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第20話:忘れ去られた離宮
アルベルトは、王宮で最も日当たりの良い、白薔薇が咲き誇る離宮をエルゼのために用意した。
かつてリリアーヌが望んでも与えなかった、王妃にのみ許される豪奢な一画。彼は自らエルゼを抱き上げ、埃まみれの物置から、絹のシーツが敷かれた天蓋付きの寝台へと彼女を運んだ。
「……ここなら、誰もお前を傷つけない。最高の医師も、口の堅い侍女も揃えた。エルゼ、お前はもう、何もしなくていいんだ」
アルベルトは、彼女の透き通るような白い手を握り、何度も口づけを落とした。
だが、盲目のエルゼの体は、絹の柔らかさに安らぐどころか、未知の恐怖に晒された小動物のように硬直していた。
(……ああ、どうして……。どうして、私にこんなに優しくなさるのですか……)
彼女にとって、アルベルトの優しさは、刃よりも鋭くその心を切り刻んだ。
自分のせいで、輝かしい王太子であった彼が公務を放り出し、つきっきりで「化け物(自分)」の世話をしている。その事実が、彼女には耐え難かった。
食事が運ばれてきても、彼女は震えて手をつけようとしない。
アルベルトが自ら匙を持って彼女の口元へ運ぶと、彼女は申し訳なさに涙を溢れさせ、ボロボロと零しながら無理に飲み込む。彼女にとって、それは食事ではなく、アルベルトの時間を奪っているという「罪」を食べているのと同義だった。
「……殿下。もう、……おやめください……」
声にならない、掠れた吐息が彼女の唇から漏れる。
彼女は、残された感覚を総動員して、彼の手を取り、その手のひらに必死で文字を書き込んだ。
『私を、捨ててください』
アルベルトの動きが、凍りついたように止まった。
『私は、あなたの光を奪うだけの影です。私の姿を見れば、あなたは一生、自分を責め続ける。……私は、あなたの重荷になりたくない』
「……重荷? お前が何を言っているんだ!」
アルベルトは、彼女の肩を強く掴んだ。
「重荷なのは私だ! お前を壊し、お前を地獄に突き落とした私こそが、この世で最も醜い罪人なんだ! だから、せめて……せめて償わせてくれ。お前を幸せにさせてくれ……っ!」
エルゼは、悲しげに首を横に振った。
アルベルトが「償い」という言葉を口にするたび、彼女は救われるどころか、彼をそんな苦しい言葉に縛り付けている自分を、消してしまいたくなるのだ。
数日後。
エルゼの衰弱は、皮肉にもアルベルトが尽くせば尽くすほど進んでいった。
彼女の拒絶の本質が「愛」であることを悟ったアルベルトは、血を吐くような思いで一つの決断を下す。
「……分かった、エルゼ。お前の望む通りにしよう」
彼は彼女を連れ、王都から遠く離れた、深い森の奥にある古い離宮へと移り住んだ。
そこは、地図からも忘れ去られた、かつて罪を犯した王族が幽閉されたという、静寂だけが支配する場所。
「ここなら、もう誰もいない。私とお前だけだ。……国民も、王位も、すべて捨ててきた。ここなら、お前は『身代わりの聖女』ではなく、ただのエルゼでいられるだろう?」
アルベルトは、彼女を古い離宮のテラスに座らせた。
そこからは、かつて二人が幼い頃に見たような、名もなき野花が咲き乱れる庭が見えた――エルゼの瞳には、もう映らない景色。
エルゼは、風に運ばれてくる花の香りを嗅ぎ、ようやく少しだけ、強張っていた体を緩めた。
だが、アルベルトを見ることは、やはり一度もなかった。
二人の生活は、あまりに静かで、あまりに歪だった。
アルベルトは、彼女のために食事を作り、彼女の白銀の髪を梳かし、彼女のそばで本を読み聞かせる。
それは、端から見れば献身的な愛に見えたが、その実体は、互いの「罪悪感」と「自己犠牲」が複雑に絡み合った、逃げ場のない檻だった。
やがて、エルゼはある決意を固める。
アルベルトが自分に縛られ、その人生をこれ以上無駄にしないために。
