味覚亭

滝本潤

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覚醒~営業初日

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 三十七歳のみずが、引きこもり二十年の間にたくわえた料理の知識と技術。その三六五日×三食×二十年=二万一千九〇〇食に加えて時間の余裕がたっぷりあった瑞樹が自宅の冷蔵庫の中の食材だけで考える創作料理は、ゆっくり時間を掛けて成熟せいじゅくしていった。
  母と父は、十七歳で高校を中退した瑞樹が二十年もの長い期間かけて作った料理の唯一ゆいいつの客の様な存在でもあり厳しい評論家でもあった。
  高校を中退した時に、瑞樹は両親に未来の青写真を語っていた。
「俺は、これから一歩も外出しないけど、いつか時が来たら食堂を開業する!」
  そんな瑞樹の主張を両親は、黙って受け入れて二十年間瑞樹の作る料理を食べ続け、時には厳しく批判して、
「もう少し、片栗粉でとろみをつけた方が食材同士が絡み合うぞ!」
「こんな、不味いものはお金を払ってまで誰も食べんぞ!」
「塩加減が足りないし、何も舌の上でハーモニーをかなでていない!」
  容赦なく、でも愛情たっぷりに瑞樹の料理を細かく指導した。

  そもそも、母は料理研究家として父は中華料理店の店主だった事も有り瑞樹は幼い頃から両親が作ってくれる料理を食べながらその味覚を鍛えられていた。
  いつか、父や母のように美味しい料理を自分も作りたい。
  瑞樹は、一人息子として将来は料理に携わる道を選ぶだろうと彼自身も含めて信じていた。
  二十年間引きこもっていた瑞樹は、好きなだけ料理を作って自ら食して完成したレシピを自分の頭の中だけに刻み込む作業を繰り返していた。
  その包丁さばきや、味付け、下ごしらえなどの料理人としての技術やノウハウは両親のDNAを引き継いだように素晴らしいものだった。
  スイーツを作り始めたのは、二十五歳からでシュークリームやプリン、アイスクリーム、ガトーショコラなどを習得し、生地をねから作る食パンを始めとしたパン作りの技術や知識も三十歳までにマスターしていた。
  毎朝五時に起きて夜九時に寝る規則正しい生活習慣も、家族や自分の為に毎日三食+デザートを作る為についやす時間を有効に使うためだった。

  父と母は、料理を作るだけではいけないと洗い物や後片付けもしっかりと瑞樹にやらせた。常にせいけつを心がけて毎日両親は、瑞樹のつめが伸びていないか?手洗いや入浴、歯磨き、ひげりを毎日欠かさず行っているか?チェックを欠かさなかった。
 散髪さんぱつは、父親がいつも短く整えてくれていた。
  資金は、家事手伝い料として両親から貰っていた小遣い二十年分の約五百万円。
  瑞樹は、三十七歳にして遂にその能力を発揮する舞台と準備を整えた。

  千葉市中央区。飲食店がひしめき合うこの土地で瑞樹は自分の店「味覚みかくてい」をオープンさせた。
  二〇一六年五月一日。
「味覚亭」は、深夜0時にひっそりとオープンした。
  千葉駅前から少し離れた場所に瑞樹の店は在った。
 店舗は、路地裏のビルの地下1Fのフロアの一角に構えていた。
 瑞樹は、淡々と開店作業を終えて落ち着いた様子で客を待っていた。
 時間だけが、刻々と過ぎていく中、客は全く現れる気配が無かった。

