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番外編 未婚の男女にまつわるすれ違い、または溺愛を描く短編集
囲われた女の勘違い
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今回はサラッと軽めの重い執着もののお話を……
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「もう潮時かな……」
私は冷たくなった夕食を前にしてひとり呟いた。
彼は一週間の中で四日、月水金土は私の為に用意してくれたこの部屋に来ていたというのに、今週は月曜日に会ったきり一度も訪いがなかった。
もうかれこれひと月以上もこんな事が続いている。
本人は仕事だと言っていたけど。
それでも明日が休みでもある土曜は来るだろうと思い、いつもより少しだけ手の込んだ料理を作って待っていたのに、日付けが変わっても彼は来なかった。
あんなに私に執着していたのに。
今でも会えば重苦しいくらいに構い倒されるけど、近頃私の元に通う回数が段々と減ってゆき、ここひと月の間は数えられるくらいしか会えていない。
「とうとう飽きられたか……」
もともとが憐れみから始まった関係だ。
遅かれ早かれこうなる事は分かっていたはず。
私の父は王宮の財務局に勤める文官だったが、それを利用して仲間数人と共謀して金銭を横領したのだ。
長患いだった母の薬代の為にした事だろうが犯罪は犯罪である。
母が亡くなってから父の罪が発覚したのがせめてもの救いだろうか。
父は仲間と共に捕らえられ、家も財産も爵位も全て没収された。
今は西の牢獄で服役している。
そして突然着の身着のまま放り出されて途方に暮れる私を、昔から父と付き合いのあった彼が不憫に思って住む所と職を与えてくれたのだった。
“職”というのは……愛人業だ。
「愛人として囲う」とハッキリ言われたわけではないが、決められた日にアパートの部屋に来て私を抱き、生活費を置いてゆくのだからそれは愛人というヤツなのだろう。
子爵家の娘として暮らし、コップ一つ洗った事のない私が一人で生きてゆくのにはもはや娼婦になるか愛人になるかしかなかったわけだが、その二者択一であるならば、彼一人を相手にすればいい愛人を取るのは当たり前ではなかっただろうか。
極端な発想だったかもしれないけど、
私は昔から彼の事が好きだった……
だから彼から差し出されたその手を取る事に躊躇いはなかった。
それに最初に言われたのだ。
私がハタチになるまで、この暮らしを続けるつもりだと。
つまり、それ以降は続けないという事だろう。
二年間だけの関係。
何故二年……?
長く不思議に思っていたけど二年後には私はハタチになり誰の庇護下に入らずとも都民権を得られる。
それまでは彼……オーランド=ノックスが責任を持って面倒を見てくれるという事なのだろう。
オーランドは魔法省で魔法、魔術犯罪の調査に携わっている。
長身痩躯で端正な顔立ち。
加えて超エリートである魔法省の役人なのだから結婚相手は引く手数多である筈なのに、彼は何故か未だに独身である。
それなら私は恋人なのでは?という疑問が湧かないでもないが、妻でもない者が住む所と生活費を貰って暮らす事を、愛人と呼ぶのではないだろうか。
それに私は犯罪者の娘だ。
本来なら魔法省の役人が相手にするべき人間ではない。
それでも彼の側に居たくて、彼の慈悲に縋って生きてきたのである。
だけどそれももう潮時だろう。
