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第19話:あの日、君がくれたもの
アルベルトは、狂ったように離宮の北端にある物置へと走っていた。
かつて自分が「不浄な者を近づけるな」と命じたその場所は、陽の光も届かず、埃とカビの臭いが立ち込める、人間を閉じ込めるにはあまりに無慈悲な空間だった。
「エルゼ……! エルゼ!!」
裏返った声で叫びながら、彼は腐りかけた扉の鍵を剣の柄で叩き壊した。
扉が跳ね上がり、暗闇の中に一筋の光が差し込む。
そこには、冷たい石床の上に膝を抱えて丸まる、小さな「影」があった。
差し込んだ光に反射して、彼女の真っ白な髪が不気味なほど美しく輝く。盲目の彼女は、荒々しい足音と自分を呼ぶ声に肩を跳ねさせ、床を這って壁の隅へと逃げようとした。
「……ぁ……あぁ……っ」
焼け爛れた喉から漏れるのは、怯えきった獣のような掠れ声。
彼女は、自分がまた何か過ちを犯し、彼が「罰」を与えに来たのだと思い込んでいるのだ。その震える姿を見た瞬間、アルベルトの心臓は、代償の痛みとはまた別の、引き裂かれるような衝撃に襲われた。
「……エルゼ。私だ、アルベルトだ。……怖がらせて、すまない……」
彼は膝をつき、泥に汚れた彼女の手に触れようとした。
その時、彼女の懐から、古びた、小さな布袋が滑り落ちた。
中からこぼれ出したのは、アルベルトにとって「見覚えのある」はずのない、けれどあまりに残酷な記憶を呼び覚ます品々だった。
「……これは……」
アルベルトは、震える手でそれを拾い上げた。
一枚の、四つ折りにされた紙。開けば、そこには幼い日のアルベルトの姿が、稚拙ながらも愛情深く描かれていた。それは、彼が十年前、自分を慕って近づいてきた少女――今のエルゼに、「こんな下手くそな絵、二度と見せるな」と罵り、目の前で丸めて投げ捨てたゴミだった。
さらに、血と泥に汚れたままのハンカチ。
毒を煽った彼女に、「お前など死ね」と言い放ちながら、最期の情けのつもりで投げつけた、あの夜の遺物。
「……どうして、こんなものを……。捨てろと言ったはずだ。こんなゴミ……、持っていたって、お前を傷つけるだけなのに……!」
アルベルトは叫んだ。
だが、エルゼは、見えない瞳を彷徨わせながら、必死に手を伸ばしてその「ゴミ」を奪い返そうとした。
彼女の指が、アルベルトの手をかすめる。その指先に残る、かつて彼が「初恋の少女」に贈ったはずの、小さな火傷の痕跡。
(……捨てられなかった……。これだけが、あなたが私を『見て』くれた証だったから……)
彼女の魂が、アルベルトの中で脈打つ「鼓動」を通じて直接語りかけてくる。
アルベルトは愕然とした。
彼がずっと忘れられずにいた「初恋の少女」。リリアーヌだと思い込み、美化し続けていたあの面影。
自分に花を編んでくれた手。
自分が転んだ時に、真っ先に駆け寄って泣いてくれた声。
それらはすべて、今、目の前でボロボロになり、言葉も視力も失ったこの少女のものだったのだ。
「……ああ、……嘘だろ……」
アルベルトは、彼女が守り続けていた「宝物」――彼が彼女に与えた苦痛と侮辱の破片を抱きしめ、嗚咽を漏らした。
彼女は、彼が「ゴミ」として投げつけた絶望さえも、彼との唯一の繋がりとして、十年間、大切に胸に抱き続けていたのだ。
「すまない、エルゼ……、すまない……っ!! 私が、お前のすべてを……、私の初恋さえも、この手で壊したんだ……!!」
アルベルトは、彼女を壊さないように、けれど離さないように抱きしめた。
しかし、エルゼは、彼の腕の中で戸惑うように身を固くしている。
彼女にとって、彼に抱きしめられることは、もう「幸福」ではなく、自分の醜さが彼を汚してしまうという「恐怖」に変わってしまっていた。
