13 / 25
第2章:自分を迎えに行く旅
第十三話:色彩のリハビリ
しおりを挟む
図書館での仕事に慣れてきたある休日。シオンが珍しく、街の中心部にある大通りへ行こうと私を誘い出した。
「いつまでもその二着を着回すわけにもいかんだろう。冬の終わりは近いが、まだ風は冷たい」
そう言って連れてこられたのは、色とりどりの布地や小物が並ぶ、女性客で賑わう雑貨店だった。
店内に一歩足を踏み入れた瞬間、私は目眩を感じて立ち止まった。
視界に飛び込んでくる、暴力的なまでの色の洪水。
燃えるような赤の毛織物、春を待つ若草色のリボン、深い海の底を思わせるベルベット。
かつて母に「お前に色は必要ない」と絵を焼かれたあの日から、私の世界はモノクロームのまま止まっていた。美しいものを見ると、反射的に胸の奥が締め付けられ、吐き気が込み上げる。
「……シオン様、私は、外で待っています」
「逃げるな。アリア」
背を向けようとした私の肩を、シオンの手が強く、けれど優しく押し止めた。
「いいか、よく見ろ。これらは誰も、君を縛るために存在しているんじゃない。君が君を飾るために、そこに置かれているんだ」
シオンは私を促し、リボンが山積みになった籠の前へと立たせた。
「好きな色を選べ。一つでいい。君が、綺麗だと思ったものを」
手が震えた。
指先を伸ばそうとすると、脳裏に母の冷たい声が響く。
『お前はミレーヌを引き立てる影。色を持ってはいけない』
ミレーヌなら、きっと迷わず一番鮮やかなピンクを選ぶだろう。レオン様なら、私に「君には地味な茶色が似合う」と言うだろう。
(私が、好きな色……?)
それは、自分自身を定義することと同じだった。
私は、誰なのか。
私は、何が好きなのか。
呼吸が荒くなる私を、シオンは急かさず、ただ背後で静かな壁のように立って守ってくれていた。
私は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。鼻孔をくすぐるのは、染料の匂いと、微かなシオンの香。
ゆっくりと目を開けた時、視界の端で、控えめに光を反射している一本のリボンが目に留まった。
それは、鮮やかな青でも、主張の強い赤でもなかった。
朝靄の向こう側に見える、淡い、透き通った水色。
かつて私が、屋根裏部屋でたった一度だけ描くことができた、自由な空の色に似ていた。
「……これが、いいです」
指先がその絹のリボンに触れる。冷たくて、滑らかで、確かな質感。
私が自分自身の意志で、十九年間の人生で初めて選んだ「色」だった。
「水色か。……悪くない。君の少し薄い瞳によく映えるだろう」
シオンは無造作に代金を支払い、店員から受け取ったリボンを、私の手に握らせた。
「リハビリだ。今日はそのリボン。明日は別の何か。そうやって、奪われた色を一つずつ買い戻していけばいい」
私は、手の中の小さな色を、壊れ物を扱うように強く握りしめた。
不思議なことに、あんなに怖かった色の洪水が、今は少しだけ優しく見える。
世界には、私を拒絶しない色も存在していたのだ。
帰り道、私はシオンの少し前を歩きながら、何度もリボンを確認した。
まだ、自分のことを「綺麗だ」とは思えない。けれど、このリボンに似合う自分になりたいと、心の端っこで小さな火が灯ったのを感じた。
「シオン様」
「なんだ」
「……ありがとうございます。私、このリボンを一生大切にします」
「バカを言え。そんなものは、汚れたらまた買い直せばいい消耗品だ」
シオンはそっぽを向いたが、その足取りはどこか軽やかだった。
一方その頃、国境を越えた遥か南のローラン伯爵領。
主を失った「呪いの肩代わり」が逆流し、かつての華やかさを失った屋敷の寝室で、ミレーヌは自分の鏡を見て絶叫していた。
その頬には、アリアが消したはずの、醜く膿んだ火傷の痕がくっきりと浮かび上がっていた。
「いつまでもその二着を着回すわけにもいかんだろう。冬の終わりは近いが、まだ風は冷たい」
そう言って連れてこられたのは、色とりどりの布地や小物が並ぶ、女性客で賑わう雑貨店だった。
店内に一歩足を踏み入れた瞬間、私は目眩を感じて立ち止まった。
視界に飛び込んでくる、暴力的なまでの色の洪水。
燃えるような赤の毛織物、春を待つ若草色のリボン、深い海の底を思わせるベルベット。
かつて母に「お前に色は必要ない」と絵を焼かれたあの日から、私の世界はモノクロームのまま止まっていた。美しいものを見ると、反射的に胸の奥が締め付けられ、吐き気が込み上げる。
「……シオン様、私は、外で待っています」
「逃げるな。アリア」
背を向けようとした私の肩を、シオンの手が強く、けれど優しく押し止めた。
「いいか、よく見ろ。これらは誰も、君を縛るために存在しているんじゃない。君が君を飾るために、そこに置かれているんだ」
シオンは私を促し、リボンが山積みになった籠の前へと立たせた。
「好きな色を選べ。一つでいい。君が、綺麗だと思ったものを」
手が震えた。
指先を伸ばそうとすると、脳裏に母の冷たい声が響く。
『お前はミレーヌを引き立てる影。色を持ってはいけない』
ミレーヌなら、きっと迷わず一番鮮やかなピンクを選ぶだろう。レオン様なら、私に「君には地味な茶色が似合う」と言うだろう。
(私が、好きな色……?)
