私は彼の迷い猫

吉ひなた

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第1章 猫になっちゃった

第9話 夜の事情※

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※ 成人要素あり

◇◇◇


 スマホの画面はすぐにパッとライトが消えて真っ暗になった。たった数秒であるも、衝撃的な一枚を確実に目を収めてしまった私は呆然とする。

「あ。やべ」

 陽太さんはすかさず床に落ちたスマホを手に取った。僅かに頬を染めている彼は誤魔化すように颯の頭を撫でると、すくっと立ち上がり液晶画面をポケットに仕舞う。そしてそのままリビングから出て行ってしまった。
 残された私は我に返り、颯の体の下で盛大に悲鳴を上げた。

(ちょっと待てえええええええ!!)

 今のは、間違いなく私だ。完全に私だった。

(嘘でしょう!? 何であんな写真持ってるの!? ってかいつ撮ったやつ!?)

 血液が沸騰したかのように全身が熱い。ダラダラと汗が滴るような気分だ。私は我武者羅に体をくねらせ、颯の体の下から抜け出した。ソファから飛び降りて陽太さんを追いかけるも、ドアはすでに閉められている。

――― あんな恰好を撮るなんて信じられない!!

 あんな乱れた寝姿、自分だって見たくはない。みっともない姿を保存している陽太さんに私は焦りと怒りに煮えくり返った。
 おそらく事後か、その前か。どっちにしたって明らかに男女の行為をしたことが伺える写真だ。

 さっきまでの可愛い思い出写真ならまだしも、裸に近い姿を盗撮するなんて犯罪だろう!
 これで陽太さんが警察という職業だから世も末である。うっかり誰かに見られたらどうするつもりなんだろうか。大事な恋人の醜態を晒すという危機感はないのか激しく疑問に思う。
 早いとこ削除を申し出たい。いや、もはや私がスマホを奪って消去する。一刻も早く消さなくては!
 私は陽太さんを追いかけようとリビングの扉をガリガリと引掻いた。

「にゃお! にゃお! にゃお!」

 扉を挟んだ向かい側は廊下になっている。浴室かトイレ、玄関しかない。恐らくトイレに行ったであろう陽太さんに向けて怒りの声を上げた。

「フーッ」

 尻尾をピンッと張り私は唸った。帰ってきたら足でも噛み付いてやろうか。感謝だとか奇跡だとか、さっきの甘えた思考はすべて切り捨てる。
 私はウロウロとその場を行ったりきたりと歩き周り、陽太さんを待ち構えた。

 しかし、何だかやけに長い。

 数十分経っても中々戻ってくる気配がなかった。お腹でも下してしまったのだろうか。そう過ったが、私はすぐに考えを否定する。人の倍の食物をペロリと平らげ消化する超人だ。陽太さんが胃腸を悪くしたら雪が降るだろう。いや、日本はきっと沈没する。
 冗談でなく本気でそう感じていると、ジャーッとトイレの水が流れる音が聞こえた。耳をそば立てると、陽太さんはそのまま脱衣所に向かったのか足音が遠のく。
 また水を流す音が聞こえ、手を洗っているのだと理解した。時間をかけて手を洗っているのか、水音は中々止まない。

 そしてやっとドア越しに人影が映り、陽太さんがリビングに戻ってきた。

 待ち構えていた私は陽太さんの足に飛びつこうと姿勢を低くするも、彼が片手で顔を覆っていることに気づく。
 
(あれ。元気がないかも)

 様子がおかしい陽太さんの雰囲気を感じ、私は僅かに冷静さを取り戻した。すると、陽太さんがポケットからスマホを取り出し、低く唸る。

「あ~……マジで情けねえな。あいつの写真で抜くとか……。どんだけ欲求不満なんだよ俺」

 陽太さんは一人事を呟き、私を通り越して台所へ向かった。そして冷蔵庫を開けるとペットボトルのコーラを取り出して蓋を開ける。プシュッと炭酸が抜ける音が響き、陽太さんはコーラを口に含んだ。

 一方、彼が放った単語が頭の中で反響し私はしばらく思考が停止した。
 『あいつの写真』『抜く』『欲求不満』
 養護教諭を目指している私は、多少の医学を齧っている。身体の構成や機能を一般の人よりも理解しているわけで、性知識も少なからず持ち合わせていた。

 陽太さんの言葉から、彼が何をしていたのか遅れてようやく把握する。

「ふぎっ……」

 何とも言えない声が喉から飛び出た。
 陽太さんは男だ。健康な男性なら誰もが自然と行う行為。
 精液の三割程度が前立腺液で、残りの七割程度が精嚢分泌液だとか。その中に精子というおたまじゃくしみたいな細胞が存在してるとか。定期的にその液を出さないと前立腺癌になりやすいだとか。
 講義で受けたお堅い内容が頭の中で走馬灯のように駆け巡り、どうでもいい知識の最後に私はやっとぴたりと当てはまる言葉に辿りついた。

 陽太さんは、自慰をしていたのだ。しかも、私の写真を見て。

(あ……う……あう……)

 私はパクパクと口を開けたり閉じたりと空気を噛むことしかできない。
 生きる上で大事な行為だ。定期的に行わないと体は病気になってしまう。しかし、恋人の生々しい行動を想像し、私はブワリと毛が逆立った。


―――『俺が発情期だってわかってんじゃん。……だったら黙って抱かせろよ』


 陽太さんが私の耳元で囁いた声を思い出し、ゾワゾワと神経が反応した。体が疼くような違和感を感じ、私は首を振った。
 何だか体がおかしい。さっきまでは何も感じなかったのに、体がむずむずする。腰が抜けたような感覚に陥り、私はペタリとお尻に床をついたままその場から動けなかった。

(陽太さん……やっぱり……やっぱり……陽太さんはエッチだよ……)

 コーラを飲んでいる彼の横顔が何だか別人に見えた。
 「男」の顔をしている彼の瞳は、まだ欲が色付いている気がした。昨日は三週間ぶりに会えて浮かれていた私。一緒にいたいと思った。普通に寄り添うだけでいいと思っていた。

 でも陽太さんは違った。
 彼が私の体を求めていたのだとリアルに知ってしまい、自分の感情が揺れる。

 私の心臓は早鐘のように鳴り出した。
 猫の姿では、私の知らない「陽太さん」が見えるのだと実感する。男であると改めて意識した途端、私はいつもは抱かないような緊張が走った。 

(早く人間に戻りたい。戻りたいんだけど……戻った後、どんな顔で再会すればいいかわからない)

 私は愛しい彼の姿を見上げることしかできなかった。
 好きなんだ。彼のことが好きなんだけど、また少し違った感情が生まれる。この気持ちをどう表現していいのかわからない。切なくて、苦しくて、でも嬉しくて、恥ずかしくて。
 自分の鼓動がやけに早く聞こえるのは、猫の心臓が小さいからだろうか。
 
 私は不思議な感情に締め付けられる胸を抑えつけるように、床にお腹をつけて蹲った。


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