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序章    ――別れと、出会いと、――

 悠人4 『婚約』

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【悠人⑨】

 古今東西、どの世界でも婚約パーティーというものは肩が凝るのだろうか。

 やれ、殿下を拝見でき何々だの、お目にかかれて光栄だの、誰かと顔をつき合わせる度に言われる身にもなってみろ。

「あれれ~? ロキ、結局来たんだ~」
 そんな中、エメットにバッタリ出会ったわけだが、こんなヤツでも気楽に話せる間柄なので、妙に安心できる。
 この俺が、チャラ導師を見つけて安心するなど思わなかった。

「気は進まなかったんだが、野暮用ができてな。招待状も届いていたことだし、参加することにしたんだ」
 ラーゼファー家での話し合いの二日後、俺はエメットと話していた伯爵令嬢の婚約式へと参加していた。
 だだっ広い庭園に豪華なテーブルが設置され、これでもかという程、様々な料理で彩られている。

 その周りを正装した爵位持ちのオジサマ方とオバサマ方が談笑を“表面上”楽しんでいた。
 まったく、どいつもこいつも腹の内では何を考えていることやら。

「野暮用ってなにさ。またどうせ碌でもないことだろうけど」

「お前、俺がいつでも悪巧みしているとでも思っているのか?」

「してるでしょ。どうせ」
 否定はできない。と、チャラ導師と談笑している暇はない。毛嫌いしている社交に参加したのには事情がある。
 それは――

「やあどうも、お久しぶりです。ロキ殿下。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
 細顔で口髭を付けたダンディな男が近づいてきた。
 横には精一杯のお洒落を施された手足の細い女の子が立っている。

「お招きいただき、ありがとうございます。ゼクセル様。そしてソフィ様、おめでとうございます」

「ありがとうございます。ロキ殿下は社交がお嫌いとのことで、中々機会がございませんでしたが、お目にかかれて光栄です」
 父娘揃って流れる様な一例をする。

「変わらずお綺麗ですね。ソフィ様。ご婚約おめでとうございます」
 エメットの顔がキリリと引き締まる。相変わらずキラキラと謎の光が出ているようだ。
 婚約したばかりのご令嬢相手だぞ。節操の無いヤツだ。

「エメット様も、ついぞはお世話になりました。お父様にありがとうございますとお伝え下さい」

「いえいえ、アレが成功したのはゼクセル様のお力あってのことです。またいきましょうねぇ~」

「いやいや、またご冗談を」

「いえいえ、機会があれば是非と父も――」
 謎の会話で盛り上がる二人の間でこほん、と咳払いする俺。

「と、そうだ。ロキ。何かゼクセル様にご用があるんじゃないの?」
 珍しく空気を読んだのか、エメットが俺に会話を振ってくる。
 いいぞ、ナイスフォローだ。

「ええ、本日は是非、ゼクセル殿に願いがあって来た次第でして」

「願い、ですか。殿下からとは恐れ多いですな。私で出来ることでしたら」

「とても簡単な事です。それは――」
 全員の視線が俺に集まる。カロリーヌとゴラムの寂しそうな顔が浮かんできた。
 ここが正念場だ。と心の中で気合いを入れ直し、続ける。

「“魔導弓”を見せていただきたい。最近手に入れたと聞きましたよ。ゼクセル殿」
 宝石で彩られた豪華絢爛な弓。
 そして、ラーゼファー家の家宝である『魔導弓』を目の前の男は手に入れている。

【悠人⑩】
「いやいや、どこで何が噂になるか分かりませんな」
 困ったような台詞を吐くゼクセルだったが、顔は嬉しそうだ。
 慎ましく見せてはいるが、実際は自慢したくてしょうがなかったのだろう。
 お宝という物はそういった魅力を持っている。

 『魔導弓』を見せてくれとの要望を受けたゼクセルに連れられ、俺は屋敷内の一室へと辿り着いていた。
 因みにエメットは独身の美人令嬢を見つけたとかで、尻を追いかけに行ってしまった。
 本当に聖職者かアイツは。

