私は彼の迷い猫

吉ひなた

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第2章 彼の生活

第11話 来客

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 自分の朝食を簡単に済ませ、私と颯にもご飯をくれた陽太さんは仕事へ行く支度を始めた。迷彩柄のマウンテンパーカーを羽織り、通勤用のリュックサックを背負うと腕にブランドの時計を填める。
 スマホをポケットへと仕舞い、玄関に向かった陽太さんを私は追いかけた。

「みゃあ……」
「ん? 留守番頼んだからな」

 靴を履いた陽太さんは、足元にいた私に視線を向けるとそっと頭を撫でる。少し寂しい気持ちになった私は、彼の手に顔を摺り寄せた。

「飯も水も十分用意したし、問題はないよな。なるべく早く帰ってきたいとは思うんだけど……何時になるかはわかんねえんだ。じゃあ、颯と仲良くやれよ」

 陽太さんはそう言うと背中を向けて出て行ってしまった。
 私は身を翻し、彼の寝室へと向かう。丁度陽太さんの寝室の窓からはマンションの下にある駐輪場が見えるのだ。出窓へよじ登り、窓の外をしばらく見下ろせば、青と白を基調にしたクロスバイクを手で押し出してきた彼を捉える。
 陽太さんは自転車通勤をしている。職場までバスとか電車を使えばいいのに、「足腰が弱る」というジジ臭い理由で性能が良くお高い自転車を愛用していた。 
 ただでさえ大変な仕事をしているのに、散歩や自転車で体力は消耗しないのだろうか。

(……朝ごはん、陽太さんにしては少なかったな。あんな量じゃ絶対お昼まで持たないじゃない)

 牛乳と菓子パンを二つという、陽太さんにとっては腹三分目もいかないような量が少し心配だった。時間が取れないのか、仕事の日は朝食をあまり食べないのかもしれない。
 今思えば、彼の家に泊まる時はいつも陽太さんは翌日も休みを取っていてくれたことが多い。初めて仕事日の彼の光景を目にした私は、彼の知らない一面があることを知った。

 人間であったなら、仕事に行く彼のためにバランスのとれた朝食を用意してあげたいものだ。

 陽太さんがクロスバイクに跨りマンションの敷地から出て行く姿を見送り、私は我に返る。こうしちゃいられない。一刻も早く元の姿に戻るために、何か動き出さなくては……。

 出窓からぴょんっと飛び降りると、私は再びリビングへ戻った。

「クーン」
「にゃあ」

 颯が私の前にぬっと現れたかと思うと、ふいにベロッと顔を舐めてきた。大型犬は猫から見るとモンスターに見えてくる。最初は恐怖に映ったが、颯は私に敵意を向けない。人間の時のようにじゃれてくる可愛い犬に、私は顔を摺り寄せた。

「にゃあ。にゃあ。みゃあ」
(ねえ颯。私が陽菜子だってわかる?)

 そう伝えるが、颯は無邪気に私を見つめるだけで何も返してこない。猫に変身したからといって動物の言語がわかるものではないらしい。

「ワフッ」

 颯はまた私の体を舐めてきた。颯が何を喋っているのか私にもわからない。まあ、尻尾の振り加減と吠え方から感情は伝わってくるから、ある意味態度はわかりやすい。
 動物ならば動物から情報を得ることが一番。私みたいに人間から動物に変わった人がいるか知りたかったんだけど、その希望は打ち砕かれる。
 
 じゃあ、次に頼るとしたならば、やはり人間が作り出す情報だ。先進国である日本に生まれたからには……やはりインターネットに頼るしかない。
 リビングの隅には、木とスチールで作られたモダンなデスクがある。その上にあるノートパソコンに私は目を追った。
 
 ―――猫であろうと、パソコン操作はできるはず!!

