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第26話:光の雨が降る戦場
空から降り注ぐのは、銀色の光を孕んだ柔らかな雨だった。
それは隣国の放った「死霊の呪い」を瞬時に洗い流し、枯れかけた花々に色を取り戻させ、戦場に転がる負傷兵たちの傷を塞いでいく。
「……傷が消えていく。痛くない、もう痛くないぞ!」
「奇跡だ……! 聖女様だ、聖女様が私たちを救ってくださったんだ!」
遠く王都の方角から、そして丘の麓から、地響きのような歓喜の叫びが沸き起こる。
人々は雨に打たれながら天を仰ぎ、涙を流して感謝の祈りを捧げていた。彼らにとって、この雨は神の慈悲であり、希望の証だった。
だが、丘の頂で一人、エルゼの残した衣服を抱きしめるアルベルトにとって、その一滴一滴は、彼の心臓を抉る鋭利な刃に他ならなかった。
(……やめてくれ。そんなに喜ばないでくれ……)
アルベルトの頬を打つ雨は、驚くほど温かい。
それは、エルゼが最期まで持っていた、あの控えめで優しい体温そのものだった。
人々が「奇跡」に酔いしれるたびに、エルゼの魂はすり潰され、霧散していく。国中の病を治し、呪いを浄化するために、彼女という存在のすべてが「消費」されているのだ。
人々が救われるほど、彼女はこの世界から薄まり、二度と形を結ぶことのない粒子へと変わっていく。
「聖女などと……呼ぶな」
アルベルトは、膝をついたまま、低く、呪うような声で呟いた。
「彼女は、お前たちを救うための道具じゃない……! 痛みに震え、誰よりも愛されたがっていた、ただの少女だったんだ! なぜ……なぜ誰も、そのことに気づかない!」
雨音に混じって、消えゆく彼女の囁きが聞こえた気がした。
『――泣かないで。あなたが、痛くないなら、それで……』
「嫌だ、エルゼ! 痛くていい! 死ぬほど痛くてもいいから、隣にいてくれ! 私のために、勝手に死なないでくれ!!」
アルベルトは空に向かって吠えた。
だが、彼の胸の紋章が脈打つたびに、彼自身の傷もまた、エルゼの加護によって強制的に癒やされていく。死ぬことさえ許されず、彼女の命を無理やり食べさせられているような感覚。その屈辱的なまでの「救済」に、アルベルトは嗚咽した。
やがて、丘の麓から国王の騎馬隊が近づいてくるのが見えた。
彼らは「奇跡の主」を称えるために、きらびやかな礼服を纏い、笑顔でアルベルトの元へとやってきた。
「アルベルト王太子! 素晴らしい、これほどの奇跡、歴史上類を見ない! さあ、その聖女を連れて王都へ戻ろう。彼女を『救国の女神』として祀り、最大級の儀式を執り行うのだ!」
父である国王の言葉に、アルベルトはゆっくりと立ち上がった。
その髪は雨に濡れて真っ白に光り、瞳には底知れない虚無と憎悪が宿っていた。
「……祀る、だと?」
アルベルトは、手にしたエルゼのボロボロの衣服を、国王の前に投げ出した。
「ここにいたのは、あなたたちが『身代わり』として使い潰し、私が見殺しにしたエルゼだ。彼女が欲しかったのは、女神の称号でも、国民の感謝でもない。……たった一杯の温かいスープと、誰かに愛される夜だった。それを奪い尽くしたのは、我々だ」
「何を……、アルベルト、正気か?」
「私は、帰らない。……彼女を『死者』になどさせない。世界が彼女を忘れ、奇跡として消費するなら……私は、神を殺してでも彼女を私の元へ引き戻す」
アルベルトは王の制止を振り切り、エルゼの衣服を大切に胸に抱いて、王宮とは逆の方向、暗い森の奥へと歩き出した。
世界が救われた日。