 案内された一室に入ってみると、そこは家具が一切ない、だだっ広い空間だった。
 ただ中央から円になるように五つの武器が美術館の品かのように展示されている。

 剣、槍、斧、鎌、……そして、弓。

 若葉を思わせる繊細な装飾が施された弓本体。その上下に二つの大きな宝石がはめ込まれていて、その二つを繋ぐように小さな宝石がラインを描いている。

 事前にカロリーヌから聞いていた特徴の通りだ。
 間違いない。これがラーゼファー家家宝。カロリーヌが取り戻したい弓だ。

「美しいでしょう。この武器全てが『魔導具』です。本来であれば、『教会』に選ばれた者しか手にできない一品ばかりです」

「……確かに美しいですね。どこで手に入れたのです?」

「懇意にしている商人からの買い付けですよ。本当に希にですが、市場に出ることがあります。私の唯一の楽しみといっていいでしょう」
 ゼクセルは意気揚々とまくし立てる。

「……なるほど、では少々心苦しい話にはなりますが、一本譲っていただきたい。弓だけで構いません」
 不躾な俺の願いに、唖然とするゼクセル。

「そ、それは――いくら殿下といえども……」
 明らかに困惑していた。今コイツの頭の中は損得が目まぐるしく動き回っているだろう。
 俺の願いを叶え、恩を売るのが正解か、自分のコレクションを守るのが正解か。

「いえ、貴公がこの稀少品をとても大事に思っているのは分かっています。早々の事では譲ることはないと。なんせ――『英傑』の娘からの申し入れも、稀代希なる弓の腕前も、容易く蹴ったのだから」
 淡々という俺の言葉に、分かりやすく顔色を変えるゼクセル。

「な、何の事でしょうか」

「ああ、そこでの腹の探り合いは辞めましょう。本人から全てを聞いています。――そうだな、カロリーヌ」
 俺の呼びかけに、部屋の扉が開いた。
 赤いローブを羽織り、フードを目深に被ったカロリーヌが入ってきた。

「な、何故お前がここに……」

「貴公の娘を祝う資格があるからでしょう。彼女も一貴族だ」
 カロリーヌの姿を確認し、狼狽するゼクセルへ向かい、俺が補足を入れる。

「わ、私が呼んだ爵位は伯爵以上だ。例え『英傑』の家といえども爵位は男爵同等。この式典に参加する資格は――」

「ああ、言い忘れていた」
 ゼクセルの言葉を遮り、俺はカロリーヌに近づく。
 そして、その肩を抱き、言った。

「俺の婚約者です。名はカロリーヌ。美人でしょう?」

「この前ぶりですわね。ゼクセル様」
 カロリーヌの挨拶に今度こそ、ゼクセルは顎が外れたかのように口を開き驚きを露わにする。

「門番は満面の笑顔で通してくれましたよ。なんせ、王族の婚約者。咎めるほうが失礼だというものだ」

「な、な? そんな、そんな馬鹿な事があってたまるか!」

「何故馬鹿な、と思うのです? これでも『英傑』の箱入り娘だ。王族と婚約を結ぶのには都合の良い立場だと思いますが」

「そ、それは……そうかもしれませんが……だが、わ、私は聞いておりませんぞ」

「貴公は伯爵です。残念ながら、『身分の低い』立場だ。申し訳ないが、祝辞の報が後回しになってしまったようだな」
 ゼクセルは俺の言い放った『身分の低い』という部分で明らかに顔をしかめる。
 やはり気にしている部分のようだ。

 偉そうな事を言ってしまっているが、煽る事で頭に血を上らせようとしているだけだ。 上手く行けば墓穴を掘らせる結果になる。

 だが、流石はというか。ゼクセルの顔に浮かんだ怒りの表情はすぐに隠れ、外面の良い紳士の顔に切り替わる。

「それは、それは。おめでとうございます。そうですか、ラーゼファー家と婚姻を。それはとても素晴らしい。ですが、それが私と一体何の関係が? まさか、祝いの品として弓を渡せとでも?」

