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第3章:過去という名の呪縛と、確かな熱
第十六話:図書館の「奇跡」
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図書館での仕事は、私に「静寂」という名の癒やしを与えてくれた。
地下の小さな作業室で、私は一冊のひどく傷んだ古書と向き合っていた。それは数百年前に書かれたとされる植物図鑑で、表紙は剥がれ、頁は湿気で固まり、何より全体が不気味な黒いシミに覆われていた。
「これ、もう修繕は無理かしらね……。貴重な本なのだけれど、魔法的な『穢れ』が染み付いていて、触れるだけで気分が悪くなるのよ」
館長のマルタさんが申し訳なさそうに言った。
確かに、その本からは実家の屋敷で感じていたような、澱んだ、重苦しい気配が漂っている。普通の修繕師なら匙を投げる代物だ。
けれど、私は違った。
この「穢れ」を、私は誰よりも知っている。
「……やってみます。私、こういうものには慣れていますから」
一人になった作業室で、私はそっと黒ずんだ頁に手を触れた。
いつものように「転移」の魔法を使おうとして、ふと手を止める。
(違う。今はもう、誰かのために自分の体を汚す必要はないんだ)
私は、ただその本が本来持っていた「輝き」を思い出そうとした。
シオンが言った『本質に戻す』という言葉。
私が今までやってきたのは、ゴミを自分という別のゴミ箱に移す作業だった。けれど、本当の魔法は――。
「……還かえって」
私の指先から、淡い、水色の光が溢れ出した。
それは今までのような泥臭い魔力ではなく、清らかな泉から湧き出る水のような光だった。
光が古書の表面をなぞると、信じられないことが起きた。
頁を覆っていた黒いシミが、霧散するように消えていく。
固まっていた紙は瑞々しさを取り戻して解け、色褪せていた植物の挿絵が、まるで今描かれたばかりのように鮮やかな色彩を放ち始めたのだ。
「え……?」
一冊の本を修繕し終えたとき、私の体には「痛み」も「痣」も残っていなかった。
それどころか、魔法を使った後の私の体は、以前よりもずっと軽く、温かい。
「アリア、終わった……って、ええっ!?」
様子を見に来たマルタさんが、机の上の本を見て絶叫した。
そこには、かつての「穢れた古書」の姿はどこにもなかった。新品のような光沢を放ち、魔法の残り香さえ感じさせる、伝説の至宝のような一冊が鎮座していた。
「あなた、一体何をしたの……? これは修繕なんてレベルじゃないわ。聖女の『浄化』……いいえ、それ以上の、事象の根源を癒やす奇跡よ!」
作業室の窓から差し込む夕陽が、蘇った図鑑の色彩を美しく照らし出す。
私は自分の手を見つめた。
私が持っていた力は、家族が言っていたような「ゴミ拾いのための呪い」ではなかった。
傷ついたものを、あるべき姿へ戻す――再生の力だったのだ。
十九年間、私は自分の宝物を、彼らの私欲のために「泥」として使い続けてきた。
その夜、帰宅した私から報告を受けたシオンは、驚く風もなく、ただ少しだけ目を細めて言った。
「言っただろう。君は磨けば光る石だと。……だが、その力を安売りするなよ。価値を知らない連中に見つかれば、また君を檻に入れようとする」
シオンの警告は正しかった。
この図書館の「奇跡」の噂は、風に乗って街の外へと広がり始めていた。
そして、失った「スペア」の価値にようやく気づき、血眼になって私を追うローラン伯爵家の手の者が、すぐ隣の街まで迫っていた。
地下の小さな作業室で、私は一冊のひどく傷んだ古書と向き合っていた。それは数百年前に書かれたとされる植物図鑑で、表紙は剥がれ、頁は湿気で固まり、何より全体が不気味な黒いシミに覆われていた。
「これ、もう修繕は無理かしらね……。貴重な本なのだけれど、魔法的な『穢れ』が染み付いていて、触れるだけで気分が悪くなるのよ」
館長のマルタさんが申し訳なさそうに言った。
確かに、その本からは実家の屋敷で感じていたような、澱んだ、重苦しい気配が漂っている。普通の修繕師なら匙を投げる代物だ。
けれど、私は違った。
この「穢れ」を、私は誰よりも知っている。
「……やってみます。私、こういうものには慣れていますから」
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それは今までのような泥臭い魔力ではなく、清らかな泉から湧き出る水のような光だった。
光が古書の表面をなぞると、信じられないことが起きた。
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固まっていた紙は瑞々しさを取り戻して解け、色褪せていた植物の挿絵が、まるで今描かれたばかりのように鮮やかな色彩を放ち始めたのだ。
「え……?」
一冊の本を修繕し終えたとき、私の体には「痛み」も「痣」も残っていなかった。
それどころか、魔法を使った後の私の体は、以前よりもずっと軽く、温かい。
「アリア、終わった……って、ええっ!?」
様子を見に来たマルタさんが、机の上の本を見て絶叫した。
そこには、かつての「穢れた古書」の姿はどこにもなかった。新品のような光沢を放ち、魔法の残り香さえ感じさせる、伝説の至宝のような一冊が鎮座していた。
「あなた、一体何をしたの……? これは修繕なんてレベルじゃないわ。聖女の『浄化』……いいえ、それ以上の、事象の根源を癒やす奇跡よ!」
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傷ついたものを、あるべき姿へ戻す――再生の力だったのだ。
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その夜、帰宅した私から報告を受けたシオンは、驚く風もなく、ただ少しだけ目を細めて言った。
「言っただろう。君は磨けば光る石だと。……だが、その力を安売りするなよ。価値を知らない連中に見つかれば、また君を檻に入れようとする」
シオンの警告は正しかった。
この図書館の「奇跡」の噂は、風に乗って街の外へと広がり始めていた。
そして、失った「スペア」の価値にようやく気づき、血眼になって私を追うローラン伯爵家の手の者が、すぐ隣の街まで迫っていた。
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