忘れて幸せになってください。〜冷酷な妻として追い出せれましたが、貴方の呪いは私が肩代わりしていました〜

しょくぱん

文字の大きさ
4 / 22

第4話:代償の不在

「……っ」
早暁の冷気が、ガストンの庵を包み込んでいた。
エルゼは荒い呼吸を整えながら、手の中に灯した小さな魔力の火を見つめていた。
それはかつての聖なる純白ではなく、どす黒い灰色の混じった、濁った光だった。
「どうした。それっぽっちの魔力で、何ができるというのだ」
背後からガストンの冷徹な声が飛ぶ。
彼は朝の薬草粥を啜りながら、エルゼの不器用な手つきを鼻で笑った。
「お前がこれまで注いできたのは、ただの献身という名の甘えあまえだ。自分の命を削って他人の傷を埋める。それは魔法ではない。ただの自傷行為だ」
エルゼは悔しさに唇を噛み、手の中の光を握りつぶした。
声はまだ出ない。
だが、喉の奥にある魔力の源泉――魔力炉まりょくろが、これまでとは違う疼きを見せている。
三年間、彼女はアルフレートの苦痛を吸い上げるための「器」として自分を定義していた。
しかし、ガストンに叩き込まれているのは、吸い上げた呪いを「燃料」として再定義し、己の力として変換へんかんする術だった。
『……でも、私は。彼が苦しむのを、黙って見ていられない』
震える手で羊皮紙に書き記すエルゼに、ガストンは器を置いた。
「ならば、現実を見ろ。お前があの城を去ってから、公爵領がどうなっているかをな」
ガストンが古びた水晶球に手をかざすと、そこにはシュヴァルツ公爵領の無残な光景が映し出された。
かつて豊かな実りを見せていた麦畑は黒く変色し、家畜は泡を吹いて倒れている。
領民たちの顔には、不気味な紫色の斑点――「魔病」の兆候が表れていた。
エルゼは目を見開いた。
彼女は知らなかった。
自分がアルフレートの呪いを肩代わりしていた副産物として、彼女の溢れ出た聖魔力が、無意識のうちに領地全域を包むとなっていたことを。
守護の要であるエルゼが消えたことで、領地の防壁は霧散し、溜まっていた魔素が「瘴気」となって溢れ出したのだ。
(そんな……私のせいで、みんなが……)
『私が行きます。薬草を。せめて、病を止めるための手伝いをさせてください』
「勝手にしろ。だが、その顔で歩けばすぐに公爵家の追っ手に見つかるぞ」
ガストンは呆れたように言い、ボロボロの深編み笠をエルゼに放り投げた。

公爵城の回廊を、アルフレートは荒い足取りで進んでいた。
鎧の触れ合う音が、静まり返った城内に不気味に響く。
「……報告しろ」
「はっ。領内全域で発生した魔病ですが、いまだ原因が特定できておりません。リリアーヌ様の祈祷も……その、効果が薄く……」
報告する騎士の声が震えている。
アルフレートの背後に立つリリアーヌは、真っ青な顔で唇を噛んでいた。
「わたくしの祈りが通じないはずがありませんわ!これは、あの女……エルゼが、去り際にかけた呪いに違いありません!」
「黙れ」
アルフレートの短い一言に、リリアーヌは息を呑んだ。
彼の碧眼には、以前のようなリリアーヌへの盲信はない。
むしろ、彼女の声を聞くたびに、頭の奥をノコギリで挽かれるような激痛が走るのだ。
彼の手の中には、いまだにエルゼのロケットが握られていた。
これを手放すと、自分の中の何かが完全に壊れてしまうという予感があった。
「俺が直接、現地へ行く。騎士団を編成しろ」
「しかし、公爵閣下!閣下のお体もまだ……」
「構わん。この領地を守るのが、俺の義務だ」
アルフレートは吐き捨てるように言い、マントを翻した。
彼が馬に跨り、城門を抜けた瞬間。
視界の端に、かつて見たことのないほど濃い瘴気の雲が、領地の外れに立ち昇るのが見えた。

