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第二章

第二話(前):雑談 ~放課後、少年は大人と~

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 学校長室の隣に設えられた応接室。イセルは革張りのソファに腰掛けて、自身を呼び出した者が訪れるのを待っていた。だが黒い瞳は、部屋の周囲や調度品を観察して忙しなく動いている。

 「王宮で使われていたもの……には流石に劣るが、下手な地方貴族が持つものよりは遥かに上質だな。

 国の宝である魔導士の学び舎とはいえ、教育機関ですらこれほどか。建物といい調度品といい、食といい。向こうの世界とは、文明水準そのものがあまりにも違い過ぎる。魔王の脅威が除かれたあの世界も、いずれこれくらいになるのか……?」

 感嘆を隠し切れない声がイセルの口から零れ出るのと、応接室の扉が開くのは同時だった。

 いつも通りのスーツ姿で、鏡花が顔を見せる。先日見せた疲れ切った表情は、今の彼女の顔に微塵も浮かんでいなかった。

 「お待たせしてごめんなさい、イセルくん」

 「いや、こちらも今この部屋に通されたばかりだ。気にしないでくれ」

 腰掛けていた状態からすぐに立ち上がり、気さくな調子でイセルが答える。

 「ありがと。そう言ってもらえるとありがたいわ。どうぞ、座って座って」

 鏡花の言葉に甘え、イセルは再びソファに腰掛ける。テーブルを挟み、鏡花もイセルに向き合う形で座った。

 「いきなり呼び出してごめんなさ……あれ」

 「ん? どうした?」

 快活な笑みのまま口を開いた鏡花だが、ふいにキョトンと、気の抜けた表情を見せる。

 「芳麻さんは? 一緒じゃないの?」

 「……キョウカ殿が俺だけを呼んだんじゃないのか? 少なくとも『めえる』が届いていたのは、俺の端末だけだったが」

 懐から学生証端末を取り出し、イセルは小首を傾げる。

 学生証端末は魔導士学校の生徒全員に支給される、超小型多機能デバイスだ。授業の出席は教室に備え付けられた読み取り機リーダーに、この端末を認証させることで行われる。また、学校からの連絡事項はこの端末を通して生徒たちに送達される。そして学食や自販機の支払いなど、構内で行われる金銭的な遣り取りもこの機器を通して行われる。

 イセルが今この部屋に居るのも、この日の授業を終えたイセルが麗菜と帰宅しようとした際に、自身の端末に鏡花からのメールを受け取ったためだ。

 「おかしいわね、二人に送ったはずなんだけど……」
 
 やや戸惑った様子で、鏡花もポケットから自身の端末を取り出す。そしてしばらく画面を操作した彼女は、「しまった」といった表情で眉根を寄せた。

 「あちゃー、気付かなかったな。芳麻さんに送ったメールだけ、送信エラーになっちゃってたわ」

 随分と砕けた調子で、鏡花は苦笑いを浮かべる。

 「えらあ……? よく分からないが、こちらから呼び出そうか? レイナは図書室で待つと言っていたから、まだ校舎内に居ると思うが……」

 イセルの提案に、二、三秒程度逡巡した様子を見せた鏡花は、すぐに普段の笑みを取り戻して言う。

 「図書室からここまではそこそこ距離あるし、いいわ。それにイセルくんだけなら、言葉を選ぶ手間も省けるから大丈夫。お気遣いどうも」

 「……レイナには、あまり話せない内容か?」

 鏡花の言葉に、訝しむように問いを投げる。だが軽く手をヒラヒラと振って、鏡花は否定する。

 「私がここの学校長である以上、生徒である芳麻さんはある程度緊張しちゃうじゃない? そうなるとこっちまで気を張らなくちゃいけないから、少し面倒なのよ。こんな風に砕けた調子で接するには、私もあの娘も、まだお互いそんなに打ち解けていないし。その分あなたなら取り繕わないでいい分、気が楽なのよ」

 「一応俺も、この学校の生徒になったんだが?」

 「私が学校長だからって、萎縮するようなタマじゃないでしょあなたは」

 おどけながら言うイセルに、鏡花もクスクスと楽しげな笑い声をあげる。

 「だから別に、芳麻さんに聞かせて困る内容じゃないから、あとであなたの口から伝えてもらえると助かるわ。ほんと、最近気を張る相手ばかりだったから肩凝っちゃって」

 背もたれに体を預け、一度体を伸ばす鏡花。

 均整のとれた体。そのスタイルの良さは、普段のタイトスーツ姿からも目立っていた。それが更に大きく体を伸ばしたことで、女性らしさが一層浮き彫りになる。

 胴体から腰、そして脚へと、なだらかな曲線を描いて流れるライン。胸元の丸みはやや小ぶりだが、形良い丸みは服を十分に押し上げている。

 突如晒された美景に、イセルは思わず息を呑んだ。

 「ん~~っ、と。失礼、お見苦しいところを……どうかした?」

 相当気を許しきっているのだろうか。鏡花は青少年の絶句の理由に思い至ることもなく、気の抜けた声でイセルに問う。

 「い、いや。なんでもない。ええと、キョウカ殿……」

 軽く狼狽えかけるが、イセルは持ち前の強い精神力で生真面目な表情を形作る。鏡花は小首を傾げて、イセルの言葉を待つ。

 「――すまない。それから、ありがとう」

 鏡花の疲労の原因は、間違いなくイセルによるものだった。元々の学校長という役職、その職務と責任は重いものだ。その上異世界からの来訪者であるイセルの身辺を固めるために、鏡花がどれだけ奔走してくれているのかなど想像するのは容易い。

