私は彼の迷い猫

吉ひなた

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第1章 猫になっちゃった

第3話 奇想天外な出来事

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(あれ? なんか寒いかも。体がスース―する……)

 私はぶるっと体を震わせた。目を開くと、やけに周りがぼやけて映る。霞んだ思考の中、私は寝てしまったことに気づいた。
 こんな川原でうたた寝するなんて、風邪を呼び込むに決まっている。ウイルスにとって私は絶好の獲物だ。はやく帰らなくては。
 私は瞬きを繰り返し、大きく伸びをした。

「くあ~っ」

 口を大きく開けて欠伸をし、そこで違和感を覚える。
 気持ち的には、両手を空に伸ばして背筋を伸ばしたつもりだったんだけど……何かがおかしい。
 
 私……四つん這いになってない?

 両手を地面に括り付け、お尻を空へと高く上げては全身をグイーッと伸ばす。

(ちょいちょいちょい。何やってんだろ私。いくら疲れてるからって川原で寝るとか。人間のやることじゃないよね)

 寝相が悪いことは実感していたが、まさか芝生の上で横になるなんて。無意識に取った自分の行動に呆れ返る。
 私はまだ寝ぼけている脳を叩き起こそうと頬に手を当てた。

 ふにっ
  
 やけに柔らかい掌の感触をダイレクトに顔で感じ、思考が止まる。どことなく輪郭がいつもと違う気がした。というより、顔が毛深い。
 
(え? え? え?)

 私は目を瞬き、自分の掌を見つめた。ピンクの肉球が二つ。黒い毛が腕を一面に覆っている。数秒間を置き、私は雷に打たれたような衝撃が走った。

 いつから私……こんなに毛深くなったの!?
 お肌の手入れは結構力を入れてるはずなんだけど!?

 私はまだ夢でも見ているのか……と慌てて頬を抓ろうと手を伸ばす。しかし指が上手く動かない。おまけに爪が掠って頬が痛い。爪は昨日切ったばかりのはず。こんなに早く伸びるものだろうか?

  私は全身を見渡し、全体的に黒いことに気づいた。すごい黒い。顔だけでなく体まで毛で覆われている。
 再び頬に手を当てれば、長い針金のようなものが数本触れた。頭に手を伸ばせば、ピクピクと耳が敏感に反応する。
 足元に視線を向ければ、覚えのない長い鍵尻尾が目に入った。その尻尾は私のお尻に繋がっているようだ。

 心臓がドクリと跳ね上がった。

 辺りを再度確認する。眠る前と異なり、やけに視線が低かった。月が遠い。川辺も数倍広くなったような印象だ。
 そして、私の周りに……まだ体温が残った服が芝生の上に落ちていた。さっきまで私が着ていたワンピースと、上着。靴や鞄まで転がっている。ちらりと下着まで目に入った。
 
(嘘でしょう。嘘でしょう。嘘でしょう!!)

 これは夢の続きに違いない。いや、夢だ。夢だ夢だ夢だ。絶対夢だ!!

 私は急いで川原の土手を降り、川辺まで迫ると恐る恐る水面を覗いた。
 大きな耳。豆みたいな小さい鼻。満月の中にあるような黒い瞳。ひくひく動く髭。顔は黒い毛で覆われ、誰もが知っている動物の姿をしていた。

「……にゃあ」

 自分の口から出た鳴き声に私は驚いて後ずさる。私がこの世で一番可愛いと思う動物。誰もが一度は遭遇するであろう馴染んだ小さな命。
 
 ……猫だった。私、猫になってる。

 そう心の中で唱え、私は氷のように固まる。サアッと冷たい風が吹いた瞬間、意識が完全に覚醒した私は盛大にその場で転げまわった。

「にゃあああああああああ!!」

 甲高い声が夜空に響き渡った。
 私は頭を抱えて目をギュッと瞑ると、ひたすら目覚めるよう必死で祈る。

(起きろ起きろ起きろ! お願いだから起きてよ私!)