訪の数が減った事、そして彼から香り出した知らない香水の香りがその事を如実に表している。
この二年、彼に囲われ穏やかに暮らせてきた。
その間に家事はひと通り出来るようになったし、市場で物を買う事も、市井での暮らしとはどんなものかを学ぶ事も出来た。
得意だった外国語も、翻訳業として成り立つ事も知った。
行きつけの貸し本屋の店主に紹介して貰った翻訳の仕事を少しずつ始めている。
だからもう一人で生きていけると思う。
毎月オーランドから貰う生活費が余った分を少しずつ貯めたヘソクリもある。
これならこの部屋を出て、新しい暮らしの基盤も整えられるはず。
これ以上彼に、オーランドに迷惑を掛けずに済むのだ。
これで良かった。
丁度いいタイミングだ。
彼も二十五歳、とっくに結婚して子を持っているような年だ。
そろそろ周りに言われて奥方を迎えるのだろう。
きっと彼からは言い辛いだろうから、別れ話はこちらから切り出す。
私はそう決めて、テーブルに用意してあった冷えた料理を片付けた。
そして次の日からさっそく、私は新しい部屋探しをした。
出来れば市場近くの日当たりの良い部屋がいい。
オーランドと過ごしたあの温かな部屋のように、明るい光が私を包み込んでくれる、そんな明るい部屋がいい……
だけどなかなか希望通りの部屋とはすぐに見つからないものだ。
請け負った翻訳の仕事もあるし、その日は早々に部屋探しを終了した。
水曜に先日部屋探しでお世話になった貸家業の人から良い部屋があると連絡がありさっそく内覧に行く。
そこは王宮を中心とするなら南側の位置にあり、1LDKと狭いがとても日当たりの良い部屋だった。
小さいけどベランダも付いていて、お布団も干せそうだ。
必須条件だったバストイレ付きでもあったので、私はすぐにその部屋の契約書にサインをした。
サービスで掃除と傷んだ場所の修繕をしてくれるとの事で、鍵の引き渡しは来週となった。
あの部屋でこれからは一人で暮らすのか……
小鳥でも飼おうかな、なんて考えながら新しい部屋のカーテンを縫う為に布を買って帰宅すると、部屋の中にはオーランドが居た。
「……買い物に行ってたのか?」
完全に油断していた。
月曜も来なかったので今日も来ないだろうと思って何も用意をしていない。
私は内心かなり焦っているが、それをおくびに出さず返事をした。
「ええ。ごめんなさい、今日も来ないと思って食事の用意をしていないの」
「……今日は水曜だよ」
「でも先週は来なかったわ。他の曜日も」
「言っただろう?今、難しい犯罪の立証を抱えていてかなり忙しいと」
そう言って、彼は私を背中から抱きしめて来た。
ふわりと漂うその見知らぬ香りに、心が冷えてゆく。
来る度に違う香りを纏って、何が仕事だというのだろう。
私は何も言わずに彼の腕の中から静かに逃れた。
「エレナ……?」
「食材がないから簡単な食事しか作れないけどそれでもいい?」
「食事はいい。それより……エレナ、どうした?何かあったのか?」
「何もないわ」
「嘘だ。じゃあ何故俺の顔を見ない?」
「べつに……いつも通りだと思うけど」
「違う。いつもなら目と目が合ったら短くても7.3秒は視線が外れないのに今日は1秒で目を背けられた、これのどこがいつも通りなんだっ?」
「秒数を数えないで!なによ7.3秒って!」
「抱擁だっていつもより身体が触れる接地面が格段に少ないっ、これは身を固くして体重を預けてくれていないからだ、何故だ?どうしてだっ?」
「何よ接地面って!相変わらず変なとこに拘るのね!もう私とは別れるんだったらそんな事はどうでもいいでしょっ!」
