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榊 祐太郎 10
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翌朝。
昨夜は、神谷あずさの関係で夜中の帰宅になったが、いつも通り開院一時間前に出勤して、診察室で今日の予約患者のカルテを見直していた片野医師の元に、一本の電話が鳴った。
「はい、片野です。」
「総合案内です。開院前にすみません、既に出勤されてると聞きまして。札幌病院から片野先生宛てに電話が入っていますがお回ししてよろしいでしょうか?」
「…札幌…?」
片野医師の頭の中に、直ぐに祐太郎のことが浮かんだ。
「…えぇ、回してください。」
すると、直ぐに総合案内は札幌病院からの外線へと切り替えた。
「もしもし、横浜総合病院の片野でございます。」
「あ、すみません開院前から。私、札幌病院の救急科の神野(じんの)と申します。榊祐太郎の件なのですが、片野先生が主治医と伺いまして。」
「えぇ、間違いございません。…彼に何かあったんですか?」
片野医師はゴクンと唾を呑み込んだ。
「えぇ。今朝方、救急でホテルから運ばれてきました。激しい腰や背中の痛みと、それに伴う呼吸困難で。一緒に旅行中の彼女さんが連絡したようです。彼女さんから話を聞いて驚きましたよ。よく許可を出されましたね。」
「…ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。…それで、彼は?」
「点滴を打って、少し休まれてから先程帰られました。あと3日ほど北海道に滞在の予定とおっしゃってたんですが、なるべく早く帰るように指導させていただきました。…今回はその報告と、今後また運ばれてくる可能性もなきにしもあらずなんで、彼の電子カルテデータの提供をお願いしたくて。」
「承知しました、後程送ります。また運ばれてくる可能性と言いますと…?」
「ははは、彼の目を見て、多分直ぐに帰ろうとはしないだろうなと感じましてね。私も彼の意志は尊重したいとは思いますが、間違っても北海道で最悪な事態にはなっていただきたくはないと…。」
「…本当にご迷惑おかけして申し訳ございません。医者としては本来は許可を出せない状況だったかもしれないですが、先生も感じられた彼の意志に、私個人が負けてしまったような…。」
片野医師の話が続く中、札幌では、病院からホテルに戻った祐太郎と紗希が神妙な面持ちで話し合いをしていた。
「…ゆうちゃん、帰ろう。」
「………………。ごめん。」
祐太郎は一言呟くと下を向いた。
「ゆうちゃん。いつから?」
「え?」
祐太郎は顔を上げた。
「いつから我慢してたの?我慢だけはダメだって言ったじゃない!」
ムスッとして漫画のような表情で怒っている紗希に、祐太郎は少し可笑しくなって、ニヤついてしまった。
「ゆうちゃん!何で笑ってるの!私、怒っているんだよ!」
「…ごめん。どうしても紗希と夜景を見たかったんだ。…でも、流石に朝方の痛みには耐えられなくて…。で、でも、今はもう大丈夫!だから…」
「ダメ!帰ろう!」
「…紗希…。」
祐太郎は悲しげな目で紗希を見つめた。すると、先はそっと祐太郎を抱き締めた。
「ゆうちゃんがやりたいことは北海道に来ることだけじゃないんじゃない?…ありがとうね、私はゆうちゃんと北海道に来れて嬉しかったし、楽しかった。昨日見た藻岩山からの夜景は一生忘れないわ。…お願い、無理はしないで…。」
段々と涙が混じっていく紗希の声に、祐太郎は紗希を強く抱き締めた。
「紗希…ありがとう。僕、まだ紗希とやりたいことがいっぱいいっぱいあるんだ。…北海道は今日出るよ。飛行機のチケットも後ですぐに手配するから。その前にさ、一ヶ所だけ行きたい場所があってさ、それだけいいかな?」
紗希は何処だろうと考えたが、答えが出なかった。
数時間後。
