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第三章:再会、そして絶望へ
第21話:屈辱の使節団
帝都ガランの冬は、王国のそれよりも鋭く、そしてどこまでも清浄だった。
王国使節団を乗せた馬車が、帝国の第一城門をくぐった際、レオンはそのあまりの街の活気に眩暈を覚えた。かつては王国こそが大陸の文化の中心だと信じて疑わなかった。だが、今、窓の外に広がるのは、魔物の影に怯えることもなく、聖女の加護によって豊穣を約束された、光り輝く帝国の日常だった。
対して、馬車の中の空気は死臭すら漂わんばかりに重い。
「……レオン、分かっているな。貴公をこの使節団に加えたのは、あくまでアリア様への『誠意』を見せるためだ。決して余計な口を利くな」
正使である王国宰相が、吐き捨てるように言った。かつては騎士団長として敬意を払われていたレオンに向けられる視線は、今や「失敗した道具」を見るそれよりも冷酷だった。
レオンは、震える右腕を必死に外套の下に隠した。
アリアがいなくなってから、彼の右腕の腐敗は止まることを知らない。肉が削げ、黒い筋が血管のように浮き上がり、絶えず膿が滲む。痛みを抑える薬も、アリアの加護がなければ毒にしかならなかった。今の彼は、誇り高き騎士ではなく、ただの「壊れかけた敗残兵」に過ぎない。
(大丈夫だ。アリアに会えれば……あいつは優しい。俺がここまで落ちぶれ、ボロボロになって頭を下げれば、あいつは必ず泣いて駆け寄ってくるはずだ)
その歪んだ確信だけが、レオンを支えていた。
やがて、一行は皇帝ジークハルトが待つ謁見の間へと導かれた。
重厚な扉が開かれた瞬間、レオンの鼻腔を突いたのは、懐かしくも、今の自分にはあまりに不釣り合いな「花の香り」だった。アリアが好んでいた、春の陽だまりのようなあの香りだ。
「帝国皇帝、ジークハルト・フォン・ノイシュヴァンシュタイン陛下。……並びに、皇妃内定者、アリア・シルフォード様」
その名が呼ばれた瞬間、レオンの心臓が激しく脈打った。
正面、高く聳える玉座。そこに座るジークハルトの隣に、彼女はいた。
レオンは、絶句した。
そこにいたのは、彼が知っている「地味で、控えめで、いつも自分の後ろを歩いていた少女」ではなかった。
帝国の最高級の絹を纏い、首元には見たこともないほど巨大な魔石のペンダントが揺れている。その肌は真珠のように白く輝き、何より、その瞳にはかつて自分に向けられていた「怯え」や「期待」が、微塵も存在していなかった。
「……王国使節団。救援の要請、確かに受け取った」
ジークハルトの冷徹な声がホールに響く。
レオンは最前列で額を床に擦り付ける宰相の後ろで、ただ呆然とアリアを見つめていた。
アリアは、宰相が読み上げる救援要請の書類を、慈悲深い、しかしどこか事務的な眼差しで見下ろしている。その視線が、ふと、後方に控えるレオンの近くを通った。
(アリア! 俺だ! ここにいるぞ……!)
レオンは必死に顔を上げた。視線を送った。
気づけ。俺のこの惨めな姿を。お前が愛した男が、こんなにもボロボロになって迎えに来たんだ。お前が癒すべき傷は、ここにあるんだ。
だが。
アリアの視線は、レオンを通り過ぎた。
まるで、そこに人間など存在していないかのように。あるいは、床に転がっている石ころの一つにでも触れるかのように、彼女の瞳はレオンを「認識」することすらなく、流れていった。
「アリア、気分はどうだ? 王国の話など、お前には退屈だろう」
ジークハルトが、誰もが畏怖するその手を、アリアの頬に優しく添えた。
すると、アリアはレオンが一度も見せたことのないような、心からの、甘やかな微笑みを皇帝に返したのだ。
「いいえ、陛下。私は、この国のために私ができることをするだけです。過去の地(くに)がどうなろうと、今の私の居場所はここにありますから」
その声は、レオンの耳に届くほどはっきりしていた。
それはかつて彼に「愛しています」と囁いた時よりも、ずっと凛としていて、揺るぎないものだった。
レオンの全身から、血の気が引いていく。
公的な場である以上、自分に話しかけてこないのは当然だ。そう自分に言い聞かせようとしても、彼女が自分に向けている「圧倒的な無関心」が、腐った腕の痛みよりも深く彼を抉った。
謁見は淡々と進み、王国への物資支援の条件が提示される。王国側はもはや条件を呑むしかない。
レオンは、ただ這いつくばるしかなかった。
黄金の光に包まれたアリアと、暗い石畳に這いつくばる自分。
その間に流れる河は、もはやどんな言葉でも、どんな後悔でも渡りきれないほどに深く、広くなっていることを、彼はまだ認めることができなかった。
(違う。まだだ。公の場だから、あいつは演技をしているだけだ。……二人きりになれば、きっと)
謁見が終わり、アリアがジークハルトに手を引かれて退室していく。
その背中を、レオンは脂汗を流しながら見つめ続けた。
彼の内側にある「最後の藁」――それは、かつて自分が彼女に仕掛けた最低な「賭け」さえも、今の自分に繋ぎ止めるための唯一の絆として利用しようとする、狂気じみた執着へと変わろうとしていた。