  最初の客は、午前二時ごろに意外な形で現れた。
「あの、開いてますか?」
「はい、いらっしゃいませ!」
  瑞樹は、自分の店に初めて来店したその客をしっかりと見定めた。
 見た目だけで判断するに、それはホームレス風な身なりの中年の男性だった。
  カウンターの席に座ったその男性は、メニュー表を見ながらしばらく考え込んでいた。
「カレー味のチャーハンって作れますか?」
「えっ、カレーですか?」
「ドライカレーの様なチャーハンです」
  男は、メニューに無い注文をしてきた。
  瑞樹は、少し男の様子を見ながらしばらく考えて、
「作れますよ!」
 と答えて、準備を始めた。
「あと~、ビールを瓶で一本ください」
「瓶ビールですね、今すぐお持ちします!」
  瑞樹は、冷蔵庫から瓶ビールを一本取り出して冷凍庫でキンキンに冷やしたコップを添えて男性客に差し出した。
「おお~、キリンのクラシックラガーですかぁ~!」
 そう言って男性客は、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「いいですねぇ~~センスが!」
  瑞樹は、頭の中のレシピからカレーとチャーハンを取り出してその二つを融合させてレシピをそっきょうで頭の中に刻み込んで手早く男性客の注文したカレーチャーハンを作った。

「お待たせしました。カレーチャーハンとサービスのミネストローネ風スープです」

  自分の手元に届けられた料理をホームレス風のその中年男性は、ビールを飲み終えたばかりの丁度いいタイミングで運ばれてきた瑞樹の作った料理を興味津々に眺めていた。
「ビールの銘柄といい、冷やし具合や私がビールを飲み干すタイミングでスープまでサービスでメニューに載っていないカレーチャーハンを出すまでに約十分。素晴らしい仕事ぶりです!」
  男性客は、そう言ってまずミネストローネスープから飲み始めた。
「うんうん、とても美味しい」
「野菜の旨味が良く引き出されていますね」
  瑞樹は、笑顔で頷いた。
  続いてメインのカレーチャーハンを男性客はゆっくりと上品に食べ始めた。
「ほぉ~、なるほど」
  瑞樹は、少し不安そうな表情で男性客の反応を見ていた。
「カレーは、複雑な味が絡み合ってスパイスも良く効いている。チャーハンはオーソドックスではあるが、味に統一感がある。カレーのルーを適量しか加えていないのでネチッこくなくてパラパラ感を実現している」

  その後、男性客は一言も喋らずにカレーチャーハンとミネストローネを交互に食べ続けて十五分ほどで完食した。
「ふ~~~」
  男性客は、満足そうに体を背もたれに預けながらしばらくいんに浸っていた。

「ごちそうさまでした。最初から最後まで素晴らしいサービスでした!」
「ありがとうございます。嬉しいです!」
  瑞樹は、自分の店の最初のこの一風変わった客に深々と頭を下げた。
「お代は?」
「七百円です」
「七百円?いや、それは安すぎるよ!ビールも飲んだし」
「いえ、店の規定の料金ですよ」
  瑞樹は、笑いながらそう答えた。
  男性は、申し訳なさそうに千円札を一枚出して
「少なくとも、千円の価値はあった。サービスも味もね!」
「いや、今おつり三百円お渡ししますよ」
「い~~んだよ!商売、商売!」
「ごちそうさま!」
  そう言って男性客は足早に店を後にした。

  瑞樹は、手早く食器を片してテーブルをきれいに整えてから洗い物を始めた。
 時計を見ると午前二時半をちょっと過ぎたくらい。
 瑞樹は、さっきの男性客が食べたカレーチャーハンを頭の中のレシピに照らし合わせて一人で微笑んだ。

  深夜三時を回ったころ、二番目の客が来店した。
 様子を見る限り、水商売か?ふうぞくじょう?この時間に終わる仕事帰りに寄った客は大体普通の仕事はしていないだろうと瑞樹は思った。しかし、客のプライベートまで関心をもってはいけないと強く自分に言い聞かせていた。

  女は、子供を一人連れてきていた。多分どこかの深夜までやっている託児所かなんかに預けていたのだろう。歳は三十歳くらい。子供と思われる女の子は三歳くらいか?