「別れる……?何故キミと別れなければならないんだ?」
「誤魔化さなくてもいいのよ。ちゃんと分かってるつもりだから。何人かいい人が出来たんでしょ?その中の一人と結婚するのでしょう?」
「何人かの……いい人?結婚?すまん、ちょっと何を言ってるのか分からない」
「惚けないでよっ、ここに来る回数も減って、しかも来る度に違う香水の香りをプンプンさせて、私に気を遣ってくれなくて結構よっ………って何?何をニヤニヤ笑ってるのっ?」
私の発言の何が面白いのか、オーランドは急にニヤけ顔で私を見てきた。
「いや~ようやく話が見えてきたよ。ふーんそうか……俺が来れない日が増えたのと香水の香りで浮気を疑ってヤキモチを妬いてくれていたんだな」
「ヤ、ヤキモチなんてっ……もういいのよオーランド……散々世話になって貴方の足枷になってきた私を、今まで見捨てずにいてくれた事に感謝してるの。丁度約束の二年だし。私の事なら心配要らないわ。もう新しい部屋も見つけてるから、来週にはここを出て行けると思う……「は?」
私の言葉を遮ったオーランドの声は聞いた事もないような低いものだった。
「オーランド……?」
「部屋を見つけている……?ここを出て行く……?どういう事だ……?」
オーランドから言い様のない圧を感じる。
冷たくて重い……これは怒りの感情だろうか……
だけど私はそれに怯まず話を続けた。
今まで支えてくれた彼の幸せを心の底から願っているから。
「いつまでも私なんかを囲っていてはいけない、そうでしょう?貴方は魔法省の役人で私は罪人の娘。このまま貴方の側に居続けて良い人間ではないわ。貴方もそれが分かっているから結婚相手を探しているのでしょう?」
私がそう言い終えると、オーランドは一歩、私の方へと足を踏み出した。
呼気がかかるほどの至近距離で頭上から見下ろされる。
彼の顔からはごっそり表情が抜け落ちていた。
でも……次に彼から感じたのは、これは……悲しみ?
「もういい」
彼はそう呟いた。
「……キミは全然分かっていないな。この二年、俺は真摯に愛を囁いてきたというのに……」
「それはっ……私達のような関係では当たり前の事ではないの?睦言なんて……むンっ…ちょっ……やめっ……アむっ」
私の言葉を封じるようにオーランドが口づけをして来た。
まるで私から発する言葉を全て貪ろうとしているような、そんな荒く、性急な口づけだった。
私は体の力が抜けて行くのを感じた。
ようやく唇を解放された時にはもう一人では立っていられなかった。
そんな私を抱きしめながらオーランドは言う。
「親の罪は子には関係ないと、この国の法律に明記されているのを知らないキミじゃないだろう。まぁ例えそうじゃなくても関係ない。俺は最初からキミを手放すつもりはないんだから」
「オー……ランド……?」
「死ぬほど大変だった事案を必死で片付けたんだっ!約731、000時間っ、キミとの時間を犠牲にして国の為に尽力した時間だっ!そしてその報酬として五日間の休暇を獲得した。その休暇を全て、俺がどれほどキミを愛しているか分からせる為に使う事に決めたよ。もう二度と、俺から離れるなんて考えられないようにな」
「え?へ?え?ちょっ……オーランド……?」
「そもそも“囲う”って言葉を使う時点で間違ってるよな、キミが成人するまで結婚を待ってただけなのに“愛人”と認識されていたなんて……俺、最初に言ったよな?二年間はこのままだけど我慢してくれって」
「え?だって……それって愛人でいる事を我慢しろっていう意味じゃ……?」
……やだ怖いっ……!
オーランドが一層笑顔になった!