辺境の村、クロイツ。
ここは今、まさに魔病の地獄と化していた。
人々は高熱に浮かされ、全身を走る「黒い筋」に怯えながら、神に祈りを捧げていた。
そこへ、一人の少女が現れた。
泥を被ったような灰色の外套に、顔を隠す深い笠。
彼女は一言も発することなく、倒れた老人たちの側に膝をついた。
(苦しい……よね。でも、大丈夫。この痛みなら、私が知っている)
エルゼは、ガストンから教わった「変換」の術を試みる。
以前のように、ただ相手の病を自分に移すのではない。
相手の体内にある瘴気を「魔力」として引き抜き、自身の痣に取り込んだ後、それを中和して大気へ逃がす。
「……あ……あぁ……」
老人の顔から、みるみるうちに紫色の斑点が消えていく。
エルゼの右腕の痣が、一瞬だけ不気味に発光したが、彼女は激痛を堪えて次の患者へと向かった。
「……薬師様だ。薬師様が来てくださったぞ!」
村人たちが、救いを求めて彼女の周りに集まり始める。
エルゼは必死に手を動かした。
一人、また一人と救っていくうちに、彼女の呼吸は荒くなり、視界は点滅を始めた。
変換の効率が悪すぎる。今の彼女の魔力炉では、これほど大規模な浄化には耐えられない。
その時だ。
「どけ!公爵閣下のお通りだ!」
村の入り口から、数騎の馬が駆け込んできた。
先頭に立つのは、黒い鎧を纏ったアルフレートだ。
エルゼの心臓が跳ね上がった。
会いたい。でも、会ってはいけない。
今の自分は、彼にとって「追放した毒婦」でしかないのだから。
彼女は深く笠を被り直し、群衆の中に紛れようとした。
だが、その背中に、聞き慣れた、しかし氷のように冷たい声が浴びせられた。
「待て。貴様……そこで何をしている」
アルフレートが馬を降り、エルゼへと歩み寄る。
彼の周囲に漂う瘴気が、エルゼの持つ「中和魔力」に反応して激しく渦巻いた。
アルフレートは、目の前の小さな背中に、言いようのない既視感を覚えていた。
泥に汚れ、ボロボロの服を着た、名前も知らない薬師。
だが、その周囲に漂う空気だけが、今の彼にとって唯一の「安らぎ」を感じさせるものだったのだ。
「顔を上げろ」
命じられ、エルゼはゆっくりと振り返った。
笠の隙間から、わずかに銀色の髪がこぼれ落ちる。
「……っ、その髪……」
アルフレートの瞳が大きく見開かれた。
記憶の深淵に沈んでいた「大切な色」が、目の前の光景と重なり合う。
彼は思わず手を伸ばし、彼女の笠を跳ね除けようとした。
その瞬間。
地響きと共に、村の境界にある森から巨大な影が飛び出した。
瘴気に当てられ、理性を失った変異種バリアントの魔獣だ。
「グオオオオオオッ!!」
魔獣の狙いは、浄化の源であるエルゼだった。
アルフレートは反射的に剣を抜いたが、同時に彼の胸を凄まじい発作が襲った。
「ぐ、……あ、が……ッ!」
呪いの反動。
彼がエルゼを「必要だ」と認識しようとするたびに、忘却の呪いが彼の精神を破壊はかいしようとする。
「閣下!」
「アルフレート様!」
騎士たちが叫ぶ中、魔獣の鋭い爪がアルフレートへと振り下ろされる。
(――ダメ!!)
エルゼは声を上げようとした。
だが、喉からは掠れた音さえ出ない。
彼女は考えるよりも先に、アルフレートの前へと飛び出していた。
自身の右腕を、盾にするように突き出して。
「……代償だいしょう……展開!!」
心の内で叫んだ瞬間、エルゼの右腕の黒痣が爆発的な光を放った。
それは魔獣の一撃を受け止めると同時に、アルフレートの中に渦巻いていた呪いの残滓をも、強制的に吸い上げていく。
光が収まったとき、魔獣は灰となって消え、エルゼは力なくその場に崩れ落ちた。
「……おい、貴様……大丈夫か」
アルフレートが、震える手で彼女の肩を掴む。
地面に落ちた笠の下から、露わになった彼女の顔。
涙に濡れ、苦痛に歪みながらも、自分を案じるその瞳。
「……エル……ゼ……?」
その名を彼が唇に乗せた瞬間。
公爵城の方向から、空を裂くような不気味な叫び声が響き渡った。
リリアーヌが管理していたはずの「何か」が、ついに決壊した音だった。
感想 2

あなたにおすすめの小説

片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた

アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。 高校生くらいから何十回も告白した。 全て「好きなの」 「ごめん、断る」 その繰り返しだった。 だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。 紛らわしいと思う。 彼に好きな人がいるわけではない。 まだそれなら諦めがつく。 彼はカイル=クレシア23歳 イケメンでモテる。 私はアリア=ナターシャ20歳 普通で人には可愛い方だと言われた。 そんなある日 私が20歳になった時だった。 両親が見合い話を持ってきた。 最後の告白をしようと思った。 ダメなら見合いをすると言った。 その見合い相手に溺愛される。

