最期の時間(とき)

雨木良

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有縣 勝蔵・民子 2

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あれから、片野医師と今後の治療、いや率直には延命措置に当たる内容について話を聞いた。

今は痛み止めと癌の進行を少しでも遅らせる薬を処方する方法しかないと言われ、民子は「分かりました。」としか言えなかった。

腰の痛みの治療という名目で勝蔵に再び病院に行くよう促す約束をし、薬を受け取り民子は帰路についた。

家への道中、民子は勝蔵に何て伝えて、この薬を飲ませるか、また病院へと向かわせるかを必死で考えていた。

描いていたこれからの人生。

勝蔵は、鬱病を患ってから外に出る機会が減ってしまってはいたが、元々は旅行好きで、家族旅行も年に数回していた。最近は、鬱病も回復傾向に向かい、段々と積極的に外に出掛けている姿を見ていた民子は、引退後は二人でまだ行ったことのない場所へ旅行に行きたいとずっと考えていた。

そんなことばかりが頭の中を駆け巡っていた民子は、急に胸が苦しくなり、歩道沿いの調度良い高さの石垣に腰掛けた。

「…はぁ、はぁ、はぁ。」

呼吸することが苦しくなってきた民子は胸を強く押さえた。…『一人ぼっちになるなら、このまま死ぬのも…』、民子は心の中で呟いた。

前を行き交う人々は、民子の姿に視線を向けても声を掛ける者は居なかった。民子は、鞄に手を突っ込み薬を探し出して、何とか飲み込んだ。

『…やっぱりまだ死ねないわね。』

しばらくすると、薬の効果が現れ、胸の痛みがすぅっと引いていった。大きなため息をついた民子は、鞄から携帯電話を取り出した。

「…やっぱり一人で抱えちゃダメね。」

民子は息子の一博(かずひろ)に電話を掛けた。三コール目で電話が繋がった。

「もしもし。お袋か?どうした、仕事中に電話掛けてくるなんて珍しいじゃんか。」

「一博。今、父さんの検査結果を聞きに病院に行ってきたのよ。」

「検査結果?あぁ、腰が痛いって言ってたやつか。漸く病院に行ったんだな、良かった。それで?」

「癌だって。」

「……………。」

「…一博?」

「………今、何て?」

「癌。もう全身に、骨にまで転移していて、あと一ヶ月生きられるかどうかって…。」

「い、一ヶ月?…嘘だろ…。親父自身は、そのこと知ってんの?」

「先生と相談して、癌と余命のことは伏せながら、延命治療をしていくことにしたの。」

「そうか。またえらく落ち込んで自暴自棄にでも為りかねないからな、それがいいと思う。…お袋、大丈夫か?」

「…正直、ダメかも。…だから、あんたに電話しちゃった。」

「お袋…。と、とにかく仕事切り上げて、すぐにそっちに向かうよ。だから家で待っててくれ。」

一博は電話を切った。民子は携帯電話を折り畳むと手に持ったまま、しばらく動けなかった。


いつもの倍以上の時間を掛けて家に到着した民子は、今はまだ勝蔵に話す勇気がなく、鉢合わないようにと、そっと玄関の引き戸を開けた。

自分一人だけが通れる隙間が出来たところで、横向きに身体を通し、ゆっくりと中に入り、そのままゆっくりと引き戸を閉めた。

「なぁにやってんだ、民子。」

「へ?」

民子が振り返ると、廊下に勝蔵の姿があった。どうやら運悪くトイレに行くタイミングと被ってしまったようだった。

「何こそこそやってんだ?」

勝蔵が首を傾げながら玄関へと近付いてきた。

「な、何の話?こそこそなんてしてないわよ。あなたいつも昼寝してる時間帯だから、音立てないようにゆっくりと戸を閉めただけよ。」

「…そうか。痛つつつつつ…。」

明らかに慌てた口調で話す民子を、勝蔵は不思議に感じたが、腰の痛みの波が襲ってきてそれどころじゃなくなり、寝転がるために自分の部屋へと向かって歩きだした。

「…ふぅ。こんなところで躓いていたんじゃ、この先思いやられるわね。次に顔合わせた時に言わなきゃ。」

民子は玄関を上がると居間に向かい、気持ちを落ち着かせるためにテレビを見ることにした。

“…というわけで田中(たなか)さん。末期癌患者さんの終活の話でしたけど、どうでしたか?”

運悪く、午前中のニュース番組では末期癌患者の話を取り上げていた。民子は、チャンネルを回そう迷ったが、少し観てみることにした。

“終活っていうのは、死への準備なんですよね。でも、健康な身体の方は、中々死については考えないですよね。今回のインタビューの方のように、末期癌等で余命を伝えられて、それならばと考えて終活に取りかかる方が多いわけです。”

“でも田中さん。私がその立場だったら気落ちして、そんなことまで頭が回らないかもしれないですよ。あと何ヵ月で死にますなんて宣告されたら、普通じゃいられませんよね。”

“そうですね。落ち込んで自暴自棄になってしまうケースもあろうかと思いますが、逆に終活が出来て良かったと言って亡くなる方も多いです。例えば、預金通帳や判子を締まっている場所なんて家族の誰も知らないなんてケースがあるかと思います。そういった事務的な報告から、近しい人たちへ感謝の言葉を伝えられて良かった、なんて言葉もありました。”

“確かに突然亡くなってしまう方々に比べたら、そういった整理や言葉を伝えることがしっかりできて、良い最期を迎えられるという点では恵まれてるのかもしれませんね。…さて、次のニュースです。…”

「…お父さんも、やっておきたいこととかあるのかしら…。」

民子はテレビに向かって呟いた。

民子がそのままテレビをぼーっと観ていると居間の障子がすーっと開いて、勝蔵が入ってきた。

「お前、何泣いてんだ?」

勝蔵は、自分に振り向いた民子の顔を見て不思議そうに聞いた。民子は自分が泣いていることに気が付いていなかった。慌てて涙を拭い、笑顔で誤魔化した。

「…何かあったんだろ?帰ってきてから様子がおかしいのくらい、俺にはわかるぞ。…あれか?パチンコで大負けでもしたか?」

痛い腰を押さえながらニヤニヤと下らない話す勝蔵に民子はムッとした。

「馬鹿ね!そんなわけないでしょ!」

民子はそう言い放って台所へと消えていった。

「…なんでぇ、よくわかんねぇな。いててて。」

台所に逃げてきた民子は、また誤魔化してしまった自分を悔いた。たかが、病院から腰痛の痛み止めを貰ってきたことと、また腰痛の件で病院に来てくれと言われたことを“嘘つく”だけなのに。

変に裏があるような表情が出ないか、そもそも、今日何で私が病院に行ったのかと聞かれたら上手い言い訳が出来るのだろうか、それにもうじき一博もこの家に帰ってくるはずで、急に来た上手い理由も考えなくてはいけない…頭がパンクしそうだった。

「…く、苦しい…。」

民子は極度のストレスからか、再び胸に痛みを覚え、呼吸が苦しくなり、その場に座り込んだ。

「…く、薬…あ、鞄…か。」

居間に置いた鞄に入っている薬が欲しいが、動くことができず、勝蔵に助けを乞う声も出なかった。

『私…死ぬの…?』

民子の意識は、徐々に薄れていった。
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