真昼の月

六角堂

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save your soul

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 桂が出石に連れて来る前のことは、甚助・直蔵兄弟もほとんど知らされていないらしい。
 対馬藩士某はいずことも知れず去り、連絡が取れない。匿われてからの桂の身に何事かあった様子は一切ないようで、身籠ったのはおそらく京を脱する前ではないかと思われる。
 が、当の桂が事の次第を語りたがらない。
 当然ながら詳細は当人以外解らぬ。ただ、子が流れてしまうまで、桂自身も妊娠に気付いていなかったらしい。
 比較的初期の流産だったせいだろう、幸いと言うべきか、身体への負担はそれほど深刻なことにはならずに済んだと言う。甚助は桂を直接診察した土地の医者の記録を持参していた。
 ―――それでも桂様は、可能なものならば村田先生の診察を受けたい、と強く願っておられます。
 蔵六は診察記録を読み、読む限りで現状下せる限りの診断と薬の処方をしたため、念の為に抑制剤もつけて甚助に渡した。



 そうこうするうち、藩内では、また政変が起きた。
 起こしたのは高杉である。逃亡して、こちらも行方が知れずにいたが、例によって何処からともなく姿を現し、奇兵隊を率いて功山寺にて挙兵、軍事クーデターを起こし、佐幕派を一掃してしまった。
 このあたりは全く電光石火を絵に描いたような早業で、甚助が出石に戻るべく様子を伺ったり、支度をしたりしているうちに政変が成ってしまった。そのおかげで潜伏中の桂に良い報せを届けることが出来るのは喜ばしかったが。
 藩内は攘夷派にとって安全になった。桂がいつ戻ってきても問題はない。
 と言うか、攘夷派が政権を獲りはしたが、混乱は簡単には収まらず今も続いているのである。クーデターの立役者であるはずの高杉ですら事態を持て余しているようで、
「せめて、桂さんが無事かどうかだけでも知りたい」
 うわずるようにそう願っているという。むしろ今後事態をおさめ、藩全体を率いていけるのは桂ぐらいしか居らぬ。
 このころ桂の無事と居処を知っていたのは、蔵六の他は伊藤だけであった。
 伊藤は秘密留学先ロンドンに滞在中、馬関で長州が外国船に砲撃した際、事件を新聞で知った。彼と、ともに渡英した仲間5人のうち、井上という者2人が留学の権利を捨て、欧米との争いをやめさせるためにわずか数ヶ月の滞在で帰国し、いまはザンギリ頭で国許にいる。
 伊藤にことを明かしたのは蔵六自身で、これは蔵六の身に不測の事態があった場合に備えてのことであった。たとえ高杉が相手であっても、蔵六は貝のように口を閉ざしたままでいたし、伊藤も懸命に黙っていた。


 そして元治元年四月、ついに桂は長州に帰国する。


  下関の潜伏先で、蔵六はなによりもまず桂の身体を診察した。
「危惧していたほどのことは御座いませんようで、安堵いたしました」
 桂は無言で頭を下げる。その表情は硬い。
 が、蔵六は敢えて頓着せず、居ずまいを正すと、
「桂殿に、お願いの儀が御座います」
 柄にもない妙な仰々しさに、何事かと目を見張る桂を前に、蔵六は座布団を外し、畳に手をついた。


「お情けを頂戴致しとう御座居ます」


 はた、と極小さな音が聞こえた。
 畳に擦りつけた頭をあげると、限界まで見開いた桂の瞳からはらはらと大粒の涙が零れ落ちていたから蔵六は驚いた。
 ―――その御言葉をお待ちしておりました。
 頭上で、蚊の鳴くような声が聞こえた。



 ―――先生には、わが長州軍の司令官をつとめてはいただけませぬか。
 褥の中で桂は、唐突にそんなことを言い出した。
 寝物語にしては世辞にも詩的とは言えぬが、蔵六は驚かない。
 近々幕府が長州に対してすいを興すのは確実であろう。であれば、いずれ桂はそう言うことを言い出すのではないかと薄っすら思ってはいた。特に根拠はなく、ただそんな気がしていただけであるが。
 もし本当にそうなれば、周囲はさぞかし驚くであろうと思われる。現時点では蔵六は、単なる桂子飼いの技術屋としか思われていない。
 実戦を指揮した経験がないのは事実である。しかしそれは当たり前の話であった。蔵六でなくても、洋式兵学でもって実戦の指揮を執った事のある日本人など居るわけはない。
 癸丑以来、要人の襲撃やら外国人の殺傷やら武装蜂起やら何やら、穏やかでない事態は幾度も起きたが、その中に洋式兵学をおさめた者はいない。それどころか、そもそも300年の太平の眠りから覚めたばかりの日本であるから、日本伝統の何々式の軍学者とても、癸丑以前に実戦を経験した者などは居ないのである。
 このころ幕府の直轄軍はフランスから軍事指導者を雇い、累代の旗本八万騎などではなく、庶民から新たに募集した兵を育成させていると言う。 
 欧州は年がら年中戦争をしている。フランスも、まさか実戦経験のない者を派遣して来はしないだろうが、だとしてもそんな虎の子を最初から投入してくるとは考えにくい。最初はおそらく外様藩の何処か、それも、長州と藩境を接するの近隣の藩のいずこかが露払いを命じられるだろう。周辺に領地を持つ大名家が地理をはじめ土地の事情にもっとも詳しいとのことで、先鋒を任されるのは織田信長の頃からの伝統である。これは現在もべつに形骸化した戦の作法などではなく、真っ当に現実的に有効な戦法である。
 蔵六は蔵六で、桂をその腕の中に抱いたまま、輪をかけて情趣に欠ける事を語った。割れ鍋に綴じ蓋にも程がある。
 蔵六には、最新の洋式軍事に関しての知識だけなら大量にある。
 そのために召し抱えられ、洋式兵学塾などやらされているのだが、では、その知識で戦の指揮が出来るかといえば、これは現時点では、出来るとも出来ぬとも言いきれぬ。
 戦闘の指揮、それも小隊や中隊程度の指揮官であれば、学問訓練で身に付かぬこともない。と言うか、蔵六が自ら兵学塾で多くの生徒を相手にやらされていることが要するにそれである。
 しかるに、全軍の総大将ともなれば、これは教育などで身につくようなものではない。現場で長年かけてたたきあげた経験がものを言うか、でなければ天から授かった才能が偶然花開くか、そのどちらかである。
 幕軍の侵攻が今日来るか明日来るか解らぬ現状で、蔵六に今から経験を積むような時間的余裕があるわけはない。結論から言って、桂は蔵六に後者、つまり天授の才を望んでいる。
 桂殿にしてはお珍しい、博打をなさいますか、と冗談めかして蔵六が問う。
桂は蔵六の腕の中で苦笑し、
 ―――先生でなくとも、誰を総司令官に据えても同じことでございましょう。
 それはまあ、その通りである。
 政治家としての桂は、根っからの現実主義者である。憶測や希望的観測を元に無茶な真似をしたことなど一度もないが、今回ばかりは博打同様の不確定要素を覚悟の上で総司令官を選んでも、やむを得ぬ状況と言えよう。ただ、それならやはり何故、敢えて蔵六を選ぶのか、という疑問は残るが。
 桂は、どういうわけかこの時だけは当の蔵六にすら、その理由を語ることはなかった。


 暫くして、薩長秘密同盟が成った。
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