 幸いなことにノートパソコンは開いており、電源だけ押せば起動できそうだ。私はデスクに飛びのると、前足で電源ボタンに手を置く。人間なら指一本で簡単に圧でへこむはずなのに、猫だと結構力を入れないとうまく押せなかった。
 何とかしてふにっと肉球をうまく滑らせれば、ようやく念願のパソコンが起動する。期待に胸を膨らませ、ホーム画面が出てきた。
 私はインターネットのアイコンをクリックしようと手を伸ばし、そこで停止する。

(マウス……動かせない)

 人間の手にフィットするよう作られた形態は、残念ながら猫の手にはかなり難しい。絶妙な位置までカーソルを動かしたとしても、マウスはよく滑るため、固定しないと左クリックができない。
 タッチパッドに触れると、何と。意外なことに猫の肉球でも反応を示した。あんまり感度が良くないので手こずったが、私は全神経を前足に集中させてパソコンを操作する。

 検索画面となり、私は文字を入力しようと試みるが……これ、かなりキツい。

 手は届かないし、間違えて違う文字を入れてしまうと削除キーをまた押さなくてはいけないのだ。私は悪銭苦悩し、三十分以上かけてやっと「猫 変身」というワードを入力した。
 しかし、検索結果はすべてあてにならないものばかり。時間をかけて色々とサイトを覗くが、私は項垂れる一方だった。

『これで君も可愛いにゃんこに変身できる!』

 突然、堂々と大きなタイトルが載った変身グッズらしき怪しい販売サイトに飛んでしまった。早々に正常な画面に戻りたかったのだが、うまく操作ができない。次から次へと目を塞ぎたくなるような恥ずかしい恰好をしている女の人の画像が出てきてしまい、私は焦った。

(ぎゃあっ! 違う違う違う!)

 際どい下着姿に、猫耳のカチューシャを付けている官能的な女性達。タイトルには『これで男心もイチコロ』『愛しい恋人とニャンニャンしちゃおう』など、説明文がついていた。ふざけた文章であるも、私は目を細めてついじっくり見入ってしまう。

『癒しを与えるなら猫が一番。彼を思いっきり甘やかしちゃえ』

 ふとある一文が目に止まり、エッチなランジェリーを身に付けているモデルのお姉さんを凝視する。猫耳をつけたその人と、自分の体を比較した。
 
 さすがに本物の猫では欲情はしないだろう。
 猫に性的な興奮を起こしたら本物の変態である。いや、もはや病気だ。
 

―――『今のうちにこういうことしておかないと……手遅れになるだろ。お前、猫になっちまうんだからさ』

 夢で見た彼の言葉が脳裏を過り、私はドクリと心臓を掴まれたような感覚に陥った。カラカラと口の中が渇いていく。

(猫になったって知ったら、陽太さんはもう私のこと……女として見てくれなくなるかもしれない)

 一瞬、そんな不安に駆られた。

 人間に戻れなかったら色々と困る。その中で一番に恐怖を抱いた光景は、陽太さんが離れて行ってしまうことだった。
 気味悪がるだろうか。もう、私のことを人として見てくれなくなるかもしれない。

 別れることになったら……。

 そんな予感に心が覆われた瞬間、颯がピクッと耳を動かし大きく吠えた。

「バウッ!!」

 颯は勢いよくリビングを飛び出し、玄関へと駆けて行く。突然の行動に私は目を丸くした。颯が興奮したようにカリカリと玄関を引っ掻く音が聞こえる。
 時刻は正午を迎えていた。陽太さんが帰ってくるまで、まだまだ時間はかかるはず。

(まさか……泥棒!?)

 陽太さんは一人暮らしをしているから、他の誰かが帰ってくるはずがない。
 私に緊張が走った。留守を任された身だ。家主が不在なのだから、仮にも恋人である私がこの部屋を守らなくてはいけないだろう。
 変な忠誠心を抱き、私は恐々と廊下を覗いた。

 ガチャガチャとドアノブが左右に回されており、颯が玄関に向けて激しく吠えている。不慣れな扉の対応にいよいよ泥棒の確率が上がってきた。
 私はゴクリと唾を飲み込み、姿勢を低くする。そして、鍵が開いた音がした。

 ドアがゆっくり開き、颯が入ってきた人物に飛びかかる。シェパードは警察犬だ。私が出なくても颯が番犬力を発揮してくれるかも……と期待を込めて観察した。

「クウ~ン!」

……が、颯は甘えた声を出した。

「うおっ、颯! お前またでかくなってね?」

 金髪を特徴とした身長の高い青年が、颯の頭を撫でる。
 まるで芸能人のように整った顔立ちの美男子が現れ、私は目を瞬いた。その男性は、ワシャワシャと颯の頭を撫ながら私の存在に気づき、驚いたように目を見張った。

「……あれ? 何だこの猫?」

 陽太さんの弟である、和真さんだった。
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