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有縣 勝蔵・民子 5
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「すまねぇな一博、会社休ませちまって。」
「何言ってんだよ、そんなこといいって。で、どうしても話しておきたいことってのは何なんだ?」
勝蔵の家の居間で、向き合って座って話す二人を、民子は台所からそっと眺めていた。
勝蔵は、自分の横に置いていた紙袋を手に取り、そっと火燵の上に置くと、スーッと一博の方へと紙袋を押した。
「…何だよ、この袋。」
一博は紙袋を手に取ると、中身を覗き込んだ。
「終活ってやつだ。」
紙袋の中には、いくつもの通帳と印鑑、生命保険の証書、そして遺言書と書かれた封筒が入っていた。
「…親父、いつの間にこんな準備してたんだ?」
一博は驚いた表情で聞いた。
「昨日の晩に急に思い立ったんだ。よく考えてみたら、自分でもどの金融機関にいくらの金があるなんて、把握しきれてなかった。とにかく、俺が死んだ後、お前たちにはこれ以上迷惑かけたくなくてな。必死で整理したよ。」
苦笑いしながら話す勝蔵に、一博は遺言書と書かれた封筒を見せて改めて聞いた。
「通帳の話じゃない。これだよ、遺言書!いつの間に用意したんだ?自筆証書じゃなくて公正証書じゃないか。」
「…昔もお前たちに迷惑かけた。はは、今思えば昔っから迷惑かけてばかりだったなぁ。特に母さんには。…なぁ。」
勝蔵は、ちらりと台所に視線を向けた。目が合った民子は、お茶を載せたお盆を持って、居間に入ってきた。
民子も勝蔵が遺言書を用意していたのは全く知らなかった。
「…その表情は、母さんも遺言書の存在に驚いてんのか?」
「…お父さん、昔っておっしゃいましたけど、落ち込まれていた時ですか?」
民子の質問に、勝蔵は頷いた。
「こんな話したくはなかったが、遺言書を渡さないわけにはいかない。まさか、こんな形で渡すことになろうとは思ってもみなかったがな。…俺が仕事で鬱状態の時、何回も『死』を考えた時期があった。」
「…親父…。」
「…お父さん…。」
「いや、本当にすまない。あの時も母さんや一博たちが俺を支えてくれた。それは今はしっかりと理解してるし、感謝もしてる。ただ、当時はそんな気持ちに余裕がなかったんだ。『死』についてばかりを考えてるとな、自殺とかじゃなくて、日常的に急に死ぬんじゃないかと考えるようになってな。例えば、外を歩けば車に轢かれるんじゃないか、風呂に入れば心臓麻痺を起こすんじゃないか、とかな。そんなことばかり考えていたら、いつの間にか『死』を身近に感じるようになってよ、友人に相談したんだ。そしたら、遺言書だけは用意しとけってアドバイス受けてよ。」
「それで公証人に依頼して遺言書書いたってわけか…。」
一博の言葉に、勝蔵は頷いた。
「とにかく、俺が死んだら母さんが独りぼっちになっちまう。一博、頼むから母さんのこと…。」
「分かってるよ、心配すんな。お袋は俺がしっかり面倒見るから。お袋がうちに入ったっていいし。」
一博はそう言うと、紙袋をそのまま民子に渡した。民子は驚いた表情で受け取ると、一博の表情を伺った。
「親父の面倒をずっと見てきたのはお袋だ。俺は親父の遺産とかには興味ない。お袋が全部持っててくれよ。」
「一博…。」
「お前は良い息子に育ったなぁ。何にも心配なく死ねるよ。ハッハッハッ。」
笑えない冗談に、一博は顔をしかめた。その表情を見て、勝蔵は笑い声を徐々に絞り、一博の目を見つめた。
「自分の身体のことは自分が一番よく分かる。俺はもう長くない。これは受け入れていかなければならない。受け入れなければ、何も前には進まない。だから、一博や母さんも、俺の死については受け入れてほしい。」
「…親父。そんなこと、改めて言うなよ…。」
一博の隣に座っていた民子は、涙を拭った。
「…一博、母さんのこと頼んだぞ。」
勝蔵は民子を見つめながらそう言うと、た立ち上がり、居間から出て行った。
自分の部屋に戻った勝蔵は、畳の上にゆっくり腰を下ろし、部屋を整理している際に見つけた、古いアルバムをゆっくり開いた。