「まさか。祝辞品として受け取るには値が張りすぎているものだ。俺が求めている行為は違います。もっと簡単な事……“詫びの品”としての提示です」
 詫びの品、という言葉に明らかに顔色が変わる。

「詫び、ですか。妙ですな。私が殿下に何か不敬を働きましたでしょうか?」

「王家の命を狙っておいて、何か、とはおかしな話だな」

「命ですか。物騒ですが、私には何の事か分かりませんな」

「つい二日前。街中で歩いている俺を暗殺しようとしただろう」

「暗殺ですか。知りませんな。どこかの不届き者が手を回したのでしょう。なんせ、“碌でなし王子”は敵が多い、と聞きます」

「なるほど、貴公は無関係だと仰る。では、その“暗殺を依頼した男”を捕らえたと言ったら? 私はその男から全てを聞きましたよ」
 ゼクセルの顔色が分かりやすく変わる。

 カロリーヌに依頼をした男を捕らえよとガラハドに銘じたところ、一日で取り押さえる事ができた。
 どうやら、裏社会に顔が利く人物と知り合いとのことだ。流石はルスランの英雄といったところか。

「全ては貴公が指示をしたと言っていたが?」

「だ、誰がそのような事を……私が指示したなどとんでもない。そ、その者が嘘を働いているのでしょう」
 往生際が悪いな。だが、確かにゼクセルが指示をしたという確たる証拠が無いのも確かだ。

 だから、ここに来た。

「王家の暗殺騒動。その嫌疑が自分に降りかかっている。そんな状況で嘘を付くとは思えないが?」

「だからこその虚偽。私を陥れるために、誰かが策略を起こしたのでしょう」

「例え違ったとして、状況はまるでお前を味方していない。疑わしきは罰する。王族には罰する権利がある。その程度の事くらい、知っているだろう」
 貴族を裁くのは国王の仕事だ。そして一等親以内の親族であれば国王の仕事を代行する権利を持っている。
 勿論、実際に裁くとなると前後に複雑な申請が必要だがな。今回はそんなもの通していないから、俺に裁く権利など無い。

 だが、そんな事情などゼクセルには知るよしもないだろう。

 今頃、この男の頭の中では、俺は王の代行として悪行を裁きに来た者、という認識になっている筈だ。
 案の定、ゼクセルは顔色を青ざめながら、汗だくになりながら頭を抱えている。

「殿下。そこの女にたぶらかされております。どうか、お考え直しを。私は、私はその男も、殿下を撃ったそこの女とも全くの無関係です!」

「ゼクセル……語るに落ちたな」
 ニヤリと微笑み、ゼクセルを睨み付ける。

「な……?」
「俺はカロリーヌの事を、『婚約者』だと紹介した。カロリーヌも同じだ。いいか、ゼクセル。誰一人としてカロリーヌを“俺を暗殺しようとした女”などと、お前に伝えてなどいない」

「な、な……」

「さあ、ここで問題だ。ゼクセル……何故、お前はカロリーヌが暗殺者だと知っている?」

「そ、それは……彼女の弓の腕前を知っておりましたので、つい、そうなのかと」

「婚約者だと紹介したのにか? 婚約者だが、実は王族に弓を引いた女なんだ。……なんて与太話、誰が信じる。自分で言うのもなんだが……そんな阿呆でもしないような行動を、誰が取ると思う。ついでに言うが。俺は“弓矢で撃たれた”とも言っていない。……何故それを知っている?」

「くっ……」

「さて、今回の事件を整理しようか。代々伝わる家宝を失ったカロリーヌは、家宝の現在の持ち主を捜し当て、その者の下まで向かった。弓の腕前を見せつけ自分を売り込むことで家宝の弓を取り返そうとした訳だ。だが、誰かさんはその話を断った。……一流の腕前を得るよりも、もっと良い案を思いついたからだ。……それこそが、俺の暗殺だ」
 反論もせず、頭を抱え込むゼクセルを見つめながら、続ける。

