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Book 1 – 第1巻
Op.1-17 – Lesson with Orimoto
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「上手」
『平均律クラヴィーア曲集 第1巻』第1番プレリュードを演奏し終えた光が鍵盤から指を離した瞬間に折本は軽く拍手しながら褒め称える。
「ありがとうございます」
光は少し照れながら笑い、折本に礼を言う。
「光ちゃん、短くて簡単なこの曲でもしっかり弾きつつ表現力もあったね。どんなイメージだったの?」
折本の問いかけに対して光は少しだけ考えた後に答え始める。
「えーっと、私、ハ長調って朝のイメージで、特にこの曲は自分が森の中にいる感じがしていました。気持ちの良い日差しを木の隙間から感じて川に沿ってお散歩しているイメージで弾いてみました」
この具体的なイメージを聞いて、折本は光の演奏を聞いているときのイメージが正にそれだったので少し驚く。
光はいつもこのように詳細な情景が湧いているわけではないが、それでも1つ1つのセクションに対して「自分がどう演奏したいのか」という意識を持ってピアノを弾いている。更に風景を想像しながら演奏しているときにはより強力な演奏を披露する。
「それにこの曲、基本的にアルペジオ弾いてるだけなんですけどそれがよりコードを感じられて、ジャズとかの進行っぽくて楽しくなっちゃいました」
「いわゆるディミニッシュコードとかで雰囲気にスパイスを加えていくものね」
そう言って折本はピアノの高音部分でプレリュードの中にあるディミニッシュコードを押さえて響かせた後に、譜面通りにアルペジオで演奏する。
基本的にレッスンでは講師は生徒の右隣に腰掛け、高音部分の鍵盤を使って (時々身を乗り出して実際の音域を使うこともある) 演奏し、手本を見せる。また、折本は生徒の左手に問題が見られる場合には席を立って反対側に回り込んで生徒と一緒に弾いたり、参考演奏を披露したりする。
「他にも転回形が使われることでぶつかる音が出てきて、これも雰囲気を変えるよね」
折本は引き続き例を示しつつ光に告げる。
「そんな和音が出てきたときは意識してちょっとゆっくり目に大事に弾いてみました」
光の言葉に折本は微笑みながら頷く。その後、光に右手を鍵盤に乗せるように促し、光はそれに従う。折本は光の手首を優しく持ってブラブラと揺らす。
「手首を固定させないで柔らかく保つ。そして進行方向に向かって軽く回しながら弾くことでアルペジオがスムーズになってもっと表現力が良くなるよ」
折本がしばらく光の手首を軽く回した後に手を離すと、光はそのまま手首の力を抜いて軽く回す動きを続ける。そしてそのままプレリュードの頭から演奏を始める。
「そうそう音が柔らかくなった。そのまま続けて」
光はそのまま曲を進める。折本は1オクターヴ高い部分で右手のアルペジオを光と同時に演奏し、手本を見せる。
「次からアルペジオの間隔が広がるから気持ち回転を大きく……」
4小節目に到達すると音型に変化が現れる5小節目の動きを説明する。
「そう、ラレララレラ……そして次はファの♯~。音が変わるよ~。そう、その音が少し浮かび上がるように。そのままト長調に変わるよ……はい、ここが新しいお家~」
折本の言葉が段々と曲のリズムとマッチしていく。そして折本は光の背中に手を添え、音の変化が表れる小節の直前で少し手に力を加えて意識が必要であることを示す。
「少し力が入り過ぎてるよ~」
折本は曲のリズム、メロディーの音程に合わせながら言葉を紡ぎ、光に注意する。右手を離して光の手首に触れて力を抜くよう促す。
「そう、そのまま~」
ドミナントペダルに突入すると、光の背中をトンッと押した後に徐々に力を入れていき、曲のクライマックスであることを伝える。
「ハ長調に帰って~。でもまだよ、まだよ~。最後まで溜め込んで~」
最後の右手のアルペジオへ。
「最後は一息で……ウンッ、ファラドファドラドラファラファレファレ」
初めの8分休符では、それを示すように光の背中を軽く叩くと同時に「ウンッ」と言って8分休符を表す。
「ウンッ、ソシレファレシレシ、最後は溜めて溜めて……レファミレ……」
光の背中に置く手に力を入れながら「まだまだ……」と言って我慢させ、その後軽く手を離して再び光の背中に手を当てて「ド~」と最終小節の和音を弾かせる。
折本は光の背中を軽く摩りながら「さっきよりも良くなった」と笑顔で光に言い、光も笑顔で応じる。
「光ちゃん、この曲って同じアルペジオを1小節に2回繰り返すでしょ?」
「はい」
「1回目と2回目で微妙な違いを作ってみよっか。最初の方の小節、少し弾いてみて」
光は「はい」と返事をすると言われた通りに最初の小節を弾き始める。折本は「ちょっとごめんね」と光の足をどけさせてペダルに軽く足を置く。