「…俺は幸せな人生だったな…。」
ぽたりとアルバムに滴が落ちた。
「何言ってんだよ、そんなこといいって。で、どうしても話しておきたいことってのは何なんだ?」
勝蔵の家の居間で、向き合って座って話す二人を、民子は台所からそっと眺めていた。
勝蔵は、自分の横に置いていた紙袋を手に取り、そっと火燵の上に置くと、スーッと一博の方へと紙袋を押した。
「…何だよ、この袋。」
一博は紙袋を手に取ると、中身を覗き込んだ。
「終活ってやつだ。」
紙袋の中には、いくつもの通帳と印鑑、生命保険の証書、そして遺言書と書かれた封筒が入っていた。
「…親父、いつの間にこんな準備してたんだ?」
一博は驚いた表情で聞いた。
「昨日の晩に急に思い立ったんだ。よく考えてみたら、自分でもどの金融機関にいくらの金があるなんて、把握しきれてなかった。とにかく、俺が死んだ後、お前たちにはこれ以上迷惑かけたくなくてな。必死で整理したよ。」
苦笑いしながら話す勝蔵に、一博は遺言書と書かれた封筒を見せて改めて聞いた。
「通帳の話じゃない。これだよ、遺言書!いつの間に用意したんだ?自筆証書じゃなくて公正証書じゃないか。」
「…昔もお前たちに迷惑かけた。はは、今思えば昔っから迷惑かけてばかりだったなぁ。特に母さんには。…なぁ。」
勝蔵は、ちらりと台所に視線を向けた。目が合った民子は、お茶を載せたお盆を持って、居間に入ってきた。
民子も勝蔵が遺言書を用意していたのは全く知らなかった。
「…その表情は、母さんも遺言書の存在に驚いてんのか?」
「…お父さん、昔っておっしゃいましたけど、落ち込まれていた時ですか?」
民子の質問に、勝蔵は頷いた。
「こんな話したくはなかったが、遺言書を渡さないわけにはいかない。まさか、こんな形で渡すことになろうとは思ってもみなかったがな。…俺が仕事で鬱状態の時、何回も『死』を考えた時期があった。」
「…親父…。」
「…お父さん…。」
「いや、本当にすまない。あの時も母さんや一博たちが俺を支えてくれた。それは今はしっかりと理解してるし、感謝もしてる。ただ、当時はそんな気持ちに余裕がなかったんだ。『死』についてばかりを考えてるとな、自殺とかじゃなくて、日常的に急に死ぬんじゃないかと考えるようになってな。例えば、外を歩けば車に轢かれるんじゃないか、風呂に入れば心臓麻痺を起こすんじゃないか、とかな。そんなことばかり考えていたら、いつの間にか『死』を身近に感じるようになってよ、友人に相談したんだ。そしたら、遺言書だけは用意しとけってアドバイス受けてよ。」
「それで公証人に依頼して遺言書書いたってわけか…。」
一博の言葉に、勝蔵は頷いた。
「とにかく、俺が死んだら母さんが独りぼっちになっちまう。一博、頼むから母さんのこと…。」
「分かってるよ、心配すんな。お袋は俺がしっかり面倒見るから。お袋がうちに入ったっていいし。」
一博はそう言うと、紙袋をそのまま民子に渡した。民子は驚いた表情で受け取ると、一博の表情を伺った。
「親父の面倒をずっと見てきたのはお袋だ。俺は親父の遺産とかには興味ない。お袋が全部持っててくれよ。」
「一博…。」
「お前は良い息子に育ったなぁ。何にも心配なく死ねるよ。ハッハッハッ。」
笑えない冗談に、一博は顔をしかめた。その表情を見て、勝蔵は笑い声を徐々に絞り、一博の目を見つめた。
「自分の身体のことは自分が一番よく分かる。俺はもう長くない。これは受け入れていかなければならない。受け入れなければ、何も前には進まない。だから、一博や母さんも、俺の死については受け入れてほしい。」
「…親父。そんなこと、改めて言うなよ…。」
一博の隣に座っていた民子は、涙を拭った。
「…一博、母さんのこと頼んだぞ。」
勝蔵は民子を見つめながらそう言うと、た立ち上がり、居間から出て行った。
自分の部屋に戻った勝蔵は、畳の上にゆっくり腰を下ろし、部屋を整理している際に見つけた、古いアルバムをゆっくり開いた。
「…俺は幸せな人生だったな…。」
ぽたりとアルバムに滴が落ちた。
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