 私は無理にでも自分を落ち着かせようと大きく深呼吸をした。体を縮めてしばらく身動きを止める。ゆっくりもう一度目を開ければ、やっぱり夢でした~なんて展開が待っているかもしれない。

「くちゅんっ!」

 冷たい風が体を撫で、くしゃみが出た。その拍子で思わず目を開けるも、自分の手はまだ毛に覆われたまま。猫の体は何一つとして変わらない。
 過去にこんな現象を起こした人物はいただろうか。
 いや、ない。あるわけない。
 これは新種の病気か何か? ちょっと外でうたた寝したら変な病気が発症したとか?
 それか私死んじゃった? 寒さで死んで猫に憑りついたとか!?
 
 私は混乱した思考の中であらゆる可能性を考える。しかしどれもこれも現実離れしたものばかり。そりゃそうだ。どんなに思考錯誤したところで常識的な原因が見つかるわけがない。

 人間が猫になるなんて……前代未聞の大事件である。

 こんな状況、すぐに受け入れられるわけがない。
 私はとりあえず誰かに助けを求めるべく自分の鞄の元へ駆け寄った。電話をかけて連絡を……とそこまで考えて私は一気に絶望に陥る。
 私のショルダーバッグはファスナーを開けないと中身が出せない。猫は器用なんて言うが、ファスナーの開け閉めができる指なんて持ち合わせていない。
 
(いや、でも口でなんとかなるかも……)

 私は金具に噛み付き、必死で鞄を開けることを試みる。少し洒落たブランドの鞄は、陽太さんが去年の誕生日にプレゼントしてくれたもの。人工皮を使用した鞄は頑丈だ。ご丁寧にファスナーも固く、人間の手でもあんまりスムーズに開けることができないことがあったりなかったり。
 そのため、猫の口で容易に開けることは困難だった。

「ふむっ。ふんっ。んむ!」

 鞄を肉球で押さえつけ、私はファスナーを開けようと必死に顔を動かした。金属を強く噛めば噛むほど顎が痛い。それでも諦めたら最後だと言い聞かせ、私は格闘を続けた。

「にゃあ!」

 三十分以上粘り、少しだけファスナーが開いた。私はすかさず手を鞄の中へと突っ込み、スマホを取り出そうと漁る。財布やハンカチ、キーケースは触れるが、あれでもない、これでもないと目的のものの感触を求める。
 狭い場所に手を入れるとか何か猫みたいだ……とどうでもいい思考が過る中、私はタシッと液晶画面のような感触にようやく辿り着いた。

(あった!)

 私はスマホをバッグに入口まで探り寄せる。狭い隙間から角張ったケースが目につき、安堵の溜息をついた瞬間、背後で低い唸り声が聞こえた。

「ウウウウウウ……」
「ニャアアオ」

 気味の悪い声に反射的に振り返ると、闇の中に金色の瞳がいくつも浮かび上がっている。鋭い瞳が私をじっと睨み上げていた。
 
(あ……猫だ)

 成人しているであろう野良猫が数匹、私の前ににじり寄って来る。そういえば暗闇の中でもなぜか私は視界がはっきり映っていることに気づいた。猫の目って夜でも効くからだろうか。優れた能力に関心していた矢先、フウッと一匹の猫が尻尾をブワッと膨らませた。

「にゃあ!?」

 私は驚いてビクッと体が跳ねる。鼻に皺を寄せて威嚇する猫達の姿を見て、遅れてやっと自分の状況を理解した。
 ジリジリ距離を縮めてくる猫達はどこからどう見ても穏やかではない。夜になるとこの川原は野生猫がよく出没することを思い出し、私は血の気が引いた。
 
 彼等の縄張りに足を踏み入れていた私。
 人間だったら何とも思わないんだけど……今の私は猫だ。

 ……結構まずい状態なのかも。

 鞄から手を引っ込め、私は姿勢を低くし後ずさりをした。

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