祐太郎に誘導されるまま、タクシーに揺られて着いた場所は、牧場だった。
タクシーから降りた紗希は、辺りを見回した。
「…牧場?」
紗希が見つめた祐太郎の表情はにこやかだった。
「紗希、動物とかソフトクリーム好きだろ?北海道に来たらどうしても連れてきたかったんだ。」
「すごぉい!広いね!なんか地球の上にいるって感じる!あ、見て!あっちに馬がいっぱいいるよ、可愛い!」
紗希は、初めてみる広大な牧場に感動し、気持ちがはしゃいでいた。遠くに見える馬に向かって全力で走っていく紗希の姿を、祐太郎は嬉しそうに眺めていた。
「…痛っ。…良かったな、来て。」
祐太郎は腰を擦りながら呟いた。
「ゆうちゃーん!凄いよ!子馬がいるの!」
遠くから手を振りながら祐太郎を呼ぶ紗希に、祐太郎も手を大きく振って答え、ゆっくりと歩み寄った。
「…大丈夫!?」
腰を擦りながら歩く祐太郎を見て紗希は慌てて祐太郎に走り寄った。
「大丈夫大丈夫。タクシーで座り疲れちゃっただけだよ、オッサンだなぁ僕も。ハハハハハ。」
笑って誤魔化そうとする祐太郎を、紗希は疑いの眼差しで見た。その視線を痛く感じた祐太郎は、笑うのを止め、紗希の目を見つめて答えた。
「…心配かけてごめん。確かに身体が痛いけど、紗希の嬉しそうな姿を見て、僕も本当に嬉しいよ。」
「…ゆうちゃん…。」
祐太郎は紗希を抱き締めた。
「紗希…一つお願いがあるんだ。」
「なぁに?」
紗希が祐太郎の胸に頬を委ねながら聞いた。
「…やっぱり、僕は紗希と結婚したい。やっぱり気持ちに嘘はつけないよ。…紗希がいないと僕はダメなんだ。」
「……………。」
「……ごめん。こんな状態の僕に言われても困るよね…。」
「うぅん、違うの!嬉しいの!私の人生にゆうちゃんと夫婦になれることを刻めるのが。…う、うぅ…ゆうちゃん。私がずっと支えるから…甘えていいんだからね。」
「…紗希…。ありがとう、僕は頑張って、余命なんか嘘っぱちだったって片野先生に言ってやるんだ。紗希のために僕は長生きしたい。…愛してるよ、紗希。」
祐太郎はそっと紗希の唇にキスをした。
昨夜は、神谷あずさの関係で夜中の帰宅になったが、いつも通り開院一時間前に出勤して、診察室で今日の予約患者のカルテを見直していた片野医師の元に、一本の電話が鳴った。
「はい、片野です。」
「総合案内です。開院前にすみません、既に出勤されてると聞きまして。札幌病院から片野先生宛てに電話が入っていますがお回ししてよろしいでしょうか?」
「…札幌…?」
片野医師の頭の中に、直ぐに祐太郎のことが浮かんだ。
「…えぇ、回してください。」
すると、直ぐに総合案内は札幌病院からの外線へと切り替えた。
「もしもし、横浜総合病院の片野でございます。」
「あ、すみません開院前から。私、札幌病院の救急科の神野(じんの)と申します。榊祐太郎の件なのですが、片野先生が主治医と伺いまして。」
「えぇ、間違いございません。…彼に何かあったんですか?」
片野医師はゴクンと唾を呑み込んだ。
「えぇ。今朝方、救急でホテルから運ばれてきました。激しい腰や背中の痛みと、それに伴う呼吸困難で。一緒に旅行中の彼女さんが連絡したようです。彼女さんから話を聞いて驚きましたよ。よく許可を出されましたね。」
「…ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。…それで、彼は?」
「点滴を打って、少し休まれてから先程帰られました。あと3日ほど北海道に滞在の予定とおっしゃってたんですが、なるべく早く帰るように指導させていただきました。…今回はその報告と、今後また運ばれてくる可能性もなきにしもあらずなんで、彼の電子カルテデータの提供をお願いしたくて。」
「承知しました、後程送ります。また運ばれてくる可能性と言いますと…?」
「ははは、彼の目を見て、多分直ぐに帰ろうとはしないだろうなと感じましてね。私も彼の意志は尊重したいとは思いますが、間違っても北海道で最悪な事態にはなっていただきたくはないと…。」
