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第三章:再会、そして絶望へ
第22話:都合のいい再会
謁見の儀が終わり、重苦しい静寂が支配していた広間から解放された瞬間、レオンは周囲の制止も聞かず、衝動的に駆け出していた。
右腕の腐敗が疼き、一歩ごとに焼けるような激痛が走る。だが、それ以上に彼の心を急き立てていたのは、先ほどアリアが見せた「無関心」への耐えがたい恐怖だった。
(演技だ。あんなのは皇帝の目を欺くための芝居に決まっている。アリアが俺を忘れるはずがない。あいつは俺なしでは生きていけないはずなんだ……!)
彼は、かつて自分がアリアに強いてきた「献身」という名の呪縛を、今度は自分を救うための「希望」として握りしめていた。
近衛騎士たちの目を盗み、彼はアリアが通るであろう離宮へと続く回廊に潜んだ。冬の冷気が入り込む石造りの廊下で、彼は獲物を待つ獣のように、しかしその実体は追い詰められた鼠のように、肩で息をしながら彼女を待った。
やがて、規則正しい靴音が響いてきた。
ジークハルトは公務のために別方向へ向かったのか、アリアは数人の女官だけを連れて歩いてくる。
「アリア……っ!」
レオンは影から飛び出した。驚いた女官たちが悲鳴を上げ、アリアの前に立ちふさがろうとするが、アリアは静かに手を挙げてそれを制した。
「……何のご用でしょうか。王国の使節の方」
アリアの瞳は、やはり冷たい。だが、二人きり(に近い状況)になれば言葉が通じると信じているレオンは、なりふり構わず言葉を重ねた。
「アリア、やっと二人になれた! 頼む、聞いてくれ。あの日のことだ……お前が出て行った、あの夜会のことだ!」
レオンは、腐った右腕をさらけ出すようにして一歩踏み出した。
「あれは、事故だったんだ! 賭けなんて……あんなのは、ただの酒の席の冗談だったんだよ。周りの奴らが盛り上がっていたから、俺は騎士団長としての立場上、話を合わせただけなんだ。本気であんなことを思っていたはずがないだろう?」
彼の口から溢れ出たのは、あまりにも浅はかで、独りよがりな言い訳だった。
「お前も知っているだろう? 俺は不器用なんだ。お前を愛しているからこそ、照れ隠しでああいう態度を取ってしまうことがあった。カトリーヌのこともそうだ、あれはただの外交的な付き合いに過ぎなかった。俺の心の中にいたのは、いつだってお前一人だったんだ!」
レオンの声は次第に熱を帯び、自分自身でその嘘を真実だと思い込み始めていた。彼は、自分がどれほどアリアを傷つけたかではなく、自分がどれほど「仕方がなかったか」を必死に訴え続けた。
「見てくれ、アリア。お前がいなくなってから、俺はこんなにボロボロになった。神は残酷だ、お前という光を失った俺に、こんな呪いを与えたんだ。……だが、これはお前が俺の元へ戻ってくるための試練だったんだと思う。さあ、その手でこの腕を癒してくれ。そして一緒に王国へ帰ろう。今度こそ、お前を正妃として迎え入れると約束する。お前も、それを望んでいたんだろう?」
レオンは、救いを求めるように左手を差し出した。彼の瞳には、かつて自分を盲信していたアリアの幻影が映っている。自分の一言で涙を流し、すべてを許して微笑む、都合のいい少女の姿が。
沈黙が流れた。
回廊を吹き抜ける風が、レオンの腐敗臭を運んでいく。
アリアは、レオンの差し出した手をじっと見つめていた。その表情には、怒りも、悲しみも、ましてや再会の喜びなど欠片もなかった。
ただ、心底不思議なものを見るような、そんな眼差し。
「……レオン様」
久しぶりに呼ばれた自分の名に、レオンの顔がぱあっと明るくなった。
「ああ、アリア! 分かってくれたか!」
「いいえ。……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
アリアの声は、冬の湖面のように静まり返っていた。