オーランドは徐に私を抱き上げた。
そしてそのままスタスタと寝室の方へ歩いて行く。
「キミをここへ連れて来た時の事もそうだけど、今回の事も仕事で暫く来れなくなるってちゃんと説明したよな?守秘義務があるから内容までは明かせないけど、まさかどちらもこんな歪曲して捉えられるとは思いもしなかったなーー」
「ちょっ……オーランドさんっ?は、話し合いましょっ?」
「うんちゃんと話そうな、ベッドの上で。120時間、浮気なんか疑う余地もないくらいにたっぷり思い知らせてあげるよ」
「も、もう充分分かった気がするからっ……」
「はははは」
オーランドの乾いた笑いが室内に響き渡る。
そして無情にも寝室の扉は閉められた。
それから私はオーランドの宣言通り、彼の五日間の休暇中はベッドから出させては貰えなかった。
彼が複数の香水の香りを纏っていたのは、魔法調香師の殺人の立証の為に現場に残された香りを再現する必要があったからだそうで……それ以上の事は話してくれなかったけど、浮気相手の香水の移り香ではなかったという事が判明した。
その立証やその他諸々の為に、ここに来る時間はおろか休みも取れないほど多忙だったとか……
今回の事は丁度もうすぐ私がハタチを迎えるというタイミングもすれ違いの原因となったようだ……
それにしてもやっぱりオーランドの私に対する執着は凄かった。
一瞬でも彼の心変わりを疑って側を離れようとした自分がバカらしくなるほどに……。
だけど……アレは……夢の中で聞いた言葉だったのだろうか……
激しく抱き潰されてその後眠ってしまった時に聞こえた彼の声……
まるで私に懺悔するかのような独白の言葉……
「ごめんなエレナ……キミの父親とその仲間の罪を告発したのは俺なんだ。俺は孤児で必死に勉強したのと魔力の高さのおかげで魔法省に勤める事が出来た、いわば叩き上げなんだよ。そんな俺がキミとの結婚を望んだ時、キミの父親に猛反対されてね……俺個人の努力は認めるが、出自の分からない者に娘はやれないと言われたよ。だから告発した。罪を犯したなら、償うのは当然だからな……そのおかげで俺はキミを手に入れる事が出来た。でもキミにとっては父親を奪う形になってしまったが……だからその分、俺が絶対に幸せにするから。一生離さないから。ずっと、ずっと俺の側に居てくれ……」
夢現で聞いたその言葉。
それが本当の事なのかどうか……
私は敢えて確かめる事はしないだろう。
確かめたところで私だってもう、彼から離れて暮らす事など出来ないから。
一生、彼の側にいたいから………
それに彼のした事は間違ってはいない。
背中からすっぽりと抱きかかえられ眠る私。
うつらうつらと微睡みながら、借りる筈だったあの部屋の解約をしなくちゃな……と思った。
終わり
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「もう潮時かな……」
私は冷たくなった夕食を前にしてひとり呟いた。
彼は一週間の中で四日、月水金土は私の為に用意してくれたこの部屋に来ていたというのに、今週は月曜日に会ったきり一度も訪いがなかった。
もうかれこれひと月以上もこんな事が続いている。
本人は仕事だと言っていたけど。
それでも明日が休みでもある土曜は来るだろうと思い、いつもより少しだけ手の込んだ料理を作って待っていたのに、日付けが変わっても彼は来なかった。
あんなに私に執着していたのに。
今でも会えば重苦しいくらいに構い倒されるけど、近頃私の元に通う回数が段々と減ってゆき、ここひと月の間は数えられるくらいしか会えていない。
「とうとう飽きられたか……」
もともとが憐れみから始まった関係だ。
遅かれ早かれこうなる事は分かっていたはず。
私の父は王宮の財務局に勤める文官だったが、それを利用して仲間数人と共謀して金銭を横領したのだ。
長患いだった母の薬代の為にした事だろうが犯罪は犯罪である。
母が亡くなってから父の罪が発覚したのがせめてもの救いだろうか。
父は仲間と共に捕らえられ、家も財産も爵位も全て没収された。
今は西の牢獄で服役している。
そして突然着の身着のまま放り出されて途方に暮れる私を、昔から父と付き合いのあった彼が不憫に思って住む所と職を与えてくれたのだった。
“職”というのは……愛人業だ。
「愛人として囲う」とハッキリ言われたわけではないが、決められた日にアパートの部屋に来て私を抱き、生活費を置いてゆくのだからそれは愛人というヤツなのだろう。
子爵家の娘として暮らし、コップ一つ洗った事のない私が一人で生きてゆくのにはもはや娼婦になるか愛人になるかしかなかったわけだが、その二者択一であるならば、彼一人を相手にすればいい愛人を取るのは当たり前ではなかっただろうか。
極端な発想だったかもしれないけど、
私は昔から彼の事が好きだった……
だから彼から差し出されたその手を取る事に躊躇いはなかった。
それに最初に言われたのだ。
私がハタチになるまで、この暮らしを続けるつもりだと。
つまり、それ以降は続けないという事だろう。
二年間だけの関係。
何故二年……?