救国の代償で白髪になった聖女、一度のミスを理由に「無能の戦犯」として追放される ~隣国の覇王に拾われ、愛され、奇跡の力を見せつける~

スカッと文庫
ファンタジー
聖女アリシアは、百年に一度の大氾濫から国を守るため、禁忌の魔力全解放を行い、単身で数万の魔物を殲滅した。その代償として、彼女の美しい金髪は真っ白な「白雪色」に染まり、魔力は一時的に枯渇してしまう。 しかし、その功績はすべて現場にいなかった「偽聖女セシリア」に奪われ、アリシアは「結界を一部損壊させた戦犯」「魔力を失った役立たず」として、婚約者の王太子ギルバートから国外追放を言い渡される。 「失敗したゴミに、この国の空気は吸わせない」 泥の中に捨てられたアリシア。しかし、彼女を拾ったのは、敵対国として恐れられていた帝国の「武徳皇帝」ラグナールだった。彼はアリシアの白髪が「高純度の神聖魔力による変質」であることを瞬時に見抜き、彼女を帝国の宝として迎える。 数ヶ月後。アリシアが帝国の守護聖女として輝きを取り戻した頃、王国では「一度きりの奇跡」だったセシリアの魔力が尽き、本当の滅亡が始まっていた。 「今さら結界が解けたと泣きつかれても、もう私の魔力は一滴も残っていません」

ゴースト聖女は今日までです〜お父様お義母さま、そして偽聖女の妹様、さようなら。私は魔神の妻になります〜

嘉神かろ
恋愛
 魔神を封じる一族の娘として幸せに暮していたアリシアの生活は、母が死に、継母が妹を産んだことで一変する。  妹は聖女と呼ばれ、もてはやされる一方で、アリシアは周囲に気付かれないよう、妹の影となって魔神の眷属を屠りつづける。  これから先も続くと思われたこの、妹に功績を譲る生活は、魔神の封印を補強する封魔の神儀をきっかけに思いもよらなかった方へ動き出す。

【完結】「まずい」と騒ぐだけの毒見役は不要だと追い出されましたが、隣国王子の食卓を守ったら手放してもらえなくなりました

にたまご
恋愛
「穢れた血の孤児が王族の食に触れるな」 七年間、王宮の毒見役として「まずい」と言い続けた少女は、ある日追い出された。 誰も知らなかった。彼女が「まずい」と言うたびに足していた調味料が、食事に混ぜられた毒を中和していたことを。 辿り着いた国境の村の宿屋で、フィーアは初めて自分の料理を作った。 毎日通い詰める無口な旅の商人は、体調が悪そうなのに、フィーアの料理だけは「美味い」と言ってくれて—— 彼の銀杯のワインを一口もらった時、フィーアの舌が反応した。 「……にがい」 ※短編完結/追放/ざまぁ/溺愛

『婚約者を大好きな自分』を演じてきた侯爵令嬢、自立しろと言われたので、好き勝手に生きていくことにしました

皇 翼
恋愛
「リーシャ、君も俺にかまってばかりいないで、自分の趣味でも見つけて自立したらどうだ?正直、こうやって話しかけられるのはその――やめて欲しいんだ……周りの目もあるし、君なら分かるだろう?」 頭を急に鈍器で殴られたような感覚に陥る一言だった。 彼がチラリと見るのは周囲。2学年上の彼の教室の前であったというのが間違いだったのかもしれない。 この一言で彼女の人生は一変した――。 ****** ※タイトル少し変えました。 ・暫く書いていなかったらかなり文体が変わってしまったので、書き直ししています。 ・トラブル回避のため、完結まで感想欄は開きません。

「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした

ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?  ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

【完結】「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」と言っていた婚約者と婚約破棄したいだけだったのに、なぜか契約聖女になってしまいました

As-me.com
恋愛
完結しました。 番外編(編集済み)と、外伝(新作)アップしました。  とある日、偶然にも婚約者が「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」とお友達に楽しそうに宣言するのを聞いてしまいました。  例え2番目でもちゃんと愛しているから結婚にはなんの問題も無いとおっしゃっていますが……そんな婚約者様がとんでもない問題児だと発覚します。  なんてことでしょう。愛も無い、信頼も無い、領地にメリットも無い。そんな無い無い尽くしの婚約者様と結婚しても幸せになれる気がしません。  ねぇ、婚約者様。私はあなたと結婚なんてしたくありませんわ。絶対婚約破棄しますから!  あなたはあなたで、1番好きな人と結婚してくださいな。 ※この作品は『「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」と婚約者が言っていたので、1番好きな女性と結婚させてあげることにしました。 』を書き直しています。内容はほぼ一緒ですが、細かい設定や登場人物の性格などを書き直す予定です。