最期の時間(とき)

雨木良

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杉崎 瑞枝・圭司 5

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直樹は、圭司を瑞枝と二人きりにさせてあげたいと思い、少し離れたところから二人を見守っていた。

「昨日の朝は、あんなに元気に吠えてたのによぉ…俺との喧嘩で元気使っちまったか?母さん、これから俺は誰と喧嘩したらいいんだ。…気の知れた奴じゃなきゃ、喧嘩にもならん。」

圭司の言葉を聞いて、直樹は改めて思った。本当に昨日の朝は、いつも通りの母さんだったと。本人としては、苦しかったのかもしれないが、周りに気付かれまいと隠していたのだろうか、いつも通りの達者な口調で圭司と喧嘩をしていた、いつもの母さんで、いつもの日常だったと。

「直樹。」

名前を呼ばれ、直樹は圭司に歩み寄った。

「…いつも通りの、眠っているいつもの母さんだな。」

「あぁ。今朝まで元気だったんだ、いつもの母さんさ。」

「母さんは何が悪かったんだ?」

「…重い肺炎だったって。それをほっといたから、敗血症も併発してしまったらしい。」

「…敗血症か。そりゃ苦しかっただろう、ごめんな母さん。もう俺の声なんて届かないかもしれんが、言わせてくれ。…ごめんな、母さん。…ありがとうな、母さん。」

瑞枝の髪を撫でながら話す圭司の姿に、直樹は一気に涙が溢れてきて、上を向いて誤魔化そうとしても、涙は止まってはくれなかった。

トントン。

病室の扉がノックされ、スーっと開いた。

「直樹、どうだ?」

それは、家を出る前に連絡した近くに住む直樹の従兄弟の山ちゃんだった。

「山ちゃん。悪かったな急に。今は一度容態を取り戻したよ。」

「そうか、それは良かった。」

山ちゃんは瑞枝に近づき顔を眺めると、瑞枝の顔を見つめ続けている圭司にそっと話し掛けた。

「…親父さん、大丈夫か?」

「おぅ、山坊か。…不思議と今は大丈夫だ。いつもの寝ている母さんを見てる気分だよ。」

「あぁ、確かにいつものおばさんだな。親父さん、無理はしないで。」

山ちゃんはそう言うと、直樹を手招きで誘い、そっと病室を出た。

「これからどうすんだ?」

神妙な面持ちで話す山ちゃんに、直樹は何のことだか理解出来ずに首を傾げた。

「親父さんのことだよ。おばさんが居てくれたから、週4日のデイサービスで済んでたかもしれないけど、これからは家にいる人間が居なくなるんだぞ。」

直樹は、『そっか。』と心の中で思った。

「…その顔は、何も考えてなかったな。まぁ、当たり前か。こんな話するのは良くないことだが、色々やらなきゃならないことが沢山出てくるはずだ。俺は親父で経験してるからさ、手伝えることがあったら遠慮なく言ってくれ。」

「助かるよ、俺は初めてだから。とにかく、無事に親父を母さんに会わせることができて…。」
「直樹ぃ!!」

急に扉の向こうから、圭司の叫びが聞こえ、二人は慌てて病室へと入った。

異常を知らせる機械の画面と音に、圭司は焦っていた。

「ナ、ナースコール!!」

山ちゃんが慌てて、ベッドの脇のナースコールボタンを押した。すると直ぐに看護師の声が天井のスピーカーから聞こえた。

「どうしましたか?」

「すぐ来てください!急変しました!」

「わかりました、直ぐに向かいます。」

直樹は、慌てている圭司と冷静にナースコールをしてくれた山ちゃんを眺めていることしか出来なかった。

そんな直樹を見て、山ちゃんは直樹の背後に回り一発背中を叩いた。

「痛っつー!」

「しっかりしろ!お前が親父さん支えてやらないでどうすんだ!」

直樹は、山ちゃんに押されて圭司のすぐ横に移動した。

間もなく、日比野医師と看護師がやって来て、瑞枝の容態を確かめ始めた。そして、圭司と直樹の方に振り向いて二人を見つめた。

「…何も措置をしなければ、恐らく最期の時になろうかと思います。」

圭司と直樹は顔を見合せ、圭司はゆっくり首を横に振った。それを見て直樹は、ゆっくり首を縦に振った。

「…先生、ありがとうございました。」

直樹の言葉に、日比野医師と看護師はベッドから離れた。圭司と直樹は瑞枝の顔の真横に移動すると、じっと瑞枝の顔を見つめた。

直樹は、瑞枝の手をギュッと握った。もうこの時点で、涙が溢れていた。

「か、母さん…今まで、ありがとうな。…ゆっくり休んでくれ。…親父のことは、心配すんなよ、俺が面倒見るから。」

圭司は、優しく瑞枝の髪を撫でた。

「俺は、お前とは喧嘩ばかりだったが…ちゃんとお前の心は分かっていたつもりだ。お前も同じだと思う。…なぁに、ちょっとの辛抱だ。俺もすぐにそっちに行くからなぁ。…母さん、ありがとうな。」

その時、生命の危険値を示す機械音が止まった。皆、一斉に機械に目を向けた。すると、すぐに心拍数が落ち、再び危険値を示す機械音が鳴り始めた。

「…まるで、母さんが頷いたみたいだな。」

圭司が瑞枝の顔を見つめながら言った。

「…あぁ。」

そのまま、瑞枝は静かに息を引き取った。


医師の処置が終わり、地下の霊安室に移動となり、看護師が押すストレッチャーを追いかけるように、直樹が圭司の車椅子を押していた。その後ろを歩く山ちゃんが、直樹に呟いた。

「…親父さん、泣かなかったな。俺や直樹は涙ボロボロ流しちゃってたのによ。」

「まだ、実感がわかないのかもしれないな。…山ちゃん。これからの親父のことだけど、正直、老人ホームに入れることも脳裏を過った。でも、さっきの母さんが頷いたように一瞬蘇ったのは、親父の面倒は俺が見るからっていう部分だったんじゃないかって思ってさ。だから、俺が面倒見てくよ。」

「何となく、直樹ならそう言うと思ってたよ。」


霊安室に着くと、山ちゃんが葬儀社に手配の電話を入れるため、一度霊安室の外に出た。

霊安室には瑞枝の遺体と、圭司、直樹だけになった。直樹は、横たわる瑞枝を見る度に溢れる涙を拭っていたが、圭司は横たわる瑞枝を黙ってじっと見つめていた。

「直樹ぃ。」

「…うん?」

「母さんよ、最高の最期だったな。」

「最高?」

「あぁ、家族に見守られながら逝けるなんて、これ以上のことはねぇよ。…俺ん時もこうでありたいねぇ。」

「母さんの前で、縁起でもない話すんなよ。…でも、確かに親父の言う通りかもな。母さん、少し微笑んでるように見えるしな。」

「直樹。これからはお前と二人っきりだ。仕事もあるだろうから、俺は貯金使って老人ホーム…。」
「俺が見るから大丈夫だ!母さん心配させるな。さっき俺が母さんと約束したんだから。親父の面倒は俺が見る。仕事なんて何とかなるさ。…母さんにしてやれなかった分、親孝行させてくれや。」

「…生意気な、ハッハッハッ。」

圭司は笑いながら一筋の涙を流した。直樹は震える圭司の肩を見て、泣いていることに気が付いたが、何も言わずに背後から肩に優しく手を置いた。

「ありがとう、母さん。」
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