16 / 17
救済の技法
しおりを挟む
しばらくして、双方多忙のあいまを縫い、桂と蔵六は太夫山の毛利家別邸に赴いた。
現在は東京都世田谷区若林の地名で呼ばれる。この毛利家別邸には吉田松蔭の墓所があった。
安政の大獄で刑場の露と消えた松蔭の遺骸は、処刑直後に桂や伊藤たち元松下村塾生数名によって小塚原回向院に埋葬されていた。
とはいえ、罪人である。供養こそ許可されてはいたものの、墓石に名を刻むことは許されず、土饅頭に粗末な自然石を置いて墓標とするのみであった。
その後井伊大老が桜田門外で殺され、文久2年には和宮降嫁の祝賀で受刑者たちに大赦が出、事実上の名誉回復がおこなわれたのち、文久3年に桂たち元松下村塾生らは松蔭墓所の改葬を行ったのである。この地には後年、明治15年に松陰神社が建立されるが、このころはひと気少なとはいえまだ別邸があり、その一角に墓があるだけであった。
とはいえ、墓所は立派で手入れは行き届いている。数多くの者が志半ばで斃れたとはいえ、桂の他にも元松下村塾生はそれなりの数が生き残っている。彼らとても暇な身ではないが、折に触れ入れ替わり立ち替わり亡き師の墓所に詣でているようだった。
蔵六は故松蔭を全く知らない。
墓に来るのも初めてであった。この日はたまたま珍しく体が空いていたから桂に請われて同行しただけで、ことさら来ねばならぬ理由があったわけではない。
同行と言っても、連れだって歩いて来たわけではなく、現地で合流した。
さいわいと言うべきか、桂の腹は八月近い割にはあまり目立たない。着込んでいれば少し太ったかと思う程度であったが、桂はここしばらく体調が優れぬと称して最低限の出仕をするのみで、可能な限り自宅に籠っていた。今日も女物の着物、この暑いのに御高祖頭巾で顔を隠した女装姿である。
墓所に花を手向け、手を合わせたのち、桂がおもむろに口を開いた。
「そう言えば、国許では我が家の義兄が先生をお訪ね申し上げたそうでありますな」
「…ああ、ご存知でありましたか」
事実である。ただし、最近の話ではない。
もう6年も前の前の話である。一方的に幕臣を辞め、国許へ戻ってまもない頃、八月一八日の政変からさほどに時を置かぬ文久3年の秋頃のことであった。
このころ、桂は京で東奔西走していた時期であるから国許には全く戻っていない。
桂の義兄、和田文讓は桂の実家である和田家を継いでいる。
桂の異母姉の婿である。桂の父、和田昌景は藩医をつとめていたが、最初の妻は娘ふたりを産んで死別、その後迎えた後妻もなかなか子が生まれず、先妻の産んだ長女に婿をとらせて和田家を継がせたのである。待望の長男たる桂が生まれたのはその後であった。
文讓は、一見、単なる挨拶という風情で訪ねてきた。
そのくせ、
―――この訪問は小五郎には内密に。
などと言っていた。だから蔵六は桂本人に限らず誰にも言っていないが、にもかかわらず、それを桂が知っていたことに関しては特に驚かない。桂でなくとも、この時期の志士や活動家は普段から山ほど密偵を使っているのが当たり前で、殊更政治的な事柄にかかわる話でなくとも把握していて不思議ではない。
しかるに和田文讓の方はこのとき、
――故吉田寅次郎殿が、小五郎の番となりし次第につきまして。
語りに来た、と言う。
かならずしも絶対知っていなければならぬ種類の話ではないが、知らねば知らぬであるいは不都合があるやもしれず、などと文讓はよほど語りにくいのか、しばらくの間もごもごと妙な言い訳を繰り返し、だいぶ蔵六を待たせてからようやく本題に入った。
桂のオメガが発覚したのは、かぞえ17歳の時であるという。
その前年に桂は元服をしている。元服の少し前、例によって花街に連れていかれた。
蔵六もそうだったが、属性の判定は男ならば元服時の絶対条件である。敵妓であるオメガの妓からはこのとき、アルファの太鼓判を押されていたそうな。
結論から言えばこの時の判定は間違いだったわけで、詳細な実態は不明だが、のちに血液検査の開発と導入以前はこの種の判定ミスは実のところ結構あったらしい。
つつがなく元服をすませた一年後、夏の暑い盛りの頃であったという。
そのとき家にいたのは桂ひとりであった。
文讓はじめ、家人は使用人も含めて所用あって皆外出していた。このころ桂は若年の身ですでに隣家桂家の当主であったが、桂家の養父養母は既に亡く、成人し妻帯して一家を成すまでは実家で暮らすことになっていたようだ。