「な~~んか、暗い雰囲気の店ねぇ~~」
 女は、顔にあざの様なものが認識できたが、とてもれいな顔をした美人だった。

「とりあえず、ビール一本とこの子に何かジュースでもちょうだい。あと適当につまめるものも」
「はい、かしこまりました」
  瑞樹が飲み物を準備し始めた時
「へぇ~~ここスイーツとかパンも置いてあるの~?」
  女は、メニュー表を見てそう言った。
「数量に限りは在りますが、全て私の手作りです。よかったらサービスしますよ」
  瑞樹は、ビールとオレンジジュースを女と子供のテーブル席まで運んでそう言った。
「サービス?ふん、かっこつけて!」
「サービスの漬物です」
  瑞樹は、ビールのつまみに自家製の漬物の盛り合わせを女に出した。
「サービス、サービスってしつこいよ!そんなにアタシが貧乏に見えるの?」
「いえ、決してそういうつもりでは……」
  瑞樹もこの女性客の扱いに少し困ってしまう。
「じゃ~ねぇ~、この店で一番高い料理ちょうだい!」
「かしこまりました」
  瑞樹は、そう言ってそそくさと厨房ちゅうぼうに戻った。
  二十分くらいで女性客の注文したメニューがテーブルに運ばれた。
「チャーシュー麺とお子様ランチセットです」
  女は、一瞬固まってしまったが直ぐに立ち上がって
「あんた、私たちを馬鹿にしてるの?」
「一番高い料理って、チャーシュー麺とお子様ランチ~?」
  瑞樹は、動じることなく
「当店では、お客様一人一人に合わせた料理を一番高い料理と位置付けております」
「お子様ランチは、この子の為なのはちょっと嬉しいけど……」
「私に対してチャーシュー麺って何よ!私はそんなに安い女じゃないわよ!」
  瑞樹は笑顔で対応していた。
「とにかく、冷めないうちに、お召し上がりください。お嬢ちゃんもね!」
「わ~、エビフライとオムライスとプリンも有るよ!ママ!」
  子供が喜んだことで母親も少し落ち着いて、静かに席に座り直して割り箸を手に取った。
「はい、あずみ。せ~のっ!」
「いただきま~す!」
  瑞樹は、ある程度もめるのを予想してチャーシュー麺の麺は固めにゆで上げておいた。
「美味しいっ!」
「おいし~!」
  親子二人ともそう叫んで、黙々と各々の料理を食べ続けた。
 時折、お互いの料理を交換したりもしていた。
 瑞樹は、その様子を微笑んでチラチラ見ていた。

「ごちそうさまっ!」
  母親が、瑞樹に近づいてきてそう言った。
「ありがとうございます」
  瑞樹は、深々と頭を下げた。
「おじちゃん、ごちそうさまっ!」
 あずみという女の子も瑞樹に近づいてきて大きな声でそう言った。
「はい、ありがとう」
  瑞樹は、また頭を下げた。

「お会計は?」
  母親が尋ねてきたので瑞樹は伝票を渡して
「お二人合わせて千五百円です」
「えっ!あんなに食べて?」
  母親は、伝票を見つめ直した。

「これは、あずみちゃんへのおじちゃんからのお土産だよ!」
  瑞樹はそう言ってシュークリームが三つ入った袋を女の子に手渡した。
「ありがとう!おじちゃん!」
「はい、こちらこそ!」
  そのやり取りを聞いていた母親は、少し目を潤ませながら
「私からのプレゼント!」
  と言って瑞樹の頬に軽くキスをした。
「あずみも~~!」
  そう言った女の子を母親が抱き上げてあずみという女の子も瑞樹の頬にキスをした。
「この店で一番高い料理は、そのお客様を一番幸せにする料理だと思っています」
  瑞樹は、かなり照れながらそう言って千円札二枚を受け取って五百円玉を取りにレジに向かった。
「また、来るねぇ~~!」
  そう言って親子は、お釣りを受け取らずに逃げるようにお店を後にした。
「参ったな……」
  瑞樹は、そう呟いて片付けと洗い物を済ませて少し幸せな気分に浸ってアイスコーヒーにミルクをたっぷり注いでゆっくりとそれを飲んでいた。