王国使節団を乗せた馬車が、帝国の第一城門をくぐった際、レオンはそのあまりの街の活気に眩暈を覚えた。かつては王国こそが大陸の文化の中心だと信じて疑わなかった。だが、今、窓の外に広がるのは、魔物の影に怯えることもなく、聖女の加護によって豊穣を約束された、光り輝く帝国の日常だった。
対して、馬車の中の空気は死臭すら漂わんばかりに重い。
「……レオン、分かっているな。貴公をこの使節団に加えたのは、あくまでアリア様への『誠意』を見せるためだ。決して余計な口を利くな」
正使である王国宰相が、吐き捨てるように言った。かつては騎士団長として敬意を払われていたレオンに向けられる視線は、今や「失敗した道具」を見るそれよりも冷酷だった。
レオンは、震える右腕を必死に外套の下に隠した。
アリアがいなくなってから、彼の右腕の腐敗は止まることを知らない。肉が削げ、黒い筋が血管のように浮き上がり、絶えず膿が滲む。痛みを抑える薬も、アリアの加護がなければ毒にしかならなかった。今の彼は、誇り高き騎士ではなく、ただの「壊れかけた敗残兵」に過ぎない。
(大丈夫だ。アリアに会えれば……あいつは優しい。俺がここまで落ちぶれ、ボロボロになって頭を下げれば、あいつは必ず泣いて駆け寄ってくるはずだ)
その歪んだ確信だけが、レオンを支えていた。
やがて、一行は皇帝ジークハルトが待つ謁見の間へと導かれた。
重厚な扉が開かれた瞬間、レオンの鼻腔を突いたのは、懐かしくも、今の自分にはあまりに不釣り合いな「花の香り」だった。アリアが好んでいた、春の陽だまりのようなあの香りだ。
「帝国皇帝、ジークハルト・フォン・ノイシュヴァンシュタイン陛下。……並びに、皇妃内定者、アリア・シルフォード様」
その名が呼ばれた瞬間、レオンの心臓が激しく脈打った。
正面、高く聳える玉座。そこに座るジークハルトの隣に、彼女はいた。
レオンは、絶句した。
そこにいたのは、彼が知っている「地味で、控えめで、いつも自分の後ろを歩いていた少女」ではなかった。
帝国の最高級の絹を纏い、首元には見たこともないほど巨大な魔石のペンダントが揺れている。その肌は真珠のように白く輝き、何より、その瞳にはかつて自分に向けられていた「怯え」や「期待」が、微塵も存在していなかった。
「……王国使節団。救援の要請、確かに受け取った」
ジークハルトの冷徹な声がホールに響く。
レオンは最前列で額を床に擦り付ける宰相の後ろで、ただ呆然とアリアを見つめていた。
アリアは、宰相が読み上げる救援要請の書類を、慈悲深い、しかしどこか事務的な眼差しで見下ろしている。その視線が、ふと、後方に控えるレオンの近くを通った。
(アリア! 俺だ! ここにいるぞ……!)
レオンは必死に顔を上げた。視線を送った。
気づけ。俺のこの惨めな姿を。お前が愛した男が、こんなにもボロボロになって迎えに来たんだ。お前が癒すべき傷は、ここにあるんだ。
だが。
アリアの視線は、レオンを通り過ぎた。
まるで、そこに人間など存在していないかのように。あるいは、床に転がっている石ころの一つにでも触れるかのように、彼女の瞳はレオンを「認識」することすらなく、流れていった。
「アリア、気分はどうだ? 王国の話など、お前には退屈だろう」
ジークハルトが、誰もが畏怖するその手を、アリアの頬に優しく添えた。
すると、アリアはレオンが一度も見せたことのないような、心からの、甘やかな微笑みを皇帝に返したのだ。
「いいえ、陛下。私は、この国のために私ができることをするだけです。過去の地(くに)がどうなろうと、今の私の居場所はここにありますから」
その声は、レオンの耳に届くほどはっきりしていた。
それはかつて彼に「愛しています」と囁いた時よりも、ずっと凛としていて、揺るぎないものだった。
レオンの全身から、血の気が引いていく。
公的な場である以上、自分に話しかけてこないのは当然だ。そう自分に言い聞かせようとしても、彼女が自分に向けている「圧倒的な無関心」が、腐った腕の痛みよりも深く彼を抉った。
謁見は淡々と進み、王国への物資支援の条件が提示される。王国側はもはや条件を呑むしかない。
レオンは、ただ這いつくばるしかなかった。
黄金の光に包まれたアリアと、暗い石畳に這いつくばる自分。
その間に流れる河は、もはやどんな言葉でも、どんな後悔でも渡りきれないほどに深く、広くなっていることを、彼はまだ認めることができなかった。
(違う。まだだ。公の場だから、あいつは演技をしているだけだ。……二人きりになれば、きっと)
謁見が終わり、アリアがジークハルトに手を引かれて退室していく。
その背中を、レオンは脂汗を流しながら見つめ続けた。
彼の内側にある「最後の藁」――それは、かつて自分が彼女に仕掛けた最低な「賭け」さえも、今の自分に繋ぎ止めるための唯一の絆として利用しようとする、狂気じみた執着へと変わろうとしていた。
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