「この女ならば、“碌でなし王子”を抹殺できるかもしれない。そう思った誰かさんは、人を雇い、俺の暗殺を依頼するよう銘じた。その命令通り、男はカロリーヌに近づき、弓を渡すことを条件に俺の暗殺を依頼した。事実驚異だったぞ。なんせ思慮の外からの一点射撃だ。近くに“英雄”ガラハドが居なければ俺はとっくに墓の中に居たことだろう」
 輝きを放つ『魔導具』の前でゼクセルはただ震えている。
 それを見つめるのは俺とカロリーヌの二人だけ。

「確かにカロリーヌは、自信の持つ弓の腕前で俺を暗殺しようとした。それを知っているのは俺とカロリーヌ。従者のガラハド。……そして、もう二人だけだ」

「くそ……くそ……」

「カロリーヌに依頼した男と、その雇い主だ。カロリーヌ、目の前に居るこの男は、お前に暗殺を依頼した人間か?」

「違いますわ」

「では、決まりだな。……俺の暗殺を計画した主犯。俺を殺そうとした誰かさんはお前だ。ゼクセル」
 がくりと、膝を折り、崩れ落ちるゼクセル。

「今日の婚約式で分かる様に、お前の後ろ盾はグレパレス公爵だな。なんせ自分らの息子娘を繋げるほどのものだ。よっぽどの、ズブズブな関係なんだろう」
 俺の言葉にがばりと顔を上げるゼクセル。

「俺の命を狙ったのは……お前にそれを命じたのは公爵か?」

「ち、違う! それは違う!」

「悪いが信用できないな。なんせ、俺は三歳の頃、同じように暗殺されかけた。主犯は王族の誰か、というところまでは分かっていたが……そうか、そうか。グレパレスだったか」

「そうじゃない。 公爵は関係ないんだ!」

「となれば、早速兄上とともに出向かねばならぬな。事実命じたにせよ、そうじゃないにせよ……ゼクセル、グレパレスのお前に対する印象は最悪だな。婚約式など、やっている場合じゃないと思うが?」

「待ってくれ! 分かった。話す。全部話すから! わ、私だ! 私が考えたのだ!」

 ガクガクと震えながら、事の顛末を話すゼクセル。
 俺が三歳の頃、暗殺されかかった事は、貴族の間では周知の事実だった。
 それもどうやら、犯行は同じ王族の誰かが行ったと言う噂だ。

 その噂を流したのは誰でもない、俺だ。
 王族が王族を狙っていると噂が広まっているならば、俺の命を狙う誰かさんも安易に再度暗殺を実行する事が難しくなる。
 俺が殺されてしまえば、疑いの目は百パーセント王族に向いてしまうからだ。
 ただでさえ俺の身内は皆、碌でもないからな。下手をすればそれを皮切りに血で血を洗う兄弟喧嘩が始まってしまうかもしれない。
 その抑止力は俺自身が思っているよりもずっと強く利いたらしく、その後七年間は何事もなく暮らしていけていた。

 だが、ゼクセルはその噂と現状を別の意味で捕らえていた。
 俺が暗殺されかかったということは、碌な後ろ盾が無いということ。今もまだ殺されていないのは、王族が手を出したくても噂の所為で手が出せないでいるだけだと。
 ならば自分にも機会があるのではないか。ゼクセルはそう考えていた。

 “碌でなし王子”の暗殺を遂行すれば、王族の誰かから引き上げられるかもしれない。
 それが、グレパレス公爵だったならば、なおのことよし。違うならば別の太い関係を持つことができる。

 そんな腹積もりだったようだ。

 そんな折、ラーゼファー家の令嬢、カロリーヌが屋敷にやってきた。
 聞けば家宝であった『魔導弓』を譲って貰いたく来たとのこと。
 金は無く、変わりに類い希なる弓の腕を示してみせた。
 生涯仕えても構わないから『魔導弓』を譲ってくれと懇願するカロリーヌを見ながら、ゼクセルは考えた。

 コイツを上手く使えば、暗殺など容易いのではないかと。

 カロリーヌを追い返した後、ゼクセルは人を使い、自分の指示だとバレぬよう工作を施しつつ“碌でなし王子”抹殺の依頼を行ったというわけだ。

「余計な事をせず、ただ見送ればよかったものを……功を焦ったな。ゼクセル。お前の負けだ」
 全てを話し終えたゼクセルはまだブツブツと何かを呟いている。
 その焦りの表情が変化を遂げていく。
 ……怒りへと。

