死ぬ瞬間にだけ、愛してほしい

しょくぱん

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第9話:さよなら、私の光

 地下最下層の独房には、もはや光は届かない。
 エルゼは冷え切った壁に背を預け、混濁する意識の中で、自身の命の灯火が消え入りそうになっているのを感じていた。

 視界は、完全に白に塗りつぶされた。
 何も見えない。けれど、胸の奥で繋がっている「彼」の鼓動だけは、皮肉なほど鮮明に伝わってくる。
 ……ドクン、ドクンと、不規則に跳ねるアルベルトの鼓動。彼の中に蓄積された魔力の残滓が、毒となって彼の体を蝕もうとしている。

(……このままでは、あの人は死んでしまう……)

 自分が死ねば、彼を繋ぎ止めている「身代わり」の契約が解ける。そうなれば、彼は自分に向けられたすべての呪いとダメージを、一気に引き受けることになるだろう。
 エルゼは、もはや感覚のない指を組み、最後の祈りを捧げた。

「……ッ、……ぁ、……」

 声にならない喉を震わせ、彼女は自らの「存在」を担保にした禁忌の術を編み始める。
 私の命を、私の魂を、すべて彼に譲り渡す。私が死んでもなお、私の愛が彼を守る「盾」として残るように。

 その時、重い扉が開き、硬い軍靴の音が響いた。
 ――アルベルトだ。

「……まだ、呪い(うた)を編んでいるのか。往生際が悪い」

 その声に、エルゼは僅かに顔を上げた。
 何も見えない。けれど、そこに彼がいる。それだけで、凍りついた心が僅かに解ける。
 アルベルトは独房の鉄格子越しに、白銀の髪に覆われ、幽霊のように衰弱した義妹を、冷徹な目で見つめていた。

「リリアーヌから聞いた。お前は自分の死をもって私に消えない『呪い』を残そうとしていると。……どこまで執念深い女だ」

 エルゼは、懸命に彼の方へ手を伸ばした。
 触れたい。
 あなたのその温かい手に、最後にもう一度だけ。

 だが、その手は虚しく空を切り、鉄格子に冷たく阻まれた。
 アルベルトは、彼女の手を汚らわしいものとして避け、冷酷な宣告を下す。

「お前の処刑書に署名してきた。明日の朝、お前はこの世から消える。……ようやく、不快な影から解放される」

 解放。
 ああ、そうなのですね。
 私がいることが、あなたをそんなに苦しめていたのですね。

 エルゼは、血の気の失せた唇を、ゆっくりと動かした。
 音は出ない。けれど、魂を込めて。

『――さ、よ、な、ら。……あ、い、して……いま、す……』

 アルベルトの眉が、ピクリと動いた。
 暗闇の中、彼は彼女の唇の動きを見た。だが、歪んだ先入観は、その言葉を全く別の意味へと変換する。

「……『死、ね』……だと? 最後まで私を呪うか、エルゼ!」

 彼は激昂し、鉄格子を強く蹴った。
 金属音が脳内に響き、エルゼの意識は一気に闇へと沈み込む。
 術式が完成した。
 エルゼの体から、最後の光が抜けていく。

「……消えろ。二度と、私の前に現れるな」

 背を向けて去っていく足音。
 それが、彼女が聞いた最後の「彼の声」だった。

 アルベルトは気づかない。
 牢を出た瞬間、あれほど彼を苦しめていた眩暈が嘘のように消え、代わりに胸の古傷が、引き裂かれるような悲鳴を上げて疼き出したことに。

 独房の中で、エルゼは静かに横たわった。
 瞳からは完全に色が消え、髪は雪のように白く、命の輝きは失われた。
 けれど、その唇には、彼を救い出せたことへの、哀しくも美しい微笑みが残っていた。

「……さよなら、私の……光……」

 暗闇が、すべてを飲み込んでいった。
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