私は彼の迷い猫

吉ひなた

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第3章 複雑な体質

第27話 何かおかしい

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 私が身を縮こませていると、カラリとベランダの窓が開いた。

「悪い陽菜子」
「陽太さ……くちゅんっ!」

 冷たい風が吹き、私はくしゃみをした。
 鼻水を啜れば、陽太さんがクスッと笑い私の手を掴む。

「そんな恰好で寒かっただろ。大丈夫か?」
「うう~。すっかり冷えちゃいました。お風呂に入りたいです」
「はいはい。今沸かしてやるから待ってろ」

 陽太さんに手を引かれてリビングに戻り、私はホッと息を吐いた。彼等に姿を見られずに済み心から安堵する。

「和真さんだけじゃなくて、蓮先輩まで来るなんて驚きました。皆さん私のことを心配してくれて……」
「小梅が広げたんだろ。でもまあ、咄嗟に考えちまったけどお前がいなくなった理由はあんな感じで通じるか?」
「はい。しばらくは大丈夫そうですね」

 しかし、いつまでも私が風邪を引いていると誤魔化し続けるのは困難。おばあちゃんが旅行から帰ってくれば、またも失踪事件となり騒ぎになるだろう。
 どうしたらいいのか。そんな私の不安を感じたのか、陽太さんが私の頭を撫でた。

「心配すんな。後のことは後で考えりゃいーんだよ。俺がいる。……お前のことは俺が守ってやるから」

 陽太さんの言葉に、私は思わず顔を上げた。
 ぶっきらぼうに告げられた思いに、私の頬が熱くなる。陽太さんは僅かに頬を染め、私を優しい瞳で見下ろしていた。

(あ……私が一番好きな顔だ)

 微笑む陽太さん。たまに見せるこの表情が、私の中で一番気に入っている陽太さんの顔だった。ドキドキと鼓動が加速し、さっきまで抱いていた体の熱が戻って来る。
 
――――もうちょっとだけ、キスしたいかも。 

 そんな欲に囚われ私はさっきの続きを期待する。そっと踵を上げて顔を近づけようとする前に、また鼻の奥がむずむず疼き出した。

「ふ……ふえ……くちゅんっ!」

 ずびっと鼻が垂れて私は慌てて鼻を擦った。生足を出したこんな格好でベランダにいた私。このままでは本当に風邪を引いてしまう。ブルブル体を震わせると、陽太さんが陽だまりのような笑顔から意地悪な笑みへと変えた。

「一緒に風呂入るか?」
「え……一緒って……ええ!?」
「今なら温まるようマッサージだっておまけしてやんよ」
「い……いいですよ別に!」
「また綺麗に体を洗ってやるぜ?」

 ワキワキと厭らしく手を閉じたり開いたり繰り返す陽太さん。甘い続きがしたいと期待はしたが、お風呂で行為を続けるのは予想していなかった。
 陽太さんの手がお尻へ伸び、そっと尻尾を撫でられた私はグッと息を飲む。羞恥に耐えられず、私は思わず大きな声を出した。

「いいです! 私は一人で入りたいんです!」

 陽太さんの胸に手を置き、突き放すように告げる。床に視線を向けて俯くと、陽太さんがそっと私の尻尾から手を離した。

「あーわかったわかった。冗談だって」
「え……」
「今準備してきてやるよ。着替えは俺が昔着てたパジャマ置いとくから」

 あっさり返すと陽太さんは浴室に身を翻した。ソファで押し倒してきた勢いはどこへ行ったのか。いつもはもう少ししつこく誘ってくるのに、簡単に引き返した彼に間が抜ける。

(え……もう終わり?)

 いや、確かに拒絶したのは私だけど。でも和真さんと蓮先輩が来るまではそういう雰囲気だったはず。離れてしまった温もりに、私はポカンと立ち尽くした。






 ザバーッ
 湯銭から流れるお湯を見つめ、私は温かい湯に身を浸かった。体が芯から温まる一方で、私の胸の内はまだもやもやしている。
 キスの感触と胸を弄られた感覚を思い出し、私は膝を擦り合わせた。

(何か……何か……私が欲求不満みたいだよ!)

 中途半端に放置されたせいで私の体はまだ疼いている。あそこまでガッツリ雰囲気を作ればセックスは最後まで続けるはずだ。和真さんと先輩がいなくなった後でも、陽太さんなら構わず手を出してくると思っていた。
 顔を半分までお湯に埋めると私はブクブクと息を吹いた。

(いや、もしかしたらお風呂から上がった後に待ち構えてるかもしれない)

 せめて今度はソファではなくちゃんとベッドでしたいものだ。ちゃんとシーツも洗濯したし、寝心地はバッチリのはず。
 私は夜の準備に備え、念には念を込めて頭と体を隅々まで洗った。無理矢理首を捻って首筋を鏡越で確認すれば、彼から受けたキスマークがしっかりと刻まれていた。




「お。上がったか。飯にしよーぜ」

 お風呂から上がると、陽太さんが台所で作っておいたカレーをかき混ぜていた。ご飯は炊けているし、あとは冷蔵庫にしまっていたサラダを出すだけだ。私はお皿や飲み物を用意し、食卓についた。

「それで今日の昼は唐揚げ定食だったんだけどよ、半分は衣でできてて全然食った気しねーの。あの食堂のおばちゃん最近手ぇ抜いてるんだよな」 
「そうなんですか」

 私が作ったカレーを口いっぱいに頬張り、他愛もない話をする陽太さん。私は食べている間でもソワソワと落ち着かなかった。BGM変わりにつけたテレビのバラエティ番組の内容も頭にまったく入ってこない。
 陽太さんの口や手の動きに目が向かってしまい、私は頭を振った。

(ハッ。私ってばどこ見てるの!)
 
