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螺旋階段は同じ所を通らない

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 地下鉄の最寄り駅から帰途に就いた。ふわふわしていた頭の中と足取りが、段々冷静になっていく。
 歩いていると記憶力と思考力が活性化すると聞いたことがある。考え事は歩きながらした方が、良いアイデアが浮かぶ……らしい。真壁は、宮下の家に行ってから起きた一連の出来事について思いを馳せていた。
 今日は考えたくもない程たくさんの失態を犯した。僻み根性を発揮して宮下の地雷を踏むような発言をした挙句、仲直りした途端に馴れ馴れしくして勝手に疑心暗鬼に陥った。過去に戻れるものなら戻りたいし、自分を殴りつけてやりたい。あの失態がなかったら、自己嫌悪や後悔とは無縁のまま、穏便に宮下と過ごすことができたはずだ。
 けれど、その数々の失態がなかったら、宮下に触れることもできなかった。軽い髪の感触も、大きな手の温かさも知ることはなかった。近くで顔を見ることもなかっただろうし、彼の優しさも苦悩も知らないままだった。明らかに友人として一線を越えかけた真壁の行動を受け入れて、不安でぐらつく心に寄り添ってくれた。宮下の良いところをたくさん知ることができた。
 ……悪いところも、少しだけ見せてくれた。ちょっと捻くれてて、卑屈なところ。それだって十分許容範囲内の、可愛げのある一面だ。
 
 人とぶつかるのは怖い。嫌われるのは怖い。何事もなく仲を深められるなら、それが一番良いに決まっている。多分、誰だってそう思っている。喧嘩したあと仲直りするなんて言うのは簡単だが、そうできる物でもない。仲直りするには、相手と自分の嫌なところに真正面から向き合って辛い思いをする必要がある。そんな辛い過程を経たとしても、上手くいくかどうかは別の話だ。それよりも、離れて別の人を探す方が楽に決まっている。真壁はずっとそう思ってきたし、そのように行動してきた。
 その考え方は間違っていた。真壁の中で、宮下の存在は大きなものになっている。彼を好きだという気持ちが膨れ上がっている。人との接し方に失敗して良かったとは思わないけれど、宮下の内面を知るきっかけができたのは良かったと思っている。

 今まで真壁が疑って恐れて離れていった人達とも、もしかしたら関係を修復する余地があったのかもしれない。誤解を解けなかった大学時代の友人。職場の同僚。……大学時代の、恋人。そう考えると、どうしてもっと努力できなかったのだろう、どうして逃げ出してしまったのだろうと後悔が募る。けれど、この後悔が生まれたのも、今日宮下と過ごしたお陰だ。

 宮下のことが好きだという気持ちに蓋が出来なくなっていることに、真壁は焦りを感じていた。もっと傍にいたい。ずっと一緒にいたい。好意を覆い隠したまま友人として共にいるには、真壁の気持ちは大きくなり過ぎている。
 では、宮下にこの気持ちを伝えるか? 今日は近い距離に心をときめかせたりもしたけれど、彼は十中八九異性愛者だろう。応えられない想いを伝えて困惑させて、気持ち悪がられて、双方心に傷を負うような事態は避けたい。彼は想い人である以前に、大切な友人である。それはお互い同じ認識のはずだと真壁は信じていた。

 最寄駅から徒歩十分の真壁の家まで、あと少し。その前に、この堂々巡りの思考を打破するための解決策を思いつきたかった。

 彼と一緒に居るためには、この恋は実らないのだと割り切るしかない。彼への恋心を打ち消すために、別の男を探そうか。ただ、失敗する気しかしない。
 二年前、人恋しさに負けて出会いを求めていた時期があった。結果的に、恋人を作ることは叶わなかった。
 外で会っているときは周りの目が気になる。知り合いが見ていないかどうか気になって、必要以上に距離を取り、頑なな態度を取ってしまう。お互いの家やホテルなど、二人きりの空間に入ったと思ったら、今度は相手のことが信じられなくなった。こいつもいつか俺のことを裏切る、世間体を気にして俺のことを捨てるに決まってるという想像に囚われる。

 真壁は頭を振った。さっき、人との関係から逃げ出してきたことを後悔したばかりじゃないか。勇気を出してマイナス思考から脱却しなければ、一生このままだ。

 自宅の玄関に足を踏み入れた真壁は、一直線にベッドに向かって身を投げ出した。1Kという時点で、宮下の家とは比べ物にならないくらい狭い。部屋の中央部は物がないけれど、物は隅に固めておけば綺麗に見える理論で作られた見せかけの美しさだ。部屋の端には荷物や本やゲームが散乱している。一応、用途ごとに分けて置いてはあるのだが。
 一休みしてから晩ご飯のことと、今後のことを考えよう。マッチングアプリでもインストールしてみるか。どんな相手と出会ったとしても、宮下と比べて冷めてしまうかもしれないけれど……。胡乱な考えに耽りながら、真壁は音楽プレーヤーに手を伸ばす。辛いことがあった時、ずっとこれに助けてもらっていた。
 流れてくるのはスパイラルの曲だ。君の傍にいる。そんな平易で素朴な歌詞なのに、ギターとベースとドラム、そしてハイトーンの歌声に支えられて、真壁の心に寄り添ってくれる。大丈夫だ、この曲さえあれば。そう思っていた。

 宮下の家で見たDVDで演奏されていた曲が流れる。自然とハミングしてしまう。
 あの時の宮下の微笑みが脳裏に過る。いじけた可愛らしい表情。縋るような瞳。刺すような視線。触れた髪の軽い感触。手の温かさ。

『もっと、撫でてほしいなあって思ってました』

 甘えたような、低い声。手を引かれて、顔が近づいて、それで――。

 真壁は我に返って起き上がった。曲が全然頭の中に入ってこない。それどころか、脳内を占めるのが宮下の記憶あるいは彼についての妄想であることに、歓喜どころか絶望すら覚える。
 これが条件反射というやつか? 俺、この曲好きなのに? この曲に人生を支えられたと言っても過言ではないのに、これを聞くだけで叶わない恋の相手を連想するような状態になってしまったのか?

「……諦めるの、無理かもな」

 自然と、自嘲の笑みが零れた。
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