桂は、涼しい奥の一室で書見をしていたという。
そこに文讓が用を済ませて帰宅してきた。
どうも屋敷の中が、何やらただならぬ空気に満ちているような雰囲気を、玄関をくぐった時点で薄っすら感じたという。
―――この時点で帰宅せず引き返せば良うございましたか。
文讓はそう言って自嘲したが、そんな根拠らしい根拠もろくになく、なにやら雰囲気が悪い程度で自分の屋敷に帰らぬ判断をする者はあまりおるまい。彼にばかり責任を負わせるのは不当であろう。
邸内にあがると、一室で桂が意識を失い倒れていた。
書見をしていた奥座敷からはずいぶん離れた別の座敷であった。なぜそんなところにいたのかはわからない。
その室内は更に異様な熱気に充ち満ちていた、と文讓は言う。
そして文譲は己を失った。
己を失いつつも記憶だけは鮮明で、自分がなにをしでかしたか、後の顛末はハッキリと記憶しているとの事。
どのくらい時間が経った後か、文讓は突然えりがみをつかんで背後に引きずり倒され、顎に鉄拳を派手に一発食らって吹っ飛ばされ、ようやく我に返った、と言う。
拳を若干赤くして立っていたのは、長州藩軍学師範吉田寅次郎松蔭であった。文讓とは歳の離れた友人である。
文讓は、意識のない義弟の体の上にのしかかっているところを松蔭に発見されたのである。
松蔭と文讓は、さる集まりで先刻まで顔を合わせていたのだった。文讓が退席した後、矢立を忘れていった事に松蔭が気付いて届けに来たとのこと。玄関先で、中からどう聞いてもただごとでない物音が漏れ聞こえて来るものだから、非礼を承知であがりこんだ結果がこれであるらしい。
―――このとき自分はしばらく茫然としてなにも考えられぬ状態でしたが、吉田殿はさすがと申し上げるべきか大層冷静でございました。
間髪をいれず、僭越ながら御弟君の番は拙者がつかまつる、と宣言し、止める間もなく桂の首筋を噛んだ―――と言う。
状況から言ってこの事件は、文讓、桂、家族一同、誰が悪いわけでもなく不可抗力というものであろう。桂は初のオメガの発情期を突然迎えたのである。
のちに目を覚ました桂本人は、書見をしていて突然目の前が真っ暗ならぬ真っ赤になり、そのまま失神したらしくその後のことはなにもわからぬと言う。
そのオメガの体香の充満する室内に、番を持たぬアルファが一歩足を踏み入れれば一体どうなるか。火を見るよりも明らかというものである。
松蔭が踏み込んだのは、下世話に言う「最中」であったようだが、松蔭本人の証言によればこのとき、松蔭は室内に異様な熱気こそ感じたものの、文讓のように我を忘れるようなことはなかったという。
松蔭はオメガどころか普通の女色すら一切排除し、元服時の廓行きすら断ったと言う男であるが、それでもオメガの体香の何たるかだけは知っていたらしい。 当人いわく、かつて、禁欲の誓いを立てている松蔭を心配して、友人のひとりが親切のつもりで無理にオメガの妓をあてがおうとしたことがあるそうな。松蔭はいつぞやの蔵六と同じような状態になりながらも必死に固辞して帰ってきたというが、そんなわけで室内に踏み込んだ時、充満する香がオメガ由来のものであることだけはわかったという。
第三者が居合わせた場合、その者には体香は効かぬものなのだろうか。あるいは事前・最中・事後で効果の違うものであるのかないのか、その他諸々、つい蔵六は職業病を発症して医学上の疑問をさまざまに思い巡らしてしまう。
なんにせよ、そんなわけで松蔭はこのとき、文讓を殴って引き剥がした直後、とっさに、
———自分が番の任をひきうければ万事無難におさまるのではないか。
咄嗟の思いつきではあるが、諸事情をかんがみれば、それが一番万人に益すると判断したらしい。
まあ結果論で言っても確かにそれが最良の選択であったかと思われる。というか他に途はなかっただろう。まさか和田家(桂の実家)の入婿当主の文讓が、義弟にあたる桂を番のオメガとして娶るわけにはいかぬ。
和田家・桂家の縁者一同が小五郎の桂家当主続投の届を申し出たのはそのしばらくのちである。その際、さすがにこういうきわどい経緯は藩庁にも秘された。
―――成程、そういう御事情でありましたか。
このときの蔵六は、全く何とやらの一つ覚えで、可能なものならあらためて当時の話をお伺いしたい、貴重な事例であります、そうとわかっておれば御生前の松蔭殿にもお会いすべきでありました、などと医学的好奇心全開であったが、文讓はよほど己のしたことを悔いているのか、とにかく何卒小五郎をよろしくお願い致します、とひたすら平身低頭していた。