アルベルトだけが、神に背を向け、亡霊となった愛を追い求める旅へと足を踏み入れた。
それは隣国の放った「死霊の呪い」を瞬時に洗い流し、枯れかけた花々に色を取り戻させ、戦場に転がる負傷兵たちの傷を塞いでいく。
「……傷が消えていく。痛くない、もう痛くないぞ!」
「奇跡だ……! 聖女様だ、聖女様が私たちを救ってくださったんだ!」
遠く王都の方角から、そして丘の麓から、地響きのような歓喜の叫びが沸き起こる。
人々は雨に打たれながら天を仰ぎ、涙を流して感謝の祈りを捧げていた。彼らにとって、この雨は神の慈悲であり、希望の証だった。
だが、丘の頂で一人、エルゼの残した衣服を抱きしめるアルベルトにとって、その一滴一滴は、彼の心臓を抉る鋭利な刃に他ならなかった。
(……やめてくれ。そんなに喜ばないでくれ……)
アルベルトの頬を打つ雨は、驚くほど温かい。
それは、エルゼが最期まで持っていた、あの控えめで優しい体温そのものだった。
人々が「奇跡」に酔いしれるたびに、エルゼの魂はすり潰され、霧散していく。国中の病を治し、呪いを浄化するために、彼女という存在のすべてが「消費」されているのだ。
人々が救われるほど、彼女はこの世界から薄まり、二度と形を結ぶことのない粒子へと変わっていく。
「聖女などと……呼ぶな」
アルベルトは、膝をついたまま、低く、呪うような声で呟いた。
「彼女は、お前たちを救うための道具じゃない……! 痛みに震え、誰よりも愛されたがっていた、ただの少女だったんだ! なぜ……なぜ誰も、そのことに気づかない!」
雨音に混じって、消えゆく彼女の囁きが聞こえた気がした。
『――泣かないで。あなたが、痛くないなら、それで……』
「嫌だ、エルゼ! 痛くていい! 死ぬほど痛くてもいいから、隣にいてくれ! 私のために、勝手に死なないでくれ!!」
アルベルトは空に向かって吠えた。
だが、彼の胸の紋章が脈打つたびに、彼自身の傷もまた、エルゼの加護によって強制的に癒やされていく。死ぬことさえ許されず、彼女の命を無理やり食べさせられているような感覚。その屈辱的なまでの「救済」に、アルベルトは嗚咽した。
やがて、丘の麓から国王の騎馬隊が近づいてくるのが見えた。
彼らは「奇跡の主」を称えるために、きらびやかな礼服を纏い、笑顔でアルベルトの元へとやってきた。
「アルベルト王太子! 素晴らしい、これほどの奇跡、歴史上類を見ない! さあ、その聖女を連れて王都へ戻ろう。彼女を『救国の女神』として祀り、最大級の儀式を執り行うのだ!」
父である国王の言葉に、アルベルトはゆっくりと立ち上がった。
その髪は雨に濡れて真っ白に光り、瞳には底知れない虚無と憎悪が宿っていた。
「……祀る、だと?」
アルベルトは、手にしたエルゼのボロボロの衣服を、国王の前に投げ出した。
「ここにいたのは、あなたたちが『身代わり』として使い潰し、私が見殺しにしたエルゼだ。彼女が欲しかったのは、女神の称号でも、国民の感謝でもない。……たった一杯の温かいスープと、誰かに愛される夜だった。それを奪い尽くしたのは、我々だ」
「何を……、アルベルト、正気か?」
「私は、帰らない。……彼女を『死者』になどさせない。世界が彼女を忘れ、奇跡として消費するなら……私は、神を殺してでも彼女を私の元へ引き戻す」
アルベルトは王の制止を振り切り、エルゼの衣服を大切に胸に抱いて、王宮とは逆の方向、暗い森の奥へと歩き出した。
世界が救われた日。
アルベルトだけが、神に背を向け、亡霊となった愛を追い求める旅へと足を踏み入れた。
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