長く不思議に思っていたけど二年後には私はハタチになり誰の庇護下に入らずとも都民権を得られる。
それまでは彼……オーランド=ノックスが責任を持って面倒を見てくれるという事なのだろう。
オーランドは魔法省で魔法、魔術犯罪の調査に携わっている。
長身痩躯で端正な顔立ち。
加えて超エリートである魔法省の役人なのだから結婚相手は引く手数多である筈なのに、彼は何故か未だに独身である。
それなら私は恋人なのでは?という疑問が湧かないでもないが、妻でもない者が住む所と生活費を貰って暮らす事を、愛人と呼ぶのではないだろうか。
それに私は犯罪者の娘だ。
本来なら魔法省の役人が相手にするべき人間ではない。
それでも彼の側に居たくて、彼の慈悲に縋って生きてきたのである。
だけどそれももう潮時だろう。
訪の数が減った事、そして彼から香り出した知らない香水の香りがその事を如実に表している。
この二年、彼に囲われ穏やかに暮らせてきた。
その間に家事はひと通り出来るようになったし、市場で物を買う事も、市井での暮らしとはどんなものかを学ぶ事も出来た。
得意だった外国語も、翻訳業として成り立つ事も知った。
行きつけの貸し本屋の店主に紹介して貰った翻訳の仕事を少しずつ始めている。
だからもう一人で生きていけると思う。
毎月オーランドから貰う生活費が余った分を少しずつ貯めたヘソクリもある。
これならこの部屋を出て、新しい暮らしの基盤も整えられるはず。
これ以上彼に、オーランドに迷惑を掛けずに済むのだ。
これで良かった。
丁度いいタイミングだ。
彼も二十五歳、とっくに結婚して子を持っているような年だ。
そろそろ周りに言われて奥方を迎えるのだろう。
きっと彼からは言い辛いだろうから、別れ話はこちらから切り出す。
私はそう決めて、テーブルに用意してあった冷えた料理を片付けた。
そして次の日からさっそく、私は新しい部屋探しをした。
出来れば市場近くの日当たりの良い部屋がいい。
オーランドと過ごしたあの温かな部屋のように、明るい光が私を包み込んでくれる、そんな明るい部屋がいい……
だけどなかなか希望通りの部屋とはすぐに見つからないものだ。
請け負った翻訳の仕事もあるし、その日は早々に部屋探しを終了した。
水曜に先日部屋探しでお世話になった貸家業の人から良い部屋があると連絡がありさっそく内覧に行く。
そこは王宮を中心とするなら南側の位置にあり、1LDKと狭いがとても日当たりの良い部屋だった。
小さいけどベランダも付いていて、お布団も干せそうだ。
必須条件だったバストイレ付きでもあったので、私はすぐにその部屋の契約書にサインをした。
サービスで掃除と傷んだ場所の修繕をしてくれるとの事で、鍵の引き渡しは来週となった。
あの部屋でこれからは一人で暮らすのか……
小鳥でも飼おうかな、なんて考えながら新しい部屋のカーテンを縫う為に布を買って帰宅すると、部屋の中にはオーランドが居た。
「……買い物に行ってたのか?」
完全に油断していた。
月曜も来なかったので今日も来ないだろうと思って何も用意をしていない。
私は内心かなり焦っているが、それをおくびに出さず返事をした。
