死ぬ瞬間にだけ、愛してほしい

しょくぱん

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第10話:鉄格子の向こうの愛

 処刑の朝は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。
 アルベルトは執務室の窓から、処刑場へと続く石畳を見下ろしていた。胸の古傷が、朝から焼けるように熱い。まるで誰かがそこを、内側から爪で掻きむしっているかのような、鈍く、絶え間ない痛み。

(……これで、終わりだ)

 自分を呪い、最愛のリリアーヌを苦しめた義妹が消える。平穏が戻るはずだった。
 だが、扉を叩く音とともに駆け込んできた衛兵の顔は、幽霊でも見たかのように青ざめていた。

「報告します! ……地下最下層の独房から、囚人・エルゼが消失いたしました!」
「何だと……? 逃げ出したというのか、あの体で」
「いえ……逃走の跡は一切なく。ただ、牢の中には……」

 アルベルトは突き動かされるように地下へ向かった。
 冷たく湿った空気。数日前、自分が彼女に「消えろ」と吐き捨てた場所。

 鉄格子を開けると、そこはもぬけの殻だった。
 ただ、彼女が横たわっていたはずの石畳の上には、彼女の髪だったのか、雪のように白い、透き通った絹糸のような「魔力の残滓」だけが、冷たく降り積もっている。

「……リリアーヌの言う通り、呪術で姿をくらませたか」

 アルベルトは毒づいた。だが、その声は震えていた。
 ふと、隅の方に何かが落ちているのが見えた。
 泥にまみれ、乾いた血に汚れ、ボロボロになった――一枚の布切れ。

 アルベルトはそれを拾い上げた。
 それは、十年前の演習中に彼が失くした、王家の刺繍入りのハンカチだった。

「なぜ、これを……。……っ!!」

 布に触れた瞬間。
 アルベルトの脳内に、激流のような「感情」が流れ込んできた。

 ――冷たい雨の中、泥にまみれてこれを抱きしめる少女の絶望。
 ――毒で喉を焼かれながら、自分に口づけをして毒を吸い出す、狂おしいほどの自己犠牲。
 ――「死ね」と言ったはずの唇が、本当は「愛している」と動いていた、あまりにも透明な真実。

「が、はっ…………!」

 アルベルトは膝をついた。
 胸の傷が、これまでにない衝撃を伴って拍動する。
 あの日、森で自分を救った「歌声」。
 昨日まで隣にいたリリアーヌの甘い声とは違う。もっと低くて、震えていて、命そのものを削り出すような、あの地下室で聞いた掠れた呼吸と同じ――。

「……嘘だ。……そんなはずは、ない……」

 彼はハンカチを握りしめた。
 布からは、彼女の血の匂いと、微かな、だが確かに彼を慈しむような優しい魔力の気配がした。
 自分が「不快だ」と切り捨てたものが、自分を「生かして」いた。

「殿下、どうなさいましたの?」

 牢の入り口に、リリアーヌが立っていた。
 彼女は空っぽの牢を見て、一瞬だけ舌打ちをするような顔を見せたが、すぐにいつもの聖女の微笑みを貼り付けた。

「やはりあの女、魔女の類でしたのね。殿下にこれ以上の呪いをかける前に、消えてくれてよかったですわ。さあ、行きましょう?」

 アルベルトは、自分に差し出されたリリアーヌの手を見た。
 白くて、美しくて、何の傷もない手。
 なぜだろう。その手が、今は酷く空虚に見えた。

「……触れるな」
「え……?」
「……今は、私に触れるな、リリアーヌ」

 アルベルトはハンカチを懐深く押し込み、リリアーヌを見ることなく牢を後にした。
 鉄格子の向こうには、まだ彼女の「愛」が、冷たい温度として残っているような気がした。

 世界から彼女の声が消え、彼女の姿が消えた。
 それなのに、アルベルトの胸の痛みは、かつてないほど鮮明に「エルゼ」という存在を刻み始めていた。
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