私の人生に、おかえりなさい。――都合のいい「お姉ちゃん」は、もうどこにもいません

しょくぱん

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第2章:自分を迎えに行く旅

第十五話:鏡の中の「はじめまして」

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 図書館での仕事から戻った私は、シオンの家の二階にある、小さな洗面所に向かった。
 今日、街の雑貨屋で手に入れたあの水色のリボンを、どうしても今の自分に合わせてみたかったのだ。

 これまでの人生で、鏡は常に私を絶望させるための道具だった。そこに映るのは、ミレーヌから転移させた赤黒い痣や、過酷な労働で生気を失った、見るに堪えない「スペア」の姿。家族からはいつも「お前の顔は、ミレーヌの美しさを際立たせるための泥だ」と言い聞かされてきた。

 私は深く呼吸をし、伏せていた顔をゆっくりと上げた。

「……あ」

 鏡の中にいたのは、私の知らない一人の娘だった。
 
 数週間の安らぎと、シオンが作ってくれた滋味溢れる食事。そして、誰にも魂を削られないという奇跡が、私の顔を変えていた。
 土気色だった肌には、微かに血色が戻り、何より、濁っていた瞳が、冬の星空のような澄んだ光を宿している。ミレーヌの身代わりに引き受けていた痣は、今や驚くほど薄くなり、白い肌の奥に隠れようとしていた。

 私は震える手で、水色のリボンを緩やかに編んだ灰色の髪に結びつけた。
 朝靄のような淡い色が、私の瞳の色と重なり合う。

「……はじめまして、アリア」

 鏡の中の自分に、初めて言葉をかけた。
 今までずっと、私の中に閉じ込められて泣いていた「私」と、ようやく対面できたような気がした。この顔は、誰の身代わりでもない。私の人生を、懸命に生き抜いてきた一人の人間の顔だ。

「……いつまで自分に見惚れている」

 背後から、不愛想な声がした。
 振り返ると、シオンが戸口に寄りかかり、腕を組んでこちらを見ていた。私は顔を赤くし、慌てて鏡から離れた。

「す、すみません、シオン様。あの、リボンが……その、変ではありませんか?」

 シオンは私の姿を、頭の先から足の先まで、ゆっくりと、けれど無機質なほど冷静に眺めた。そして、ふいにつまらなそうに鼻を鳴らした。

「変だ。……リボンばかりが目立っていて、肝心の持ち主が自信なさげに縮こまっている。そんな格好では、リボンの価値が下がるだろう」

 相変わらずの毒舌。けれど、シオンは一歩近づくと、私の髪から僅かにずれていたリボンの端を、その大きな手で無造作に直した。

「……だが、その色は、お前の瞳によく合っている」

 耳元で囁かれた低く穏やかな声。
 初めてシオンに「お前」ではなく「名前(を意識した存在)」として認められたような感覚に、胸の奥が熱くなる。
 シオンの手が、私の頬に一瞬だけ触れた。その指先は、雪山で拾われたあの時と同じように温かい。

「アリア。君はもう、誰かの汚れを吸い取る布ではない。磨けば光る、一粒の石だ。……自分の価値を、他人の物差しに預けるのはもうやめろ」

「……はい」

 私は、鏡の中の「水色のリボンをつけた娘」を、もう一度見つめた。
 まだ、自分のことを大好きだとは言えない。けれど、今日この鏡に映った自分の顔を、守っていきたいとは思った。

 窓の外、隣国の夜空には美しい月が昇っていた。
 
 その頃、国境を越えようとする怪しい影たちが、アリアという「失われた至宝」を求めて、着実にこの街へと近づいていることも知らずに。
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