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第一章 森林の妖精達
22話 ベルの教育③
しおりを挟む「父上、状況を教えてもらえますか?」
「あぁ。どうやらリルベス子爵領から山脈越えをしてきた個体が、ミーリスの森の深部に棲みついているようだ。被害は家畜のみで補償ができる範囲内だ」
『黒刃狼』が出た——ルシアンがそう聞かされたのは、訓練場でベルと組み手を行っている時だった。
ミーリス領では、基本的には魔物による災害は起きない。
二百年ほど前に、ミーリスの森の深部に現れた『剛鼻竜』という魔物が討伐されて以降は、数年に一度ほどの感覚で、警備隊でも対応できる弱い魔物が現れるくらいだ。
しかし今回の黒刃狼は、危険度の高い魔物とされている。主な生息地は、東の山脈を超えた先のリルベス子爵領の森林地帯であり、その性質は極めて凶暴である。
「……ベル、行けるか?」
「はい! その狼が、ルシアン様より賢くなければ勝てます!」
もちろんルシアンも出撃するが、ベルに期待しているのは事実だった。
黒刃狼はそれなりに賢く、大人数を率いての討伐は困難とされている。多くの人間の匂いを嗅ぎ取った時点で、戦闘を避けて身を潜めて、逃げ続けるのだ。その理由から三人以下で、討伐隊を組むのが理想とされている。
数で圧倒できない魔物とは厄介なもので、討伐隊には量より質が重要視される。
その点から、ただの市民である警備隊に任せることもできず、他領や王家からの助力を待つ時間もないエドワードは、ルシアンに討伐依頼を出した。
「……心配はしていないが、無理はしてくれるな。息子と娘を同時に失うなど、私もマリーダも耐えられないぞ」
「父上、僕は元とはいえ、平凡な騎士ですよ? 大丈夫です。必ずミーリスを守って見せます」
「ルシアン様は強者です! そしてあたしも知性のない獣には、負けないほどには強者です!」
ルシアンは騎士である。騎士とは王国の兵士の中でも、精鋭中の精鋭にしかなることが許されず、セグナクト王国全体で見ても、現在ではたったの千人しか存在しない職業である。
平凡な騎士だったとはいえ、騎士である時点で平凡ではないのだ。ましてや戦闘の適性を持たずに狭き門を突破し、十年間、戦い続けて生存したルシアンはある種の化け物と言える。
「……すまんな。頼んだ」
エドワードはそう言って頭を下げていた。
「父上も少し休んでください。ひどい顔ですよ?」
その姿を見たルシアンは、エドワードを心配しつつも、その瞳は静かな闘志を宿していた。
◇
黒刃狼討伐に向けて準備を終えたルシアンとベルは、森林地帯の中層の草原地帯で休憩をしていた。
「ベル? 大丈夫?」
「……はい、そばにおります」
ルシアンは騎士時代に散々、遠征を経験してきたことから慣れたものだったが、ベルはソワソワする気持ちをなんとか抑えているようだった。
ベルはアーシェの薬草採取や、ウルスラの魔物調査の付き添いで、幾度となくミーリスの森に出入りしているが、今回は少し状況が違う。
ミーリスの森の深層へと足を踏み入れて、黒刃狼の討伐までは、二日ほど野営する可能性もある。
初めてのことで緊張するだろうが、その反面でルシアンはいい経験になると思っていた。
ルシアンの目から見ても、ベルの戦闘能力自体は、騎士に届くと言っても過言ではないほど仕上がっている。
しかし圧倒的に経験値が足りていないのだ。そして戦士の経験値は、戦場や狩場でしか積むことができない。ルシアンはこの機会すらも、ベルにとっての教材として扱っていた。
「森の深部に入ったら、ゆっくり会話をすることはできなくなるから、今のうちに聞いておきたいことや話しておきたいことがあったら言ってね」
「野営中はどのように過ごすのでしょうか?」
「二日程度なら僕が、見張っておくから大丈夫だよ?これは気を使ってるわけじゃなくて、ベルに不慣れなことをさせて、戦闘に支障がでたら困るからだよ」
「……すみません。お願いします」
本来なら時間を決めて交代でするが、魔物退治も野営も初めてのベルにさせるわけにはいかない。
命の危険がある状況で、強引な手段を取る必要性もない。ベルには、ミーリスの森の深層や野営の雰囲気を感じてもらうことに専念させるよう判断した。