「…本当にご迷惑おかけして申し訳ございません。医者としては本来は許可を出せない状況だったかもしれないですが、先生も感じられた彼の意志に、私個人が負けてしまったような…。」
片野医師の話が続く中、札幌では、病院からホテルに戻った祐太郎と紗希が神妙な面持ちで話し合いをしていた。
「…ゆうちゃん、帰ろう。」
「………………。ごめん。」
祐太郎は一言呟くと下を向いた。
「ゆうちゃん。いつから?」
「え?」
祐太郎は顔を上げた。
「いつから我慢してたの?我慢だけはダメだって言ったじゃない!」
ムスッとして漫画のような表情で怒っている紗希に、祐太郎は少し可笑しくなって、ニヤついてしまった。
「ゆうちゃん!何で笑ってるの!私、怒っているんだよ!」
「…ごめん。どうしても紗希と夜景を見たかったんだ。…でも、流石に朝方の痛みには耐えられなくて…。で、でも、今はもう大丈夫!だから…」
「ダメ!帰ろう!」
「…紗希…。」
祐太郎は悲しげな目で紗希を見つめた。すると、先はそっと祐太郎を抱き締めた。
「ゆうちゃんがやりたいことは北海道に来ることだけじゃないんじゃない?…ありがとうね、私はゆうちゃんと北海道に来れて嬉しかったし、楽しかった。昨日見た藻岩山からの夜景は一生忘れないわ。…お願い、無理はしないで…。」
段々と涙が混じっていく紗希の声に、祐太郎は紗希を強く抱き締めた。
「紗希…ありがとう。僕、まだ紗希とやりたいことがいっぱいいっぱいあるんだ。…北海道は今日出るよ。飛行機のチケットも後ですぐに手配するから。その前にさ、一ヶ所だけ行きたい場所があってさ、それだけいいかな?」
紗希は何処だろうと考えたが、答えが出なかった。
数時間後。
祐太郎に誘導されるまま、タクシーに揺られて着いた場所は、牧場だった。
タクシーから降りた紗希は、辺りを見回した。
「…牧場?」
紗希が見つめた祐太郎の表情はにこやかだった。
「紗希、動物とかソフトクリーム好きだろ?北海道に来たらどうしても連れてきたかったんだ。」
「すごぉい!広いね!なんか地球の上にいるって感じる!あ、見て!あっちに馬がいっぱいいるよ、可愛い!」
紗希は、初めてみる広大な牧場に感動し、気持ちがはしゃいでいた。遠くに見える馬に向かって全力で走っていく紗希の姿を、祐太郎は嬉しそうに眺めていた。
「…痛っ。…良かったな、来て。」
祐太郎は腰を擦りながら呟いた。
「ゆうちゃーん!凄いよ!子馬がいるの!」
遠くから手を振りながら祐太郎を呼ぶ紗希に、祐太郎も手を大きく振って答え、ゆっくりと歩み寄った。
「…大丈夫!?」
腰を擦りながら歩く祐太郎を見て紗希は慌てて祐太郎に走り寄った。
「大丈夫大丈夫。タクシーで座り疲れちゃっただけだよ、オッサンだなぁ僕も。ハハハハハ。」
笑って誤魔化そうとする祐太郎を、紗希は疑いの眼差しで見た。その視線を痛く感じた祐太郎は、笑うのを止め、紗希の目を見つめて答えた。
「…心配かけてごめん。確かに身体が痛いけど、紗希の嬉しそうな姿を見て、僕も本当に嬉しいよ。」
「…ゆうちゃん…。」
祐太郎は紗希を抱き締めた。
「紗希…一つお願いがあるんだ。」
「なぁに?」
紗希が祐太郎の胸に頬を委ねながら聞いた。
「…やっぱり、僕は紗希と結婚したい。やっぱり気持ちに嘘はつけないよ。…紗希がいないと僕はダメなんだ。」
「……………。」
「……ごめん。こんな状態の僕に言われても困るよね…。」
「うぅん、違うの!嬉しいの!私の人生にゆうちゃんと夫婦になれることを刻めるのが。…う、うぅ…ゆうちゃん。私がずっと支えるから…甘えていいんだからね。」
「…紗希…。ありがとう、僕は頑張って、余命なんか嘘っぱちだったって片野先生に言ってやるんだ。紗希のために僕は長生きしたい。…愛してるよ、紗希。」
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