「負けだと。ふざけるな……」
 ゼクセルはゆっくりと立ち上がる。

「たかだか十程度のガキが。調子に乗るなよ!」
 顔を真っ赤にしたゼクセルが怒りに満ちた言葉を吐き捨てる。
 逆ギレか。大人げない。これでも中身はそれなりに歳を食っているんだがな。それを言っても信じないだろうが。

「やめとけ。もう終わりだ」

「ガキが偉そうな事言ってるんじゃない! 俺は俺は……こんなところで終わらん!」
 そう吐き捨てたゼクセルが、背後に飾られていた剣の『魔導具』を取り上げた。
 豪華な装飾の鞘を引き抜き、刀身を露わにする。
 そしてこちらが身構える前に飛びかかってきた。
 丸腰の俺はすぐさま背後に飛び移り、剣の軌道から抜け出す。

「お前さえ……お前さえ殺せば!」
 鬼気迫る表情で剣を振り回すゼクセル。

「やめとけ、と言っているだろ。なんせ――」

「ガキが! 死ねぇ!!」
 壁に追い詰めた俺に向かい、剣を振り上げるゼクセル。その剣が宙を舞った。
 唖然とするゼクセルの両手には、青白く光る矢が貫通している。

「忘れたのか? こちらには超一流の射手が居ることを。流石は“弓帝”の娘だな。――カロリーヌ」
 目線を『魔導具』が飾られている方向に向けると、『魔導弓』を構えたカロリーヌが立っていた。
 光る矢が番えてあり、いつでも討てるよう弦を引き絞っている。

「やるなら、事前に知らせてもらいたかったですわ」

「お前を信じていたからな。良くやった」
 俺の言葉に顔を赤らめるカロリーヌ。可愛らしい一面もあるじゃないか。

「さて、二度の王族殺害未遂。しかも今度は現行犯だ。……その落とし前は付けさせるからな」
 両手を封じられ、流石に観念したのか、今度こそガックリと膝を折り、土下座に近い体制になるゼクセル。
 憔悴しきった男を見下ろし、俺は続けた。

「お前の敗因は、俺を只のガキだと思っていたことだ。……王族をなめるなよ。ゼクセル」
 全てを失った男が放つ悲痛の叫びが、部屋中に響き渡った。


【悠人⑪】
 結果、ゼクセルは不問となった。
 十分に王族の怖さを味わったこと、快くカロリーヌへ『魔導弓』を譲ってくれたことに加え、俺自身がこれ以上、暗殺未遂事件を世間へと広めたくないと思ったからだ。

 折角、王都から離れ田舎暮らしで余生を送るという、人生の門出を得たのだ。
 誰だか知らないが、俺の命を狙う人間をこれ以上刺激することは避けたい。

 それにゼクセルとは、いざとなればいつでも社会的に抹消できる証文を結んでいる。
 これ以上俺に反する事もないだろう。

 家宝である『魔導弓』が戻ると、カロリーヌの父親である『英傑』ゴラムは見違えたように生気を取り戻したらしく、急遽、祝いの席を設けたいと俺に打診があった。
 エスタールへと旅立つ前日。正装した俺はガラハドを連れ、ラーゼファー家へ辿り着いていた。
 これは、そんな祝いの席での一幕。

「なあ、カロリーヌ。俺は家宝が戻った祝い、と聞いていたんだが」

「勿論、そうですわ」
 見違えたように綺麗になった庭にテーブルが並べたてられ、その上に豪華な食事が並んでいる。
 それを囲うように沢山の着飾った貴族達が談笑をしている。
 俺はというと、主賓席に座り、たまに挨拶に来る貴族達の相手をしていた。隣には同じように寄り添うように座るカロリーヌが