「貴方は今、その腕が痛いから、私に戻ってほしいと仰っているのですか? それとも、王国が滅びかけているから、私が必要だと仰っているのですか?」
「そ、それは……どちらもだ! お前の力がなければ、俺も国も救われないんだ!」
「なるほど」
アリアは小さく頷いた。その拍子に、彼女の耳元で揺れる帝国の至宝が、冷たく火花を散らした。
「つまり、私という人間そのものは、やはり貴方にとってどうでもいいことなのですね。貴方が求めているのは、私の『力』と、それによってもたらされる『貴方の安寧』。……あの夜会から、貴方は何一つ変わっていらっしゃらない」
「何を……! 俺は謝っているじゃないか! 悪かったと言っているんだぞ!」
逆上しかけるレオンを、アリアの冷徹な一言が射抜いた。
「謝罪とは、相手のためにするものです。自分の罪悪感を消すためや、事態を好転させるために行うものは、謝罪とは呼びません。それは――単なる『取引』です」
アリアは一歩、レオンへと歩み寄った。かつてなら彼女が近づくだけで癒しを感じたはずのその距離が、今のレオンには、死神の鎌を突きつけられているような威圧感となって襲いかかる。
「レオン様。貴方は先ほど『賭けは周りに合わせただけだ』と仰いましたね。……では、聞かせてください。その『賭け』とやらは、一体どのような内容だったのですか?」
レオンは言葉に詰まった。
「それは……お前が俺にどれだけ惚れているかという……」
「いいえ、違います。……いえ、もう結構です」
アリアは、ふっと力を抜くように溜息をついた。その溜息さえも、レオンにとっては絶望の音に聞こえた。
「貴方は今、私との共通の思い出を利用して、私の情に訴えようとしました。ですが、それは逆効果ですわ。なぜなら……」
アリアの瞳に、初めて明確な「拒絶」の色が宿る。
次話での決定的な一撃へと続く、凍てつくような前哨戦。レオンは、自分が放った言い訳という名の矢が、すべて自分自身に突き刺さっていくような錯覚に陥り、その場に立ち尽くすしかなかった。
右腕の腐敗が疼き、一歩ごとに焼けるような激痛が走る。だが、それ以上に彼の心を急き立てていたのは、先ほどアリアが見せた「無関心」への耐えがたい恐怖だった。
(演技だ。あんなのは皇帝の目を欺くための芝居に決まっている。アリアが俺を忘れるはずがない。あいつは俺なしでは生きていけないはずなんだ……!)
彼は、かつて自分がアリアに強いてきた「献身」という名の呪縛を、今度は自分を救うための「希望」として握りしめていた。
近衛騎士たちの目を盗み、彼はアリアが通るであろう離宮へと続く回廊に潜んだ。冬の冷気が入り込む石造りの廊下で、彼は獲物を待つ獣のように、しかしその実体は追い詰められた鼠のように、肩で息をしながら彼女を待った。
やがて、規則正しい靴音が響いてきた。
ジークハルトは公務のために別方向へ向かったのか、アリアは数人の女官だけを連れて歩いてくる。
「アリア……っ!」
レオンは影から飛び出した。驚いた女官たちが悲鳴を上げ、アリアの前に立ちふさがろうとするが、アリアは静かに手を挙げてそれを制した。
「……何のご用でしょうか。王国の使節の方」
アリアの瞳は、やはり冷たい。だが、二人きり(に近い状況)になれば言葉が通じると信じているレオンは、なりふり構わず言葉を重ねた。
「アリア、やっと二人になれた! 頼む、聞いてくれ。あの日のことだ……お前が出て行った、あの夜会のことだ!」
レオンは、腐った右腕をさらけ出すようにして一歩踏み出した。
「あれは、事故だったんだ! 賭けなんて……あんなのは、ただの酒の席の冗談だったんだよ。周りの奴らが盛り上がっていたから、俺は騎士団長としての立場上、話を合わせただけなんだ。本気であんなことを思っていたはずがないだろう?」
彼の口から溢れ出たのは、あまりにも浅はかで、独りよがりな言い訳だった。
