玄牝観の奇怪な事件

六角堂

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14 生存か、それとも

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「な、…」
 王葎華は、言葉もない。無理もあるまい。
 一方で琅玕は、先刻までの彼女をあおるような嫌味くさい口ぶりは何処へやら、ひとが変わったように真剣なかおをしている。
「閣下、お気持ちはわかりますが、なんの説明もなしでは流石に意味不明でございましょう」
 紫翠が、たまりかねて横から口を出した。
 先日、王仁礼とともに焼け死んだとされる破落戸ふたり。彼らの遺体を、琅玕が解剖し、その結果ふたりの死因が「焼死ではなかった」件を語り、その死に至る状況から身元の特定まで、疑うべき点がいくつもある旨、さらには役人どもがそのあたりを全く重視しようとせぬ点まで語った。
「…」
 王葎華は、あいかわらず押し黙っている。琅玕にしろ紫翠にしろ、真摯しんしにものを語っていることは感じられても、かといっておいそれと信用する気にはなるまい。
 琅玕は、
「御母堂。念を押しますが、貴女は、御子息の生存を望んでおられるので宜しいか」
「…む、無論です」
 子供に先立たれて嬉しい親がいるわけはない、当然ではないか、と王葎華。琅玕は、それなら結構、と素気なく言い、
「普通は解剖をしたとて、よほど特異な身体的特徴でもなければ身元の特定は不可能なものだが―――貴女の御子息の場合は、話が別だ」
 真剣な表情で、王葎華に再度語りはじめた。
「王仁礼の場合、その「特異な身体的特徴」が、外から見える場所ではなく、身体の内部、或る臓器にあらわれる」
 ゆえに遺体を解剖さえすれば、まず間違いなく遺体が王仁礼本人であるか、または別人であるか、それを確認できよう。如何いかがか。
「…何ですか、それは」
 妾は知りませんよ、と不快げに、王葎華は言った。
 仮にも自分は母親である。その自分が知らぬ「息子の身体的特徴」などと言うものがなぜ存在するのか、赤の他人である琅玕がなぜそんなことを知っているのか、とてものこと信用ならぬ。たらにしか聞こえない。
せつ、いちいちごもっとも」
 琅玕は、ひとまず王葎華の言い分を肯定し、
「しかしながら、それは医学的知識がなければ気付かぬ種類の特徴でありますゆえ、御母堂とてもご存じないのは無理もござらぬ」
「…」
「御母堂。先刻までの私の態度をあなたが不快に思うのは当然、それは謝罪致そう。その上で、どうか、御子息の遺体を解剖させてはくれまいか」
 仮に、いま王仁礼とされている埋葬された遺体が、別人と確認されたとしても、そうなると本物の王仁礼は行方不明ということになり、一体、彼がいまどこでなにをしているのかまではわからない。
「そういうことを調べるのは本来、刑部の者共だ。が、連中は御子息を焼け死んだものと決めつけておって、どこかで生きているかも知れぬなどとは全く考えてもおらぬ。だが、もし問題の遺体が別人と証明されれば、連中もさすがに考えを改めよう」
 すでに埋葬された遺体が、解剖によって、王仁礼本人と確定したならそれは諦めるよりほかない。
 が、もし別人となれば―――その上、『兵部卿閣下が強くそう望んでおられる』と伝われば、いかに怠け者の役人どもとて琅玕の意思を無視は出来ぬ。最優先で王仁礼の行方を探しはじめるだろう。
 「王仁礼が生きているとして、発見されて、なんぞ事情でもあって自分の意志で姿を隠しているのか、あるいはどこぞの不届者に監禁されてでもおるのか、そこまでは今はまだわからぬ。が、もし後者であるならば、まず確実に御子息は貴女の手元に戻って来よう」
 「か、監禁など、そんな恐ろしいことを」
 王葎華は悲鳴じみた声をあげた。彼女にしてみれば、息子はとにかく死んだものと思っていて、生きているなど想像もせず、ましてや無頼漢にどうにかされているなどということは、これまで全く考えなかった模様。
 が、琅玕は片手をあげて王葎華を抑え、
「仮にも岐の帝位を継ぐやも知れぬ御身おんみなわけだからな。なれば、多少強引な手段を用いてでも、その身柄を手に入れたがるやからはいくらでも居よう」
 

 
 