「なあ、さっきから貴族どもが、俺に向かって“おめでとうございます”とか言ってるんだが」

「おかしいですわね」

「他にも『お似合いですわ』だとか『殿下も隅に置きませんな』とか言ってくるんだが」

「きっと皆様、何か別なお祝い事と勘違いなされているようですわね」
 顔色変えず言い放つカロリーヌに根負けし、貴族の一人が持ってきた招待カードを見つめる。

 そこには『急遽ながら、娘の婚約式を行う』とゴラムの文字が書かれていた。

 相手が誰かとは書かれていないので、参加した貴族達は俺を見てさぞ驚いたことだろう。
 『碌でなし王子』に婚約者ができた。噂が広まるのはそう遠い未来ではないはずだ。

 今ここに居る俺の身内はガラハドだけだが、それを聞かれた俺は『第五王子の婚約式ともなると国を上げての準備となる。エスタールに向かう前にこちらの家だけでも』と誰もが納得できるような説明を何度も繰り返していた。

「……別に婚約はいいんだがな。父上や兄上に話を通していないのが気がかりだ」
 話の流れで婚約したものの、勢いみたいなもんだ。王族の婚約となると、色々な事前準備が必要になってくる。
 まあ、『碌でなし王子』が婚約したところで、国に与える影響など微々たるものだ。怒られはするだろうが、なんとかなるだろう。

「私のこと、幸せにして貰えますか?」
 不意に、カロリーヌに問われる。フード越しの目は優しく俺を見つめている。

 そのコバルトグリーンの瞳が、不意に他の瞳へと切り替わった。
 茶色の瞳を持つ、東条つばさの瞳に。俺の前で息絶えかけているつばさの瞳に。

 俺の頭に広がった幻影を振りほどく。
 そうだ。俺は、つばさを幸せにすることができなかった。
 俺に、誰かを幸せにすることはできるのだろうか。その権利があるのだろうか。

「……冗談です。そろそろ始まりますわ」
 何も答えない俺から目を離し、カロリーヌは指先をゴラムへと向ける。
 ガラハドの肩を組み酒を飲んでいたゴラムが丁度、腰を上げていたところだった。
 手には家宝の『魔導弓』が握られている。
 カロリーヌは楽しげに、それを見つめている。その表情に変化は見られない。

 ゴラムは号令をし、注目を集める。
 そして空に向かい、弓を掲げて光る矢を放った。

 弓に番えられた状態で突然生まれた光の矢は螺旋の軌道を描き上昇を続ける。
 雲に届きそうな程上昇した光の矢は、突如分裂し放射線状に広がる。
 それはさながら日本の花火のようでいて、青空にも負けないほど強い輝きを放っていた。

 次々にゴラムから放たれる矢が、青空に花を添えていく。
 時に矢の放つ光のラインが複雑な図形を描いていく。

 美しい光景だった。
 それは空に広がる矢のアートのことだけではない。
 病に冒されながらも、娘の婚約式に花を添えようと弓を引き続ける父親。
 そしてそれを食い入るように見つめる娘。
 本来ならば仇であるはずの存在なのに、それを微塵も感じさせない慈愛に満ちた視線を送っている。
 この二人の親子愛は、絆は、血を越えている。そう思わせる光景だった。

「本当に、ありがとうございます。これで父上も、思い残すことはないでしょう」
 不意にカロリーヌが話しかけてきた。

「そう縁起が悪いことを言うな。ゴラムにはもう少し、長いこと元気でいて貰わないとな」

「いいえ、もう、そう長くはありません。分かるのです。だからこそ、どうしてもこの席を設けたかったのです」

「役に立てたのなら、それでいいさ」

「私も、これで思い残すことはありませんわ。……ようやく、気持ちの整理がつきました」
 気持ちの整理……?