彼女は、彼が部屋に入ってきても、まるで彼を「知らない人間」であるかのように振る舞い始めるのだった。
かつてリリアーヌが望んでも与えなかった、王妃にのみ許される豪奢な一画。彼は自らエルゼを抱き上げ、埃まみれの物置から、絹のシーツが敷かれた天蓋付きの寝台へと彼女を運んだ。
「……ここなら、誰もお前を傷つけない。最高の医師も、口の堅い侍女も揃えた。エルゼ、お前はもう、何もしなくていいんだ」
アルベルトは、彼女の透き通るような白い手を握り、何度も口づけを落とした。
だが、盲目のエルゼの体は、絹の柔らかさに安らぐどころか、未知の恐怖に晒された小動物のように硬直していた。
(……ああ、どうして……。どうして、私にこんなに優しくなさるのですか……)
彼女にとって、アルベルトの優しさは、刃よりも鋭くその心を切り刻んだ。
自分のせいで、輝かしい王太子であった彼が公務を放り出し、つきっきりで「化け物(自分)」の世話をしている。その事実が、彼女には耐え難かった。
食事が運ばれてきても、彼女は震えて手をつけようとしない。
アルベルトが自ら匙を持って彼女の口元へ運ぶと、彼女は申し訳なさに涙を溢れさせ、ボロボロと零しながら無理に飲み込む。彼女にとって、それは食事ではなく、アルベルトの時間を奪っているという「罪」を食べているのと同義だった。
「……殿下。もう、……おやめください……」
声にならない、掠れた吐息が彼女の唇から漏れる。
彼女は、残された感覚を総動員して、彼の手を取り、その手のひらに必死で文字を書き込んだ。
『私を、捨ててください』
アルベルトの動きが、凍りついたように止まった。
『私は、あなたの光を奪うだけの影です。私の姿を見れば、あなたは一生、自分を責め続ける。……私は、あなたの重荷になりたくない』
「……重荷? お前が何を言っているんだ!」
アルベルトは、彼女の肩を強く掴んだ。
「重荷なのは私だ! お前を壊し、お前を地獄に突き落とした私こそが、この世で最も醜い罪人なんだ! だから、せめて……せめて償わせてくれ。お前を幸せにさせてくれ……っ!」
エルゼは、悲しげに首を横に振った。
アルベルトが「償い」という言葉を口にするたび、彼女は救われるどころか、彼をそんな苦しい言葉に縛り付けている自分を、消してしまいたくなるのだ。
数日後。
エルゼの衰弱は、皮肉にもアルベルトが尽くせば尽くすほど進んでいった。
彼女の拒絶の本質が「愛」であることを悟ったアルベルトは、血を吐くような思いで一つの決断を下す。
「……分かった、エルゼ。お前の望む通りにしよう」
彼は彼女を連れ、王都から遠く離れた、深い森の奥にある古い離宮へと移り住んだ。
そこは、地図からも忘れ去られた、かつて罪を犯した王族が幽閉されたという、静寂だけが支配する場所。
「ここなら、もう誰もいない。私とお前だけだ。……国民も、王位も、すべて捨ててきた。ここなら、お前は『身代わりの聖女』ではなく、ただのエルゼでいられるだろう?」
アルベルトは、彼女を古い離宮のテラスに座らせた。
そこからは、かつて二人が幼い頃に見たような、名もなき野花が咲き乱れる庭が見えた――エルゼの瞳には、もう映らない景色。
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アルベルトは、彼女のために食事を作り、彼女の白銀の髪を梳かし、彼女のそばで本を読み聞かせる。
それは、端から見れば献身的な愛に見えたが、その実体は、互いの「罪悪感」と「自己犠牲」が複雑に絡み合った、逃げ場のない檻だった。
やがて、エルゼはある決意を固める。
アルベルトが自分に縛られ、その人生をこれ以上無駄にしないために。
彼女は、彼が部屋に入ってきても、まるで彼を「知らない人間」であるかのように振る舞い始めるのだった。
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