  時刻は、午前四時をちょっと回っていた。

 午前四時十五分ごろ、この日最後の客が店に現れた。
 その男性客は、背が高くて高級そうなスーツを身に纏って腕にはキラキラした数百万はするだろう腕時計をはめていて、髪形は整髪料でオールバックに固めていた。オーデコロンとは多分違うだろう品のある香水の様な香りが店の中の料理の匂いとミスマッチして不気味な空気が店内を包んでいた。
 瑞樹は、カウンター席に座ったその男性客を一瞥いちべつして冷やした炭酸たんさんのスパークリングの日本酒と自家製ピクルスの乗った小皿を用意して、
「お待たせしました」
 と言ってカウンター越しに差し出した。
 男性客は、少し怪訝そうな表情を浮かべて
「まだ、注文してないぞ」
 と言ったので瑞樹は
「お気に召しませんか?」
 割と平然とそう言い返してきた瑞樹を姿勢を崩しながら凝視ぎょうしした男性客は、
「いや、構わないよ」
 と言ってスパークリング日本酒とピクルスを口にした。
「う~ん」
 男性客は、そう言って瑞樹の顔を見つめて
「いいチョイスだね。何で俺の好みが分かった?」
 瑞樹は、軽く頭を下げて
「私の勝手なかんです」
 と答えた。
「じゃあ、俺は何も注文しないからその勘で料理を頼むよ!」
「かしこまりました」
 厨房に戻った瑞樹は、少しだけ頭の中のレシピのデータベースをフィルターにかけて直ぐに男性客に最も合ったメニューを作り始めた。
 二十分後、瑞樹は出来上がった料理を男性客の元へ運んだ。
「当店自慢のタンシチューと手作りのブレッチェンです」
 そう言って瑞樹は、軽く頭を下げて厨房に戻っていった。
 男性客は、その後何も喋らずにひたすら料理を食べ続けた。
「ごちそうさま」
 そう言って男性客は、初めて笑顔を見せて瑞樹に頭を下げた。
「ありがとうございました」
 瑞樹は、恐縮きょうしゅくして深々と頭を下げた。
「どれも、私の舌に合った酒と料理でした。感服かんぷくです。お代置いておきます」
 そう言って男性客は、もう一度瑞樹に頭を下げてから店を去っていった。
 瑞樹は、またお釣りを受け取らない客に少し慣れてしまったか?活躍する事の無いレジスターを眺めていた。
「もう、閉店にしよう」
 時刻は、ちょうど五時近くだった。
 瑞樹は、店のオープン最後の客の食器を片しにカウンター席に向かった。
 食器を片していた時に瑞樹は、一瞬固まってしまう。
 食器の横には、ピン札の一万円紙幣しへい二枚が置いてあって一枚目の一万円札の右上には
「頑張ってください」
 と言う文字がペンで書かれていた。
 瑞樹は、直ぐに店の外に出て男性客を探そうとしたが諦めて閉店作業を始めた。
「二万円は……」
 瑞樹は、まるで自分がボッタクリバーの店主になったような気分で申し訳ない気分になってしまった。

 こうして、瑞樹のお店の初日は四人のお客さんの来店で売り上げは二万三千円だった。
「また、明日から頑張ろう!」
 全ての閉店作業が終わった頃、時間は午前六時を少し回っていた。
「よし、帰ろう」
 瑞樹は、自転車に乗って二十分かけて自宅に帰った。

 少しだけ、微笑みながら瑞樹はじょうじょうの出だしとなったこの日を心配そうに帰宅を待っていた両親に饒舌じょうぜつに喋り続けた。
 両親は、瑞樹と同じ様に微笑みながら瑞樹の話を嬉しそうに聞いていた。
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