 
 「お待ちくだされ閣下、その、王仁礼どのは前尖晶王家の血を引くとはいえ、なぜそんな一足飛びに帝位などと」
 つい、紫翠は声をあげてしまった。
 皇族は、他家から嫁いできた者を除き、自動的にその全員が帝《てい》継承権けいしょうけんを保持する。もし王仁礼が生きていて、岐皇室の一員と認められたなら、それは同時に彼も帝位継承権を与えられるはずなのは間違いない。
 しかし現実問題として、継承権には順位というものがある。
 王仁礼が、果たして皇族序列のどのあたりに据えられるものか。予測するに、なにしろ尖晶王家は零落した家系、王仁礼の父とされる第一王子の岐鋭錘は、嫡子(跡取り)とはいえ跡目相続前のいち王子でしかなかった。その落とし胤である王仁礼に与えられる継承権などおそらく末席も末席、現実に帝位につく可能性などまずありえまい。
 が、琅玕はなにやらあごをひねりながら、
「そう、昨日までは俺もそう思っていた」
 状況を知らなんだゆえな、と独り言でも言うようにつぶやく。
「状況とは、その、一体…」
「昨夜、俺は、義伯父貴をずいぶんとっちめて、色々なことを吐かせてきた」
「な、何ですかそれは」
 華公代理閣下にいろいろ聞きたいことがあると言っていたが、とっちめるとはどうも穏やかでない。
「俺は、仮にもここ華国の兵部卿、若輩じゃくはいの新参者とはいえ、それなりに重要な地位にあるはずなのだが」
 にもかかわらず、華公代理閣下は、本来ならば琅玕のような立場の者であれば、知らされぬままでいるなどありえぬレベルの重大事項を、
「意図的に俺に隠しておられたのだ」
 無論、理由あってのことで、わけもなく蚊帳の外に置かれていたわけではない。が、それでも琅玕はいささか腹が立ったらしい。
「その隠しておられたことというのが、王仁礼どのの帝位継承権順位のことでございますか?」
「そうだが、それだけではない、他にもいろいろあったわ」
「あ、いえその、私ごときが知ってよい事かどうかわかりませぬが」
「ま、一応あくまでこの場だけの話ということにしておいて、他所で喋るなよ」
 
 
 
 
 
 
 
「どうも、いまや岐の帝室というのは、相当な先細りらしい」
「先細りとは?」 
「現在の岐皇帝はすでに老齢、その長男である東宮とうぐう(皇太子)は壮年そうねん、そしてこの東宮には十代なかばの年頃の皇子がふたりいたのだが」
 一年半ほど前、この兄弟皇子が、そろって落馬事故に遭ってしまったのだという。
 兄皇子は頭をひどく打って即死。弟皇子は背骨を損傷する大怪我で、こちらはどうにか死なずには済んだものの、生涯寝たきりは確定であるとやら。たとえ生きていたとして、これではどんなに血筋が正しくとも帝位には就けぬ。
「一方、その父である東宮は元々病弱なたちで、よく皇子をふたりも作れたものだ、いずれ即位する日が来ても治世はそう長く続くまいと陰で言われておるようなじんだとやら」
 当然ながらこの先は、もう子は望めぬであろう。老齢の現帝は言うに及ばぬ。
 要するに、岐の帝室は思わぬなりゆきで、唐突に存続の危機におちいってしまったのだった。
「一応さきに言っておくが、岐の宮廷も無能ではないから、この落馬事故に関してはすでに徹底的に調査をしておるそうな。事故それ自体は純然たる偶発ぐうはつで、政治的な陰謀からくる暗殺などではないようだ」
 ともあれ、現帝の直系の血筋は残念ながら、途絶えることがすでに決したと言って良い。
「となれば今後は、現存する傍系の皇族の中から、次の次の帝位に就くべき者を物色しておかねばならぬわけだ」
「…あのう閣下、まさかとは思いますが」
「そのまさかだ。当代尖晶王殿下の御登場というやつだ」
 さきの尖晶王家の故・第二王子、岐玉髄殿下が駆け落ち相手との間に産んだ遺児。
「かの遺児どのが、いま名目上の尖晶王家の当主になっておる話をしただろう。その御子が、だしぬけに帝位継承権第三位保持者に浮上したのだ」
 帝位継承権の第一位は、イコール現在の皇帝そのひとをさす。第二位が東宮で、第三位と第四位はこれまでは東宮の二人の皇子がそれぞれに保持していた。
「普通なら、第三位と第四位の保持者が揃って他界、あるいは帝位継承不能となってしまったというのなら、第五位以下の者たちが順繰りに継承権順位をくり上げて行くだけのはずなのだが」
 が、今回はなにやら、それこそ末席も良いところだった当代尖晶王殿下が突然に、帝位継承権第三位の地位に抜擢されたのだそうな。
「尖晶王家というのは、そもそも落ちぶれずとも、もう何代も前の皇帝の弟だか誰だかが初代に封じられた家柄で、つまりは血筋が遠い」
 それが今回、一足飛びに継承権第三位に据えられたからには、やはり政治的な思惑だの何だの、様々な経緯が存在するらしい。
「どんな経緯かは、すまんがこれも煩雑になるゆえ説明は後に回すぞ」
 しかし、どんな事情が存在するにしろ、もしそこでもうひとり、前尖晶王家の血を引く者が現れたなら―――。
「…その、だとすると、月並な言い方ですが…もしそうなれば、王仁礼どのは、玉座をめぐって当代尖晶王殿下のライバルになるわけですか」
「生きていればな」
 琅玕が、横目で王葎華をちらりと見た。
 彼女は、例によって内心を押し殺したような硬い表情で黙りこくっていたが、琅玕の視線にますます下を向く。
「要するに王仁礼は、もし生存が確認されるのなら、立派に“政治的に利用価値がある“わけだ」
 もし、当代尖晶王殿下を押しのけて、王仁礼が次々期の皇帝候補に擁立ようりつされるような事があれば、いずれ即位のあかつきには、彼を支持した連中には生半可でない見返りがあるだろう。
「少々危ない橋を渡っても、博打をうつ価値はある、と考える野心家はいくらでもいるだろうよ」
 それどころか、そもそもあの火災で焼け死んだとされるのも、何らかの陰謀ゆえかも知れぬ―――などと、そんな物騒なことまで琅玕は言い出した。
「さらにはいま現在、本当にどこかで生きていたとしても、それゆえ今後も命を狙われ続けるやも知れぬな」
 政治的に利用価値のある立場の人間というのは、えてしてそんなものだ、と無情なことを平然と言ってのけた。
 かたわらでは王葎華が、石よりも硬い表情で沈黙を続けている。
 
