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第3章:過去という名の呪縛と、確かな熱
第二十一話:贈り物、ひび割れた誇り
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名前を呼ばれ、真の力が開花した翌朝。シオン様は朝食の後、不愛想に一つの包みをテーブルに置いた。
「図書館の給料日だったんだろう。これは、俺からの『就職祝い』だ」
「え……? でも、シオン様にはいつもお世話になっているのに、これ以上いただくわけには……」
「いいから開けろ。中身を見てもそう言えるなら、外の雪の中にでも捨ててこい」
私は戸惑いながらも、丁寧に結ばれた紐を解いた。
中から現れたのは、磨き上げられた木製の箱。蓋を開けた瞬間、私は息を呑み、そのまま硬直した。
そこには、太さの異なる数本の絵筆と、小瓶に詰められた色とりどりの絵具が、整然と並んでいた。
かつて母に「目に毒だ」と暖炉にくべられ、ミレーヌに踏み潰された、あの私の魂の一部。
「……あ……あぁ……」
指先が震えて、筆に触れることさえ恐ろしい。
奪われた日の記憶、筆が折れるパキリという乾いた音、灰になった青色の空。それらが一気に蘇り、喉の奥がヒリついた。
「この街の職人に作らせた。君が修繕している本と同じ、長く使い込める良い木を使っている。……アリア、君から色を奪った連中はもうここにはいない」
シオン様は椅子から立ち上がり、窓の外を見つめた。
「いつまでも『描けない自分』を言い訳にして、過去に縛られているのは君らしくない。……描け。君の瞳に映る今の世界を」
私は一本の筆を手に取った。
実家のボロボロの筆とは違う、吸い付くような重み。
私は震える手で、真っ白な紙に、一滴の青い絵具を落とした。
水を含んだ筆が紙の上を滑る。
あの日、奪われた空の色。
けれど、今描いている青は、あの頃よりもずっと深く、温かい。
それは、シオン様が教えてくれた「自分のために生きる」という、自由の色だった。
「っ……う、あぁ……っ……」
一度溢れ出した涙は、もう止まらなかった。
私は子供のように声を上げて泣きながら、夢中で筆を動かした。
描きたかった。ずっと、ずっと、描きたかった。
誰のためでもない、私の心の叫びを、この世界に刻みたかった。
シオン様は何も言わず、ただ私の背中に大きな手を置いてくれた。
泣きじゃくる私の背中から、十年分の重圧と悲しみが、涙と共に流れ落ちていく。
描き終えた時、そこには一枚の絵があった。
雪山の中に建つ、小さな、けれど温かい光が漏れる家。
その家の窓辺には、水色のリボンをつけた一人の娘が笑っていた。
「……ひどい出来だな。涙で色が滲んでいる」
シオン様は呆れたように言ったが、その手は優しく私の頭を撫でていた。
「はい……。でも、私……今、世界がこんなに綺麗なんだって、初めて知りました」
ひび割れていた私の誇りは、シオン様が贈ってくれた筆によって、再びゆっくりと繋ぎ合わされていった。
私はもう、影ではない。
自分の手で、自分の人生を彩ることができる一人の「画家」として、産声を上げたのだ。
「図書館の給料日だったんだろう。これは、俺からの『就職祝い』だ」
「え……? でも、シオン様にはいつもお世話になっているのに、これ以上いただくわけには……」
「いいから開けろ。中身を見てもそう言えるなら、外の雪の中にでも捨ててこい」
私は戸惑いながらも、丁寧に結ばれた紐を解いた。
中から現れたのは、磨き上げられた木製の箱。蓋を開けた瞬間、私は息を呑み、そのまま硬直した。
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かつて母に「目に毒だ」と暖炉にくべられ、ミレーヌに踏み潰された、あの私の魂の一部。
「……あ……あぁ……」
指先が震えて、筆に触れることさえ恐ろしい。
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「この街の職人に作らせた。君が修繕している本と同じ、長く使い込める良い木を使っている。……アリア、君から色を奪った連中はもうここにはいない」
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「いつまでも『描けない自分』を言い訳にして、過去に縛られているのは君らしくない。……描け。君の瞳に映る今の世界を」
私は一本の筆を手に取った。
実家のボロボロの筆とは違う、吸い付くような重み。
私は震える手で、真っ白な紙に、一滴の青い絵具を落とした。
水を含んだ筆が紙の上を滑る。
あの日、奪われた空の色。
けれど、今描いている青は、あの頃よりもずっと深く、温かい。
それは、シオン様が教えてくれた「自分のために生きる」という、自由の色だった。
「っ……う、あぁ……っ……」
一度溢れ出した涙は、もう止まらなかった。
私は子供のように声を上げて泣きながら、夢中で筆を動かした。
描きたかった。ずっと、ずっと、描きたかった。
誰のためでもない、私の心の叫びを、この世界に刻みたかった。
シオン様は何も言わず、ただ私の背中に大きな手を置いてくれた。
泣きじゃくる私の背中から、十年分の重圧と悲しみが、涙と共に流れ落ちていく。
描き終えた時、そこには一枚の絵があった。
雪山の中に建つ、小さな、けれど温かい光が漏れる家。
その家の窓辺には、水色のリボンをつけた一人の娘が笑っていた。
「……ひどい出来だな。涙で色が滲んでいる」
シオン様は呆れたように言ったが、その手は優しく私の頭を撫でていた。
「はい……。でも、私……今、世界がこんなに綺麗なんだって、初めて知りました」
ひび割れていた私の誇りは、シオン様が贈ってくれた筆によって、再びゆっくりと繋ぎ合わされていった。
私はもう、影ではない。
自分の手で、自分の人生を彩ることができる一人の「画家」として、産声を上げたのだ。
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