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第13話:嘘の綻び、雨の再会
凍てつく雨が、王宮の石畳を叩いていた。
北の寒村から、馬を潰さんばかりの勢いで帰還したアルベルトは、腕の中に白銀の塊――もはや生身の人間とは思えぬほど軽く、冷たくなったエルゼを抱きしめていた。
「アルベルト様! お戻りになられたのです……ッ!?」
玄関ホールで彼を待ち構えていたのは、豪奢なドレスを纏ったリリアーヌだった。しかし、彼の腕に抱かれた「罪人」の姿を見た瞬間、彼女の美しい貌(かたち)は醜く歪んだ。
「なぜ、その死体を引きずってこられたのです!? 早くその不浄なものを捨てさせ、お着替えを。殿下のお体に、魔女の呪いが移ってしまいますわ!」
「……不浄、か」
アルベルトの低い声が、ホールの高い天井に反響した。
彼はリリアーヌを一度も視界に入れぬまま、駆け寄った侍医を鋭い眼光で射抜く。
「この者を離宮へ運べ。……国で一番の、いや、世界で一番の治療を施せ。死なせることは、私が許さん」
「なっ……何を……!?」
呆然とするリリアーヌを無視し、エルゼは寝台へと運ばれていった。
数刻後。離宮の寝室の外で待つアルベルトの前に、顔面を蒼白にした老侍医が震えながら現れた。
「……殿下、これは……あまりにも、酷すぎます」
「申せ。すべてだ」
「喉の奥の粘膜は腐食性の毒で完全に焼き潰されており……さらに、長年の間、尋常ではない量の生命力を『誰か』に譲渡し続けてきた形跡があります。その代償として、五感のほとんどが機能しておらず、内臓は老人のように衰えています。……正直に申し上げて、今、息をしていること自体が奇跡なのです」
侍医の言葉が、鋭利な刃となってアルベルトの心臓を抉った。
喉の毒。それは、彼が「自分への辱め」だと信じていた、あの晩餐会での口づけの証だった。
「アルベルト様、侍医の言葉を信じてはなりませんわ!」
リリアーヌが、彼の腕に必死に縋り付く。
「その女は、わたくしを貶めるために自ら毒を飲み、殿下の寵愛を奪おうと……!」
「――黙れ、リリアーヌ」
アルベルトは、己を律していた理性の糸が、ぷつりと切れる音を聞いた。
彼は懐から、あの泥に汚れたハンカチと、村で見つけた無傷の薬瓶を取り出した。
「お前は、彼女がこれを盗んで壊したと言ったな。……だが、これは傷一つなく彼女が守り抜いていた。そして……お前は毎日私に祈りを捧げていると言ったな」
アルベルトは、自身の手首を掴むリリアーヌの手を乱暴に振り払った。
「ならばなぜ、私の胸の傷が疼くたび、隣にいるお前ではなく、遠く離れた地で彼女(エルゼ)が血を吐くのだ!? なぜお前が触れると不快なほどに冷え、彼女の残り香に触れるだけで、この痛みは安らぐのか答えろ!!」
「そ、れは……、殿下が呪われているからで……!」
「いい加減にしろ、この偽物めッ!!」
アルベルトの怒号が響き渡り、リリアーヌはその場にへたり込んだ。
彼女の完璧な仮面が剥がれ落ち、そこには保身と欲望に塗れた、ただの女の顔があった。
アルベルトは、彼女を振り返ることもなく、エルゼが眠る部屋の扉を開けた。
そこには、死の淵にいながらなお、彼に「痛み」を返さぬよう、音のない深い呼吸で呪いを飲み込み続けている、哀れな真実の聖女がいた。
アルベルトは彼女の傍らに跪き、感覚のない白い手を、自分の頬に押し当てた。
取り返しのつかない罪の意識が、涙となって彼の瞳から溢れ出した。
北の寒村から、馬を潰さんばかりの勢いで帰還したアルベルトは、腕の中に白銀の塊――もはや生身の人間とは思えぬほど軽く、冷たくなったエルゼを抱きしめていた。
「アルベルト様! お戻りになられたのです……ッ!?」
玄関ホールで彼を待ち構えていたのは、豪奢なドレスを纏ったリリアーヌだった。しかし、彼の腕に抱かれた「罪人」の姿を見た瞬間、彼女の美しい貌(かたち)は醜く歪んだ。
「なぜ、その死体を引きずってこられたのです!? 早くその不浄なものを捨てさせ、お着替えを。殿下のお体に、魔女の呪いが移ってしまいますわ!」
「……不浄、か」
アルベルトの低い声が、ホールの高い天井に反響した。
彼はリリアーヌを一度も視界に入れぬまま、駆け寄った侍医を鋭い眼光で射抜く。
「この者を離宮へ運べ。……国で一番の、いや、世界で一番の治療を施せ。死なせることは、私が許さん」
「なっ……何を……!?」
呆然とするリリアーヌを無視し、エルゼは寝台へと運ばれていった。
数刻後。離宮の寝室の外で待つアルベルトの前に、顔面を蒼白にした老侍医が震えながら現れた。
「……殿下、これは……あまりにも、酷すぎます」
「申せ。すべてだ」
「喉の奥の粘膜は腐食性の毒で完全に焼き潰されており……さらに、長年の間、尋常ではない量の生命力を『誰か』に譲渡し続けてきた形跡があります。その代償として、五感のほとんどが機能しておらず、内臓は老人のように衰えています。……正直に申し上げて、今、息をしていること自体が奇跡なのです」
侍医の言葉が、鋭利な刃となってアルベルトの心臓を抉った。
喉の毒。それは、彼が「自分への辱め」だと信じていた、あの晩餐会での口づけの証だった。
「アルベルト様、侍医の言葉を信じてはなりませんわ!」
リリアーヌが、彼の腕に必死に縋り付く。
「その女は、わたくしを貶めるために自ら毒を飲み、殿下の寵愛を奪おうと……!」
「――黙れ、リリアーヌ」
アルベルトは、己を律していた理性の糸が、ぷつりと切れる音を聞いた。
彼は懐から、あの泥に汚れたハンカチと、村で見つけた無傷の薬瓶を取り出した。
「お前は、彼女がこれを盗んで壊したと言ったな。……だが、これは傷一つなく彼女が守り抜いていた。そして……お前は毎日私に祈りを捧げていると言ったな」
アルベルトは、自身の手首を掴むリリアーヌの手を乱暴に振り払った。
「ならばなぜ、私の胸の傷が疼くたび、隣にいるお前ではなく、遠く離れた地で彼女(エルゼ)が血を吐くのだ!? なぜお前が触れると不快なほどに冷え、彼女の残り香に触れるだけで、この痛みは安らぐのか答えろ!!」
「そ、れは……、殿下が呪われているからで……!」
「いい加減にしろ、この偽物めッ!!」
アルベルトの怒号が響き渡り、リリアーヌはその場にへたり込んだ。
彼女の完璧な仮面が剥がれ落ち、そこには保身と欲望に塗れた、ただの女の顔があった。
アルベルトは、彼女を振り返ることもなく、エルゼが眠る部屋の扉を開けた。
そこには、死の淵にいながらなお、彼に「痛み」を返さぬよう、音のない深い呼吸で呪いを飲み込み続けている、哀れな真実の聖女がいた。
アルベルトは彼女の傍らに跪き、感覚のない白い手を、自分の頬に押し当てた。
取り返しのつかない罪の意識が、涙となって彼の瞳から溢れ出した。
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