 イセルの言葉に、麗菜は怯えたように身を竦ませる。

 澄んだ空色の瞳が、頼りなく揺れる。

 そんな不安を否定するように、イセルは静かな口調で思いを紡ぐ。

 「一番に守りたいと思う存在を、命をかけて守るのが真の英雄だ。だから君のお父さんが成したことは、世界を救った英雄おれでも成せなかった、最大級の偉業なんだ。世界を救ったことを無価値だなんて思ってる人間よりも、遥かに英雄という名が相応しい。

 そしてその父の背を追おうと、今までどんな苦い屈辱に晒されてもなお歩みを止めなかったレイナの姿も、俺はとても綺麗だと思うから。

 だから――」

 一歩、麗菜へと踏み出す。そうして真摯な眼差しに、持てる限りのありったけの敬意を込めてイセルは言う。

 「胸を張れ、レイナ。君の父君ちちぎみは――君の誇りは、どこまでも正しい。芳麻ほうまひじりは、紛うことなき真の英雄だった。

 胸を張れ、自分自身に。英雄の血を引く君に。その志を曲げることなく、直向きに走り続ける君は、間違いなく最高の魔導士になれる」

 大きく開かれる麗菜の瞳。そしてすぐに涙が溢れ出て頬を伝う。体を打ち震わせ、麗菜は腕で顔を覆う。

 「レイナ……?」

 軽く瞠目し、イセルは歩み寄ろうとする。そんなイセルの気配を察知してか、弱々しい、覚束ない足取りで後ずさる麗菜。

 「ち、ちが……ヒグっ、違うの……」

 嗚咽混じりの震えた声。紡がれたのは否定。

 イセルは急かすこともせず、麗菜の言葉を待つ。

 「あ、ありがとう……お父さんを、認めて、くれて。すごく、嬉しい。でも……」

 力なく頭を振って、麗菜はなお言葉を続ける。

 「私が、魔導士としてダメなのは、事実だから……! どれだけ勉強しても、練習しても、魔法を使えない、暴発させて怪我してばかりの落ちこぼれなのは、本当のことだから……! だか、ら、周りから馬鹿に、されても、悔しいって思っちゃ、いけないの……! 
 
 思う資格なんてないよ、本当のことだもん……! 天彩おとうさんの娘である、私自身が、芳麻聖の名前を汚しているの……! こんな自分が、許せなくて……!

 だから、私は、イセルさんにそう言ってもらえるような、人間じゃ……!」

 声を詰まらせて言う麗菜。その言葉を聞いて、イセルは薄く微笑んだあと。

 静かな、そして確かな足取りで麗菜へと近づく。

 「や……ヤダ……」

 左腕は顔を隠したまま、イセルを拒むように震える右手を伸ばす。その手をイセルは容易く掴みとる。

 「いや……!」

 身を強張らせる麗菜。その拒絶の声を無視し、イセルは残る左腕も掴んで開き、麗菜の顔を強制的に露わにさせる。

 「お願い、いやぁ……!」

 抵抗しようと腕に力を込めるが、痛みを与えることなくしっかりと掴まれた両手はビクともせず。

 それが唯一残された手段であるというように、涙に塗れた表情を俯かせて、麗菜は固く目を瞑る。

 「ヒヨリに――親友に比べたら、こんな昨日今日会ったばかりの男、そりゃ頼りないかもしれないけどさ」

 麗菜が言った言葉を使って、困ったように笑いながら、イセルは優しげに言う。

 「今の俺は君の使い魔だ。君の力、君のつるぎ――そして何より、君の味方だ。

 少しだけでいい、俺を信じてほしい」

 穏やかな声音は、どこまでも真摯な純粋さを以て麗菜の胸を揺さぶる。

 恐る恐る開かれる瞳。宝石のように煌めく空色のそれを、イセルはただ真直ぐに見つめ返す。

 小さな手は、少女の頑なさを表しているように拳を形作っている。麗菜の心をも温め解すように、イセルは冷たく強張った拳をゆっくりと開かせ、そして指を絡み合わせた。

 「大丈夫だよレイナ。

 悔しさも、憤りも、自分への苛立ちも、それから父への思いも憧れも。

 君が胸に抱くすべての感情、そこから溢れ出る涙も、嗚咽も、決して弱さなんかじゃない。

 自分を偽ることなく、逃げることなく。

 気高い信念ユメを抱き歩み続ける、君の強さの証だから」

 これまで身を苛み続けた嘲りや自己否定。
 何度叩きのめされても涙を見せなかった少女の意地は、イセルの言葉の前に崩れ去った。

 イセルの胸に顔を押し付けて、これまでの痛みを初めて爆発させたかのように咽び泣く麗菜。そんな彼女の頭を、イセルはどこか慣れない手つきで撫でる。

 「君に敬意を。俺を喚んでくれた君が、こんなにも強くて優しい心を持った魔導士だったことが、本当に誇らしい」

 震え戦慄く少女の体。その華奢な身など容易く押しつぶせるほどの、蔑みや理不尽に晒されながらも。

 折れることなく。挫けることなく。諦めることなく。

 そして誇りを失うことなく挑み続けた主に向けて、使い魔であるイセルが――救世を為した英雄が、惜しみない賞賛を贈る。

 ――その強さも、優しさも、あいつが持っていたものだから。

 ――俺が最後まで、手に入れることのできなかったものだから。

 憂いを帯びた表情を見せたイセルは、すぐに力強く微笑む。

 「誓うよ、レイナ。君の今までの日々の成果と呼ぶには、ささやかすぎるだろうけど」

 「君が受けてきた蔑み、苦しみ、不当な烙印を吹き飛ばして余りあるくらいの勝利を。君自身の手で掴ませてみせる。この体に流れる血と、『白銀の煌剣』の名に懸けて、約束するから」

 そうして聞こえているのかも分からない相手に向けて、イセルは力強く、確かな声で宣言した。





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