最期の時間(とき)

雨木良

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死のコーディネート

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「片野先生、おはようございます。」

「あぁ、おはよう。」

出勤した片野医師は、着替えをするために更衣室へと向かった。

更衣室に入り、仕事着に着替えをしていると、一人の医師が入ってきた。

「おはようございます。あっ!片野先生、調度良かったです!」

片野医師が目を向けると、日比野医師と同じ救急科に所属する若い男性医師の嬉野(うれしの)医師だった。

「嬉野先生。おはようございます。どうかされましたか?」

「えぇ。夜勤だった日比野先生から片野先生への伝言を預かってまして。」

「日比野先生から伝言?」

着替えを終えた片野医師は、何の話かわからない振りをしたが、実は日比野医師と話をした後からずっと、その患者がどうなったのかを気にしていた。

「えぇ。『例の患者さん今朝方亡くなりました。とても良い最期だったと思います。』と伝えてもらえば分かると言われまして…分かります?」

「…えぇ。そうですか、ありがとうございます。」

「例の患者さんって、誰のことですか?」

「…良い最期を迎えたい…この世に生きる人たちにとって、共通の願いですよね。私もそうありたいものです。」

片野医師はそう言うと、ニコリと微笑んで更衣室を後にした。

「…先生、僕の質問…。」

嬉野医師は閉まった扉を見つめて呟いた。

片野医師は上機嫌で診察室へと向かって歩いていた。それは勿論、良い最期だったという報告を聞けたからだ。

人間は誰しもが必ず『死』というものが訪れる。それは、どんなに健康な人でも、どんなに金持ちでも、どんなに世の中に貢献した人でも、抗うことのできない定めである。

片野医師は、医師としての40年以上の人生でずっと考えている問題がある。それは、『医師として自分は患者に何をすべきか、何をしてあげたら良い最期を迎えさせてあげられるか』という問いだ。

勿論、型にはまった答え等はない。正にケースバイケースであり、その都度、その患者さんの身になって考えなければならない問題である。

しかし、必ずしも理想通りの最期を迎えさせることができないのが現実だ。予想外の容態の急変で家族が死に目に会えなかったり、手術すれば快方に向かうはずが本人から同意が得れずに容態が悪化してしまったり、更には長い医師人生で看護師の人為的ミスによる患者の死に目にしてきた。

必ずしも理想通りにはいかない。だから、理想通りの最期を迎えられた話を聞くと、片野医師の心は温かくなる。

人が死んで心が温かくなると聞くと、非常に不謹慎に捉えられるかもしれないが、人の死というものを幾重にも経験してきて、避けられない現実だと悟った片野医師にとっては、『死=嘆き、悲しみ』という概念は既に払拭しており、いかに素晴らしい死にするか、いわば最期の時のコーディネートも医師の仕事の一つだと考えているのだ。

昨日から、片野医師の頭の中には、昨日余命を宣告した榊祐太郎の顔が焼き付いていた。35歳という若さで余命一ヶ月と宣告された若者は、どのように残りの時間を過ごし、どのような最期を望むのか。片野医師は、祐太郎の事を考えると胸が苦しかった。

診療開始時間30分前に、片野医師は診察室に着き、今日の予約の患者の電子カルテを見直していた。今日も何人かに余り良くない報告をしなくてはならなかった。

トントン。ガチャ。診察室の扉が開いて看護師が入ってきた。

「片野先生、おはようございます。今、先生にお客さんが来てまして。」

「おはようございます。客ですか?」

「えぇ、榊さんという30代くらいの男性です。いかがいたしましょう?」

片野医師は、祐太郎の名前を聞いて目を丸くした。

「是非、お通ししてください。」

間もなくして、祐太郎が診察室に入ってきた。

「先生、おはようございます。」

「おはようございます。さぁ、座って。」

片野医師は、祐太郎を丸椅子に座らせた。
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