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一章 ――王家の使命――
プロローグ 『伝承』
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王子に生まれ変わった少年は、サキュバスに生まれ変わった少女とは別の世界で十六歳の誕生日を迎えた。
ふたりは違う場所で、それぞれの世界を生きる。
魔族と人間。二つの世界で交錯する、二つの想い。
これは転生したふたりの男女が織りなす、群像物語。
*****
【プロローグ】
そこは薄暗く、カビの匂いが充満した空間だった。
聖堂の会堂を思わせる広い空間がランプの光に照らされる。日が昇りきった時刻であるにも関わらず、太陽の光一つ入らない。
高い天井には大小様々な天使と悪魔が描かれていて、双方入り乱れながら永久に終わらない争いを続けている。
部屋の中央には戦術を議論するための机が設置され、エスタール近辺の地図が乱雑に散らかっていた。
そこから少し離れた位置には安楽椅子が設置され、男が一人、優雅に椅子の軋む音を奏でていた。
部屋に入ったクラウディアは、アーメットの中で眉を潜める。
苦手な男であった。枯れた流木を思わせる細い手足。何を考えているのか分からない窪みきった目。
安楽椅子に座る男は、一見してみるとただの年老いた老人だったが、妙に圧を感じる瞬間がある。
「また、ご覧になられていたのですね。モルドット卿」
男の名はモルドットという。皇帝の遠い親戚関係にあり、帝国領の外れにある僅かな領地を代々、細々と護っている男だった。
それでも、爵位は公爵。ターンブル帝国のレギオン軍団長であるクラウディアが敬語を使う限られた相手だった。
「何故そんなに心を止めておいでなのでしょうか……この女に」
男の視線を追い、壁の一部に目を向ける。
そこには一人の女が描かれた、巨大な絵画が掲げられていた。
椅子に腰掛け、微笑みを浮かべるその女は淡い日差しを浴び、艶やかな黒い髪を魅せ付けている。
黒いローブの中央に切れ目が入っていて、豊満な胸を最大限に主張していたが、下品な印象は覚えない。
寧ろ、神々しさすら覚えてしまうほど、形の整った体型をしていた。
その姿は妖艶で神秘的だった。
見る者全ての魂を掴み取る程の、暴力的な美しさを秘めた写実絵画だ。
女であるクラウディアですら、何も知らずに見たならばその美しさに時間を忘れて佇んでいたことだろう。
この女が、ターンブル帝国を混沌へと陥れた『厄災』だと知らなければだが。
「『帝都の厄災』エルデナ……五百年前に当時の皇帝を籠絡させ、堕落させた存在。こうしてみると、それも無理のない話だと思えます」
五百年前、皇室に一人の女が迎え入れられた。
その女は誰もが羨むほどの美貌を持ち、豊麗な体を武器に、皇帝を瞬く間に虜にしたという。
堕落した傀儡を得た女は次第に本性を現し、『厄災』を呼び寄せた。
それはつまり、内戦だった。
皇帝の親衛隊長処刑を皮切りに、刃向かう者の首を次々に並び立て、戦乱は季節が変わるよりも早く広がりを見せる。
激しい内戦の中で自らは贅の限りを尽くし、跳ね上がる税により民は食べる物にも困窮するようになった。
犯罪が溢れかえり、疫病が蔓延する帝都は絶望に満たされた。
事態を重く見た周辺諸国が立ち上がり、力を纏め激しい戦いを繰り広げる。そして多くの犠牲を払い、遂に『厄災』を討ち滅ぼした。
その間五年の出来事ではあったが、帝都の受けた打撃は計り知れないものとなった。
犠牲者は不明、数十万人と文献に記されている時もあれば、百万とも二百万とも記されるときもある。
こうして帝都の受けた『厄災』は語り継がれることになる。
これが、大陸に住まう人間全てが知る“帝都の『厄災』エルデナ”の伝承だ。
クラウディアも幼い頃、お伽噺として親に読み聞かされた経験がある。
今こうして、クラウディアと向かい合う美しい女の絵。これこそが、エルデナの姿が描かれた、唯一世界に現存する肖像画だとされていた。
「美など超越した存在だよ。彼女は人の心に大きな楔を残した。“畏怖”の感情をね。“『厄災』は二度、帝都に訪れる”その諺のように、我々は常に準備を進め、意識の一部を傾けていなくてはならないね」
災いは突如やってくるのだから、常に注意を払え、という意味合いの諺だ。
だが、老人の言葉にクラウディアは首を振る。
「お伽噺を信じておられるのですか」
「お伽噺などではないよ。『厄災』は確かに有り、混沌は常に人の世の様子を伺っている。圧倒的な力の前に、人はただただ無力だ」
「此度のエスタールの件も……その準備の一環なのでしょうか」
クラウディアの言葉に男は応えず、ただ安楽椅子を揺らしている。
「使者としてエヌオーを向かわせました。必ずや、良い結果を持ち帰るかと」
金色の髪を肩で切り揃えた、独特の髪型をした男を思い浮かべる。
千人隊長エヌオー。
気を許せない部下ではあったが、結果を出す男であった。その狡猾とも取れる抜かりない動きには、クラウディアもある程度評価している。
「それに関しては、私は“どちらでも”良いのだけどね」
「であればお考えを」
クラウディアの進言に、モルドットは首を振る。
「どう転ぼうとも、欲しいものは手に入れる。至宝は必要な者の手に渡るべきとは思わないか?」
自分の発言に低く笑いを発する老人の姿は不気味で、怪異を思わせる。
「なんにせよ――」
老人は再び、『厄災』を見つめる。
その目には、本来大陸の人間が抱くはずの畏れや憎しみは一切帯びていない。