「じゃあそろそろ先に進もうか!」
「はい!」
森の深層にはルシアン自身も、ラクシャクに帰還してからは数回しか足を運んでいない。
その時には小鬼や黒狼といった弱い魔物しか出会わなかったが、黒刃狼が棲みついたことで森の様子が変わっている可能性も考慮しなければならない。
「あんまり気を張らないようにね!」
「……はい。ですが中層と雰囲気が全く違います」
森の深層に足を踏み入れて少し歩いたところで、ベルの緊張をほぐすためにルシアンは声をかけた。
深層部は、鬱蒼と生い茂った木々のせいで薄暗く、心なしか空気も冷たい、それでいて時折、視線のようなものを感じるという気味の悪さがある。
それらが大自然にとって、人間という生物が異物であるということを思い知らせてくるのだ。
「ベル構えて」
「……はい! 数は三体でしょうか?」
少し進んだところでルシアンは、小鬼の小隊に囲まれていることに気づき、ベルに備えるように指示した。
ルシアンは荷物を地面に下ろし、抜刀する。
小鬼達は、茂みや木々の間から様子を見ているだけで襲ってくることはないようだった。
二人の戦法は前衛のルシアンが注意を引いて、中衛のベルが間合いの長さを利用した槍で突き殺していくという反撃を得意とした防御寄りの戦法である。
(数は三体か……邪魔だし、こっちから攻めるか?血の匂いで、黒刃狼を呼ぶこともできるかもしれない。)
ルシアンがそう考えたその時、左の茂みと右の木陰から同時に小鬼が飛び出して、連携する様に飛びかかってきた。
「「ギィ! ギッ!」」
「ベル! 一体は抜けるよ!」
小鬼が間合いに入るのを腰を落として待っていたルシアンは、飛びかかってきた小鬼の首を目掛けて斬り払った。
数多の命を刈り取ってきた愛用の長刀から放たれた一閃は、甲高い風切音を立てて、小鬼の柔らかな首を刎ね飛ばした。
返り血を浴びるのを嫌ったルシアンは長刀を振った勢いのまま、しなやかな足運びで後ろに下がり、ベルに視線を向けた。
「ハッ!」
ベルの左側の茂みから奇襲を仕掛けた小鬼は、掛け声と共に放たれた光速の刺突に、頭が消し飛ばされていた。
(うわぁ……貫くとか刺すとかじゃなくて、消し飛ぶんだ……体術士の身体能力怖すぎる……)
初陣を終えたベルは爽やかな笑顔をルシアンに向けていたが、ルシアンは少し引いていた。
強靭な足腰を持つベルの踏み込んだ地面が、抉れているのを見たルシアンは、これが以前『大地から力をもらっているみたい』だと言っていた理由だろうと考えた。
体術士のベルは肉体の使い方が優れている。
強靭な足腰が大地を踏み締めて得た力は、刺突や薙ぎ払いの際に無駄なく伝わり、生物を破壊する一撃へと昇華されている。
「さすがだね……すごい破壊力だよ」
「力で勝てても、総合力ではルシアン様にまだ勝てません!この程度の魔物は破壊して見せます」
頼もしい言葉を言うベルは、初めての実戦に少し興奮しているようだった。その新兵らしい姿を可愛らしく感じたルシアンは、困ったように微笑んだ。
その後は黒刃狼をおびき寄せるために、首のなくなった小鬼の死体を一箇所に集めてから、少し離れた場所で野営の準備を始めた。
この時ルシアンは小鬼の死体に、ある細工を仕掛けていた。
「この辺で少し休もうか。腹ごしらえをしたらベルは少し寝てても大丈夫だよ!黒刃狼が現れたらすぐに起こすから」
「いえ……まだ興奮で眠れないので、あたしも一緒に起きてます」
小さめの天幕を張ったが、二人は焚き火の前にお互いの後方が確認できるよう向かい合って座った。
「ベルはラクシャクでの生活には慣れた?」
「はい。都市の皆さんもいい人ばかりですし、何よりルシアン様がいますから……幸せです」
ルシアンが嬉しくなる完璧な言葉をくれたベルに、帰ったら目一杯ご褒美をあげようと考えたが、ご褒美の内容を思い出して考えを改めた。
(でも、ベルはきっと喜ぶんだろうな……他のご褒美を考え直してくれれば、嬉しいんだけどな……)
そんなことを考えながら、ルシアンはベルと他愛のない会話を続けた。
焚き火に照らされて、ラクシャクでの日々を嬉しそうに語るベルは綺麗だった。
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