一方で、当の桂本人はというと、この時はことの起こる前に気を失い、その後目覚めたのはだいぶ後のはなしで、全ては当人が意識をなくしている間に起こった事だったためか、どうにも事態がぴんと来ないらしい。
「おかげで義兄に陵辱されただの、天才にして奇人の誉れ高い軍学師範殿が番になっただの、あとから聞かされても何やら他人事のようで、義兄などは己に悪気があったわけでもないのに必要以上に恥じ入ってばかりで、むしろ戸惑いました」
そんなこんなで桂本人にしてみれば、体調の変化こそ面倒臭いと感じたものの、それ以外のことはなにひとつ物事が以前と変わったような実感はなかったと言う。当の桂がそんな調子であったから、義兄もそのうち、内心はどうあれ、表向きは元通りの態度に戻った。番のアルファたる吉田松蔭とはこれをきっかけに親しくはなったが、先方は全く「手を出して来る」ような様子はなく、慇懃な態度を一切崩そうとせず、松下村塾でも他の門弟たちとは一線を画する客分扱いであったと言う。
桂の方も、敬愛の念はあれども恋愛感情やそれに類する思いとは無縁に終わった、そうな。
「…ですから私は長いこと、オメガであるにもかかわらず、周囲からは随分と甘やかされ持ち上げられて生きてきたことにずっと気付かず、無自覚無頓着なままでいたのです」
あのときまで、と桂はつぶやいて下を向く。
現在は東京都世田谷区若林の地名で呼ばれる。この毛利家別邸には吉田松蔭の墓所があった。
安政の大獄で刑場の露と消えた松蔭の遺骸は、処刑直後に桂や伊藤たち元松下村塾生数名によって小塚原回向院に埋葬されていた。
とはいえ、罪人である。供養こそ許可されてはいたものの、墓石に名を刻むことは許されず、土饅頭に粗末な自然石を置いて墓標とするのみであった。
その後井伊大老が桜田門外で殺され、文久2年には和宮降嫁の祝賀で受刑者たちに大赦が出、事実上の名誉回復がおこなわれたのち、文久3年に桂たち元松下村塾生らは松蔭墓所の改葬を行ったのである。この地には後年、明治15年に松陰神社が建立されるが、このころはひと気少なとはいえまだ別邸があり、その一角に墓があるだけであった。
とはいえ、墓所は立派で手入れは行き届いている。数多くの者が志半ばで斃れたとはいえ、桂の他にも元松下村塾生はそれなりの数が生き残っている。彼らとても暇な身ではないが、折に触れ入れ替わり立ち替わり亡き師の墓所に詣でているようだった。
蔵六は故松蔭を全く知らない。
墓に来るのも初めてであった。この日はたまたま珍しく体が空いていたから桂に請われて同行しただけで、ことさら来ねばならぬ理由があったわけではない。
同行と言っても、連れだって歩いて来たわけではなく、現地で合流した。
さいわいと言うべきか、桂の腹は八月近い割にはあまり目立たない。着込んでいれば少し太ったかと思う程度であったが、桂はここしばらく体調が優れぬと称して最低限の出仕をするのみで、可能な限り自宅に籠っていた。今日も女物の着物、この暑いのに御高祖頭巾で顔を隠した女装姿である。
墓所に花を手向け、手を合わせたのち、桂がおもむろに口を開いた。
「そう言えば、国許では我が家の義兄が先生をお訪ね申し上げたそうでありますな」
「…ああ、ご存知でありましたか」
事実である。ただし、最近の話ではない。
もう6年も前の前の話である。一方的に幕臣を辞め、国許へ戻ってまもない頃、八月一八日の政変からさほどに時を置かぬ文久3年の秋頃のことであった。
このころ、桂は京で東奔西走していた時期であるから国許には全く戻っていない。
桂の義兄、和田文讓は桂の実家である和田家を継いでいる。
桂の異母姉の婿である。桂の父、和田昌景は藩医をつとめていたが、最初の妻は娘ふたりを産んで死別、その後迎えた後妻もなかなか子が生まれず、先妻の産んだ長女に婿をとらせて和田家を継がせたのである。待望の長男たる桂が生まれたのはその後であった。
文讓は、一見、単なる挨拶という風情で訪ねてきた。
そのくせ、
―――この訪問は小五郎には内密に。
などと言っていた。だから蔵六は桂本人に限らず誰にも言っていないが、にもかかわらず、それを桂が知っていたことに関しては特に驚かない。桂でなくとも、この時期の志士や活動家は普段から山ほど密偵を使っているのが当たり前で、殊更政治的な事柄にかかわる話でなくとも把握していて不思議ではない。