彼女の無垢すぎる絶望が、アルベルトの正気を、じわじわと、確実に、削り取っていく。
かつて自分が「不浄な者を近づけるな」と命じたその場所は、陽の光も届かず、埃とカビの臭いが立ち込める、人間を閉じ込めるにはあまりに無慈悲な空間だった。
「エルゼ……! エルゼ!!」
裏返った声で叫びながら、彼は腐りかけた扉の鍵を剣の柄で叩き壊した。
扉が跳ね上がり、暗闇の中に一筋の光が差し込む。
そこには、冷たい石床の上に膝を抱えて丸まる、小さな「影」があった。
差し込んだ光に反射して、彼女の真っ白な髪が不気味なほど美しく輝く。盲目の彼女は、荒々しい足音と自分を呼ぶ声に肩を跳ねさせ、床を這って壁の隅へと逃げようとした。
「……ぁ……あぁ……っ」
焼け爛れた喉から漏れるのは、怯えきった獣のような掠れ声。
彼女は、自分がまた何か過ちを犯し、彼が「罰」を与えに来たのだと思い込んでいるのだ。その震える姿を見た瞬間、アルベルトの心臓は、代償の痛みとはまた別の、引き裂かれるような衝撃に襲われた。
「……エルゼ。私だ、アルベルトだ。……怖がらせて、すまない……」
彼は膝をつき、泥に汚れた彼女の手に触れようとした。
その時、彼女の懐から、古びた、小さな布袋が滑り落ちた。
中からこぼれ出したのは、アルベルトにとって「見覚えのある」はずのない、けれどあまりに残酷な記憶を呼び覚ます品々だった。
「……これは……」
アルベルトは、震える手でそれを拾い上げた。
一枚の、四つ折りにされた紙。開けば、そこには幼い日のアルベルトの姿が、稚拙ながらも愛情深く描かれていた。それは、彼が十年前、自分を慕って近づいてきた少女――今のエルゼに、「こんな下手くそな絵、二度と見せるな」と罵り、目の前で丸めて投げ捨てたゴミだった。
さらに、血と泥に汚れたままのハンカチ。
毒を煽った彼女に、「お前など死ね」と言い放ちながら、最期の情けのつもりで投げつけた、あの夜の遺物。
「……どうして、こんなものを……。捨てろと言ったはずだ。こんなゴミ……、持っていたって、お前を傷つけるだけなのに……!」
アルベルトは叫んだ。
だが、エルゼは、見えない瞳を彷徨わせながら、必死に手を伸ばしてその「ゴミ」を奪い返そうとした。
彼女の指が、アルベルトの手をかすめる。その指先に残る、かつて彼が「初恋の少女」に贈ったはずの、小さな火傷の痕跡。
(……捨てられなかった……。これだけが、あなたが私を『見て』くれた証だったから……)
彼女の魂が、アルベルトの中で脈打つ「鼓動」を通じて直接語りかけてくる。
アルベルトは愕然とした。
彼がずっと忘れられずにいた「初恋の少女」。リリアーヌだと思い込み、美化し続けていたあの面影。
自分に花を編んでくれた手。
自分が転んだ時に、真っ先に駆け寄って泣いてくれた声。
それらはすべて、今、目の前でボロボロになり、言葉も視力も失ったこの少女のものだったのだ。
「……ああ、……嘘だろ……」
アルベルトは、彼女が守り続けていた「宝物」――彼が彼女に与えた苦痛と侮辱の破片を抱きしめ、嗚咽を漏らした。
彼女は、彼が「ゴミ」として投げつけた絶望さえも、彼との唯一の繋がりとして、十年間、大切に胸に抱き続けていたのだ。
「すまない、エルゼ……、すまない……っ!! 私が、お前のすべてを……、私の初恋さえも、この手で壊したんだ……!!」
アルベルトは、彼女を壊さないように、けれど離さないように抱きしめた。
しかし、エルゼは、彼の腕の中で戸惑うように身を固くしている。
彼女にとって、彼に抱きしめられることは、もう「幸福」ではなく、自分の醜さが彼を汚してしまうという「恐怖」に変わってしまっていた。
彼女の無垢すぎる絶望が、アルベルトの正気を、じわじわと、確実に、削り取っていく。
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