「お前も知っているだろう? 俺は不器用なんだ。お前を愛しているからこそ、照れ隠しでああいう態度を取ってしまうことがあった。カトリーヌのこともそうだ、あれはただの外交的な付き合いに過ぎなかった。俺の心の中にいたのは、いつだってお前一人だったんだ!」
レオンの声は次第に熱を帯び、自分自身でその嘘を真実だと思い込み始めていた。彼は、自分がどれほどアリアを傷つけたかではなく、自分がどれほど「仕方がなかったか」を必死に訴え続けた。
「見てくれ、アリア。お前がいなくなってから、俺はこんなにボロボロになった。神は残酷だ、お前という光を失った俺に、こんな呪いを与えたんだ。……だが、これはお前が俺の元へ戻ってくるための試練だったんだと思う。さあ、その手でこの腕を癒してくれ。そして一緒に王国へ帰ろう。今度こそ、お前を正妃として迎え入れると約束する。お前も、それを望んでいたんだろう?」
レオンは、救いを求めるように左手を差し出した。彼の瞳には、かつて自分を盲信していたアリアの幻影が映っている。自分の一言で涙を流し、すべてを許して微笑む、都合のいい少女の姿が。
沈黙が流れた。
回廊を吹き抜ける風が、レオンの腐敗臭を運んでいく。
アリアは、レオンの差し出した手をじっと見つめていた。その表情には、怒りも、悲しみも、ましてや再会の喜びなど欠片もなかった。
ただ、心底不思議なものを見るような、そんな眼差し。
「……レオン様」
久しぶりに呼ばれた自分の名に、レオンの顔がぱあっと明るくなった。
「ああ、アリア! 分かってくれたか!」
「いいえ。……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
アリアの声は、冬の湖面のように静まり返っていた。
「貴方は今、その腕が痛いから、私に戻ってほしいと仰っているのですか? それとも、王国が滅びかけているから、私が必要だと仰っているのですか?」
「そ、それは……どちらもだ! お前の力がなければ、俺も国も救われないんだ!」
「なるほど」
アリアは小さく頷いた。その拍子に、彼女の耳元で揺れる帝国の至宝が、冷たく火花を散らした。
「つまり、私という人間そのものは、やはり貴方にとってどうでもいいことなのですね。貴方が求めているのは、私の『力』と、それによってもたらされる『貴方の安寧』。……あの夜会から、貴方は何一つ変わっていらっしゃらない」
「何を……! 俺は謝っているじゃないか! 悪かったと言っているんだぞ!」
逆上しかけるレオンを、アリアの冷徹な一言が射抜いた。
「謝罪とは、相手のためにするものです。自分の罪悪感を消すためや、事態を好転させるために行うものは、謝罪とは呼びません。それは――単なる『取引』です」
アリアは一歩、レオンへと歩み寄った。かつてなら彼女が近づくだけで癒しを感じたはずのその距離が、今のレオンには、死神の鎌を突きつけられているような威圧感となって襲いかかる。
「レオン様。貴方は先ほど『賭けは周りに合わせただけだ』と仰いましたね。……では、聞かせてください。その『賭け』とやらは、一体どのような内容だったのですか?」
レオンは言葉に詰まった。
「それは……お前が俺にどれだけ惚れているかという……」
「いいえ、違います。……いえ、もう結構です」
アリアは、ふっと力を抜くように溜息をついた。その溜息さえも、レオンにとっては絶望の音に聞こえた。
「貴方は今、私との共通の思い出を利用して、私の情に訴えようとしました。ですが、それは逆効果ですわ。なぜなら……」
アリアの瞳に、初めて明確な「拒絶」の色が宿る。
次話での決定的な一撃へと続く、凍てつくような前哨戦。レオンは、自分が放った言い訳という名の矢が、すべて自分自身に突き刺さっていくような錯覚に陥り、その場に立ち尽くすしかなかった。
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