しかるに和田文讓の方はこのとき、
――故吉田寅次郎殿が、小五郎の番となりし次第につきまして。
語りに来た、と言う。
かならずしも絶対知っていなければならぬ種類の話ではないが、知らねば知らぬであるいは不都合があるやもしれず、などと文讓はよほど語りにくいのか、しばらくの間もごもごと妙な言い訳を繰り返し、だいぶ蔵六を待たせてからようやく本題に入った。
桂のオメガが発覚したのは、かぞえ17歳の時であるという。
その前年に桂は元服をしている。元服の少し前、例によって花街に連れていかれた。
蔵六もそうだったが、属性の判定は男ならば元服時の絶対条件である。敵妓であるオメガの妓からはこのとき、アルファの太鼓判を押されていたそうな。
結論から言えばこの時の判定は間違いだったわけで、詳細な実態は不明だが、のちに血液検査の開発と導入以前はこの種の判定ミスは実のところ結構あったらしい。
つつがなく元服をすませた一年後、夏の暑い盛りの頃であったという。
そのとき家にいたのは桂ひとりであった。
文讓はじめ、家人は使用人も含めて所用あって皆外出していた。このころ桂は若年の身ですでに隣家桂家の当主であったが、桂家の養父養母は既に亡く、成人し妻帯して一家を成すまでは実家で暮らすことになっていたようだ。
桂は、涼しい奥の一室で書見をしていたという。
そこに文讓が用を済ませて帰宅してきた。
どうも屋敷の中が、何やらただならぬ空気に満ちているような雰囲気を、玄関をくぐった時点で薄っすら感じたという。
―――この時点で帰宅せず引き返せば良うございましたか。
文讓はそう言って自嘲したが、そんな根拠らしい根拠もろくになく、なにやら雰囲気が悪い程度で自分の屋敷に帰らぬ判断をする者はあまりおるまい。彼にばかり責任を負わせるのは不当であろう。
邸内にあがると、一室で桂が意識を失い倒れていた。
書見をしていた奥座敷からはずいぶん離れた別の座敷であった。なぜそんなところにいたのかはわからない。
その室内は更に異様な熱気に充ち満ちていた、と文讓は言う。
そして文譲は己を失った。
己を失いつつも記憶だけは鮮明で、自分がなにをしでかしたか、後の顛末はハッキリと記憶しているとの事。
どのくらい時間が経った後か、文讓は突然えりがみをつかんで背後に引きずり倒され、顎に鉄拳を派手に一発食らって吹っ飛ばされ、ようやく我に返った、と言う。
拳を若干赤くして立っていたのは、長州藩軍学師範吉田寅次郎松蔭であった。文讓とは歳の離れた友人である。
文讓は、意識のない義弟の体の上にのしかかっているところを松蔭に発見されたのである。
松蔭と文讓は、さる集まりで先刻まで顔を合わせていたのだった。文讓が退席した後、矢立を忘れていった事に松蔭が気付いて届けに来たとのこと。玄関先で、中からどう聞いてもただごとでない物音が漏れ聞こえて来るものだから、非礼を承知であがりこんだ結果がこれであるらしい。
―――このとき自分はしばらく茫然としてなにも考えられぬ状態でしたが、吉田殿はさすがと申し上げるべきか大層冷静でございました。
間髪をいれず、僭越ながら御弟君の番は拙者がつかまつる、と宣言し、止める間もなく桂の首筋を噛んだ―――と言う。
状況から言ってこの事件は、文讓、桂、家族一同、誰が悪いわけでもなく不可抗力というものであろう。桂は初のオメガの発情期を突然迎えたのである。
のちに目を覚ました桂本人は、書見をしていて突然目の前が真っ暗ならぬ真っ赤になり、そのまま失神したらしくその後のことはなにもわからぬと言う。
そのオメガの体香の充満する室内に、番を持たぬアルファが一歩足を踏み入れれば一体どうなるか。火を見るよりも明らかというものである。
松蔭が踏み込んだのは、下世話に言う「最中」であったようだが、松蔭本人の証言によればこのとき、松蔭は室内に異様な熱気こそ感じたものの、文讓のように我を忘れるようなことはなかったという。
松蔭はオメガどころか普通の女色すら一切排除し、元服時の廓行きすら断ったと言う男であるが、それでもオメガの体香の何たるかだけは知っていたらしい。 当人いわく、かつて、禁欲の誓いを立てている松蔭を心配して、友人のひとりが親切のつもりで無理にオメガの妓をあてがおうとしたことがあるそうな。松蔭はいつぞやの蔵六と同じような状態になりながらも必死に固辞して帰ってきたというが、そんなわけで室内に踏み込んだ時、充満する香がオメガ由来のものであることだけはわかったという。
