最期の時間(とき)

雨木良

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榊 祐太郎 9

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この日の夜。

祐太郎と紗希は、札幌市の藻岩(もいわ)山で、輝く街の明かりを見下ろしていた。

昼過ぎに札幌市に着いた二人は、初めての北海道ということもあり、オーソドックスな観光地を巡り、ガイドブックお奨めの飲食店で食事やお茶を楽しんで今に至っていた。

紗希は、所々で祐太郎の体調を気遣って、少し休もうだとか、無理はしないでと声を掛けたが、祐太郎は首を横に振って、「最初で最後の紗希との北海道を満喫したいんだ。」と笑顔で答えた。

紗希は、それで心配する気持ちが消えたわけでは無かったが、祐太郎の意思を尊重したいと思い、紗希も紗希で、最初で最後の祐太郎との北海道を満喫していた。

夕食にちょっと豪華な寿司を済ませた後、流石に冷える北海道の夜に祐太郎の体調を気遣った紗希はホテルに行くことを提案したが、祐太郎はどうしても紗希と北海道の夜景を眺めに藻岩山に行きたいと強く要望した。紗希は少し考えた後、祐太郎に折れて今に至る。

ただ、紗希も藻岩山に来て本当に良かったと思った。眼下に広がる眩い街の灯り、そして横を向くと、その夜景にうっとりしている嬉しそうな祐太郎の表情があった。紗希は寒かったこともあり、思わず祐太郎の腕にしがみついた。

「うわぁ、びっくりしたなぁ、もう。」

そう言いながらも祐太郎の表情は喜んでいた。

「だって、ゆうちゃんも寒いでしょ。…綺麗だね…。」

祐太郎は、夜景を見つめる紗希の横顔を見つめた。寒空の下、済んだ空気とぼんやりとした光に包まれている紗希の表情は、とても美しく輝いていた。視線を感じた紗希は、祐太郎に振り向いた。

「もう、どうしたの?ジロジロ見て。」

「いや、やっぱり紗希は可愛いなぁって思ってさ。」

「…馬鹿、恥ずかしいだろ、そんなストレートに言われたら。…ゆうちゃん、ありがとうね、北海道連れてきてくれて。」

祐太郎は優しく紗希を抱き締めた。

「ちょっと、周りに人がいるから恥ずかしいよぉ。」

「周りなんて関係ない。今は、紗希しか見てないんだから。」

「…ゆうちゃん。…うぅ、うぅ…。」

「紗希?」

「また来よう。来年も再来年も十年後も!ゆうちゃん…死なないで、お願い…。」

紗希は、この旅行中は絶対に『死』という単語を言わないようにと心掛けていた。朝から今まで紗希自身、ふとした時に祐太郎の死を考える瞬間はあり、その度に胸を詰まらせる思いだったが、何とか口にすることなく耐えてきた。

でも、紗希自身も限界だった。

祐太郎とこれからも一緒にいたい、一緒に生きていきたいという思いは、紗希が思っていたよりも巨大で重たく、一人で隠して抱えておけるものではなかったのだ。

祐太郎は、紗希の言葉に対する答えを用意していなかった。

勿論、紗希の言葉は素直に嬉しかった。でも、自分の努力でどうすることもできない命の期限との闘いを考えると、紗希に返す言葉が何も思い浮かばなかった。

「紗希…ごめんな。ありがとう。」

「…ゆうちゃん。何で、何でゆうちゃんなの?」

「…紗希…。」

「ごめん。ゆうちゃんが一番ツラいのにね…、私ったら…。」

「…紗希、お願いがあるんだ。」

祐太郎はそう言うと、紗希をそっと離し、コートの内ポケットから手紙用の封筒を取り出した。

「紗希。これを君に持ってて欲しい。」

紗希は封筒を受け取ると裏側を見て、封が糊付けされていることを確認した。

「これは…お手紙?今開けていいの?」

「うぅん。これは、僕がこの世からいなくなった後に開けて欲しいんだ。世界で一番大切な紗希にこれを預けたくて。…散々僕の死を悲しんでくれているのに、死んだ時の話をして済まない。…でも、僕からの最後の願いだと思って預かっていて欲しい、お願いします。」

紗希は封筒をじっと見つめると、顔を上げてニコリと微笑みながら頷いた。

「最後の願いだなんて思ってないけど、ゆうちゃんからのお願いなら断る理由はないわ。私が肌身離さずに持ってる。」

「いや、別に肌身離さずなんて…。」
「いいの!!へへへへへ。」

紗希はにんまりしながら、また祐太郎の腕にしがみつき、夜景をじっと見下ろした。

「…紗希、明日は何処へ行きたい?」

「ゆうちゃんと一緒なら、何処でもいいよ。」

「僕もだよ。…北海道ってさ、広大な自然を直に実感できて、今この自然の中で、地球の上で僕は生きてるんだって、改めて感じることができたよ。今だって、こんな景色地元じゃ見れないし。そして、隣には紗希がいる。こんなに幸せな時間はないよ。ありがとうな、紗希。」

「…………う、うぅ…。」

「…ごめん、また泣かせちゃったな。」

祐太郎は優しく紗希の肩を抱き締めながら、美しく輝く街を見下ろしていた。 
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