「なんの話だ?」

「貴方様には申し訳ありませんが、この婚約、時期を見て破棄させていただきますわ」
 カロリーヌが顔色も変えずに、きっぱりと言い切る。

「……王族との婚約だ。それを破棄するのか?」

「ええ、何故なら……あなたは私を愛してませんわ」
 図星だった。
 ……それは、そうだ。どれだけ顔が良くとも、合ったばかりの女性に心を惹かれるほど、初心な人生を送っていない。

「愛がなくても、暮らす人生もあると聞くが」

「私は嫌です。……それに、私たちは……私と貴方様の関係はもっと別の方向にあると思います」

「別の方向か。婚約者ではなく、別の関係を望む、というのか」

「ええ、それは“主従関係”ですわ」
 なるほど。
 ……それが、カロリーヌの出した結論か。

「自ら敢えて、俺の従者になると言うのか?」
 俺の問いかけに、カロリーヌは俺の瞳をしっかりと見つめ、答える。

「……私は、貴方様が何をしようとも、仕え続けると決めました。貴方様がどんな状況に置かれようとも、側で支え、お力になりたいと思っています。それは妃としてではありません。貴方が誰かを愛したとき、離れてしまうような関係ではいたくありません。最もお近くで、貴方を支える力の一つに、私はなりたいのです。だから……どうか」
 カロリーヌがテーブルに置かれた俺の拳の上に、そっと手を添える。
 コバルトグリーンの瞳が涙に揺れる。

「どうか、私を従者にしていただけませんでしょうか」
 その言葉の最後はか細く、不安に満ちていた。
 俺の従者になりたい。それは、自分の身体も心も、存在全てを俺に委ねるということ。
 そして、カロリーヌが不安に感じているのは、俺からその申し出を拒絶されることだ。それほどまでの想いを、このちっぽけな存在の俺に向けている。

「……二つ、条件がある」
 俺の回答に、カロリーヌはぱっと顔を上げる

「一つは、ゴラムに、この話をきちんと伝えることだ。俺も付き合う」
 父と娘に、余計な隠し事は不要だ。悲ませるかもしれないが、ゴラムは知っておいた方がいい。

 王子を暗殺しようとしたら、従者になりました。
 案外笑い話になるのかもな。

「もう一つは、明日俺がエスタールへと旅立ってしまうことに関係する。エスタールへは来るな。できる限り、長い時間をかけゴラムとともに居ろ。何年後になるか分からないが、俺が迎えに行く。その日まで待てるか?」
 病に冒された父親を捨ててまで、俺の下へと来て貰いたくはない。
 この親子はできる限り、一緒に居る時間を作っていた方がいい。
 俺の提案に暫く考え、渋々ながらといった表情で頷くカロリーヌ。

「ならば、この時から……お前は俺の従者だ」
 カロリーヌの瞳から、大粒の涙がこぼれた。

「……ともに生きよう。カロリーヌ」

「……はい。ありがとうございます」
 青空に矢の光が舞い散り、一際大きな歓声が広がった。

   *****

 これが、俺と従者カロリーヌの出会いであり、最初の物語だ。
 “半獣”でありながら、弓の英傑を父親に持ち、自信も驚異の弓術を持っている。
 王族との婚約を破棄し、従者の道を選んだ変わり者でもある。

 “雷の英雄”ガラハドと“没落貴族”カロリーヌ。
 平和な世界で気楽に暮らしていた高校生の俺が、王族として生まれ変わり、従者を二人も持つようになった。

 そんなたいした存在ではないのにな。

 愛する女、幼馴染みであるつばさ一人ですら守れなかった男だ。
 十年経った今でも、つばさの死を乗り越えられていない弱い男だ。
 それでも、このよく分からない世界で、よく分からない状況に放り出されても生きていけている。
 こうやって生きていれば、いつかはつばさの死を乗り越えられるのだろうか。

 いつかは、つばさよりも愛する存在ができるのだろうか。

 今はまだ、分からない。この世界で、ただ目の前の出来事に立ち向かっていくだけだ。

 エスタールへと向かうことが決まったのならば、俺はそこで生き抜くため、できる限りの努力を続ける。
 つばさの存在を胸に秘め、俺は生き続ける。
 ド田舎国家と揶揄されるエスタールで骨を埋める人生ならば、別にそれでもいい。
 誅殺され人生の幕を閉じるならばそれでいい。

 俺はこうやって、死を望みながら、生を求めこの世界を生きつづけていた。


 そして六年が経過した。
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