それは、自分自身を定義することと同じだった。
私は、誰なのか。
私は、何が好きなのか。
呼吸が荒くなる私を、シオンは急かさず、ただ背後で静かな壁のように立って守ってくれていた。
私は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。鼻孔をくすぐるのは、染料の匂いと、微かなシオンの香。
ゆっくりと目を開けた時、視界の端で、控えめに光を反射している一本のリボンが目に留まった。
それは、鮮やかな青でも、主張の強い赤でもなかった。
朝靄の向こう側に見える、淡い、透き通った水色。
かつて私が、屋根裏部屋でたった一度だけ描くことができた、自由な空の色に似ていた。
「……これが、いいです」
指先がその絹のリボンに触れる。冷たくて、滑らかで、確かな質感。
私が自分自身の意志で、十九年間の人生で初めて選んだ「色」だった。
「水色か。……悪くない。君の少し薄い瞳によく映えるだろう」
シオンは無造作に代金を支払い、店員から受け取ったリボンを、私の手に握らせた。
「リハビリだ。今日はそのリボン。明日は別の何か。そうやって、奪われた色を一つずつ買い戻していけばいい」
私は、手の中の小さな色を、壊れ物を扱うように強く握りしめた。
不思議なことに、あんなに怖かった色の洪水が、今は少しだけ優しく見える。
世界には、私を拒絶しない色も存在していたのだ。
帰り道、私はシオンの少し前を歩きながら、何度もリボンを確認した。
まだ、自分のことを「綺麗だ」とは思えない。けれど、このリボンに似合う自分になりたいと、心の端っこで小さな火が灯ったのを感じた。
「シオン様」
「なんだ」
「……ありがとうございます。私、このリボンを一生大切にします」
「バカを言え。そんなものは、汚れたらまた買い直せばいい消耗品だ」
シオンはそっぽを向いたが、その足取りはどこか軽やかだった。
一方その頃、国境を越えた遥か南のローラン伯爵領。
主を失った「呪いの肩代わり」が逆流し、かつての華やかさを失った屋敷の寝室で、ミレーヌは自分の鏡を見て絶叫していた。
その頬には、アリアが消したはずの、醜く膿んだ火傷の痕がくっきりと浮かび上がっていた。
626
あなたにおすすめの小説
お望み通り、消えてさしあげますわ
梨丸
恋愛
一国の次期王妃と言われていた子爵令嬢アマリリス。
王太子との結婚前夜、彼女は自ら火を放ち、死んだ。
国民達は彼女の死を特に気にもしなかった。それどころか、彼女の死を喜ぶ者もいた。彼女の有していた聖女の力は大したものではなかったし、優れているのは外見だけの“役立たずの聖女”だと噂されるほどだったから。
彼女の死後、すぐさま後釜として皆に好かれていた聖女が次期王妃に召し上げられた。
この国はより豊かになる、皆はそう確信した。
だが、“役立たずの聖女”アマリリスの死後──着実に崩壊は始まっていた。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
※この調子だと短編になりそうです。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
皆様覚悟してくださいませ。偽聖女の義妹から全て取り戻します。今まで受けた仕打ちは倍にしてお返し致します。
くろねこ
恋愛
「殴られても、奪われても、祈れば治るから大丈夫」
――そう思い込まされて育った公爵令嬢オリビア。
しかし、偽聖女を名乗る義妹に階段から突き落とされた瞬間、
彼女の中で“何か”が完全に目覚める。
奪われた聖女の立場。
踏みにじられた尊厳。
見て見ぬふりをした家族と神殿。
――もう、我慢はしない。
大地そのものに影響を与える本物の加護を持つオリビアは、知略と魔法で屋敷を制圧し、偽りを一つずつ洗い流していく。
敵意を向けた者は近づけず、逆らった義母は“環境”に叱られ、王太子は腹を抱えて大笑い。
「奪われたなら、取り戻すだけです。倍……いえ、一万倍で」
これは、偽りの聖女からすべてを奪い返し、本物が“正しい場所”に立つ物語。
ざまぁ好き必読。
静かに、確実に、格の違いを見せつけます。
♦︎タイトル変えました。
修道女エンドの悪役令嬢が実は聖女だったわけですが今更助けてなんて言わないですよね
星井ゆの花
恋愛
『お久しぶりですわ、バッカス王太子。ルイーゼの名は捨てて今は洗礼名のセシリアで暮らしております。そちらには聖女ミカエラさんがいるのだから、私がいなくても安心ね。ご機嫌よう……』
悪役令嬢ルイーゼは聖女ミカエラへの嫌がらせという濡れ衣を着せられて、辺境の修道院へ追放されてしまう。2年後、魔族の襲撃により王都はピンチに陥り、真の聖女はミカエラではなくルイーゼだったことが判明する。
地母神との誓いにより祖国の土地だけは踏めないルイーゼに、今更助けを求めることは不可能。さらに、ルイーゼには別の国の王子から求婚話が来ていて……?
* この作品は、アルファポリスさんと小説家になろうさんに投稿しています。
* 2025年12月06日、番外編の投稿開始しました。
居候と婚約者が手を組んでいた!
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!
って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!
父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。
アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。
最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。
欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜
水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。
魔王乱立の時代。
王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。
だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。
にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。
抗議はしない。
訂正もしない。
ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。
――それが、誰にとっての不合格なのか。
まだ、誰も気づいていない。
欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
繰り返しのその先は
みなせ
ファンタジー
婚約者がある女性をそばに置くようになってから、
私は悪女と呼ばれるようになった。
私が声を上げると、彼女は涙を流す。
そのたびに私の居場所はなくなっていく。
そして、とうとう命を落とした。
そう、死んでしまったはずだった。
なのに死んだと思ったのに、目を覚ます。
婚約が決まったあの日の朝に。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる