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第1話:死の際、私は公爵家の『便利屋』を辞めることにした
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冷たい雨が、私の頬を叩いていた。
鉄の匂いと、民衆の罵声。視界の端で揺れる断頭台の刃が、鈍く光っている。
「エルゼ・フォン・アデナウアー!貴様には公金横領、および隣国との内通による反逆の罪で、死刑を言い渡す!」
高らかに罪状を読み上げる騎士の声に、私は力なく笑った。
横領?反逆?笑わせないで。
この国の金庫番とまで称されるアデナウアー公爵家の財政を、たった一人で支えてきたのは私だ。
ギャンブル狂いの父が作った借金を完済し、無能な弟が散らかした書類を徹夜で整理し、我儘な妹が贅沢三昧をするための資金を、商会との交渉で捻り出してきた。
その結果が、これ。
使い古され、用済みになった道具のように、私は捨てられたのだ。
「最期に言い残すことはあるか、この稀代の毒婦め」
処刑台の脇、特等席で見物している家族に視線を向ける。
そこには、私が必死に稼いだ金で買った特注の軍服を着た父と、最新流行のドレスに身を包んだ妹、そして私の功績を自分のものとして発表してきた弟がいた。
「姉上、安心してください。姉上の穴は僕が埋めますから。……まあ、精々地獄で後悔することですね」
弟が耳打ちするようにそう言い、口角を吊り上げた。
ああ、そうか。
こいつらは、私が死んでも、公爵家がこれまで通り回ると思っているのだ。
私が裏でどれだけの血肉を削り、泥水を啜ってこの家を維持してきたか、何一つ理解していない。
悲しみは、一瞬で殺意に変わった。
もし、次があるのなら。
もし、もう一度人生をやり直せるのなら。
(二度と、あいつらのために働かない……!)
私は、私のためだけに生きる。
私の手で築き上げたものは、砂の一粒、金貨の一枚たりとも、あいつらには渡さない。
ガラン、と重い音が響いた。
視界が反転し、凄まじい衝撃と共に、私の世界は真っ暗な闇に飲み込まれた――。
◆
「……おい、いつまで寝ているんだ!早く起きろ、エルゼ!」
鼓膜を震わす不快な怒鳴り声に、私は跳ね起きた。
首筋に走る、冷たい刃の感触。
慌てて喉元に手をやるが、そこには傷一つなく、滑らかな肌があるだけだった。
「なっ……?」
周囲を見渡す。そこは断頭台の上ではなく、見慣れた、けれど吐き気のする自室だった。
机の上には、領地から上がってきた膨大な数の報告書と、未決済の請求書が山積みになっている。
「聞こえていないのか!この報告書、今日中に仕上げておけと言っただろう。僕が明日、王宮の会議で提出するんだからな」
目の前に立っていたのは、弟のディートリヒだった。
まだ十代後半の、傲慢さが隠しきれない幼い顔。
私は震える手で、カレンダー代わりの魔導具を確認した。
(戻って……きた?処刑される二年前……、私がまだ公爵家の『便利屋』として、死ぬ気で働かされていた時期に……!)
心臓が早鐘を打つ。
夢ではない。この紙の感触も、ディートリヒの鼻につく香水の匂いも、すべてが現実だ。
神様が、私に復讐の機会をくれたのだ。
「おい、無視するな!返事はどうした!」
ディートリヒが苛立ち紛れに、机をバンと叩いた。
前世の私なら、ここで「申し訳ありません、すぐ取り掛かりますわ」と力なく微笑んでいただろう。
けれど、今の私は違う。
私はゆっくりと顔を上げ、ディートリヒを正面から見据えた。
その瞳に宿る冷徹な光に、ディートリヒが一瞬気圧されたように身を引く。
「……何だよ、その目は」
「いいえ。ただ、少し考え方を変えただけですわ」
私は机の上の、厚さ数センチはある報告書を指先で弾いた。
「ディートリヒ。これまでは家族の情として無償で手伝ってきましたが……私も忙しい身です。これからは、私の『労働』に対して、正当な報酬をいただくことに決めましたの」
「はぁ?報酬?何を言っているんだ。家族が助け合うのは当然だろう!」
「助け合い、とは『互いに』助けることを言いますのよ?私一人があなたの仕事を肩代わりするのは、ただの搾取ですわ」
私は優雅に立ち上がり、クローゼットの奥に隠していた「あるもの」を思い浮かべた。
公爵家の金庫の予備鍵。そして、父が以前酔った勢いで私に預けたまま忘れている、全権委任状。
これまでは、家を守るために大切に保管していた。
けれど、これからは。
この家の資産を、文字通り「根こそぎ」奪うための武器として使わせてもらう。
「いいですわ、ディートリヒ。その書類、仕上げておいてあげます。……ただし。代金として、今すぐ金貨十枚を私の個人口座に振り込みなさい」
「き、金貨十枚!?たかが書類仕事に、そんな大金払えるか!」
「あら、それでは王宮の会議で『恥』をかくだけですわね。あなたの前世……いいえ、あなたのこれまでの杜撰な仕事ぶりでは、十秒も質問に耐えられないでしょう?」
私はクスリと笑った。
ディートリヒは顔を真っ赤にして震えているが、最終的には折れるしかない。
彼は、自分では何もできない無能なのだから。
「……わ、わかったよ!払えばいいんだろ、払えば!」
捨て台詞を残して部屋を飛び出していく弟の背中を見送りながら、私は冷たく唇を歪めた。
まずは、小銭から。
そして次は人脈。土地。利権。
私が支えてきたアデナウアー公爵家のすべてを、私個人のものへと書き換えていく。
最後に残るのは、プライドだけが高くて中身のない、空っぽの抜け殻。
あの日、私を笑ったあなたたちに、最高に惨めな絶望をプレゼントしてあげるわ。
「楽しみに待っていてね。お父様、ディートリヒ、マリア。……二度目の人生、私は絶対に、あなたたちの思い通りにはならないから」
窓の外では、さっきまでの雨が嘘のように、黄金色の陽光が差し込み始めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます! 「続きが気になる!」「面白そう!」と思っていただけたら、 【お気に入り登録】と【感想やいいね】をいただけると執筆の励みになります!
