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面倒なものほど愛おしい

◎7

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 一度その気になった体は、微かな刺激も全て拾って快感に変えていく。内股を撫でる指の軌跡、耳元にかかる熱い息、慣れない指輪の硬さにすら宮下の存在を感じて、鼓動が早くなる。
 宮下の体が離れる度、その背を引き寄せて懐に連れ戻す。繋がるための準備をするのに必要なこととはいえ、一瞬でも温もりを手放したくない。ただ傍にいて肌を触れ合わせていたいというあどけない願いはそのままに、すぐ貫いてほしいという淫らな欲望がじわりじわりと存在感を増していく。
 惑わせるように周囲をなぞる湿った指が、焦れた腰の動きに合わせて中に入り、内壁を押し広げる。真壁の反応を見ながら緩急を付ける指の動きは、丁寧で抜け目がない。
 
「あ、あっ……は、うぅ」
「……ほしい?」

 薄く唇を開きながら微笑む口元は、ずるいと思うほどに色っぽい。問いの答えなんて一つしかない。愛する彼を受け入れる以外の選択肢は念入りに塞がれた後だったし、それ以外の道を選ぶ気なんて元々なかった。
 真壁が徐に頷くと、満足そうな笑みは更に深くなった。指を引き抜かれ、ひくつく箇所に熱い塊が宛がわれ、期待で呼吸が浅くなる。中を味わうようにゆっくりと押し入られて、望んだ快感に両脚が強張った。

「っ、あ……はあっ、んっ……」
「っ……ごめん、痛かった?」
「だ、だいじょうぶ」
「それじゃあ、足の力、抜いて」
「え、でも……ん、う……!」

 太腿を掴まれ、可動域を広げるように少しずつ揉みほぐされていく。次第に両脚が脱力していくのが、待ち遠しくも恐ろしい。
 いま力を抜いたら、少しでも動かれたら絶対に耐えられない。すぐに果ててしまう。でも、そんなこと伝えられるわけがない。自分がどれだけ欲求不満だったのか宮下に知られるなんて、顔から火が出そうだ。
 
「ごめん、もう無理。動くね」
「え、あ……! だめ、待って……」

 真壁の返事を聞く前に中を穿ち始めた宮下の表情には、先ほど見られたような余裕はなかった。その切羽詰まった様子が、余計に真壁を焦らせる。容赦なく奥を突き、内部をかき乱す刺激にどうにかなってしまいそうだった。
 快感の波に抗おうと宮下の広い背中を掻き抱いたとき、中がどくりと脈打った。自分の意志などお構いなしに体が弓なりに反って、中の宮下を締めつける。熱くて、痺れて、気持ちいい。頭の中を占めていた恥ずかしさが、全て白く塗りつぶされていく。

「あ、ん、だめ、あっ……」
「……っ、ごめん、加減、できない」

 真壁が達した後も、宮下は動きを止めなかった。本能を抑えつけられずに眉をひそめる切ない表情が、真壁の心を捕らえて離さない。腰を掴む手は力強いのに、何度もかけられる謝罪と気遣いの言葉は優しくて、気が遠くなるほど愛おしい。
 消えかけの火種のように燻る体が、冷めることを許されないまま揺さぶられ続ける。再び火が付き熱を持ち始めたところで、一際深いところまで突かれ、宮下が達したのが分かった。覆い被さってきた愛しい体を弛緩した両腕で受け止め、真壁は大きく息を吐いた。

***

 遠くで金属製のドアが閉まる音がして、意識が覚醒した。体が重くて怠く、起き上がるのも億劫だ。
 ころ、と寝返りを打ってはじめて、横に馴染んだ温もりがないことに気づいた。……一人で起きたのか? あの、低血圧でなかなか目を覚まさない、愛しい恋人が。満たされたはずの心が、不安に侵食されていく。目を開けたら、部屋の中から宮下の痕跡が全てなくなっているのではないか。
 悪い想像を振り払うように拳を握りしめると、左手に小さな硬さが引っかかった。その確かさが、真壁を徐々に落ち着かせる。――宮下も社会人だ。一人で起きられるに決まってる。あの寝起きの悪さは、いずれ真壁が起こしてくれると気を抜いていたことによるものだろう。
 冷静さを取り戻し、ぱちりと目を開き、部屋の中を見回した。水色の掛け布団のベッドはもちろんのこと、ダークブラウンの本棚も、漆黒のデスクも、そのままの配置で真壁の存在を受け入れていた。そういえば、今日はゴミ捨ての日だったような気がする。腰がじりじりと痛むのを我慢し、立ち上がった。寝室から出ようとドアノブに手をかけると、扉は軽い力で呆気なく開いた。少しぽやっとした、寝起きの宮下の笑顔には、昨日見せたような激しさは欠片も残っていなかった。

「あ。おはよう俊明さん。起きて大丈夫?」
「お、はよ。悠人くんが、いなかったから」
「ああ、ゴミ捨てに行っただけだよ。……俺だって、先に起きることぐらいありますよ。いつまでも寝てるわけじゃないんです」

 唇をとがらせて拗ねる宮下は可愛げがあって、ついからかいたくなってしまう。けれど、可愛いなんて口にしようものなら、更に彼が不機嫌になってしまうことは分かりきっている。そんなところも可愛いのだけれど、今は宮下を労ってやるのが筋だろうと、真壁は頬の筋肉を引き締めた。

「ごめんね、分かってるよ。ゴミ捨ててくれてありがとう」
「俊明さんの担当って決まってるわけじゃないでしょ。俺こそ、いつも任せちゃってすみません」

 お礼と謝罪のやりとりもそこそこに、リビングのソファに並んで座って、買っておいた惣菜パンをかじる。 
 今日は、書類上の自宅にいったん帰るつもりだった。家の片付けだけでなく、転居届などの公的な書類の提出、職場への諸々の申請など、なるべく早めに済ませておくための準備をしておきたい。心を決めてから、やるべきことが一瞬にして積み重なった。けれど、不思議と気分は晴れやかだ。迷うことがなくなったからだろうか。
 たまごロールパンは早々になくなり、ミニウインナーパンに宮下が手を伸ばした。手のひらサイズの少し甘みのあるパンの中に、これまた小さなウインナーとマヨネーズが入っているのだが、宮下がこのパンを好んでいることを知ったのは一緒に暮らしてからだ。この七個入りのパンを食べるときは、お互いに三個ずつ食べて、残りの一個を宮下に譲るのがお決まりになっていた。「ありがと」と小さく呟く彼の律儀さや、顔全体に薄く広がる喜びの色を感じたくて、真壁は買い出しに出かける度にこのパンを買ってしまうのだった。

 宮下と暮らす中で日々感じる細やかな幸せにも、いつか慣れる日が来るのかもしれない。それでも、幸福がなくなってしまうわけではない。日常に組み込まれて、生活の一部になっているだけなのだから。
 袋の中のパンの数が一個になって、宮下が控えめな視線を寄越してくる。彼の言いたいことはもう分かっている。真壁は笑顔で軽く頷いて、袋を宮下の方に寄せた。
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