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螺旋階段は同じ所を通らない

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 違う。宮下は友人として、これからも末永いお付き合いをお願いしますと言っているのだ。それに対して、思い違いがあったとはいえ、真壁は「えっ」などという、否定の意味にもとれる見当違いの返答をしてしまったのだから、宮下の顔が見る見るうちに青くなっていくのは当然のことだった。真壁は慌てて気持ちを切り替え、精一杯の笑顔を作る。

「違うんだ。『お付き合い』とか言われて、変な意味で受け取っちゃってさ。ごめん、おかしいよな。疲れてるのかも。俺こそ、これからもよろしくな」
「俺の言葉選びが悪かったですね、すみません。……そういう意味でも、俺は構わないんだけどな」

 捲し立てるように失態を誤魔化す真壁の耳に、聞き捨てならない発言が飛び込んでくる。真壁は頭が真っ白になった。

 希望的観測が齎した幻聴か?
 それとも、本当に宮下が口から漏らした言葉なのか?

 真壁が判断に迷ってまごついている間にも、宮下は爽やかな笑みを崩さない。もう一度、言葉の意味を問おうか――意を決した瞬間に、宮下の背後から笹原が駆け寄ってきたので、真壁は狼狽えた。

「真壁、お客さんが呼んでる。医薬品のことを聞きたいってさ」
「分かりました。えっと……宮下くん、申し訳ないけど、ちょっと待っててもらっていいかな」
「ああ、そろそろ失礼するので大丈夫ですよ。俺も、長い間居座ってしまって申し訳ないですし」
「えっ、あ、でも」
「またメールするので。今まで本当に、お世話になりました」

 宮下は有無を言わさぬ態度で話を打ち切り、休憩室から退室する。
 真壁もそのまま立ち竦むわけにはいかず、短白衣を着て売場に出ていった。


***


 更に捗らなくなってしまった業務を何とか終えて帰宅した真壁は、ここ一週間で一番の疲労感に襲われていた。
 宮下は、どういう意味だと思って、そういう意味と言ったのだろうか。自分から「変な意味」と言っておきながら、真壁は曖昧な指示語と不安に頭を埋め尽くされていた。宮下の言葉への期待と、真実を探って落胆したくないと思う臆病な心が衝突して収拾がつかない。
 このままではいけないという危機感が真壁の中で増していく。宮下への好意を自分から断ち切るのは最早不可能で、それに纏わる悩みが日常生活に影響を及ぼしているからだ。
 いっそ玉砕覚悟で告白して、すっぱり諦めた方が良いのかもしれない、とも思う。幸か不幸か、宮下は今日で異動になったのだから、もし彼との関係が拗れたり上手くいかなくなったとしても、職務に影響を及ぼす可能性は低い。
 かけがえのない友人は永遠に失われるかもしれない。宮下という一個人と繋がりを保っていたいという気持ちは、まだ真壁の中にも残っていて、決意を揺らがせている。しかし、いずれにせよ、今のままでは健全な友人関係を築くことは不可能だと真壁は理解していた。

 宮下はまたメールをすると言っていたけれど、スマートフォンからそんな気配は感じ取れない。やきもきしている間に時間は過ぎていって、夜の八時になっていた。
 折角早番で仕事を上がることが出来たのに、時間を無為に過ごしてしまった。食事の準備もしていない。今日は外食にしようと外出の準備をしていると、メールの着信音が鳴り響く。宮下だと直感して内容を確認すると、予想は的中していた。真壁に貸していたライブDVDが必要になってしまったので、近いうちに返してほしいという内容だ。
 真壁の心の中に、宮下への罪悪感がじわじわと満ちていく。わざわざ催促させてしまったことが申し訳ない。最後にきちんと見てから返そうかとも思ったが、今の揺らぐ精神状況では同じことの繰り返しだと判断し、断念した。後日自分で手に入れられるよう、品番やタイトルを控えておく。
 これは、宮下との関係に終止符を打つ丁度良い機会かもしれないと、真壁はうっすら感じていた。
 真壁は、迷惑でなければ今から返しに行くとスマートフォンへ打ち込み、返信する。宮下から承諾の返事が来たので、真壁はDVDをビニール袋に入れて最寄り駅へ足を運んだ。
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