鉄の匂いと、民衆の罵声。視界の端で揺れる断頭台の刃が、鈍く光っている。
「エルゼ・フォン・アデナウアー!貴様には公金横領、および隣国との内通による反逆の罪で、死刑を言い渡す!」
高らかに罪状を読み上げる騎士の声に、私は力なく笑った。
横領?反逆?笑わせないで。
この国の金庫番とまで称されるアデナウアー公爵家の財政を、たった一人で支えてきたのは私だ。
ギャンブル狂いの父が作った借金を完済し、無能な弟が散らかした書類を徹夜で整理し、我儘な妹が贅沢三昧をするための資金を、商会との交渉で捻り出してきた。
その結果が、これ。
使い古され、用済みになった道具のように、私は捨てられたのだ。
「最期に言い残すことはあるか、この稀代の毒婦め」
処刑台の脇、特等席で見物している家族に視線を向ける。
そこには、私が必死に稼いだ金で買った特注の軍服を着た父と、最新流行のドレスに身を包んだ妹、そして私の功績を自分のものとして発表してきた弟がいた。
「姉上、安心してください。姉上の穴は僕が埋めますから。……まあ、精々地獄で後悔することですね」
弟が耳打ちするようにそう言い、口角を吊り上げた。
ああ、そうか。
こいつらは、私が死んでも、公爵家がこれまで通り回ると思っているのだ。
私が裏でどれだけの血肉を削り、泥水を啜ってこの家を維持してきたか、何一つ理解していない。
悲しみは、一瞬で殺意に変わった。
もし、次があるのなら。
もし、もう一度人生をやり直せるのなら。
(二度と、あいつらのために働かない……!)
私は、私のためだけに生きる。
私の手で築き上げたものは、砂の一粒、金貨の一枚たりとも、あいつらには渡さない。
ガラン、と重い音が響いた。
視界が反転し、凄まじい衝撃と共に、私の世界は真っ暗な闇に飲み込まれた――。
◆
「……おい、いつまで寝ているんだ!早く起きろ、エルゼ!」
鼓膜を震わす不快な怒鳴り声に、私は跳ね起きた。
首筋に走る、冷たい刃の感触。
慌てて喉元に手をやるが、そこには傷一つなく、滑らかな肌があるだけだった。
「なっ……?」
周囲を見渡す。そこは断頭台の上ではなく、見慣れた、けれど吐き気のする自室だった。
机の上には、領地から上がってきた膨大な数の報告書と、未決済の請求書が山積みになっている。
「聞こえていないのか!この報告書、今日中に仕上げておけと言っただろう。僕が明日、王宮の会議で提出するんだからな」
目の前に立っていたのは、弟のディートリヒだった。
まだ十代後半の、傲慢さが隠しきれない幼い顔。
私は震える手で、カレンダー代わりの魔導具を確認した。
(戻って……きた?処刑される二年前……、私がまだ公爵家の『便利屋』として、死ぬ気で働かされていた時期に……!)
心臓が早鐘を打つ。
夢ではない。この紙の感触も、ディートリヒの鼻につく香水の匂いも、すべてが現実だ。
神様が、私に復讐の機会をくれたのだ。
「おい、無視するな!返事はどうした!」
ディートリヒが苛立ち紛れに、机をバンと叩いた。
前世の私なら、ここで「申し訳ありません、すぐ取り掛かりますわ」と力なく微笑んでいただろう。
けれど、今の私は違う。
私はゆっくりと顔を上げ、ディートリヒを正面から見据えた。
その瞳に宿る冷徹な光に、ディートリヒが一瞬気圧されたように身を引く。
「……何だよ、その目は」
「いいえ。ただ、少し考え方を変えただけですわ」
私は机の上の、厚さ数センチはある報告書を指先で弾いた。
「ディートリヒ。これまでは家族の情として無償で手伝ってきましたが……私も忙しい身です。これからは、私の『労働』に対して、正当な報酬をいただくことに決めましたの」
「はぁ?報酬?何を言っているんだ。家族が助け合うのは当然だろう!」
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「き、金貨十枚!?たかが書類仕事に、そんな大金払えるか!」
「あら、それでは王宮の会議で『恥』をかくだけですわね。あなたの前世……いいえ、あなたのこれまでの杜撰な仕事ぶりでは、十秒も質問に耐えられないでしょう?」
私はクスリと笑った。
ディートリヒは顔を真っ赤にして震えているが、最終的には折れるしかない。
彼は、自分では何もできない無能なのだから。
「……わ、わかったよ!払えばいいんだろ、払えば!」
捨て台詞を残して部屋を飛び出していく弟の背中を見送りながら、私は冷たく唇を歪めた。
まずは、小銭から。
そして次は人脈。土地。利権。
私が支えてきたアデナウアー公爵家のすべてを、私個人のものへと書き換えていく。
最後に残るのは、プライドだけが高くて中身のない、空っぽの抜け殻。
あの日、私を笑ったあなたたちに、最高に惨めな絶望をプレゼントしてあげるわ。
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