「1回目はレガートに。2回目はこうして……気持ち短く。ペダル切ってもいいかもね」
折本は光に1小節目をループさせてペダルの踏み方で音の変化を付ける。その後自分もオクターヴ上で一緒に弾き、演奏の仕方でも演奏に違いを付けていく。
しばらくそれを続けた後に合図して止めさせる。
「最初、光ちゃんは無機質な感じで弾いて後から少しずつ変化を入れていったよね?」
「はい、何かつまらないかなと思って」
「そう、それ大事。けど、光ちゃんはまだ何となくでしかできてなかったから曲の流れや響きから適切に変えられるようにできると良いね」
光は返事をしながら足元のペダルに目をやり、ペダルを踏んだり離したりしていじる。
「奥に踏み続けたままだと音が濁っちゃうから、加減を考えなきゃね」
折本はウィンクしながら光に告げる。
折本のレッスンではまず最初にノンストップで何も言わずに生徒に演奏させる。そしてその後に簡単な感想を告げた後にその生徒が何を考えて弾いたのか、どんなイメージをその曲に抱いたのか、何を意識したのかなどを具体的に言葉に出させる。
言葉に表すのが難しそうであれば、折本がどんな強弱で演奏されていたかなどを伝え、イメージ作りの手助けをする。ここで折本が気を遣っているのは、生徒が自分で考える力を止めないように彼女が生徒の演奏を聴いて感じたイメージを伝えないこと。
この折本の珍しい指導によって彼女の生徒たちはそれぞれの個性を育んでいく。そしてそれが作曲へと生かされ、HOC (ハヤマオリジナルコンサート) において優秀な演奏を披露する生徒を多く輩出している。
まだ波があるものの強烈な個性を持ち合わせ、意外性ある創造力と演奏技術で圧倒的な音楽を奏でる光を、折本は小さい頃から大事に見守ってきた。
それ故にある程度は彼女の気持ちを優先してレッスンをしており、その才能を彼女の生来の性質である『自由』と溶け込ませ、より強烈なものになるよう促してきた。
そしてそんな光の才能と自由に惚れ込んでいる人物がもう1人いる。
––––その名は作編曲家/ピアニスト・指揮者、瀧野花である。
<用語解説>
・転回形:ハ長調Ⅰの和音 (ドミソ) のようにルート音 (C音) を最低音にしている状態を基本形と言う。第3音 (E音) を最低音にしてC音を最高音にした状態を第1転回形と言う。更に、第5音 (G音) を最低音にしてE音を最高音にした状態を第2転回形と言う。4和音の場合、第7音を最低音にした状態である第3転回形がある。
『平均律クラヴィーア曲集 第1巻』第1番プレリュードを演奏し終えた光が鍵盤から指を離した瞬間に折本は軽く拍手しながら褒め称える。
「ありがとうございます」
光は少し照れながら笑い、折本に礼を言う。
「光ちゃん、短くて簡単なこの曲でもしっかり弾きつつ表現力もあったね。どんなイメージだったの?」
折本の問いかけに対して光は少しだけ考えた後に答え始める。
「えーっと、私、ハ長調って朝のイメージで、特にこの曲は自分が森の中にいる感じがしていました。気持ちの良い日差しを木の隙間から感じて川に沿ってお散歩しているイメージで弾いてみました」
この具体的なイメージを聞いて、折本は光の演奏を聞いているときのイメージが正にそれだったので少し驚く。
光はいつもこのように詳細な情景が湧いているわけではないが、それでも1つ1つのセクションに対して「自分がどう演奏したいのか」という意識を持ってピアノを弾いている。更に風景を想像しながら演奏しているときにはより強力な演奏を披露する。
「それにこの曲、基本的にアルペジオ弾いてるだけなんですけどそれがよりコードを感じられて、ジャズとかの進行っぽくて楽しくなっちゃいました」
「いわゆるディミニッシュコードとかで雰囲気にスパイスを加えていくものね」
そう言って折本はピアノの高音部分でプレリュードの中にあるディミニッシュコードを押さえて響かせた後に、譜面通りにアルペジオで演奏する。
基本的にレッスンでは講師は生徒の右隣に腰掛け、高音部分の鍵盤を使って (時々身を乗り出して実際の音域を使うこともある) 演奏し、手本を見せる。また、折本は生徒の左手に問題が見られる場合には席を立って反対側に回り込んで生徒と一緒に弾いたり、参考演奏を披露したりする。
「他にも転回形が使われることでぶつかる音が出てきて、これも雰囲気を変えるよね」
折本は引き続き例を示しつつ光に告げる。
「そんな和音が出てきたときは意識してちょっとゆっくり目に大事に弾いてみました」
光の言葉に折本は微笑みながら頷く。その後、光に右手を鍵盤に乗せるように促し、光はそれに従う。折本は光の手首を優しく持ってブラブラと揺らす。
「手首を固定させないで柔らかく保つ。そして進行方向に向かって軽く回しながら弾くことでアルペジオがスムーズになってもっと表現力が良くなるよ」