 我に返り、私は自分を叱咤する。恋人の葛藤に気づくことなく、陽太さんはテレビに映っている芸人のギャグを見て笑っていた。
 
 夕飯も済ませ、一段落した私と陽太さんはそれぞれ好きなことを始める。ソファに座り雑誌を読みながらチラッと横目を向けるとパソコンデスクに書類を広げている彼を捉えた。

「陽太さん……何してるんですか?」
「ん? 仕事の書類片付けてるとこ」
 
 パソコンを開き、用紙に色々書き込んでいる陽太さん。仕事と聞いたらむやみに話しかけることもできず、私は再び雑誌に目を戻す。ゴロリとソファに横になり並べられた文字を追いかけるも、私は唇を結んで目を閉じた。
 パタパタと私の尻尾がソファを叩く音がリビングに溶ける。
 しばらくそうやってグダグダしていると、陽太さんがギシッと椅子の背もたれに体重をかけた。腕を天井に向けてグッと伸びると首を左右に捻ってポキポキと音を鳴らす。

「ふわあ……こんなとこか。陽菜子」
「はい!」

 名前を呼ばれて私は思わず上体を起こした。やっと仕事が終わった。少し構ってくれるかも……と胸を鳴らすと、陽太さんが座りながら椅子を回して私に振り返った。

「俺、風呂入ってくるから先に寝てろよ」
「え?」
「またソファで寝んじゃねーぞ」

 陽太さんはそれだけ言うと浴室に向かってしまった。残された私は呆然とソファに座ったまましばらく動けない。
 もうすぐ日付が変わろうとしている。確かに寝る時間なんだけど、私は腑に落ちない。陽太さんは明日も仕事だ。それはわかっているんだけど、折角一緒にいるんだからもう少し触ってくれてもいいのではないだろうか。

(んむ~……。ちょっと寂しい……)

 でも、今日は一緒に寝てくれるかもしれない。敷布団は畳んである。わざわざ敷き直すような面倒くさいことを陽太さんがするとは思えない。先にベッドで寝ていれば、彼も途中から入ってくるだろう。朝まで密着するだけで今日は我慢するしかない。
 私は寝室に行くと、もぞもぞとベッドに潜り込み身を丸くした。陽太さんの使っているシャンプーや石鹸の匂いが自分の体から香り、変な気分になる。
 満たされるようなそうでもないような複雑な心境の中、私はうとうとと段々意識が霞んでいった。



 チッ……チッ……チッ……

(何か寒い……)

 足元が寒くなり私は一回目を覚ます。時計の針の動く音が静かに流れている深夜。目を擦ると、時計が夜中の三時を指していた。まだ薄暗い中、私は隣を見る。
 
「あれ……陽太さん?」

 陽太さんがいない。一人だけベッドで寝ていたことに気づき、私は思わず上体を起こした。敷き布団は部屋の隅に畳まれたままだ。彼の気配がなく、私は疑問を抱いた。
 さすがにもうお風呂から上がったはず。仕事だって終わったと言っていた。どこに行ってしまったのか、私は彼を探してそっとベッドから足を下ろした。

 お風呂にもいない。トイレにもいない。台所もいない。ペタペタと裸足で部屋をうろつき、最後にリビングに行くと、ソファの上で毛布に包まっている陽太さんを見つけた。

「……何でこんなところで寝てるの」

 スカ―ッと寝息をたてて熟眠している陽太さん。人にはソファで寝るなって言ってたクセに、何で注意した本人がいるのだ。
 わざわざこんな寒いところで寝る必要もないだろう。訳がわからず、私は陽太さんの頬を突いた。何だかおかしい。彼の家に泊まる時は、嫌でも陽太さんに捕まってベッドに連れ込まれるのが恒例になっている。猫になってからというもの、陽太さんは私に少し遠慮しているような気がした。

(私、もしかして避けられてる?)

 瞬時にそんな不安が過った。
 あんなに濃厚なキスをしても、元の体には戻らなかった。
 この体は異常だ。人間に耳と尻尾が生えるなんて、おかしい。
 猫の体ではやっぱり満足できないのだろうか。やっぱり、気味が悪いと思っているのだろうか。

 本物の猫の姿となり、陽太さんに飼われる夢が甦った。陽太さんが知らない女性とキスをしている姿が浮かび、ドクリと心臓が鷲掴みされたかのような痛みが走る。
 
 猫と人間は違う。
 陽太さんを満足させられないようであれば、彼は違う恋人を選ぶ可能性だってある。

(あ……私……)

 ドロリとした感情が私の心を覆った。
 急に焦りと恐怖が駆け巡り、陽太さんの寝顔を見下ろすことしかできなかった。


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