 
 
 
 
 
「ところがだ、うちの義伯父貴ときた日には、呆れた話よ。いま説明したようなことを軒並み、俺に黙っておったのだ」
 先日、琅玕は破落戸の苑環に、王仁礼の詳しい過去を調べるよう命じていたが、
「なんだかんだであの男、ものの役には立つ」
 琅玕が命じた以上の様々なことを、わずか一晩で調べ上げて来たとやらで、どうも紫翠のことづかった文には相当、思いもよらなかったことが記されていたらしい。
「奴が探り出してきた情報がきっかけで、義伯父貴が俺に隠しておったさまざまな事々も知れたわけだ」
「はあ、それにしても、なぜ華公代理閣下はそのように、閣下に隠し事など…」
「要するに義伯父貴は、俺に気を使いすぎなのだ」
 馬鹿馬鹿しげに嘆息する琅玕。どうも彼は、華公代理閣下はじめ華氏の上層部では、なにやら、
 ―――ひとつ扱いを間違えると、手に負えぬ難物。
 と、そう思われている様子だった。
(まあ、難物というか、変物には違いない)
「無欲と言えば聞こえはよいが、気に入らぬことがあれば、いつでも肩書きなぞ放り出して、町医者に戻ってしまいかねぬと思われておるようだ」
 いくらなんでもそこまで自分勝手ではない、と不貞腐れる琅玕。
 彼を婿に選んだ『義伯父貴』こと華公代理閣下にしてみれば、琅玕は、国家を運営する上で必要不可欠、そう簡単に手放すわけにはいかぬ重要な人材である。可能なかぎり機嫌を損じたくはない。
 「なんですか、それでは華公代理閣下は、いざ閣下がお知りになったらよほど腹を立てるような事柄を隠しておられたので?」
 「向こうはそう思って隠していたのだろうなあ」
 実際に聞いてみたら、そこまで激怒するような事ではなかったようで、むしろ重要事項を隠されていたことの方が腹が立ったという。
 そう説明をしながらも、なぜか琅玕は、具体的にどんなことを隠されていたのか、いまのところ岐帝国の帝位継承問題について語った以外、喋ろうとしない。
 (強いては追求するまい)
 それこそ、これ以上機嫌を損ねられても困る。
「ま、俺のことなど、このさいどうでも良いが」
 と、琅玕が軌道修正する。
「そんなわけで、義伯父貴がもっと早くにことの次第を伝えてくれていたなら良かったのだが、まあそれでも遅ればせながら、昨夜一晩でずいぶん様々な疑問が解消した。―――御母堂」
 琅玕は、あらためて王葎華に向き直り、かさねて解剖の許可を迫る。
「…それは妾とても、息子が生きている可能性がほんの少しでもあるなら、どんなにかすかな希望であっても縋りとうございますが」
 と、王葎華。それはそうだろう。ただ母親としての情の問題だけではあるまい。王仁礼がもし生きていて、本当に皇族の一員に加えられたなら、いまや玉座が存外近いところにある。
「埋葬前ならともかくも、今となっては、妾の一存では難しゅうございますゆえ」
 埋める前なら、ただ一人の遺族である母の葎華の意志ひとつで済むのだが、
「葬儀をいとなんだのはこの道観、埋葬されたのもここの墓地でございますから…埋葬後の墓を掘り起こし、遺体をあらため、おまけにその屍を切り刻むなどとなれば、かんちょうは無論のこと、幾人かいる幹部クラスの坤道全員の同意を得ねばなりますまい」
 なかには、お役目で遠方へ出向いて不在の幹部も居る。戻るまで待つとなると半月以上先になる、云々うんぬん
「ふむ、なるほど」
 それなら、ともかくも観長殿にだけでも事情を話して交渉をしたい、と琅玕。
「あとで面会は可能でござるか?直接話をしよう」
 あるいは事情が特殊ということで、観長の独断でことが運べぬこともないかもしれぬ。
 王葎華は、ついに観念したように深くうなずいた。
 
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