「ええ。ごめんなさい、今日も来ないと思って食事の用意をしていないの」
「……今日は水曜だよ」
「でも先週は来なかったわ。他の曜日も」
「言っただろう?今、難しい犯罪の立証を抱えていてかなり忙しいと」
そう言って、彼は私を背中から抱きしめて来た。
ふわりと漂うその見知らぬ香りに、心が冷えてゆく。
来る度に違う香りを纏って、何が仕事だというのだろう。
私は何も言わずに彼の腕の中から静かに逃れた。
「エレナ……?」
「食材がないから簡単な食事しか作れないけどそれでもいい?」
「食事はいい。それより……エレナ、どうした?何かあったのか?」
「何もないわ」
「嘘だ。じゃあ何故俺の顔を見ない?」
「べつに……いつも通りだと思うけど」
「違う。いつもなら目と目が合ったら短くても7.3秒は視線が外れないのに今日は1秒で目を背けられた、これのどこがいつも通りなんだっ?」
「秒数を数えないで!なによ7.3秒って!」
「抱擁だっていつもより身体が触れる接地面が格段に少ないっ、これは身を固くして体重を預けてくれていないからだ、何故だ?どうしてだっ?」
「何よ接地面って!相変わらず変なとこに拘るのね!もう私とは別れるんだったらそんな事はどうでもいいでしょっ!」
「別れる……?何故キミと別れなければならないんだ?」
「誤魔化さなくてもいいのよ。ちゃんと分かってるつもりだから。何人かいい人が出来たんでしょ?その中の一人と結婚するのでしょう?」
「何人かの……いい人?結婚?すまん、ちょっと何を言ってるのか分からない」
「惚けないでよっ、ここに来る回数も減って、しかも来る度に違う香水の香りをプンプンさせて、私に気を遣ってくれなくて結構よっ………って何?何をニヤニヤ笑ってるのっ?」
私の発言の何が面白いのか、オーランドは急にニヤけ顔で私を見てきた。
「いや~ようやく話が見えてきたよ。ふーんそうか……俺が来れない日が増えたのと香水の香りで浮気を疑ってヤキモチを妬いてくれていたんだな」
「ヤ、ヤキモチなんてっ……もういいのよオーランド……散々世話になって貴方の足枷になってきた私を、今まで見捨てずにいてくれた事に感謝してるの。丁度約束の二年だし。私の事なら心配要らないわ。もう新しい部屋も見つけてるから、来週にはここを出て行けると思う……「は?」
私の言葉を遮ったオーランドの声は聞いた事もないような低いものだった。
「オーランド……?」
「部屋を見つけている……?ここを出て行く……?どういう事だ……?」
オーランドから言い様のない圧を感じる。
冷たくて重い……これは怒りの感情だろうか……
だけど私はそれに怯まず話を続けた。
今まで支えてくれた彼の幸せを心の底から願っているから。
「いつまでも私なんかを囲っていてはいけない、そうでしょう?貴方は魔法省の役人で私は罪人の娘。このまま貴方の側に居続けて良い人間ではないわ。貴方もそれが分かっているから結婚相手を探しているのでしょう?」
私がそう言い終えると、オーランドは一歩、私の方へと足を踏み出した。
呼気がかかるほどの至近距離で頭上から見下ろされる。
彼の顔からはごっそり表情が抜け落ちていた。
でも……次に彼から感じたのは、これは……悲しみ?