 それらに対する申し訳なさと、そして心からの感謝の思いから出た言葉だった。

 イセルの言葉に目を丸くした鏡花は、やがて柔らかな笑みを見せる。

 「言ったでしょ? 大人である以上、私には子ども――つまりは生徒であるあなたたちを守り、教育する義務があります。これくらいなんともないわよ。感謝は受け取るけど、そんな気遣いするなんて十年早いわ。

 それにその分、あなたのことは利用させてもらうつもりなんだから。この疲れは、そのための事前投資みたいなもの……ということで」

 あくまで気さくな調子を崩すことなく言う鏡花に対し、イセルもまた、安心したように微笑んだ。
 
 応接室の扉がノックされ、一人の女性が入室する。以前イセルを図書室まで案内した事務員だった。

 「ありがとう。まあとりあえず、くつろぎながら気軽に」

 事務員は湯呑をテーブルに置いて、軽く会釈しながら退室する。それを見届けてから、イセルは目の前に置かれた湯呑に目を向ける。

 「ん? どうかしたの?」

 固まった表情を見せるイセルに、鏡花が疑問符を言葉と表情に貼りつける。

 「これは、薬湯か? いやだが、こんな透明な薬湯は初めて見るが……」

 「え? お茶よ? あなたが居た世界には無かった?」

 「茶? これが? 茶ってもっとこう、赤茶色だろ? こんな薄緑色の茶なんか見たこと……というかすごいな茶か。こんな高級品、王宮に居た頃はともかく、戦い始めてからはほとんど口にしたことないぞ」

 「あ、そういうことか。この世界だとお茶って、紅茶と緑茶に大きく分かれてるのよ。イセルくんが言っているのは多分紅茶のことね。どうする? 変えてもらう?」

 「大丈夫だ。せっかく出されたんだから、文句を言うつもりはない」

 湯呑を持ち、恐る恐るといった表情でイセルは口をつける。控えめに啜ったあと、感嘆と安らぎが込められた、穏やかな嘆息がイセルから漏れた。

 「……なんだ?」

 ふと目の前の鏡花に目をやったイセルは、面白がるようにニンマリと笑みを浮かべる彼女に向けて、やや不機嫌な声をかける。

 「別にー? ただ、『お味はどう?』って聞こうと思ってたのに、聞くまでもない分かりやすい表情をしてくれたから面白くて。イセルくんって、案外表情や反応に出やすいタイプよね」 

 「……この世界は料理然り、茶然り、人が口に含むものに関して力の入れ様が尋常じゃない。ここまでくると呆れるぞ」

 クスクスと小気味よい笑い声を零す鏡花。これに対して気恥ずかしさを隠すように、世辞だか文句だか分からない言葉を、イセルは嘯いた。





 そこからしばらくは、人生初となる学生生活に対する所感について鏡花が問い、イセルが答えた。初っ端の授業から睡魔に襲われたこと、その他の授業についてのそれぞれの感想、他の生徒から遠巻きに眺められること――。

 イセル本人としては淡々と語っているつもりでも、表情はとても活き活きとしており、それを聞く鏡花の表情はとてもにこやかだった。

 「――貴重な意見ありがと。やっぱり魔法関連の授業は、あなたにとって低いレベルの内容であるみたいね。年齢で言うなら本当は芳麻さんたちよりも一個上の学年なんだけど……」

 「構わない。内容はともかく、同世代の者と大勢で机に向かうという行為自体が新鮮なんだ。それだけで十分、俺は貴重な経験をしている。
 それにまだ学生に対する講義や授業だ。実戦経験を経た俺には多分どの授業も安っぽく感じるのはしょうがないことだろう」

 「言ってくれるわね。流石は世界を一つ救った英雄……失礼、勇者さまってところかしら?」

 英雄という言葉を口にし、鏡花が言い直す。そんな心配りをありがたく思い、イセルは微笑む。

 「そんな訳だから、レイナと同じ内容の授業を受けるという今の状況で文句はない。周りの連中とは……まあ、そのうち打ち解けられるだろ、多分。

 ところで今回呼んだのは、こうやって茶会を開いて雑談をするためか? 俺はそれでも構わないが」

 「ああ、そうだった」

 本来の目的を促すイセルに、今思い出したと言わんばかりに鏡花は目を開かせる。そして姿勢を正し向かい合う鏡花は、その微笑みに、幾ばくかの誠実さを伴わせる。雰囲気を変えた彼女を見て、イセルもこれまでの緩んだ心地を引き締め直した。

 「土日に少しお話したけど、あなたの考証会の日取りが決定しました。この国では来週の土曜日からゴールデンウィークって言って、一週間以上連休が続く期間があるの。考証会はそれが明けてからに決まったわ」

 イセルという存在を日本魔導士協会及び政府が外部に向ける発表には、イセルが日本に属する存在であるということを表明し、また日本魔導士協会の実績であるとアピールするという側面もある。

 故に本当に異世界の存在なのかという証拠を確たるものにするため、召喚魔法の権威や記憶解析魔法のエキスパートを呼んだ考証会が開かれるというのを、イセルは鏡花から聞かされていた。

 「ごおるでんうぃいく……そんなものがあるのかこの国は。しかしそれが始まるのは来週からで、そこからさらに一週間以上空いて……となると、二週間以上後か。俺は別に構わないんだが、そんなに時間を空けて構わないのか?」

 遅くても四月中には行われると考えていたイセルは、素直に疑問を告げる。

 「この国の魔導五大家の一つ、晶洛院しょうらくいん家。魔導士としては十二代を重ねる一族であり、日本が世界に誇る、召喚魔法の泰斗たいとよ。現当主は今国内に居なくて、帰ってくるのがGW明けなの」

 「五大家……ああ、有栖野を含めた、この国で古い魔導士の家系だったか。確か空羅覇に、有栖野に、今の晶洛院に、ええと……」

 「古い家系から順に、
 現当主の孫を含めて十九代となる空羅覇くらは家。
 同じく現当主の、こっちは息子を含め十六代の魔導士を輩出する宝仙堂ほうせんどう家。
 んで、あなたも良く知る十三代の有栖野家。

 あとははや家と晶洛院しょうらくいん家。この二つはどちらも、十二代の魔導士の家系。

 以上、合わせて魔導五大家。イセルくんの考証会には、晶洛院以外の五大家の関係者も検分に参加します」

 「空羅覇のご老体はともかく、他の家の者が、有栖野のような輩じゃないことを祈るよ」

 肩を竦めるイセルに、同情するような苦笑を見せる鏡花。

 「気持ちは分かる。でもあそこまで尊血派をこじらせてるのって、昔はともかく今じゃ有栖野家くらいよ。それから晶洛院含めて、他の五大家の子息はみんなこの学校に在籍しているわ。彼らもGW明けに帰ってくるから、近いうちに会えるかもね。

 報告は以上になります。何か質問は?」

 「……いや、特にない」

 「そ。じゃあ、今日のお話はこれで。長々とお付き合いいただき、ありがとね。あとで私からも謝罪がてら、考証会についての内容を芳麻さんにメールで送っとくけど、あなたの方からも伝えてくれると助かるな」

 「分かった。ありがとうキョウカ殿」

 そう言ってイセルが立ち上がり、ドアまで歩いて退室しようとした。

 「イセルくん」
 
 呼び止められて、イセルは振り返る。

 「芳麻さんはどう? あなたの目から見て、今のあのはどう見える?」

 柔らかな笑顔のまま、隠す気もない興味を輝かせて鏡花が問う。

 「レイナ? そうだな……」

 鏡花の質問の意図を汲めなかったのか、声のトーンが少し上がる。だが訝しむこともなく、イセルはしばし逡巡する。

 そうして少年が次に浮かべたのは、晴れやかな笑みだった。

 「昨日はほぼ一日、魔法の練習だったり、勉強に付き合っていたが、俺の目に狂いはなさそうだ。レイナはいい魔導士になる。

 確かに魔力量以外に、特筆するような才能はない。最適属性は『皆無』、そして魔力を持て余しているおかげで、まだまだ魔力操作や力場制御に難はある。

 だけどレイナは、これまで諦めることなく努力し続けていた。魔法陣の展開の練習をずっと続けていたから、そこに関しては速い。交響魔法陣なんていう高難度の魔法陣であっても、正確に描ける。
 勉学も怠ることなく、知識量は申し分ない。そしてそれに甘んじることなく、なお貪欲に知識を得ようとする向上心もある。

 積み重ね努力できる忍耐力。強い信念。それに何より、あの娘は優しい。最高の魔導士になるために必要な素質は、十分に持っている。

 この俺が、『白銀の煌剣』が認めた魔導士だ。必ずこの世界で一番の魔導士にしてみせる。

 もっとも。この『白銀の煌剣』を使い魔にしている時点で、どんな相手が来ようとも負けることは……」

 饒舌に語り続けるイセルは、ふと言葉を止める。ジトッ湿った視線を向ける先――鏡花の顔に、ニヤニヤと下世話な、ともすれば意地の悪い笑みが浮かんでいた。

 「……なんだ」

 「いやー、別にー? 随分と嬉しそうに、それこそ我がことのように語ってくれるなーと思って」

 「……失礼する」

 からかいの意図を前面に出して言う鏡花。顔を赤らめたイセルは不機嫌そうに顔を顰め、今度こそ応接室を後にした。







 

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