変わりにあるのは――
「宝玉は私が手に入れる」
悲鳴に近い笑い声を背に浴びながら、クラウディアは軍備を整えるためモルドットの屋敷を後にした。
ふたりは違う場所で、それぞれの世界を生きる。
魔族と人間。二つの世界で交錯する、二つの想い。
これは転生したふたりの男女が織りなす、群像物語。
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【プロローグ】
そこは薄暗く、カビの匂いが充満した空間だった。
聖堂の会堂を思わせる広い空間がランプの光に照らされる。日が昇りきった時刻であるにも関わらず、太陽の光一つ入らない。
高い天井には大小様々な天使と悪魔が描かれていて、双方入り乱れながら永久に終わらない争いを続けている。
部屋の中央には戦術を議論するための机が設置され、エスタール近辺の地図が乱雑に散らかっていた。
そこから少し離れた位置には安楽椅子が設置され、男が一人、優雅に椅子の軋む音を奏でていた。
部屋に入ったクラウディアは、アーメットの中で眉を潜める。
苦手な男であった。枯れた流木を思わせる細い手足。何を考えているのか分からない窪みきった目。
安楽椅子に座る男は、一見してみるとただの年老いた老人だったが、妙に圧を感じる瞬間がある。
「また、ご覧になられていたのですね。モルドット卿」
男の名はモルドットという。皇帝の遠い親戚関係にあり、帝国領の外れにある僅かな領地を代々、細々と護っている男だった。
それでも、爵位は公爵。ターンブル帝国のレギオン軍団長であるクラウディアが敬語を使う限られた相手だった。
「何故そんなに心を止めておいでなのでしょうか……この女に」
男の視線を追い、壁の一部に目を向ける。
そこには一人の女が描かれた、巨大な絵画が掲げられていた。
椅子に腰掛け、微笑みを浮かべるその女は淡い日差しを浴び、艶やかな黒い髪を魅せ付けている。
黒いローブの中央に切れ目が入っていて、豊満な胸を最大限に主張していたが、下品な印象は覚えない。
寧ろ、神々しさすら覚えてしまうほど、形の整った体型をしていた。
その姿は妖艶で神秘的だった。
見る者全ての魂を掴み取る程の、暴力的な美しさを秘めた写実絵画だ。
女であるクラウディアですら、何も知らずに見たならばその美しさに時間を忘れて佇んでいたことだろう。
この女が、ターンブル帝国を混沌へと陥れた『厄災』だと知らなければだが。
「『帝都の厄災』エルデナ……五百年前に当時の皇帝を籠絡させ、堕落させた存在。こうしてみると、それも無理のない話だと思えます」
五百年前、皇室に一人の女が迎え入れられた。
その女は誰もが羨むほどの美貌を持ち、豊麗な体を武器に、皇帝を瞬く間に虜にしたという。
堕落した傀儡を得た女は次第に本性を現し、『厄災』を呼び寄せた。
それはつまり、内戦だった。
皇帝の親衛隊長処刑を皮切りに、刃向かう者の首を次々に並び立て、戦乱は季節が変わるよりも早く広がりを見せる。
激しい内戦の中で自らは贅の限りを尽くし、跳ね上がる税により民は食べる物にも困窮するようになった。
犯罪が溢れかえり、疫病が蔓延する帝都は絶望に満たされた。
事態を重く見た周辺諸国が立ち上がり、力を纏め激しい戦いを繰り広げる。そして多くの犠牲を払い、遂に『厄災』を討ち滅ぼした。
その間五年の出来事ではあったが、帝都の受けた打撃は計り知れないものとなった。
犠牲者は不明、数十万人と文献に記されている時もあれば、百万とも二百万とも記されるときもある。
こうして帝都の受けた『厄災』は語り継がれることになる。
これが、大陸に住まう人間全てが知る“帝都の『厄災』エルデナ”の伝承だ。
クラウディアも幼い頃、お伽噺として親に読み聞かされた経験がある。
今こうして、クラウディアと向かい合う美しい女の絵。これこそが、エルデナの姿が描かれた、唯一世界に現存する肖像画だとされていた。
「美など超越した存在だよ。彼女は人の心に大きな楔を残した。“畏怖”の感情をね。“『厄災』は二度、帝都に訪れる”その諺のように、我々は常に準備を進め、意識の一部を傾けていなくてはならないね」
災いは突如やってくるのだから、常に注意を払え、という意味合いの諺だ。
だが、老人の言葉にクラウディアは首を振る。
「お伽噺を信じておられるのですか」
「お伽噺などではないよ。『厄災』は確かに有り、混沌は常に人の世の様子を伺っている。圧倒的な力の前に、人はただただ無力だ」
「此度のエスタールの件も……その準備の一環なのでしょうか」
クラウディアの言葉に男は応えず、ただ安楽椅子を揺らしている。
「使者としてエヌオーを向かわせました。必ずや、良い結果を持ち帰るかと」
金色の髪を肩で切り揃えた、独特の髪型をした男を思い浮かべる。
千人隊長エヌオー。
気を許せない部下ではあったが、結果を出す男であった。その狡猾とも取れる抜かりない動きには、クラウディアもある程度評価している。
「それに関しては、私は“どちらでも”良いのだけどね」
「であればお考えを」
クラウディアの進言に、モルドットは首を振る。
「どう転ぼうとも、欲しいものは手に入れる。至宝は必要な者の手に渡るべきとは思わないか?」
自分の発言に低く笑いを発する老人の姿は不気味で、怪異を思わせる。
「なんにせよ――」
老人は再び、『厄災』を見つめる。
その目には、本来大陸の人間が抱くはずの畏れや憎しみは一切帯びていない。
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