「もういい」
彼はそう呟いた。
「……キミは全然分かっていないな。この二年、俺は真摯に愛を囁いてきたというのに……」
「それはっ……私達のような関係では当たり前の事ではないの?睦言なんて……むンっ…ちょっ……やめっ……アむっ」
私の言葉を封じるようにオーランドが口づけをして来た。
まるで私から発する言葉を全て貪ろうとしているような、そんな荒く、性急な口づけだった。
私は体の力が抜けて行くのを感じた。
ようやく唇を解放された時にはもう一人では立っていられなかった。
そんな私を抱きしめながらオーランドは言う。
「親の罪は子には関係ないと、この国の法律に明記されているのを知らないキミじゃないだろう。まぁ例えそうじゃなくても関係ない。俺は最初からキミを手放すつもりはないんだから」
「オー……ランド……?」
「死ぬほど大変だった事案を必死で片付けたんだっ!約731、000時間っ、キミとの時間を犠牲にして国の為に尽力した時間だっ!そしてその報酬として五日間の休暇を獲得した。その休暇を全て、俺がどれほどキミを愛しているか分からせる為に使う事に決めたよ。もう二度と、俺から離れるなんて考えられないようにな」
「え?へ?え?ちょっ……オーランド……?」
「そもそも“囲う”って言葉を使う時点で間違ってるよな、キミが成人するまで結婚を待ってただけなのに“愛人”と認識されていたなんて……俺、最初に言ったよな?二年間はこのままだけど我慢してくれって」
「え?だって……それって愛人でいる事を我慢しろっていう意味じゃ……?」
……やだ怖いっ……!
オーランドが一層笑顔になった!
オーランドは徐に私を抱き上げた。
そしてそのままスタスタと寝室の方へ歩いて行く。
「キミをここへ連れて来た時の事もそうだけど、今回の事も仕事で暫く来れなくなるってちゃんと説明したよな?守秘義務があるから内容までは明かせないけど、まさかどちらもこんな歪曲して捉えられるとは思いもしなかったなーー」
「ちょっ……オーランドさんっ?は、話し合いましょっ?」
「うんちゃんと話そうな、ベッドの上で。120時間、浮気なんか疑う余地もないくらいにたっぷり思い知らせてあげるよ」
「も、もう充分分かった気がするからっ……」
「はははは」
オーランドの乾いた笑いが室内に響き渡る。
そして無情にも寝室の扉は閉められた。
それから私はオーランドの宣言通り、彼の五日間の休暇中はベッドから出させては貰えなかった。
彼が複数の香水の香りを纏っていたのは、魔法調香師の殺人の立証の為に現場に残された香りを再現する必要があったからだそうで……それ以上の事は話してくれなかったけど、浮気相手の香水の移り香ではなかったという事が判明した。
その立証やその他諸々の為に、ここに来る時間はおろか休みも取れないほど多忙だったとか……
今回の事は丁度もうすぐ私がハタチを迎えるというタイミングもすれ違いの原因となったようだ……
それにしてもやっぱりオーランドの私に対する執着は凄かった。
一瞬でも彼の心変わりを疑って側を離れようとした自分がバカらしくなるほどに……。
だけど……アレは……夢の中で聞いた言葉だったのだろうか……
激しく抱き潰されてその後眠ってしまった時に聞こえた彼の声……
まるで私に懺悔するかのような独白の言葉……
「ごめんなエレナ……キミの父親とその仲間の罪を告発したのは俺なんだ。俺は孤児で必死に勉強したのと魔力の高さのおかげで魔法省に勤める事が出来た、いわば叩き上げなんだよ。そんな俺がキミとの結婚を望んだ時、キミの父親に猛反対されてね……俺個人の努力は認めるが、出自の分からない者に娘はやれないと言われたよ。だから告発した。罪を犯したなら、償うのは当然だからな……そのおかげで俺はキミを手に入れる事が出来た。でもキミにとっては父親を奪う形になってしまったが……だからその分、俺が絶対に幸せにするから。一生離さないから。ずっと、ずっと俺の側に居てくれ……」
夢現で聞いたその言葉。
それが本当の事なのかどうか……
私は敢えて確かめる事はしないだろう。
確かめたところで私だってもう、彼から離れて暮らす事など出来ないから。
一生、彼の側にいたいから………
それに彼のした事は間違ってはいない。
背中からすっぽりと抱きかかえられ眠る私。
うつらうつらと微睡みながら、借りる筈だったあの部屋の解約をしなくちゃな……と思った。
終わり
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