第三者が居合わせた場合、その者には体香は効かぬものなのだろうか。あるいは事前・最中・事後で効果の違うものであるのかないのか、その他諸々、つい蔵六は職業病を発症して医学上の疑問をさまざまに思い巡らしてしまう。
なんにせよ、そんなわけで松蔭はこのとき、文讓を殴って引き剥がした直後、とっさに、
———自分が番の任をひきうければ万事無難におさまるのではないか。
咄嗟の思いつきではあるが、諸事情をかんがみれば、それが一番万人に益すると判断したらしい。
まあ結果論で言っても確かにそれが最良の選択であったかと思われる。というか他に途はなかっただろう。まさか和田家(桂の実家)の入婿当主の文讓が、義弟にあたる桂を番のオメガとして娶るわけにはいかぬ。
和田家・桂家の縁者一同が小五郎の桂家当主続投の届を申し出たのはそのしばらくのちである。その際、さすがにこういうきわどい経緯は藩庁にも秘された。
―――成程、そういう御事情でありましたか。
このときの蔵六は、全く何とやらの一つ覚えで、可能なものならあらためて当時の話をお伺いしたい、貴重な事例であります、そうとわかっておれば御生前の松蔭殿にもお会いすべきでありました、などと医学的好奇心全開であったが、文讓はよほど己のしたことを悔いているのか、とにかく何卒小五郎をよろしくお願い致します、とひたすら平身低頭していた。
一方で、当の桂本人はというと、この時はことの起こる前に気を失い、その後目覚めたのはだいぶ後のはなしで、全ては当人が意識をなくしている間に起こった事だったためか、どうにも事態がぴんと来ないらしい。
「おかげで義兄に陵辱されただの、天才にして奇人の誉れ高い軍学師範殿が番になっただの、あとから聞かされても何やら他人事のようで、義兄などは己に悪気があったわけでもないのに必要以上に恥じ入ってばかりで、むしろ戸惑いました」
そんなこんなで桂本人にしてみれば、体調の変化こそ面倒臭いと感じたものの、それ以外のことはなにひとつ物事が以前と変わったような実感はなかったと言う。当の桂がそんな調子であったから、義兄もそのうち、内心はどうあれ、表向きは元通りの態度に戻った。番のアルファたる吉田松蔭とはこれをきっかけに親しくはなったが、先方は全く「手を出して来る」ような様子はなく、慇懃な態度を一切崩そうとせず、松下村塾でも他の門弟たちとは一線を画する客分扱いであったと言う。
桂の方も、敬愛の念はあれども恋愛感情やそれに類する思いとは無縁に終わった、そうな。
「…ですから私は長いこと、オメガであるにもかかわらず、周囲からは随分と甘やかされ持ち上げられて生きてきたことにずっと気付かず、無自覚無頓着なままでいたのです」
あのときまで、と桂はつぶやいて下を向く。
0
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
古書館に眠る手記
猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。
十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。
そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。
寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。
“読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~
月影 流詩亜
歴史・時代
その男、失敗すればするほど天下が近づく天才軍師? 否、只のうっかり者
天運は、緻密な計算に勝るのか?
織田信長の天下布武を支えたのは、二人の軍師だった。
一人は、“今孔明”と謳われる天才・竹中半兵衛。
そしてもう一人は、致命的なうっかり者なのに、なぜかその失敗が奇跡的な勝利を呼ぶ男、“誤先生”こと呉学人。
これは、信長も、秀吉も、家康も、そして半兵衛さえもが盛大に勘違いした男が、歴史を「良い方向」にねじ曲げてしまう、もう一つの戦国史である。
※ 表紙絵はGeminiさんに描いてもらいました。
https://g.co/gemini/share/fc9cfdc1d751
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる