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螺旋階段は同じ所を通らない

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「……真壁さんが褒めてくれるの、嬉しいです。でもごめんなさい、優しさに付け込むような態度を取ってしまって」
「付けこまれてるとは思わなかったけどな。上手くいかなくて落ち込む事なんて、誰にでもあるよ」

 真壁は先程まで、宮下を自分と同じ人間とは思っていなかった節がある。仮に同じ人間だったとしても、自分とは別の世界に生きている人だと区別していた。
 彼の剥き出しの弱い部分を垣間見て、真壁の考えは少し変わりつつあった。宮下が悩み自己嫌悪する姿は、自分と同じだと思えるようになってきたのだ。
 彼も人の期待に応えようと努力している。その結果が表に出ているだけだ。何でもそつなくこなしているわけではない。

 真壁は宮下の頭にそろりと触れる。今まで彼を誤解し、やっかんで傷つけてしまった罪滅ぼしだと思って、労わるように撫でた。
 年下の友人は、目を丸くして俯きながらも、その手を受け入れた。その表情が柔らかくなっていくにつれて、真壁の頭はどんどん冷静になっていく。

 ……これは友人相手に取って良い行動じゃないよな? スキンシップとして許されるのか?
 
 今度は真壁が顔を青くする番だった。引っ込めようとした手は、宮下の大きな温かい手に包み込まれて、動きを阻まれる。じわりと汗の滲んだ手が、宮下の頬に押し付けられた。彼の目は真っ直ぐに真壁を射止めている。

 宮下の鋭い視線に、先の行動を咎められているような気まずさを感じた。彼の目も口も緩んでなどいない。……だったら、優しい表情で真壁の手を受け入れていた先程の彼は、一体どんな気持ちだったのだろう。彼は今、何を考えているのだろう。
 尋ねることは簡単だ。後のことさえ考えなければ。この状況で本来質問するべき立場なのは宮下であって、真壁ではない。
 最悪の想像の中にいる宮下は、嘲笑いながら真壁を問い質している。どれもこれも、答えに窮するものばかりだ。

 男の頭なんか触って何が楽しいんですか?
 どんなつもりで俺の頭を撫でたんですか?
 真壁さんってもしかして、俺のことそういう目で見てるんですか?

 刺さる視線を受け止めるのが辛くて、またフローリングが視界に入る。
 普通の同性間の友人関係が、仲の深め方が全く分からない。どうすれば怪しまれずに友人としていられる? 上辺だけの付き合いから脱却するには、どうすれば良いんだ?
 宮下に恋愛感情を抱いているのがいけないのか? 友人として傍にいたいと願っていても、恋慕の情を抱いてしまったら、適切な距離を保つのは不可能なのだろうか。隠していても、ふとした拍子に表に出てきて、判断を狂わせてしまう。そんな感情を飼いならして平然と振舞えるような人間ではないのに、欲張ったのが間違いだったのか。

 真壁の右手は、未だ温もりに束縛されている。
 最悪の想像に絡めとられる前に、早く断罪してほしい。
 今、宮下はどんな顔をしている?

 徐々に視線を上げていくと、真壁の右手が重力に従って落下した。右手が外気に晒されて、湿った手のひらの温度が下がる。
 宮下は、いつもの清潔感のある爽やかな微笑みを浮かべていた。……業務用の笑顔と見分けがつかなくて、真壁の体は急速に冷えていく。

「ごめんなさい、真壁さん。まさか頭撫でられるなんて思わなくて、びっくりしちゃいました」

 宮下の上ずった声に、彼が本当の気持ちを覆い隠していることを察知した。気持ち悪がられて罵られるよりも恐ろしい。どんな感情が裏側に隠れているのか、想像せずにはいられないから。

「ごめん。嫌だっただろ」
「嫌ってことはないですけど、頭撫でられるのなんて久しぶりで。ほら、俺って身長あるでしょ? 手、届かないから」

 顔の横で手を振るジェスチャーをしながら、宮下は無邪気に笑う。その笑顔すら作られたもののように思えた。
 気を遣われている。疑われている。全ての言葉が、恐ろしい推測を補強する内容に変換されていった。
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