折本がしばらく光の手首を軽く回した後に手を離すと、光はそのまま手首の力を抜いて軽く回す動きを続ける。そしてそのままプレリュードの頭から演奏を始める。
「そうそう音が柔らかくなった。そのまま続けて」
光はそのまま曲を進める。折本は1オクターヴ高い部分で右手のアルペジオを光と同時に演奏し、手本を見せる。
「次からアルペジオの間隔が広がるから気持ち回転を大きく……」
4小節目に到達すると音型に変化が現れる5小節目の動きを説明する。
「そう、ラレララレラ……そして次はファの♯~。音が変わるよ~。そう、その音が少し浮かび上がるように。そのままト長調に変わるよ……はい、ここが新しいお家~」
折本の言葉が段々と曲のリズムとマッチしていく。そして折本は光の背中に手を添え、音の変化が表れる小節の直前で少し手に力を加えて意識が必要であることを示す。
「少し力が入り過ぎてるよ~」
折本は曲のリズム、メロディーの音程に合わせながら言葉を紡ぎ、光に注意する。右手を離して光の手首に触れて力を抜くよう促す。
「そう、そのまま~」
ドミナントペダルに突入すると、光の背中をトンッと押した後に徐々に力を入れていき、曲のクライマックスであることを伝える。
「ハ長調に帰って~。でもまだよ、まだよ~。最後まで溜め込んで~」
最後の右手のアルペジオへ。
「最後は一息で……ウンッ、ファラドファドラドラファラファレファレ」
初めの8分休符では、それを示すように光の背中を軽く叩くと同時に「ウンッ」と言って8分休符を表す。
「ウンッ、ソシレファレシレシ、最後は溜めて溜めて……レファミレ……」
光の背中に置く手に力を入れながら「まだまだ……」と言って我慢させ、その後軽く手を離して再び光の背中に手を当てて「ド~」と最終小節の和音を弾かせる。
折本は光の背中を軽く摩りながら「さっきよりも良くなった」と笑顔で光に言い、光も笑顔で応じる。
「光ちゃん、この曲って同じアルペジオを1小節に2回繰り返すでしょ?」
「はい」
「1回目と2回目で微妙な違いを作ってみよっか。最初の方の小節、少し弾いてみて」
光は「はい」と返事をすると言われた通りに最初の小節を弾き始める。折本は「ちょっとごめんね」と光の足をどけさせてペダルに軽く足を置く。
「1回目はレガートに。2回目はこうして……気持ち短く。ペダル切ってもいいかもね」
折本は光に1小節目をループさせてペダルの踏み方で音の変化を付ける。その後自分もオクターヴ上で一緒に弾き、演奏の仕方でも演奏に違いを付けていく。
しばらくそれを続けた後に合図して止めさせる。
「最初、光ちゃんは無機質な感じで弾いて後から少しずつ変化を入れていったよね?」
「はい、何かつまらないかなと思って」
「そう、それ大事。けど、光ちゃんはまだ何となくでしかできてなかったから曲の流れや響きから適切に変えられるようにできると良いね」
光は返事をしながら足元のペダルに目をやり、ペダルを踏んだり離したりしていじる。
「奥に踏み続けたままだと音が濁っちゃうから、加減を考えなきゃね」
折本はウィンクしながら光に告げる。
折本のレッスンではまず最初にノンストップで何も言わずに生徒に演奏させる。そしてその後に簡単な感想を告げた後にその生徒が何を考えて弾いたのか、どんなイメージをその曲に抱いたのか、何を意識したのかなどを具体的に言葉に出させる。
言葉に表すのが難しそうであれば、折本がどんな強弱で演奏されていたかなどを伝え、イメージ作りの手助けをする。ここで折本が気を遣っているのは、生徒が自分で考える力を止めないように彼女が生徒の演奏を聴いて感じたイメージを伝えないこと。
この折本の珍しい指導によって彼女の生徒たちはそれぞれの個性を育んでいく。そしてそれが作曲へと生かされ、HOC (ハヤマオリジナルコンサート) において優秀な演奏を披露する生徒を多く輩出している。
まだ波があるものの強烈な個性を持ち合わせ、意外性ある創造力と演奏技術で圧倒的な音楽を奏でる光を、折本は小さい頃から大事に見守ってきた。
それ故にある程度は彼女の気持ちを優先してレッスンをしており、その才能を彼女の生来の性質である『自由』と溶け込ませ、より強烈なものになるよう促してきた。
そしてそんな光の才能と自由に惚れ込んでいる人物がもう1人いる。
––––その名は作編曲家/ピアニスト・指揮者、瀧野花である。
<用語解説>
・転回形:ハ長調Ⅰの和音 (ドミソ) のようにルート音 (C音) を最低音にしている状態を基本形と言う。第3音 (E音) を最低音にしてC音を最高音にした状態を第1転回形と言う。更に、第5音 (G音) を最低音にしてE音を最高音にした状態を第2転回形と言う。4和音の場合、第7音を最低音にした状態である第3転回形がある。
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